ホライズン・Ⅶ
文字数 2,259文字
カノンとフウヤが馬繋ぎ場に馬を置いて長宅に近付くと、家の中ではもう女性陣の笑い声が響いていた。
レモンがどこの、蜂蜜がどこのと騒いでいる。
家に入る前にフウヤは足を止めた。
「所でカノン、最近変わった事は無かったか? 気になった噂話とか」
「ううん、別に。どうかしたの?」
「いや、ならいいんだ」
「?」
カノンが聞こうとした所で、玄関脇の繁みが揺れた。
「わぉ! フウヤ!」
赤いバンダナのレンだ。
「カノン元気じゃん、心配して損した!」
昼休みに近道を走って見に来てくれたらしい。
彼の一家もフウヤと昔馴染みで、レンはカノンと同じく、彼の旅の話が大好きだ。
「フウヤが来ているんなら、僕も午後の講義休んじゃおうかな」
「こら!」
後ろから大柄なスオウ教官が姿を現した。
「学べる時にしっかり学ぶのが子供の仕事だ。理屈を付けてはサボっていると、スッカラカンな大人にしかなれないぞ」
「いいじゃん、フウヤだって色々教えてくれるよ」
「屁理屈こねるな、午後の授業に遅れたら掃除罰だ、ほれ駆け足!」
「ひぇ――」
レンは不服そうにその場で何歩か足踏みしてから繁みに駆け込んだ。
「待って、レン!」
いつの間に、カノンが勉強道具を抱えて玄関から飛び出して来た。
「カノンはいいんだぞ、少し位ゆっくりしても」
「え――こ――ひいき――」
一度消えたレンが繁みから顔を出した。
「こら、とっとと行け!」
「行こう、レン」
「オッケー、カノン。フウヤ、僕らが帰るまで居てね!」
「ああ分かった約束する、頑張って子供の仕事をやって来い」
子供二人はガサガサと繁みに消え、後に白い青年と、鼻から大きく息を吐く教官が残る。
のんびり振っていた手を下ろし、フウヤは教官に向き直った。
「レンじゃないけれど、随分とカノンに甘いんですね」
「贔屓じゃない、区別です。あの子の家庭は普段から色々と複雑だから……いや」
教官は苦笑いになって頭を振った。
「やっぱり贔屓かもしれません。教官失格ですね」
今だって、姿が見えないのを心配して、昼休みの業務を後回しに、様子を見に来たのだ。
「まさか。子供を一律に平等なんてムリムリ。カノンなんて一見しっかりしていて、放って置いても大丈夫そうに見えるから、難しい所ですよね」
「そう言って貰えると助かります。ああ、それはそうと……」
教官は数歩後ずさって、周囲を伺った。
白い青年も察して、話し声が家の中に聞こえない距離まで離れる。
「沿海州からの商人に、聞き捨てならぬ話を聞きました。鯨岩の街で仕事をしている貴方の耳にも入っているのではないかと」
「西風のソラが生きているって噂?」
フウヤのサラリとした台詞に、繁みの中で息が止まった二人がいた。
盗み聞きするつもりだったんじゃない。カノンが教材のひとつを忘れて、レンと一緒に取りに戻ったのだ。
「やはり知っていましたか。結構な噂になっているようですね」
「うん。だけれど、あれ、ガセだ。デタラメ確定」
「えっ、そうなんですか」
「丁度シドが来ていたから、二人で噂の出所を突き止めたんだ。何の事はない、他人の空似」
「はぁ、他人の……」
「コトの真相は単純。鯨岩の街の子供が、海岸で親とはぐれて怪我をした。通りがかって手当てして、親の所まで送り届けてくれた人物が、ソラに似ていたってだけだった」
「なんと、それだけ?」
「そうそ、名前も違うし、山あいの村で生まれ育ったって言う、まったくの別人。子供の親がたまたまソラの常宿していた宿の主人だったんで、『ソラ殿が生き返ったかと思った!』なんて話したのが、ヒトの口を伝って変な噂になっちゃっただけ」
「ほぉ、ヒトの口とは怖い物ですねぇ」
「その子供にも会って話を聞いたけれど、件のそっくりさん、博打で大負けしたって言って、何とマントの下がパンツ一丁だったって。そんでへっぽこ勇者なんて名乗って、陽気に歌って肩車してくれたとか。それってどう考えてもソラじゃないでしょう」
「そ、それは確かに」
「無責任な噂がモエギさんやルウの耳に入っていないか心配したけれど……今のところ大丈夫みたいだね」
「いや分かりました。私も変な噂が里に入らぬよう、気を付けていましょう」
「頼みます。デタラメな噂なんて、どうせすぐに消えるだろうけれど」
フウヤが建物に入り、教官も去ってから、繁みの二人はソロソロと顔を出した。
「あああ、びっくりしたぁ。凄い事聞いちゃったと思ったら、嘘の噂かぁ。心臓に悪いよな、カノン」
「うん……」
「父さんも言ってくれればいいのに」
「レン、シドさんはきっと、半端な噂を里へ持ち込まないようにしたんだよ」
「ふぅん、お前凄いな、冷静じゃん」
「ん……」
確かにカノンは冷静だったが、何処となく上の空なのに、レンは気付かなかった。
「行こうか、カノン。時間ギリだよ」
「…………」
「カノン?」
「会ったんだろうか」
「えっ?」
「フウヤかシドさんか、その、他人の空似なヒトに、直接会ったんだろうか。フウヤの口振りだと、やっぱり人伝(ひとづて)にしか聞いていないみたいだ」
「だって名前も生まれ育ちも違って、性格も全然違うんでしょ? そりゃ他人だよ」
「そうだろうね、そう思うだろうね、ソラの全てを知っているつもりでいるから」
レンは少しムッとした。自分の父親のシドは、ソラとは子供の頃から寝食を共にした親友だ。誰よりもソラの事は知っている筈。
カノンもそんな彼の気配を察してか、その話はそこで止めた。
しかし口の中だけで、独り言のように呟いていた。
(大人って、ホント、痒い所に手が届かないんだ)
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