夏紫・Ⅸ
文字数 2,846文字
三人が里の馬繋ぎ場へ降り立つと、コバルトブルーをカンテラのオレンジに照らしたユゥジーンが、口を結んで立っていた。
「ユ……」
リリが何も言う前に、ユゥジーンの掌が彼女の頬でパシと音を立てた。
「待って! リリは」
庇おうとする少年達を、リリが慌てて引っ張った。
「ナーガ様が執務室でお待ちだ、行こう」
うわぁ、長殿にバレちゃってるのか。
そりゃ、ノスリさんが穏便に済ませたかったとしても、親だし長娘だし、そうなるよなあ。
唾を呑み込むカノンの横で、レンがいきなり叫んだ。
「ユゥジーン! みんな僕が悪い!」
「レン、庇わなくていい」
「ううん、僕が悪いの。第三の目、そう、第三の目なんだ!」
「は?」
「カノンに『第三の目』が開いたって言ったのに、リリが全然取り合ってくれなかったんだ。そんでつい、この間の事を引き合いに出して嫌味を言っちゃったの」
ユゥジーンだけでなく、他の二人も狐につままれた顔をする。
『第三の目』って、神話の神サマが額に持っていたりする、森羅万象を見渡す超常力を持つ目の事だ。『砂漠の銀色狐』も持っている。っていうか、レンのソースは其処だろう。
「西風を馬鹿にしてんだろって僕が怒ってさ。そしたら今日、外で僕らを待っていたんだ。
ノスリさんちでたまたま、すごい魔法力の石を見つけたから、石の持ち主を呼び出して白黒付けて貰おう、お互い知らないヒトなら公平だろ、って。
黙って借りて来ちゃったのはリリが悪いけれど、リリをそこまで煽っちゃったのは僕だから、僕も悪い。だから一緒に罰を受けるよ!」
「ぼ、僕も!」
リリに何か言わせる前に、カノンも声を出した。
「僕も一緒。リリに無神経な事を言って、思い詰めさせちゃったから。僕も罰を受ける」
リリは困惑して二人を見る。
デタラメも混じっているが、大体似たような物だ。だけどちょっと苦しいような……
「呼び出すったって、そもそもリリに、そんな術使えるのか?」
「あ、カノンが交代して呼び出したけれど、もう亡くなってたって」
ユゥジーンは目を見開いた。
彼は、あの石板を作ったカワセミが故人である事を知っている。そこで胡散臭かったこの言い訳に、彼の中でプラス補正が入った。
「そ、そうか」
顎に手を当てるユゥジーンを、三人は神妙に見上げる。
「第三の目、ふむ、第三の目か…… うん、確かにカノンだったら有り得るかもな、なるほど、第三の目……」
何と、納得方向に傾いている。このヒトのちょっとズレた寛容さに、三人は心から感謝した。
「先にナーガ様に話に行くから、ちょっと遅れて歩いて来なさい」
ユゥジーンは踵を返して、執務室にダッシュで駆けて行った。
遅れて固まってこそこそ歩く三人。
「あんた、嘘は吐かないんじゃなかったの?」
「レン、第三の目って大袈裟だよ」
「そう? でも半分以上は本当じゃん。それにこれでユゥジーン、カノンの傷痕を見てもウジウジ気に病まなくて済むでしょ」
カノンとリリは思わず立ち止まって、赤いバンダナの少年をマジマジと見つめた。
「それに、僕は本当に第三の目だと思っているし!」
二人より三歩前を後ろ向きに歩くレンの背中に、何かがぶつかった。
「父さま!」
「長殿」
「ひぇっ!」
群青色の長い髪の背の高い蒼の長。いつ見てもめちゃくちゃ存在感がある。
その長殿が、額飾りを揺らして、カノンの顔を覗き込んで来た。
「見せてごらん」
レンがあわあわする横で、長殿が包帯をフワリと解いて、カノンの傷痕をじっと見る。
長い指が二、三度傷痕を撫でて、カノンはさっきみたいにまたチリチリを感じた。
と、いきなり長殿の瞳に鷲掴みにされるような感覚に襲われた。
(えっ、何これ? 今までこのヒトに触られても、こんな感覚起きなかったのに!?)
「ふむ……」
少しして長は目を離して、カノンの両肩に手を置いた。
「後は貴方次第ですね。しっかり精進しなさい」
そう言って、顎が外れそうなレンと、茫然とするリリに向き直った。
「レン、鋭い洞察力です。大切になさい」
「ひ、ひゃい!」
「リリ、何をやったかは分かっているね。ノスリ殿の所へ行きましょう」
「はい……」
「それと、病み上がりのカノンに負担をかけるのは良くない」
「はい」
「ぼ、僕は大丈夫です!」
青銀の少年が声を張った。
「その石とリリのお陰で、今日、沢山の事を知る事が出来ました。感謝しています!」
長は目を細めて頷き、リリは小さく手を振って、ノスリの自宅へ向けて坂を登って行った。
レンとカノンはユゥジーンと連れ立って家へ戻り、ちょっとだけを説教されて、床に着いた。
疲労困憊のユゥジーンが寝入ってから、毛布を被って二人はコソコソ話した。
「ナーガ長があんなコト言うなんて。ホントのホントに第三の目?」
「そんな大仰なモンじゃないよ、レン」
カノンは静かに否定した。
「だって、リューズさんの言うことにゃ、長殿がその傷痕を残したのには意味が有るって」
「だから、砂漠の灰色狐みたいに、この傷に力が宿るとかじゃないって。予知夢を見たのは怪我をする前だし、蒼の里へ来た時から術の力はちょっとづつ上がっていたんだ」
「そ、そうなの?」
「うん、でもまだまだだよ、今日の術だって、結果オーライだけれど、所謂失敗じゃん」
「ま、まあ……(あれはあれで凄いとは思うけれど)」
苦笑いするレンにニニッと微笑んで、カノンは毛布を被って仰向けに寝転んだ。
開け放した窓から青い月が見える。
いつも隣にいたレンが、どれだけ広く大きな視野の持ち主だったか。
リリが、どれだけ一途に愛の深い娘だったか。
そしてあのヒト、……リューズさん。どんなに運命に翻弄されても、前を向いて真摯に生きる姿。
きっとこれからも、沢山の事を『知る』事が出来る。そういう意味でこの傷痕は、やっぱり第三の目って言えるのかもしれない。
山茶花林の奥、ノスリの住む小さなパォ。
命の力が交差するというこの場所で、ノスリは揺り椅子に背をもたせ掛けて目を閉じている。
リリの処遇は、ナーガに頼んで、最初に言った『自分のうっかり』として押し通させて貰った。
それより余りある言葉をあの娘に告げられて、今はそちらで頭が一杯なのだ。
「だってこれ、里へのお別れの『手紙の欠片』だったから。ノスリ様に宛てた惜別の手紙」
『砕けてしまって書かれていた事すら知らなかった手紙』を、あの娘はサラリと『読んで』、教えてくれた。
それには、カワセミから自分に対する言葉、まだ親友と呼んでくれる言葉が、しっかりと遺されていた。
「その石は、お前さんが持っていなさい」
「でも……」
「俺は、中身の言葉だけ貰えれば十分だ。後はお前さんが継承してくれ。歴(れっき)とした大長殿の系統だ。頼んだな」
青い月の家路を辿る父娘。
懐に石を握りしめ、頬を何度も触る娘に、父は静かに声を掛けた。
「どうしたの?」
「ん、ジーンにぶたれた」
「そう……」
「ぶたれて嬉しいなんて、バカみたいだね」
「それは、良かったね……」
~ 夏紫・了 ~
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