夏蕾・Ⅶ

文字数 2,295文字

 

 外界の草原へ飛び出したカノンは、勢いを止めずに走り続けた。
 さっきの手紙に書いてあった村は、ここから数里ばかりの山中だ。
 馬が無くとも走り続ければ辿り着ける距離。

 だって、だって! 
 紙片に触れた瞬間、頭に飛び込んで来た映像!
 昨日の夢と同じに、黒いドロドロに狙われるユゥジーン、その手に持っているモノ!

 カノンは走りながら両手を口に当てた。
 思い返すのも恐ろしい。大好きなヒトが目の前で、為す術もなく命ない塊になってしまう様。
 あんなのを見せられて、ただの夢だと気にしないでおくなんて、絶対に出来ない! 

 しかし気持ちとは裏腹に、走り続ける足も身体も悲鳴を上げていた。
 胸が苦しい、足が動かない、視界が狭くなる。何でこんなに動けないんだよ、僕の身体!
 神サマお願い、何でもあげるから今すぐユゥジーンの所へ行かせて!

 少年の頭上後方で、キラリと何か光った。
 背後に迫り来る気配。追っ手? 捕まる訳には行かない。
 しかし、走るカノンの横に滑るように並び掛けたのは、騎手を乗せない裸の草の馬だった。
 追い抜き際に合わせた瞳は、見た事もない赤い色。

「・・!!」
 根拠も無いのにカノンは不思議な確証を得て、走りながら馬のタテガミを掴んで飛び乗った。
 直後、馬は、ドン! と加速して、空の彼方へ彼を運び去る。

「な、なんだ、あの馬は?」
 少年を連れ戻そうと追って来た馬事係は、トンでもない速さで消え去った馬を目撃していた。
 あんな動きをする草の馬は見た事がない。
 いや、草の馬であったのかどうかも、怪しい……


 ***


 カノンは必死で、固いゴワゴワのたてがみにしがみ着いていた。
 馬は、馬の走り方をしていない。鷹が滑空するように脚を一杯に広げて、見事に風を捉えていた。

 足下の景色が光のように流れて行く。
 レンと飛んだ時の比じゃない、嘘みたいに速い。
 でもほとんど風の抵抗を感じない。

 正面の山肌に、へばり着くような小さな村。

「あすこだよ、降りて、お願い!」

 叫ぶ前に馬は急降下を始めていた。
 真ん中の大きな建物の窓の前まで一直線に降りて、いきなり停止。
 背中の少年は馬の首を飛び越えて、そのまま窓に飛び込んだ。

「うああああ!!」

 中は酒席だった。
 数人の男性が囲むテーブルの上を、突然飛び込んだ子供がゴロゴロ転がる。
 瓶を撥ね飛ばして皿の中身をぶちまけて、少年は反対側の壁に激突して止まった。

 一瞬の惨事に、全員唖然として突っ立ったまま。
 今まさに乾杯の声を上げた所で、手に手に酒杯を掲げていた。

 床に倒れたカノンの真横で、ユゥジーンが真ん丸に見開いた目で見下ろしている。
 依頼が解決して、感謝の一席を、という所だったのだ。

「カ、カノンか?」

 茫然とする青年の前で、割れ瓶のカケラをバラバラと落として、少年は立ち上がった。
 そしてやにわにユゥジーンの手の杯を引ったくって、側の村人に突き出した。

「飲んで!」

「おい、カノン?」
 ユゥジーンは少年の肩を掴んだが、村人全員がが真っ青になって凍り付いているのに、真顔になった。

「な、何なんです? 酒に何か入っているんですか?」

 村人達はおろおろして、しどろもどろだ。
「い、いや……ただ、ちょっと眠くなるだけだと……」

「な……」
 聞き掛けるユゥジーンの声に被せて、カノンが、ついぞ聞いた事のない激しい声で叫んだ。
「じゃあ飲んでみてよ! ちょっと眠くなるだけならいいでしょ! 違うんだ! これ一口含んだだけで、血を吐いて海老みたいに反って、あっという間に動かなくなる!」

 背中に冷水を浴びたような顔のユゥジーンの横で、叫びながら少年は涙をぼろぼろ溢す。

「どうしてそんな酷い事が出来るの!?」


 外で甲高い馬のいななき!
 同時に、戸口や窓を破って、黒革の鎧の野党達がなだれ込んで来た。
 ヒトの形はしているが、身体が熊のように大きく、首から上は猛々しい獣。

 その手から、夢に出て来た黒い大きな爪が伸びていた。
 そう、カノンは『起こった事』を視たのではなく、『これから起こる事』を視ていたのだ。

 半人半獣の野党達は、巨大な斧を振りかざして、ユゥジーンを囲んだ。

「ふん、そんな人数で俺を倒せる気か?」
 青年剣士は背中の二刀に両手を掛けた。

「や、やめてくれ! 女子供が捕らえられているんだ!」
 村人の一人が叫んで、ユゥジーンにも動揺が過る。

 鎧の獣人の一番大きな男が、一歩前に出て唸るように言った。
「この地が欲しい。お前らに取って代わるのだ。蒼の一族の厄介な剣士を密かに一人づつ片付けて、一気に攻めさせて貰うってぇ算段さ」

 ユゥジーンの横で、カノンは膝の震えが止まらない。
 蒼の一族は強くて、彼等の治める草原は平和だと思い込んでいた。

「二刀を使う男は特に厄介だという情報だったので、万端の準備をしたのだが。そのチビが現れなければ、何も知らずに一瞬で逝けたモノを」
 獣人達は包囲を縮めた。
 ユゥジーンは脂汗を滲ませて固まっている。

「まま待って!」
 カノンが真ん中に飛び出した。

「よせ、カノン!」
 ユゥジーンが退けようとしたが、カノンは震える足で踏ん張った。

「せ、戦争なんかしなくても、蒼の一族にいうことを聞かせられる方法があるよ。僕を人質にすればいい!」

 獣人達はいきなりな事を言い出す子供にちょっと驚いたが、すぐにせせら笑った。
「ガキが! お前が何者だというのだ!?」

「貴重な蒼の長の直系だ!」
 カノンは怖いのを必死で隠して、声を張り上げた。
「僕のお祖母様は、昔、蒼の長の恋人だった。分かるだろ、あんた達みたいなのがいるから、離れた西風の地でひっそり育てられていたんだ!」




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登場人物紹介

カノン:♂ 西風の妖精

西風の長ルウシェルの息子。今年十一歳。

記憶が曖昧な母と暮らす、イヤでもしっかりせねばならない子。

レン:♂ 西風の妖精

シドとエノシラさんちの長男。

カノンとは同い年で親友。健全な両親に健全に育てられた陽キャ。

ルウシェル:♀ 西風の妖精

当代の西風の長。カノンの母親。

カノン出産の時よりランダムに記憶が飛び始める。

シドさん一家

シド:♂ 西風の妖精、外交官、ソラ(カノンの父)の親友  

エノシラ:♀ 蒼の妖精、助産師、医療師、ルウシェルの親友

子供たち レン:♂ ファー:♀ ミィ:♀  カノンと仲良し

モエギ:♀ 西風の妖精

カノンの祖母、ルウシェルの母。

病気がちで、長を娘に譲った後は田舎で隠遁している。

今回はモブの人々

フウヤ ♂ 三峰の民、旅の彫刻家。ルウシェルやシドと昔馴染み。

カーリ ♀ 砂の民、砂の民の総領の養女で、モエギの義妹。

アデル ♂ 砂の民、モエギとハトゥンの子供。ルウシェルの歳の離れた弟。

リリ:♀ 蒼の妖精

蒼の長ナーガ・ラクシャの娘。

成長の仕方がゆっくりで、幼く見えるがレンやカノンより年上。

ユゥジーン:♂ 蒼の妖精

執務室のエースだが、好んでリリの世話係をやっている。

叩き上げの苦労人なので、子供達には甘そうで甘くない。

リューズ:♂ 海霧の民

アイシャの夫。巫女を支える神職。

アイシャ:♀ 海霧の民

リューズの妻。予言者、巫女。

ナーガ・ラクシャ:♂ 蒼の妖精

当代の蒼の長。リリの父親。

近年で最も能力的に信頼されている長。

ホルズ:♂ 蒼の妖精

長の執務室の統括者。

若者の扱いが上手な、ゆるふわ中間管理職。

ノスリ:♂ 蒼の妖精

ホルズの父。ナーガの前の蒼の長。

血統外の繋ぎ長だったが、人望厚く、いまだ頼られる事が多い。


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