夏蕾(なつつぼみ)・Ⅰ

文字数 2,757文字

 
   

 蒼の里ののどかな昼下がり。

 初夏の陽射しの下、修練所の広場を駆け回る子供達。
 固く巻いた蔦(つた)の玉は、軽くてよく弾む。
 それを蹴ってお互いの陣地に入れるゲームをやっているのだ。

「レン! 行ったぞ、頼む――!」

「任せろ!」

 赤いバンダナの少年が、山なりに飛んで来た蹴り玉めがけて飛び上がり、空中で見事なシュートを決めた。

「やったあ、レン!」

 各陣営の応援も大盛り上がりだ。
 今まで蹴り玉に興味を示さなかった女の子達も混じっている。

「大した馴染みっ振りだな」
 土手の上では、執務室のホルズと、すっかり中堅の貫禄の着いたサォ教官が見下ろしていた。
「ええ、ルウシェルを懐かしく思い出します。彼女も蹴り玉をやり始めたら、たちまち皆の人気者になりました。あのズバ抜けた体幹、跳躍力、そして太陽みたいにヒトを惹き付ける魅力。砂漠の子供って皆ああなんですかね?」

「あ、ああ――っ!」

 少年達の慌てた声、続いてベコンと間抜けな音。
「ふゃあ」って情けない悲鳴。

 二人が視線を滑らせた土手の真下に、青銀の髪の少年が額を押さえてうずくまっていた。
「……砂漠の子供みんなが運動神経がいいって訳でもないようだな」

「ごめん――! カノン!」
 クスクス笑うギャラリーをひと睨みして、レンが駆け寄った。
「大丈夫か? 何でよりによって顔面で受けるかなぁ」

 バンダナの少年は自分の袖口でカノンの鼻の泥を拭ってから、散らばった書物を拾い集めた。
「また書物を見ながら歩いてたろ。広場では危ないからよせって」

「ごめん、読み始めたらつい。ああ、いつの間にか広場に出てたんだ」
 カノンはまだフラフラしながら書物を受け取った。

「・ったく! そんな文字ばっかに埋もれてたら、書庫の壁のシミになっちまうぞ。たまにはパアッと走ろうぜ」
「ありがと、でも、これすぐに読んじゃいたくて。また次、誘ってよ」

「レン――!」
 仲間に呼ばれて、レンは振り返りながら駆け去った。

 言われた所なのに、青銀の少年は再び書物を開いて歩き始める。

 眺めていた二人の大人は肩を竦めた。
「対照的だな」

「あのオレンジの瞳がなければ、どちらがルウシェルの子息か分かりませんね」
「運動は苦手なのかな?」
「体術の成績は程々ですね、持久力はあるのですが。まあ、彼の今の興味は書物なのでしょう。最初にここの図書室を見て、目を輝かせていましたからね。限られた滞在期間に、ありったけの文字をむさぼりたいって感じです」
「そういう所は、やっぱりルウシェル似だな」
「そうですね」


 カノンは自習室の机に辿り着いて、椅子を引くのももどかしく、読み続けの箇所に目を落とした。
 天気のいいこんな昼休みは誰もいない。自分だけの空間。
 午後の陽射しが窓から射し込み、一人きりの自習室は、少年を遥かな歴史書の世界へいざなってくれる。

「あ、また」

 覚えのある節に触れた。
 西風の里の『ソラの書物の部屋』で読んだ内容だ。
 あの部屋には、古今東西の書物だけでなく、ソラの手による写本も沢山あった。
 ただ写しただけでなく、古めかしい文章を現代の言葉に訳したり、読みやすく心配った注釈がなされていた。
 ソラの写本を暗記する程読み込んでいたカノンには、原本を見付けると、改めてそういうのが良く分かった。
 ソラの足跡を辿りながら書物に身を投じていると、彼がそこで何を考えたかどう感じたかを、追体験している気分になれた。
 カノンには蹴り玉よりもそちらの方が、すこぶる魅力的だった。


 放課後、レンとカノンが肩を並べて修練所の戸口を出ようとした所で、サォ教官に呼び止められた。

「レン、良い知らせだ」

「センセ、ってコトは、あれ、オッケーが出たんですか?」
「ああ、昼休みにホルズ殿が、直接伝えに来てくれた」
「や、やったぁ!」

 思わずガッツポーズをやりかけたレンだったが、カノンを見てすぐ腕を下ろした。

 二人は西風の妖精だが、レンは母親が蒼の妖精で、蒼の一族の資質も少なからず受け継いでいる。
 蒼の一族のステイタスである空飛ぶ草の馬の訓練を受けさせるべきかどうか、大人の間で話し合われていたらしいが、とうとう許可が降りたというのだ。
 訓練の経過次第では、草の馬が貰えるかもしれない。

「よかったじゃない、レン。免許皆伝したら後ろに乗せてよね」
 カノンは努めて明るく言って、レンの肩を叩いた。
 訓練の許可は、蒼の妖精の混血のレンだけなのだ。

「カノンも、訓練だけでも受けられればいいのに」
「……」

 サォ教官が助け船を出すように話題を変えてくれた。
「カノン、今日あたりハウスの方に来てくれよ。チビ達が勉強を見て欲しいって言っていたぞ」
「あ、はい」

 二人は教官センセに挨拶をして、帰途に着いた。
 レンはもう草の馬の話題は口にしなかったが、身体中からウキウキが滲み出している。

「よぉ~~! 砂の国のじゃりじゃりレン!」
 曲がり角で、数人の少年が立ち塞がった。
「お前が触ると草の馬が砂でじゃりじゃりになっちまう!」

「へへん、馬の蚤取りになってイイだろ!」
 レンは顎を突き出して、少年達と睨み合った。
 ポケットに手を入れる仕草をすると、少年の一人がおどけて叫んだ。
「それはごめんだあ!」
 そして全員同時に笑い出した。

 蒼の里へ来たばかりの頃、毛色の違う二人をからかって絡んだ悪ガキ共は、レンがいつもポケットに常備している『必殺の武器』に、ヒドイ目に遭わされた。
 すったもんだの末、今ではすっかりお互い認め合う喧嘩仲間だ。

「草の馬の訓練に参加出来るんだってな。厳しいぞ。泣きべそかいても知らないぞ」
「はん! お前らなんぞすぐ追い抜いてやる」
「来週から?」
「多分」
「時間までに馬装済ませてないと教官にどやされるから、気を付けな」
「うん」
「それと、最初はお尻の皮が剥けるから、下履きを三重に重ねて履いとくんだ」
「ありがと」

 指を立てて同級生達と笑い合うレンを、カノンは尊敬の念で眺めていた。
 自分一人だったら、きっとからかわれた時点で逃げてしまって、一歩も先へ進めなかったろう。


 ***


 二人は分かれ道で立ち止まった。
「カノン、ハウスの方へ行くんだろ」
「うん」

 小さい子を相手にするのは、あまり物事を深読みしなくていいので、カノンは好きだった。

「レンも来ない?」
「ああ、でも数式の宿題やんなきゃ。僕、カノンと違ってちょいちょいって出来ないモン」
「ちょいちょいってなんかやっていないよ」
「そう? 講義と講義の繋ぎ目にとっとと済ませちまった癖に。じゃあ、答え写させてくれる?」
「あ……」
「冗談だよ、じゃあね」
「……‥」

 レンは手を振って駆け去り、残されたカノンは大きく溜め息付いた。
 レンが蒼の里で得ている物に比べたら、宿題が早く出来る事なんて、どうでもいい事に思われた。













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登場人物紹介

カノン:♂ 西風の妖精

西風の長ルウシェルの息子。今年十一歳。

記憶が曖昧な母と暮らす、イヤでもしっかりせねばならない子。

レン:♂ 西風の妖精

シドとエノシラさんちの長男。

カノンとは同い年で親友。健全な両親に健全に育てられた陽キャ。

ルウシェル:♀ 西風の妖精

当代の西風の長。カノンの母親。

カノン出産の時よりランダムに記憶が飛び始める。

シドさん一家

シド:♂ 西風の妖精、外交官、ソラ(カノンの父)の親友  

エノシラ:♀ 蒼の妖精、助産師、医療師、ルウシェルの親友

子供たち レン:♂ ファー:♀ ミィ:♀  カノンと仲良し

モエギ:♀ 西風の妖精

カノンの祖母、ルウシェルの母。

病気がちで、長を娘に譲った後は田舎で隠遁している。

今回はモブの人々

フウヤ ♂ 三峰の民、旅の彫刻家。ルウシェルやシドと昔馴染み。

カーリ ♀ 砂の民、砂の民の総領の養女で、モエギの義妹。

アデル ♂ 砂の民、モエギとハトゥンの子供。ルウシェルの歳の離れた弟。

リリ:♀ 蒼の妖精

蒼の長ナーガ・ラクシャの娘。

成長の仕方がゆっくりで、幼く見えるがレンやカノンより年上。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精

執務室のエースだが、好んでリリの世話係をやっている。

叩き上げの苦労人なので、子供達には甘そうで甘くない。

リューズ:♂ 海霧の民

アイシャの夫。巫女を支える神職。

アイシャ:♀ 海霧の民

リューズの妻。予言者、巫女。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精

当代の蒼の長。リリの父親。

近年で最も能力的に信頼されている長。

ホルズ:♂ 蒼の妖精

長の執務室の統括者。

若者の扱いが上手な、ゆるふわ中間管理職。

ノスリ:♂ 蒼の妖精

ホルズの父。ナーガの前の蒼の長。

血統外の繋ぎ長だったが、人望厚く、いまだ頼られる事が多い。


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