第23話

文字数 2,630文字

第5章
  スロウスマイル 1

 前沢は配達の仕事でなければ、この界隈に来ることはめったにない。特に夜は仕事でも来たくはない一帯だ。
生肉の欲望が蠢く夜の世界とは違って、昼間の街は素っ気無いやもめ暮らしの台所のようなものだからまだマシ。匂いも含めて精肉工場の出荷後の景色みたく社交場にはとうてい見えないが、昼間でも気を抜いてうろうろしていればしゃぶりつかれる治安の悪さではある。
「ヘブンズ・ドールズ」は表向きには優良店として営業をしてはいるが、バックはれっきとした桜木組という武闘派の指定暴力団ということはこの界隈では周知の事実であった。配送車をどこに停めるかから始まり、いかに短時間で荷物の受け渡しを終了してこの地を五体満足で戻れるのか、毎回心臓に悪くて仕方がなかった。
一目散に雑居ビルの入り口まで走り抜け、ひと呼吸して階段に誰かいないか気配を伺う。
このビルではエレベーターには乗ってはいけないのだ。以前、業者がお客様のエレベータを使うなと躾を受けてしまったから。注意したその男は堂々とエレベーターに乗って、お客様を端っこに追いやっていたが。
「階段ゼロ、異常なし」
声出し確認を終えた前沢は、一段飛ばしで三階の「ヘブン・ドールズ」の扉の前まで走り遂げた。深呼吸をして息を整えてドアに手をかけてゆっくり押し開ける。
「お世話になっております、福来急便です」
「はーい」
なんとも、こちらの気合いに見合わない姿の少女たちが、奥のステージの上で呼んでいる。
「桜木様は? 」
軽く手をあげた。
「サインをこちらにお願いします」
少女は何も声を発しはしなかった。
特に人を寄せ付けないような雰囲気ではなかったが、無神経な踏み込みをした時には危険な雰囲気がプンプンしている。なのだが、あまりに迷いのない整った顔面に惹きつけられ凝視していたら、
「何見てんの」
横からいかにもロック顔の金髪少女が割り込む。
いけね、と慌てながらも興味が湧いて思わず聞いてみた。
「すみません。あのー、この店で演奏しているんですか」
「ハウリング・フラワーズって言うの。ファンになってくれる? 」
「なります、なります」
やりとりをしている間、小波は段ボールを開けて取り出したCDを感慨深げに見ていたが、
「じゃ、二千円。購入してくれたファン第一号を公認してあげますよ」
敬語ではあるが、逆に怖いタイプの人間であることをすぐに察した。頭では分かってはいるのにピンクのビビットな鮮やかな髪に見とれて、またもやじっと凝視してしまい無言の威圧を受ける。
「あ、もちろん。買いますとも」
反射的に返事をした前沢の顎の間近で、ミナは両手のひらを突き出している。
「ハイ、お金お~くれっ」と迫った。前沢は口調がカワイイ系であっても背は高くバリバリなロックな姐御感にビビリ、思わず社用の財布からの金を渡してしまった。
「スキ! お買い上げ、ありがとうございました」
ミナはお金をサッと受け取り、小波に渡した。
「サインをしますね」
表情を変えずにメンバーに回し、無駄な感情を安売りしない毅然とした振る舞いから、ピンク髪の少女がリーダーなのは理解出来る。前沢は瞬間的に彼女の従属者になった。
階段を降りながらCDの裏ジャケットをながめた。
「4人組みなのか」さっき居た三人の他にもひとり映っている。
「年齢、性別はよくわからないな。ひとり、違う方向に流れていってしまいそうな感じの少女?少年?
みんなよくね?
推しちゃおうかな」
前沢はすっかり、浮かれてトラックへ戻ろうと目をやると、いかにもの方々が車を数人で囲み、誰かを待っているようである。
「はあー。
俺だよなあ、俺を待ってるじゃん、絶対。詰んだ」
恐る恐る近づくと、ものすごい勢いでどやされて現実に引き戻された。
「車が出れねーじゃねーか、あーっん? どこに行っていやがった」
ですよねぇ、と心で嘆いた。
いかにも、とんでもなくお偉い怖い人が乗っているのであろう外車が停まっていた。
「すみません、「ヘブンズ・ドールズ」へ配達に行っていまして、すぐにこれでも戻ってきましてですね、本当なんです」
「嘘つけ、言い訳すんな! そこはうちの店じゃねーか。こんな時間に開いてないだろう。それに、配達中になんで、CDなんて持ってるんだ」
CDを手に、【HOWLING FLOWERS】のロゴを指さしながら必死に説明していると、その男は取り上げて車の方に歩み寄った。
すっと、黒いウインドウが下がってCDを中の男が受け取ると、少し顔を出してCDを手に、軽く挨拶の仕草をするとウインドウは再び上がった。
「今日は許してくれるそうだ」
「あのう、CDは? 」
「あっ? なんか文句あるのか」
「いえ、すみません。何にもありません」
前沢は配送車に飛び乗った。
焦って無意味な空吹かしをしてしまい、それに腹の立った若いやつが運転席に駆け寄って来るのをサイドミラーで見てしまい、余計に脂汗が噴き出たが、なんとかギアをつなげて急発進させた。CDは取られたが、手にはライブ予定のチラシがしっかりと握られていた。
「まあいいや、すげえ推しに出会えたから良しとしよう。
SNSやってねえかな。もうすぐにでもフォローしちゃうぜ。あのピンクの子とかやってねえかな。やらないタイプかな。
うん、待てよ、意外とピアスジャラジャラ打ち込んだ姐御さんとかがやってるかな。
にしても、なんで、あんな怖いおっさんが、興味持つんだ。
そうだよ、2000円払えよー、クソやくざ。今度会ったらぶっ殺してやる、絶対な。
・・・・絶対
・・・・会いたくないけど、
オレ、埋められちゃうもんな・・・・」
そのころ、届いたばかりのCDの1曲目が店内に流れ始めていた。
アキラとミナは「待とうよ」と言ってくれたが、ここ数日才とは連絡が取れていないこともあり、腹立ち気味の勢いで小波はPLAYボタンを押していた。
才の独特なリズムのカッティグからはじまり、小波のギター、ベース、ドラムと絡んでいく一曲目を聞きおえたときには才への優しい気持ちしか残っていない。
「これは事件ですよ」
ミナの言葉に誰も何も言えなかった。
才との日々も夢ではなかったことを、少女たちは実感していた。
『every,YES』をあの優月に突きつけたコンテストのあの日をきっかけに、才がアルバムを作る気になってくれた。ちょっとした偶然の重なり合いがこうして証であるCDになった。
制作期間の記憶は宝物であり、いつでも鮮やかに、リアルタイムの感触で思い出すことが出来た。
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