天人唐草・Ⅱ

文字数 3,135文字

 

「リリ、誰か来たようですよ」

 蒼の長は沢山の書き物に埋もれながら、珍しく家にいる娘に声を掛けた。

「・・会わない! 父さま、追い返して!」
 リリはベッドの天蓋の奥で、背を向けて踞(うずくま)っている。

「やれやれ、今度はどんな喧嘩をしたんです?」
 長が立ち上がって戸口に近付くと同時に、御簾の向こうで声がした。

「夜分に恐れ入ります、カノンです。リリ、いますか?」

 青銀の髪の少年は、御簾を上げて顔を出したのが背の高い長殿だったので、指先まで緊張を走らせた。

「リリ、やはり貴方に用事なようですよ」

「知らない!」
 リリは相変わらず微動だにせず部屋の奥から叫んだ。

「リリ、さっきはごめんよ」

「そんな事どうだっていいわよ! あのデリカシー欠如のドン底バカに比べたら!」

 長殿は二人の間で困惑して突っ立っている。

「ドン底バカって、レンの事?」
「他に誰がいるってんのよ!」
「そのレンが戻らないんだ。リリを連れに行くって別れたきり」

 リリは膝に埋めていた頭を上げた。

「レンとは会ったんだよね。いつ頃別れたの?」

 長殿も真顔になって娘を振り向いた。彼女が戻って来てからかなりの時間が過ぎている。
「リリ、心当たり、ありますか?」

「し、知らないわよ! 突き飛ばして走って来ちゃったんだもん!」
 リリは尚も背中を向けたまま、首をブンブン左右に振った。

「やっぱり喧嘩したんだ。何があったの? レンがこんな時間まで帰らないなんて初めてなんだ」
「何故突き飛ばしたりしたんです? ちゃんと話しなさい」

「あの子が悪いのよ!」
 勢いよく振り向いた娘の顔は、上から下まで林檎みたいに真っ赤だった。
「あ・あのドン底バカ! ヒトが弱ってンのいい事に、ちょっとの隙を、突い、て、いきなり、か・顔を、近付けて・・」

 動揺のあまり歯をガチガチいわせる娘は、目の前にある物全てを噛み砕きそうだ。
 カノンは少なからずショックを受けた。
 レンの奴、抜け駆けにも程がある。

「リリ、それで、レンを突き飛ばしたの? もしかして『大っ嫌い!』とか言った?」
「勿論よ! 『二度とあたしの視界に入らないで!』とも言ったわ」

 カノンは唾を呑み込んだ。
 今のリリを宥めるのは無理だ。
 それよか、ズッタズタに傷付いてどっかに行っちゃったレンが心配だ。
 女の子には分かんないだろうけれど、『大っ嫌い』は、言われても全然構わない時と、絶対言われたくない時とがあるんだ。

「長さま、レンを捜して、ちゃんと謝らせますから」

 カノンは、さっきから自分の前に突っ立って動かない蒼の長を見上げて…… ……ビックリした。
 背の高い長殿は、真っ白になって、燃え残りの灰みたいにユラユラ揺れているのだ。

「お、長さま?」

「・・え・・はい? ああ、リリの、くちびるが、どうしたって・・?」

「くちびるとは言っていないですよ!」
「先っぽ触れたわよっ!」
「リリ、頼むから混ぜっ返さないで!」

「・・そう?・・ああ、まぁね、リリもね、おとしごろですからね・・まぁね、まぁ・・」

 カノンはじわじわと後退りした。このヒトはダメだ、遠くにイッちゃってる……
 慌ててお辞儀だけして、踵を返して、来た道を駆け戻る。


 杏の木の下のユゥジーンのパォ。
 息急ききって走り込んで来たカノンに、家主は目を丸くした。

「どうした、レン、いたか?」

「まだ。ね、レンの最後に触っていた物って何?」

「触っていたって……」
 ユゥジーンは、皿に山積みになったチャパティに目をやった。

「これだ!」
 カノンは一番上のチャパティを掴んで、両手を添えた。

「おい、食べるのは、レンを待ってやろうよ」

「静かに!」

 三秒目を閉じて、それから少年は、チャパティを掴んだまま外へ飛び出した。


 ***


 三日月が、空の真上から猫の目みたいに見下ろしている。
 修練所の広場のゴールポストの丸太のてっぺんに、片膝抱えて座る人影があった。

 大人の背丈の二倍もある垂直の丸太に軽々登れる子供なんて、そんなにいない。
 その影が、ちょっと動いて片手を挙げる。

「やぁ……」
「レン……」

 細い月が土手の上の親友を照らした。

「どうやって僕を見つけたの? ああ、そのチャパティか。ホント凄いな、カノンは」
「えと、あっ、食べる? お腹空いてるでしょ」
「うぅん、いい」

 レンはゴールポストに座ったまま、背中を丸めた。
 カノンは何て言っていいか分からなくて、チャパティを両手に持ったまま突っ立っていた。

 リリはそんな事ぐらいでレンを嫌いになったりしないよ、って言ってあげたいけれど、ここいらでレンに脱落して欲しい……なんて思っちゃう自分もいる。

「ね、カノン、こんな細い三日月の晩は、アレが出そうだね」

 呼び掛けられて、ちょっと自分勝手なコトを考えていたカノンは、我に返った。

「えっ、アレ?」
「ほら、『砂漠の灰色狐』に出て来る『追っ掛け妖怪』。子供が列を作って夜の砂漠を歩いていると、後ろの子から順番に、音もなく拐われて行く、って奴」

「な、何で、今、その話を…?」
「何でかな? 何となく今思い出したの」
「…………」

 カノンは背筋がぞわぞわした。昔っからその手の話が超苦手なのだ。

「ねえ、そんな話を急に思い出す時って、すぐ後ろに居たりするんだよね」
「よ、よしてよ、レン」

 カノンは震え声で目を伏せた。でも見たくないと思う程に、レンの後ろの暗がりに目の端が吸い寄せられる。

「特に、今の僕みたいに、呪われた気分の子供が・・大好物なんだってぇぇえうぇえ――!!」

 レンはいきなり顔を上げて大口を開けた。
 口の中も目の下も真紫、声もレンじゃ、ない・・!
 そしてそれを合図に、ゴールポストの後ろに垂直の鬼火が立ち上がり、巨大な妖怪が出現!

 縦長の楕円形の胴体の、半分が顔。一つ目の下の大きな口から舌が地面まで垂れ下がっている。
 身体の周囲に放射状に、駱駝の蹄を付けた足が何十本もウゴウゴしている。要するに直立した巨大なワラジ虫だ。

「ひぇええ!」
 それがどんなに間抜けな姿でも、常軌を逸したモノである事には違いない。
 カノンはビビって腰を抜かした。

 しかし次の瞬間、心臓が凍り付く光景。
 巨大ワラジ虫がゴールポストに取り付いて、レンを襲い始めたのだ。
 長い舌が細い足首に、もうちょっとで届きそう。
 あの大きい口、子供なんか一呑みにされてしまう。

「カノン、カノン、タスケテ……」
 あの活発なレンが、ひきつった悲鳴を上げてに震えている。
 そこまで弱る程『大嫌い』がショックだったのか。 

「ば、化け物、やめろ、こっちだ、こっち!」
 カノンは勇気を奮い立たせ、土手を転がるように駆け降りた。
 腰に小さなナイフしか持っていない。そんなのよりはいっそ……!

「カマイタチ!」

 掌と掌を打ち合わせて風の刃を作る。
 あんまり得意じゃないけれど、武器っていったらこれしかない。

 ――ジャッ!!

 カノンの投げた風は真っ直ぐ飛んだが、ワラジ虫は舌を引っ込めて軽々避けた。
 妖怪は弱っている少年にしか興味を示さないみたいで、丸太をゆさゆさ揺さぶり始めた。
 レンは今にも落っこちそうだ。

「タ、タスケテ、タスケテ、カノン……」

「レン――!」

 レンが、レンが、あの何でも自分で出来ちゃうレンが、今は助けを求めている。
 誰を呼びに行っている暇もない。ここには自分しかいない!
 助けなきゃ、助けなきゃ!

 カノンは力一杯両手にカマイタチを作った。
 肩が沸騰しそうに熱い。
 腕を交差させて、思いきり解き放つ、
 二つの風の鎌がブーメランみたいに弧を描いて妖怪の虚を付き、見事背中から両側へ突き抜けた!

 ――ジャキンン!

 ワラジ虫はゴールポストと共に真っ二つになって崩れ落ち……たと思ったら、すうっと消えた。

「!!??」




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登場人物紹介

カノン:♂ 西風の妖精

西風の長ルウシェルの息子。今年十一歳。

記憶が曖昧な母と暮らす、イヤでもしっかりせねばならない子。

レン:♂ 西風の妖精

シドとエノシラさんちの長男。

カノンとは同い年で親友。健全な両親に健全に育てられた陽キャ。

ルウシェル:♀ 西風の妖精

当代の西風の長。カノンの母親。

カノン出産の時よりランダムに記憶が飛び始める。

シドさん一家

シド:♂ 西風の妖精、外交官、ソラ(カノンの父)の親友  

エノシラ:♀ 蒼の妖精、助産師、医療師、ルウシェルの親友

子供たち レン:♂ ファー:♀ ミィ:♀  カノンと仲良し

モエギ:♀ 西風の妖精

カノンの祖母、ルウシェルの母。

病気がちで、長を娘に譲った後は田舎で隠遁している。

今回はモブの人々

フウヤ ♂ 三峰の民、旅の彫刻家。ルウシェルやシドと昔馴染み。

カーリ ♀ 砂の民、砂の民の総領の養女で、モエギの義妹。

アデル ♂ 砂の民、モエギとハトゥンの子供。ルウシェルの歳の離れた弟。

リリ:♀ 蒼の妖精

蒼の長ナーガ・ラクシャの娘。

成長の仕方がゆっくりで、幼く見えるがレンやカノンより年上。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精

執務室のエースだが、好んでリリの世話係をやっている。

叩き上げの苦労人なので、子供達には甘そうで甘くない。

リューズ:♂ 海霧の民

アイシャの夫。巫女を支える神職。

アイシャ:♀ 海霧の民

リューズの妻。予言者、巫女。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精

当代の蒼の長。リリの父親。

近年で最も能力的に信頼されている長。

ホルズ:♂ 蒼の妖精

長の執務室の統括者。

若者の扱いが上手な、ゆるふわ中間管理職。

ノスリ:♂ 蒼の妖精

ホルズの父。ナーガの前の蒼の長。

血統外の繋ぎ長だったが、人望厚く、いまだ頼られる事が多い。


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