ホライズン・Ⅰ
文字数 2,395文字
筋雲美しい砂丘の空に、二頭の馬影が螺旋を描く。
やがて軌道は地上に近付き、砂煙を上げて着地する。
「やっほぉ、今日は僕の勝ち! お前の馬の方が先に砂に足を着いた!」
青毛の馬上で、赤いバンダナの少年が片手を突き上げた。
健やかに伸びた飴色の手足に、青みがかった巻き毛。西風の妖精の子供だ。
この砂漠の地には、人間の視覚に入らない空間に、多種多様な部族が住む。
西風の妖精もその一つで、規模は小さいが太古の血族。
特殊な馬を養い、空を駆ける術を使うのは彼らだけの特徴。
「ん――? 僕、結構粘ったんだけれどな」
パロミノ馬に跨がった少年が、遠慮がちに言い返した。
こちらの子供も同じ西風の子だが、少し色素が薄い。髪の表面には薄い膜のように銀が掛かっている。
「お――い、ファー!」
先のバンダナの子供が、砂山の向こうへ声を掛けた。
小さな駱駝が砂山を越えて、テクテクと追い付いて来た。ひとつコブの背中には、ビィドロみたいな真ん丸目のそばかすの女の子が、ちんまりと座っている。
「見ていたよな、パロミノの方が先だったろ」
女の子は勿体ぶって指をこめかみに当てた。
「ざぁんねんながら、お兄ちゃんの方が断然早く落っこちたわ。それにカノンの描いた弧は、とっても綺麗だった!」
「何だよお前、カノンに好かれたいからってデタラメ言うな」
「きゃあん、ファーは公明正大よ。助けて、カノン」
女の子は駱駝を急かして、青銀の男の子の後ろへ回った。
「レン、妹を苛めるなよ。まあ今のは二人とも結構いい風に乗れたよね」
カノンと呼ばれた少年は、指をヒュッと吹いて小さなつむじ風を作った。
フワリと持ち上がる前髪の下の明るいオレンジの瞳を、後ろのファーはトロンと見つめている。
「分かんないよ、そんなの。僕、お前みたいに、風を流せる長様の息子じゃないモン」
レンと呼ばれた少年は、拗ねた感じで口を尖らせた。
「それを言うのなら、君のお父さんだって、里で一番飛ぶのが上手いじゃないか」
「まぁね・・ じゃ今のは引き分けって事でいいや」
少年が濁して話題を変えようとしたのに、妹のファーが口を挟んで来た。
「カノンのお父さんだって、きっと凄かったよ。父さまが外交官になる前の、ちょーゆーしゅーな外交官で、毎日砂漠の色んな国を飛び回っていたんでしょ?」
「んん、皆そう言うよね……」
カノンは表情が沈んだ。
レンは、(このバカ)って顔で妹に睨み付ける。カノンは父親の話になると、一気にテンションが下がるのだ。
上空の筋雲がサァッとほぐれた。
「あっ!」
目のいいファーが空の一点を指差し、少年二人も見上げた。
黒い影がみるみる近付いて騎馬の形となり、レンの青毛より一回り大きい、濡れた鉄色の青毛が降りて来る。
「父さん!」
兄妹は馬を飛び降りて駆け寄った。
「よぉ――す! ただいま、チビッ子ども!」
レンとファーの父親、今の西風の外交官の巻き毛豊かな男性は、旅装をひるがえして馬から飛び降り、子供達に腕を広げた。
西風にとって、外交官という役職は特別だ。
過去の確執が深い砂漠の部族達は、領地を結界で覆って常に疑心暗鬼。西風のように弱小なのに特殊な能力のある部族は、常日頃から他部族ときちんと交流をしておかねば、知らない間に崖っぷちに立たされていたりする。
月の半分しか帰って来ない父親だが、子供達は誇りを持って見上げている。
「ね、ね、僕、里からここまで足を付かずに飛んだんだよ!」
「ファーも、ファーも、ニガウリ食べられるようになったモン!」
「ああ、ああ、偉いぞ。帰ってからゆっくりな」
男性は二人を順番に抱き上げてから、離れた所でこちらを見ているオレンジの瞳の少年に声を掛けた。
「久し振りだな、カノン。元気にしていたか?」
「はい、お帰りなさい、シドさん」
四人でゆっくり砂漠を帰る途中も、レンとファーははしゃぎっぱなしだった。
「ね、父さん、今回の行き先は海岸地方だったんでしょ。船って見た? 大きいの」
「ファーも、ファーも、絵本で見たよ、お船」
「ああ、交易の中継所としての大きな港街で、見上げるような帆船が幾つも停泊していて壮観だった。カノン、知っているか? 鯨岩の街」
シドは、少し離れて後ろを歩く少年を振り向いた。
「はい、地理の授業で習いました」
カノンはポソッと答えて、会話は終わってしまった。
本当はこの子供は、もっと多くを知っている筈なのだが。
***
「シド!」
西風の入り口の結界の手前で、反対方向から声が掛かった。
三頭の騎馬が、地表スレスレをそよ風に乗って駆けて来る。
真ん中の三つ編みの女性の馬だけ色が緑で、鞍の前に二歳位の幼児を乗せている。
「お帰りなさい、シド」
「とーたま、とーたま」
「ミィ! もう馬に乗れるのか、凄いな」
シドが子供達から離れて、女性の方へ馬を進めた。
「ただいま、エノシラ。君は往診かい?」
「そうなの、弟子の娘(こ)達の研修も兼ねて。ああ貴女達、今日はもういいわよ。お疲れ様」
エノシラは後ろの二人に声を掛ける。助産師で医療師でもある彼女に師事する娘達だ。
「はい、エノシラ師匠、お先に失礼します」
「久々のダンナ様とごゆっくりぃ」
「こら!」
二人の娘達はかしましくキャッキャしながら、里の入り口の結界を越えて消えた。
「母さま、お腹すいた!」
「そうね、帰ったらすぐご飯にしましょ。レン、ミィを背負って頂戴」
「ふぇ――い」
「返事はハイでしょ、ああカノン」
この女性も、青銀の少年に声を掛けるのを怠らなかった。
「貴方もこのままいらっしゃいな。ルウも呼ぶつもりだから」
「ありがとう、エノシラさん。僕、ちょっと調べ物があるの。後で母と伺います」
カノンは固い声で言って、レンに手を振ってから先に結界へ駆け込んだ。
二人の大人は顔を見合わせ、嘆息して、賑やかな子供達を連れて里へ入った。
表紙絵
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