夏蕾・Ⅱ
文字数 2,386文字
「あら、いらっしゃい!」
ハウスの入り口で大量の衣類を抱えた女性と鉢合わせし、カノンは慌てて脇へ避けた。
サォ教官の奥方だ。
ハウスっていうのはサォ教官の個人宅で、正式な施設ではない。
皆がそう呼んでいるだけの、子供達の溜まり場。
拠(よ)り所のない子供の帰るべき家を作る、ってのが教官センセの信念で、常時、様々な事情の子供達が十数人たむろっている。
食べ物は分け合って食べ、夜は雑魚寝。
そんな所へお嫁に来てくれるなんて、女神のようなヒトだ。
「おおい、チビ達、砂漠のお兄ちゃんが来たわよ! えっと、カノン、レンも呼んで晩御飯食べて行きなさいな。二人っくらい増えても変わんないから」
「ありがとうごさいます。でも今日は、ユゥジーン、早く帰れるって言っていたから」
「そう」
奥方は残念そうに肩を竦め、カゴを抱えて洗濯場へ歩いて行った。
「わっ?」
そんなに広くはない居間に、チビッコ達がギュムッと詰まっている。
こ、こんなに人数いたっけ?
「えっと、今日の宿題は何の科目?」
「宿題はもうやっちゃったョ!」
「えっ、そうなの? じゃあ……」
「歴史の授業!」
「レ――キシ――のジュギョ――!」
子供達が目を輝かせて、口々に叫んだ。
「ああ、はいはい」
いつも宿題が終わったら、オマケで、歴史の授業と称してポチポチと語っていた奴だ。
「どこまで話したっけ?」
「西の国の王様が、砂漠の軍師に無理難題を押し付けたトコ!」
皆、わっと期待顔になって、飴色の肌のセンセを見上げた。
大陸史や西洋史をベースに、砂漠の古い言い伝えを絡ませ、子供にも分かりやすくした歴史のお話。
小さいお話が繋ぎ合わさって、全体の歴史の流れが見えて来る。
材料は全て『ソラの書物の部屋』からだ。
「歴史はバラバラに流れる物じゃなくって、沢山の支流が合わさって出来た一本の大河のような物……なんだって。受け売りだけれど」
「ふう―ん」
「こんなんで面白いの?」
「うん!」
子供達が妙に食い付いて来るので、語り手も手が抜けなくて、話し終えるとヘトヘトになった。
帰る準備をしている所で、戸口の御簾が上がった。
「ただいまぁ!」
三つ編みをきっちり編んだ上級生の女の子数人が、裁縫袋を下げてどやどやと入って来た。裁縫の手習い所から帰って来たのだ。
「あ、あら、カノン、いらっしゃい。今日はレンは?」
「家で宿題やってる」
「そう……」
会話が進まない。レンがセットでないと、自分なんかとは話す価値もないって事だろう。
気まずい空気から逃れるように暇(いとま)乞いし、しばらく歩いてから、夕空を見上げて、少年はまた溜め息した。
レンは人気者だ。明るくて物怖じしなくて、誰とでもすぐに友達になれる。留学してすっかり、蒼の里の仲間入りをしている。
それに比べて自分はどうだろう。 勉強は一生懸命やっているけれど、ただそれだけ。
子供達だって、知らない土地から来た知らない子が珍しいだけ。きっとすぐに飽きられる。
何より、皆が自分に、レンはレンは? って聞いて来るのに、いい加減ウンザリしている。
特に女の子は、挨拶の後は必ずレン。他の言葉はまずかけられない。
「まったく、レンに用事があるんだったら直接レンに話し掛けろってんだ」
今では、声を掛けてくる女の子全員を、否目(ひがめ)で見るようになってしまっていた。
「レンがどおしたってぇ?」
・・!
唯一の例外の女の子がぴょっこり登場した。
「溜め息吐いてると、寿命が百日縮まるのよ」
「ホ、ホント?」
「さあね、確かめたヒトがいる訳じゃなし、だからって嘘って証明も出来ないわよね」
紫の前髪のリリは、相変わらずこまっしゃくれた屁理屈を捏ねながら、当たり前みたいにズカズカと隣に来た。
並んで歩くとカノンより頭一つ小さいが、生きている年数はちょっと多いという。
事実、修練所は修了して執務室でバリバリ働いている。
「今日は早いんだね。じゃあユゥジーンももう戻っているかな?」
「ああ、ジーンは急の用事が入ったの。棘の森の主様が体調を崩してね。あのお爺チャン、ジーンにしか気を許さないから、多分今日は戻れない。それを伝えに来たの」
「そう……」
「ジーンがいなかったら寂しい?」
「まあね、でもレンがいるし」
「あたしは?」
「えっと? リリ、家に来るの?」
「そうじゃなくてっ! 今あたしと一緒にいるのに、いないヒトの事を思って寂しがったりしないで欲しいわ!」
「あ、ゴメ……」
リリがギロリと少年を見据えた。
「あっと、え――・・」
カノンはゴメンを呑み込んだ。このおっかない女の子は、考えなしに謝って済ませようとする子供が大っ嫌いなのだ。
「……べ、別にいいじゃないか。ユゥジーンがいないのは寂しいんだもん。でも、リリをないがしろにしたつもりはないよ」
「そうね」
リリはにっこり微笑んだ。
「そんな事でいちいち怒るあたしがいけないのよ」
「??」
「カノンは目の前のヒトをないがしろにしたりしない。皆も、レンがいないと寂しがるけれど、カノンをないがしろにしているつもりなんてないわ。それが分かったら、許してあげましょね」
「…………」
カノンは立ち止まって、スタスタ先を歩く群青色の後ろ頭を見た。
「リリこそ何で、そんなにドンピシャで僕の悩んでいる事が分かるの?」
*ハウスこぼれ話*
初期のハウス出身者ユゥジーンが、執務室でめっちゃ真面目に働いた
→ ホルズがベタ誉めする → 胡散臭げに見ていた近隣の者の、ハウスを見る目が変わる
→ 衣食住の助けをしてくれるようになる → 一杯食べられる
→ サォ教官が、卒業生が真面目に働いてくれたお陰だと説明する → 自分達も真面目に働こう思う
→ ハウス出身の子は真面目で良く働くと評判が立つ
・・の、好循環で、今日もハウスは元気に成り立っています。
ちなみにサォせんせの奥方は、ホルズの妹。
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