第7話

文字数 3,522文字

クロスオーバー 4

 優月は母を火葬したあの日から、才の旋律によって不思議なトンネルを抜けて、今ここにいるミラクルを受け留めきれていなかった。
「才の瞳をしっかりと見ながらワタシの『スロウ・スマイル』を一緒に歌うことはできるのだろうか」
ステージの前には嫌な汗を吹き出し小さく震える姿も、一つの洗礼儀式のようになり、マネージャーもそっと静かに見守ってくれていた。しかし、今日は違った。
「なんだ、これ。優月これを見てくれよ。冗談じゃない」
その声にびっくりして椅子から半分ずり落ち、肘で踏ん張り尻もちは何とか避ける滑稽な姿態になった。マネージャーとしての気遣いはどこかへ吹き飛び、紙を握りしめて無神経に声を荒げていた。
「な、なんですか」
「あ、ごめん、一番大事な時間だったよな」
金田はちょっと笑って頭を掻きながら皴くちゃになった紙を差し出した。優月が震えた指で紙を受け取るのを目にして、ようやく金田は己の脊髄反射的行動を悔やんだ。
「あ、ごめん。その紙、見ないでいいから返してくれ」
奪い返そうとすしたが優月は軽くかわした。
「いまさら、遅いです」
今日のコンテストのタイムテーブルであった。
【優月→ ①『スロウスマイル』 ②『SAD,YES』③『HOWLING FLOWERS』】
とあり、少し空白の下からは後半戦のコンテスト参加アーティストのタイムテーブルが書かれている。
「えっ、エヴリ、イエス・・・・」
優月の演奏後のコンテスト参加者の欄に目が留まった。
【曲 『every,YES』
演奏者 『HOWLING FLOWERS』】
優月は椅子を後ろへ飛ばしてしまう程の勢いで立ち上がり、瞬時に問い正すのであった。
「か、か、彼らはもう来ていますか!
金田さん、どうなんですか」
ただならぬ彼女の様子に驚き少し身を引いて答えた。
「え? うん。彼らではなくて、彼女たちかな。女子高生みたいよ」
「え、そ、そうですか。イタイ。
そ、そういう偶然もあるんですねめずらしい」
ぶつけた足の痛みを遅れて感じた。愛想笑いを浮かべた。
「そうだと思うけど。『every,YES』ってデモの時の仮タイトルだよな。
だれかリークしたか? 」
ここまで話して、再び落ち込む金田は呟いた。
「いけね・・・・」
さっきまで優月は指を震わせていただけであったが、今は全身が小刻みに震えている。ステージ前、特にブレイク時期の曲を単発で披露するとき彼女はナーバスになるのだが、その比ではない異変に思えた。
「いやいや、気にするなよ。考えすぎだ、いつもの俺の早とちりだから。
それに万が一、偽物が真似をしようが、今のお前は敵なしだから」
金田の胸の内は暴風雨に陥っていた。
「俺の一言で自滅させてしまう方が大事件だぞ。ありえるじゃないか。何をしているんだ、このクソマネは」
テンパって、露骨とも思える軌道修正をデリケートなシンガーに披露し始めた。
「いやいやいや、嘘ウソうそうそ。なんかの二重にダブった印刷ミスよ」
それしか思い浮かばなかったが、
「SAD,YESトevery,YESになっていますからダブりじゃないです」
気持ちよく返されてしまった。
「う~ん、え~っと。そうするとハハハ、まあ、すごいファンなのかな。
コピーバンドだとして、本物を目の当たりにして自信を失くさなければいいけどな。
金の卵たちがな、アハハ」

― おいおい優月姫よ、大事なマネージャーに気を遣わせるなって。真実をヘタレのお前如きクソに告げることなど出来ないんだから。自分で考えろよ、何にもなくなっちまうんだぜ。あの時の繰り返しかな。
でも、逃げられないぜ、今度こそは。
だってさ、オマエはね、
・・・・偽物・・・・
っす、ヒヒヒヒひゃほほ ―

優月の胸のあたりで蠢いている『あいつ』が調子づいて更に毒づき止まない。

― 何をグズグズしているんだよ。
金田の直感、否、事実の羅列ってやつを受け入れるのなら、やばいんじゃないか。
本物が、神が、すぐ其処に居るかもしれないんだぜ。せっかく夢見た日常が吹き飛ばされちまうんだよ、ゆづきちゃん。ヒヒヒヒ、いるんだぜ、ほら、ほら、そこにさ。
早く、懇願しに行けよ。ヒヒヒッヒ ―

「少し、歩いてきます。ステージも見てみたいので。リハとか見れますかね」
「え? その、ハウリングフラワーズ? 」
「違いますッ」
「あ、そうなの? でもどうだろう、聞いてこようかリハの予定時間とか」
「やめてください! 」
「あ、ごめんよ。わかったよ」
「いや、そうじゃなくて、気にもしていません。ただ、挑戦する人たちの空気感を感じたくて。刺激を貰いたいなって」

― は? マジかよ。自ら好んで火に飛び込むような性質(タチ)じゃないだろ。素敵な性癖などお持ちじゃないんだからさ。眺めてれば満足じゃん、姉ちゃんはさ ―

優月は堪らず廊下へ飛び出す。後ろから気遣うマネージャーの声が聞こえてきた。
「少し体を温めるには歩くのもいいよ。でも、あまり目立つな。騒ぎになったらいけないからさ」
「あ、ごめんなさい」
案の定、せわしなく準備するスタッフと鉢合わせでぶつかってしまった。書類が床に散乱していた。また人に迷惑をかけてしまった。
「ごめんなさい。汚れてないかな。忙しいところを邪魔してしまって」
散らかった書類を拾い上げて、整えながら手渡そうとすると、アルバイトであろうか、女子高生らしい少女が顔を赤くして硬直している。やっと絞り出したであろう言葉が聞こえた。
「とんでもないです。大丈夫です。わ、わたし優月さんのファンです。
今度の新曲も好きです。優月さんの歌声って神なんです。言葉の意味というか力を最高に極めさせる魅力があって、
あ、ハイすみません。今向かいます」
イヤモニに指示が入ったようだ。
「大丈夫ですか。怒られたなら私も謝るから」
満面の笑みで跳ねながら答えた。
「いえ、へっちゃらです。優月さん、最高です。ずっと好きです」
素直な救いに満ちた反応に感情が抑えきれなくなって、走っていく女の子の背に大声で「ありがとうね」と叫んでいた。
女の子はすっと止まって振り返り、書類を抱えながらも手首だけで手を強く振り、もう一度天使の笑みを放って走って行ってしまった。
「好きっ」
優月の体を覆っていた微細な痙攣もスッとひいて、穏やかな表情が戻っていた。
「少し、落ち着こう。
深く息を吸い込んで。ふ~う。
よし、ステージの周りをいろんな方向から眺めてみようかな」
出場者がリハーサルを始めていた。自分の力を試したくて、オーディションに参加したあの頃が甦る。怖いものなしの力漲る表情で歌う者や力を過小評価して魅力を出し切れない者がステージに上がって降りている景色を眺めることが優月の腹を決めさせてた。
自分のやるべきことをするしかないし、そこからしか明日を生きることは出来ないと。
「取り敢えず・・・・」
びくびくしながらも、遭遇するかもと期待していた「アイツ」は現れなかった。
ステージに背を向けて無意識にふらりふらりと歩いていく。壁に貼られたステージ裏の見取り図の前で足を止めた。コンテスト参加者の控室を探す。大体の位置を頭には入れただけであったが、分単位でリハーサルを行っていることもあり、人の出入りが激しい辺りからすぐに見つけることが出来た。
「いるかな・・・・」
優月はポケットから慌ててマスクを取り出して付ける。顔を下向きにしながら、少し弱気ながらも期待を携えて、会議室の中をチョロチョロと覗いて見た。何度か出入りする参加者とぶつかり押し戻された。行ったり来たり往復してチラ見を重ねたが見つけられなかった。
「何やってるんだろう。帰ろう」
諦めたその時、突然、あのメロディーが聞こえてきた。
「every,YES! 」
その一瞬、グラっと地平が歪み、倒れ落ちるような錯覚にやられた。それでも、音を探すことは諦めず、無様ここにありという体勢を晒しながら部屋の中を必死に覗く。
「あの音は才のギターに違いない。何処で引いているの?」
気が付くと、しっかり耳にかかっていなかったマスクの紐が外れ、顔面全開で出演者の控室に騒がしく飛び込んでしまっていた。
「あ、ユヅキー」
思わず飛び出した彼女に人の群れが出来ていく。もう、どうでもいいと、囲まれながらも探していた。
ギターを弾いている人間は見当たらなかった。
「何? スマホの着信音? 何処なの? 」
騒ぎに慌てて駆け付けたスタッフが人混みをかき分けながら優月をガードしていく。
「ダメダメ、落ち着いて、優月さんは忙しいんだから」
体を抱えられるように退避させられながらも、何とか探し当てようと踏ん張ったが、多くの人が携帯を手にしている為に判別は無理であった。
「駄目か。でも、確かにアノ存在が、
ここにいる」
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