ホライズン・ⅩⅢ
文字数 1,601文字
「切るのは駄目よ! 生まれてこの方、前髪以外はハサミを入れた事ないんだから!」
何とか飴を取ってくれようと四苦八苦している少女に、リリは偉そうに怒鳴った。
「じゃあこの際、バッツリ散髪しちまえば?」
カノンが投げやりに言った。
「髪を切ると霊力が落ちるのよ! 術が使えなくなっちゃうじゃない、バカでしょ、あんた!」
「そ、そうなの?」
カノンはたじろいだが、すぐホントかよ? って目になった。
しかしリボンの少女は、心得た顔で頷(うなず)いた。
「分かります、母様もよくそう言っています」
「本当なの?」
「はい、髪はオーラの源だから大事にしなさいって」
男の子の方はカノンより三つ四つ年下か……多分ファーと同じくらい。
見た事もない二人組に興味津々だ。
「ねぇねぇ、紫のおねえちゃんも巫女さんなの? さっきの風の術、母様と同じ位カッコよかった!」
「うん、まあね」
リリは濁したが
「君達のお母さん巫女様なの? こんな山の中にも神社(かみやしろ)があるんだ?」
無用心なカノンが余計なお喋りをした。
姉娘は表情を堅くして身構えてしまったが、弟の方が答えてくれた。
「うん、母様は海神様の声を聞くの。海から来る風や霧を読んで、占いや予言もするんだよ。すっごく当たるんだ!」
「この飴は、お湯がないと無理です」
男の子のお喋りを遮って、少女は立ち上がった。
「家へ戻って水と鍋を持って来るので、火を起こして釜戸を組んでおいて下さい。タゥト、おいで」
「君達の村へ行っちゃ駄目なの?」
カノンがまた不要な事を言ってリリに睨まれた。
「駄目なんです。決まりで、知らないヒトは村へ入れないの」
「何で?」
「我等は落人(おちうど)の村だからだ」
声に振り向くと、林の前に、モノトーンの女性がスラリと立っていた。
「母様!」
少女は男の子の手を引いて、女性に駆け寄った。
「タゥトが猪のヌシの穴に足を突っ込んじゃったの。それをこのヒトが助けてくれて」
「勝手に村を抜け出したりするからだ。今日は外へ出るなと言ってあったろう」
女性は、少女の示すリリの方を向いて、丁寧に礼をした。
それから紫の頭に歩み寄って、後ろに手をかざす。
シュワッと白い冷気が立って、飴はキレイに髪から離れてパラパラと落ちた。
「凄い!」
カノンが近寄って目を丸くする。
「ありがとう、ああ、あたしはリリ、こちらはカノン」
リリも振り向いて女性を見た。
周囲の霧に溶け込むような色のない肌。細い灰色の髪がウェーブを描いて、雪解けの清流のように腰まで流れ落ちている。確かにこの髪なら、霊力があると言われても納得させられてしまう。
「すまぬな、外の者には名乗らぬ」
素っ気なく言って、女性は子供達を連れて去ろうとする。
カノンが思わず「待って」と叫んだ。
「ヒト捜しをしているの。村へ入る事を許して下さい」
女性はゆっくり振り向いた。氷のような無表情。
「昔、戦に巻き込まれて、沢山の大切な命を失った。それ以来、我等は俗世と隔離している。外とは関わらぬ」
「リリはその子を助けたのに」
カノンが口を尖らせたが、女性は静かに我が子を見下ろした。
「タゥトや、お前は何故、無用心に猪の巣などを踏んでしまった?」
「雲の間からきれいな紫の光がこっちへ落ちるのを見たの。どうしても確かめたくって、つい近道しちゃったんだ」
男の子は無邪気に答え、カノンは罰悪そうに竜胆(りんどう)色の草の馬を見た。
「災いはいつも外からやって来る」
女性は、鉛のように重々しく呟いた。
「空を飛べるのなら迷子でもなかろう。速やかに立ち去ってくれ」
取り付く島も無い。
焦ったカノンが言葉を探していると、再び林の方から足音がした。
「アイシャ、どこ?」
今度は大人の男性の声。
瞬間、女性の顔に動揺が走ったが、すぐに平静を装った。
カノンには分かった。
今、繁みをかき分けて目の前に現れたその男性こそ、自分が探していた人物だ、と。
(ログインが必要です)