夏紫・Ⅳ
文字数 1,754文字
放牧地の手前に大きな杏子の木があり、甘酸っぱい香りの漂う真下が、ユゥジーンと二人の男の子の暮らすパォだ。
窓から湯気があがり、賑やかな声が漏れる。
「カノンのトコ、多い!」
「レン、ヒトのお皿を覗かないの。カノンは傷を治さなきゃならないんだから」
「ぶ~~」
「あの、おウネお婆さんが、傷は塞がったって。だからユゥジーン、僕もみんなと一緒にして」
「おお、そうか、よかったな。包帯はもう取れるのか?」
「えと、まだ触ると痛いから、もうちょっと」
入り口に足音がした。
「リリかな?」
レンが口の物を押し込みながら、玄関に出た。
「あ……」
意外なヒトが、困り顔でそこに立っていた。
***
里を出て、少し離れたハイマツの丘。
とっぷり陽の暮れた空の下、玉砂利の上に一人立つ、ザンバラ頭のリリ。
小さな両手に緑の石を握り締め、一心に術を唱えている。
声も身体も小刻みに震え、唇は血の気が引いて真っ白だ。
ついさっき、やってしまった事……
ノスリ様はすぐに気付くだろう。物凄くガッカリするだろう。でも仕方がない、引き換えせない。もう、やってしまったのだ。
長らくの時間が過ぎたが、手の中のモノはコトリとも反応しない。
リリはこわばった指をほどいて肩を落とした。
当たり前、手紙を読む以外の難しい術は、ほとんど使えないのだ。
「もっと教わればよかった……」
シンリィと旅をしたのは、小さい時のホンの数ヵ月。その時期に、大長と呼ばれる人物が、暇さえあれば様々な手解きをしてくれた。でも自分は、じじさまお説教ばかりでキライ! と、すぐ逃げ出していた。
「本当に、教わる機会は山ほどあったのに」
あの時もっと真剣に説法を受けていれば、今こんなに術につまずいている事もなかったのだろうか。
あたしの素質が低い事を分かっていて、一生懸命育てようとしてくれていたのかもしれない。
小さなため息が暗い草原に吸い込まれて行く。
自分はいつだって、肝心の事に気付かなくて、後で後悔ばかり。
昔も、この間も……
「リリ――!」
不意な声に、リリは顔を上げた。
勿論、彼女の求めていたヒトではない。
大きな草の馬に二人乗りで、暗い空から降りて来たのは、西風のレンとカノン。
「やっぱりリリだ、その頭、上空からでも一発で分かる」
言いながらレンは上手に手綱を操って、玉砂利の上に降り立った。
「な、何やってんのよ、あんた達、また馬泥棒を……」
情けない顔を見られたかもと、リリは急いで気を張って、いつもの調子の声を出した。
そんな彼女の様子に気付いたか気付いていないか、少年二人は下馬してサクサクと近寄って来た。
「だ――いじょぶっ、今度はちゃんと断って借りて来たから」
レンは右、カノンは左側から、そっと彼女を伺う。
「ね、ノスリさんが訪ねて来たんだ」
「・・!」
「リリにあげたお菓子の袋の中に、間違って別の物を入れちゃったんだって。えっと、大切な物だから返して欲しいって」
浮草の上を歩くように喋る少年達に、リリは目をそらしたままブスッと言った。
「お菓子の袋に大切な物を入れちゃったって? ノスリ様がそんなドジをすると本気で思っているの?」
仏頂面の娘に、少年二人は困った顔を見合わせた。
少しの沈黙の時間が流れる。
「なあ、ここって、リリの秘密基地?」
レンがカラッと言った。
「え? ううん、なんでよ?」
いきなり聞かれたので、リリは普通に答えてしまう。
「見晴らしがいいのに下からはハイマツで見えないし、里からは適度に離れているし、秘密基地にもってこいだなって思って」
「はあ?」
「よし、先に取――りぃっ! ここ、僕の秘密基地だ! 旗立てて、見張り台作って」
「バッカじゃないの? 旗なんか立てたら秘密じゃなくなっちゃうじゃない」
「バカって言うなよ」
「バカだからバカって言ったのよ、ガキンチョ」
喋らされているうちに、娘の口からこわばりが消えて赤味が戻った。
「お、お菓子!」
今度はカノンが叫んだ。
「ひ、秘密基地では、持っているお菓子を分配するんだよっ。あ、あるんでしょ、貰ったお菓子っ。分けてよ、晩ごはん途中でっ、僕、お腹、ペコペコっ」
目を白黒させながら一生懸命喋る少年があからさま過ぎて、リリは苦笑いしながら、ノスリに貰った菓子袋を懐から引っ張り出した。
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