第18話

文字数 2,720文字


野良犬のうた 2

 「ん?」
小波たちは同時に何かを聞いた。ビルの裏手の非常階段の下からであった。そこは店の電飾看板を閉店時に置くスペースとして利用されていた。看板を少し外へ動かすと、黒い影が動き白い腕が天に飛び上がって小波の足元に絡みつきながら落ちて来た。
「気持ち悪い。生きてる?」
ミナは小波のシャツを掴み早く戻ろうと訴えている。
「どうする、コナミ! 」
呆然とする彼女たちはクーラーの音か、風の音か、不思議な音に気付いた。
「呻き声? え?
メロディー?」
だが、この男の顔は腫れて、判別が付かない状態になっていた。背格好と肌質や雰囲気から同年代の少年にしか思えなかった。
「アキラ、店長呼んで来て、中に運ぶから。やった人達はプロだから見た目はひどくても、わきまえた仕事をしているから、死にはしないよ」
でも、少し手当は必要だ。小波は育った環境故にそのあたりの目利きは確かであった。
「マズイんじゃない? 」
「ここまでやったら、もう用はないでしょ。あたしらのもんよ」
「あたしらって、えー。
それにあの方々は先程、探していませんでしたか? 」
似非クールなミナは、半ばパニックであった。
「ねえねえ、聞こえてますか?
えー、えー? 」
アキラに助け船を求めるように振り返ると、既に背中が一瞬見えただけであった。
「置いてくなー」
仕方なく、慌てて追いかけて行くしかなかった。
 この落し物の為に事務所は貸し切られ、ソファーは占領されていた。
無理やり運搬を命令された店長の柏木は業務終了然として、しばらく何もせず傍観していた。面倒ごとを避けたいことが見え見えだ。子供たちの戯れに加担させられ、自分もいつこんな顔になるか分からないと考えていた。そんな空気に敏感な小波は珍しく感情的にキレた。
「もっとこの状況を察して動いてよ。何もしないなら出て行って。一秒、一ミリでも邪魔したら有る事ないこと言ってでも追い込んでもいいのよ」
この小娘ならやると、柏木はすぐに最悪なイメージを浮かべ、一瞬で口角を上げて下僕に成り下がることにしたようだ。
「はい、次は何をしましょうか、お嬢様! 」
 小波の決断と指示によって事はテキパキと運んでいく。アキラとミナには、手当に必要な品を頼んだ。消毒液、ガーゼ、包帯、冷却剤、解熱剤、などの医薬品や着替えを買いに行かせた。
柏木は小波の細かい指示に従って少年の身体を慎重に抱え動かし破れた服を脱がして、確実な働きをみせた。
小波は膝に少年の頭を乗せて丁寧に顔に付いた血を拭き取り、傷口を消毒、化膿止め添附と速やかな処置を施していく。顔は判別がつかないほどに腫れていたが鼻の骨は折れていなかった。いずれも、深い傷はなく上手く交わしたのか、ラッキーであっただけなのか。ただし、やけに古傷が多かった。
「チンピラか? なら、ここまでしてあげる必要はなかったかな」
そんな考えもよぎったが、うなされているような音が、明らかにあの優月の「スロウ・スマイル」のメロディーであり、彼女にとってはあまりにロマンティックに感じられて仕方がなかった。
「こんな状況においても、まだ歌っているようなフザケタ奴は棄てておけないじゃないか」どれだけ罰当たりなのかを知りたくなる。なによりも、握りしめていたメモ帳に書き殴られた言葉達に心揺さぶられ、感情の収めどころが見つからないままであったから。
「ふーっ」と息を吐いて急に柏木店長の顔を見据えて感謝を伝えた。
「此処に置いておいて。私らが後は面倒みるから。頼みます。
あと、柏木さん、ありがとうございました。助かりました」
そんなふうに言われたら、彼にとっては下僕冥利に尽きてしまうと同時に、小波が抜かりなく滝沢に話は通すであろうことは承知しているので、この功績が彼女の父親である会長にも恩義を売る機会だとポジティブに考えることにした。
「何をおっしゃいます。お嬢様の仰せの通り何でもしますので、何なりとお申し付けください」
「面白い人ですね」
柏木は小波の素の笑顔を初めて見たと思った。それに気をよくした彼は、滝沢や田淵らから聞いていた情報をすべて小波に伝えたのであった。彼女にとって有り難い一つの駒になっていた。
話によると、最近この界隈ではチンピラをねらって、ケンカをけしかけている頭のオカシイヤツが出没しているとの噂が飛び交っていた。歌だか呻きなのか笑っているのか、口元で握りつぶされた音をシャボンのように弾く。そして、脳内に残響のようなメロディーを刻みつける、などという都市伝説まがいの噂も出てくるようになったというのだ。
網を張って待ち構え始めたところを捕まって、ケジメをつけられたのであった。
小波は現状を把握すると滝沢に連絡をした。
「しめしを付ける必要があったからやったが、素質があるかもしれないので面倒を見てください。お願いします」
そう言って、彼は手当てをしてくれた小波に感謝を伝えると共に、
「異常者の可能性もあるので若い衆を付けさせます。何かあればいけません」
しつこく言ってきたので、柏木店長がすごく頼りになるからと小波は丁寧に断った。これ以上、人に介入されたくなかったのだ。出来ればメンバーだけでこの腫れた塊を人間の姿に戻してあげたかった。
アキラとミナは柏木と一緒に、キャバクラのお姉さま方が出勤し始める前に備品倉庫を片づけてくれていた。小波は、夜のおねえさん達にはなるべくこの少年を見られたくはなかった。母性を出されて持って帰られる気がした。彼女らは、ちょっとした不憫な可愛いものに無償の愛を与える癖が強いことを知っていたから。予想通り、異変に感づいて興味を示す者もいたが、曲作りで泊まり込みだから邪魔しないでと、適当なことを言っておいた。
 数日経つと腫れも引き、顔形もはっきりしてきた。
どれだけ、野蛮な顔つきになるのか、アキラとミナは毎日興味本位丸出しで近づき,冷たいタオルを腫れた箇所に乗せる度、覗き込んで顔をじっくり見ていくのであった。小波だけは容姿ではなく、光を灯し始めた瞳に惹きつけられていた。しかし、次第に変化をとげていく童顔の顔と向かい合うごとに、恥ずかしさと戸惑いを覚えてきたのも真実であった。中世的とも言い切れない野蛮さも見え隠れしている生々しい匂いに体が共鳴している。認めたくはなくても。
彼女は歌詞をつくる参考にいろいろな作家や詩人の作品を読み漁ったが、こんな顔の詩人を見たような記憶がある。そんな顔つきといってよかった。
また、回復して時折感じる眼差しは、狂った人間のものではなかった。
「しゃべれるのに恥ずかしくて、感謝を伝えたいけれど口にすることを、相手の事も考えてしまい言えないんだよ」
そんな風に言いたげに思えた。
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