夏蕾・Ⅵ
文字数 2,266文字
空気の重い執務室。
大机にホルズ。正面に二人の少年が手をグーにして突っ立っている。
「あ―― お前達の気持ちも分かるが」
話し始めたホルズの脇で、報告書を書いているユゥジーンが困り顔で眉を寄せた。
「物事の端っこだけを見ちゃいかん。西風を軽く見ている者も確かにいるが、声が大きいから目立つだけだ。現にナーガ長やリリは取るものも取りあえず駆け付けているじゃないか。お前達は心配しなくても大丈夫なんだ」
少年二人は俯(うつむ)いて口を結んでいる。
「俺だって、お前達の父親を通して西風には敬意を持っている。しかし行った事も触れた事もない者達には、昔の矮小部族のままなんだ。留学生のお前達の態度が、そういった者達に考えを改めさせるチャンスでもあるんだぞ」
少年二人が押し黙ったままなので、ホルズも鼻で溜め息して、説教を切り上げた。
「今日はきちんと修練所へ行って、放課後またここへ来なさい。その頃には鷹が戻っているから、西風で何が起こったか教えてやる。それから罰則(ペナルティ)だぞ」
「厩掃除ですか?」
少年達がまだ黙っているので、ユゥジーンが気まずい空気を破るつもりで口を開いた。厩掃除は、子供に出来る一番ポピュラーな罰則だ。
「いや、それはない。馬事係の頭目がカンカンなんだ。どの馬も大切に調整しているのに、子供の玩具じゃない! って」
二人の少年は顔を上げ、初めて動揺の表情をした。
「奴等には、草の馬に指一本触れさせん! って。厳しいが、仕方がないぞ」
ユゥジーンもハッとして目を見開いた。
それって、レンが草の馬の訓練を受けられる話も立ち消えたって事だ。
「違う!」
カノンが叫んだ。
「僕達、立ち聞きした事に腹を立てて、西風に帰ろうとしたんじゃない!」
レンが腕を掴んだが遅かった。
「ユゥジーンの所へ行こうとしたんだ!」
「何故だ?」
首を傾げて尋ねる大人二人に、カノンは息を吸い込んだまま止まった。
さっきレンが止めた理由に、やっと気付いたのだ。夢でユゥジーンの危機を見て飛び出したなんて、この状況でそんなの、『わざとらしい言い訳』にしか聞こえない。
ホルズが腰に手をやって、何度目かの溜め息と共に話を打ち切った。
「もういい、行きなさい」
修練所への鉛みたいな道のりで、カノンは苦しい口を開いた。
「レン……レン、ごめん……」
「謝るな」
レンは正面向いて、カノンに歩調を合わせてずっと真横にいる。
「僕がカノンを信じたかったんだ。それを貫いたんだから、後悔はしないよ」
「レン……」
「いいんだ、僕には青毛がいるし。よく考えたら、草の馬に乗り慣れて帰ったら、奴が可哀想じゃん。草の馬はたまに母さんのに乗っけて貰うからいいんだ」
そしてカノンに顔を向けて笑顔を作った。
でもやっぱり目の奥は動揺で揺れている。
留学の日数の限られている二人は、修練所で受けられる講義の一つ一つをとても大切にしていた。
しかしこの日ばかりは授業に身が入らず、午前の授業が終わると顔を見合わせて頷いた。
もう鷹は戻っているかもしれない。
一刻も早く西風の状況を知りたい二人は、昼食をパスして執務室へ走るつもりだった。
しかし講義終わりの教室で、サォ教官に呼び止められた。
「レン、残念だったな、だがな……」
長くなりそうなのを見て取って、二人は目配せした。
名を呼ばれたレンだけが立ち止まって、カノンは素早く教室を飛び出した。
とにかく片っ方が執務室で情報を聞いて来られればいい。
近道の放牧地を抜けて、里の中心への坂を一気に駆け上がる。
執務室のデッキで一旦息をつき、戸口で声を掛けた。
「ホルズさん」
返事がない。
御簾を上げて覗くと、留守にしているようで、無人だった。
カノンはそおっと中へ入った。大机の奥の止まり木に、鷹はいない。
「まだ戻っていないんだ」
留守に勝手に入るなんて、また心証を悪くする。
すぐに出て行こうとして、机の角にあった書類を落っことしてしまった。
「いっけない」
屈んで拾って、その瞬間カノンは固まった。
おウネ婆さんの所で胃薬を貰って戻って来たホルズは、御簾を開けて、大机の足元に屈み込む青銀の少年を見咎めた。
「鷹はまだだぞ。心配は分かるが留守に勝手に入っちゃいかんよ。んん?」
少年が屈んだまま動かないので、近付いて肩に手を置いたが、木偶(でく)のようにごろんと横に倒れてしまった。目は開いているが瞬(まばた)き一つしない。
「お、おい……」
脇に腕を回して起こそうとした所で、いきなり少年が跳ね起きた。
「うがっ」
「ユゥジーン! ユゥジーンはっ!?」
「な……なに?」
頭で顎を直撃されて尻餅を付くホルズ。
「ユゥジーン、どこっ!?」
「ユゥジーンって……任務で出ている。ああ、その、お前さんが手に持っている手紙じゃないか」
ホルズはクラクラしながら、つい答えてしまった。
本来なら徹夜のユゥジーンは休ませてやりたい所だったが、彼の懇意にしている部族から呼び出しの依頼が来たのだ。
「おい、一体どうしたんだ?」
肩を掴もうとするホルズの脇をすり抜けて、カノンは表へ飛び出した。
「そいつを捕まえろ!」
メインストリートの坂を一気に駆け降りる少年に、執務室の戸口からホルズが叫んだ。
また馬を盗んで飛び出しそうな勢いだ。
何人かが手を出して捕らえようとしたが、子供は燕みたいに素早しこかった。
馬繋ぎ場の馬事係が慌てて厩の前に立ち塞がる。
しかしカノンは横目でチラと見ただけで、躊躇なく外との境界の柵に手を掛けて飛び越え、そのままの勢いで走り抜けて行った。
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