第37話

文字数 1,711文字

   ドアーズ  3

 あの人。被害者の実の母親であり、名前を中元美子といった。
その立場でありながら、裁判でも自己保身を優先させた態度の才の血縁者である母と姉をも攻撃し、殺された我が子の愚かさを述べ、必死で血の繋がりのない束の間の孫を守ろうとした唯一の味方であった。
「彼の美意識を判らない方が悪い。ましてや、干渉して妨げる行為こそ罪である」
才の棄てられた筈の多くの結晶を携え、すべてきれいに整理して、それらを全て書き写しその横にコメントを書いたノートをまとめたのも実は美子であった。
血の繋がりはあっても、基本構成が違う母と、血の繋がりは無くても同じ魂の村の種族の祖母。警察が来るまでの間、姉の軽蔑に満ちたヒステリックな視線を突き付けられて行き場所を見失った孫を包んでくれた胸の感触を才の体は忘れない。
優月はあの時のようにひとり離れて座り、少しずつ都合のよい自分の優しさにヒビが入っていくのを感じた。優月は法廷で、
「私の家族は弟のせいで全てを失いました」
この宣言により才の味方を放棄した事実は消えないから。
中元美子は実の息子である隆の名誉を失墜させる事をも覚悟をして、全面的に才の弁護に立ち続けた。
初対面の時にこの毛色の違う男の子は
「幸せになるのもいいが、嘘で塗り固めたような、弱虫の群れの羽音のぶつかり合いは、周りは気分が滅入るだけだよ」
小学校を卒業したばかりの子供が、そんな世界を言葉と絵にして見事に描き言ったのだ。
この言葉が忘れられなかったから、ずっと迷いながらも、感情の堕落を踏みとどまり自分を正直に律することが出来た。神様のお使いの子のように思っていた。
更に、本当ならば守ってもらえる血のつながりのある家族から、道理の無い軽侮を浴びせられる姿を見てしまえば母性がみなぎってしまって、より強い行動をとったかもしれない。血の繋がりのある隆を地獄に落としてでも。
そもそも、彼らが同居を始めた当初より、隆の才に対する態度に苦言を呈していたのだ。だが隆は「幸せを願うからこそ才君を教育しなければならない」と言うばかりで改めようとはしなかった。その上、敢えて見せつけるように、美子の目の前で、才が生み出した美の結晶、ちょっとしたメモから日記、アカペラのメロディーデータのメモリーディスク、全てを大袈裟な身振り手振りの踊りでゴミ袋に捨てていくのだ。
見かねた美子は、隆に隠れて取り出して大切に保管し続けていた。そのことを才に伝えると、「いいよ。これも運命さ。でも、ありがとうございます」そう彼は冷静に答えた。次第に才とは心を開き合い、色々なことを素直に話す間柄となっていった。
「あのひと、僕に空手をやらせるんだって。
それもいいかなって。これまで書いた絵とか、どうでもいい言葉の破片なんか、もう必要はないかもしれない。
人って生まれてもしばらくは、肉体は未熟だから魂がすべてだから、優しくて可愛いんだけど、体が成長してくると、肉が様々な欲求をどくどく滲ませ始めると、魂の抑えが利かなくなるから悪い事をしちゃう。
肉が、本当の僕らを何処かへ突き飛ばしちゃって、むらむらすするんだ。
お婆ちゃんだって、今優しいけど、むかしは悪かったっていってたよ、フフ。
あ、ごめんね。とにかく、僕はこれから、社会で生活できる奴になれるバランスを身に付けるんだってさ。
彼が言うには・・・・。
だからさ、あまり興奮が過ぎない人間に整える為に空手をして、肉体を躾けるんだって。
そうしたらもっともっと、おばあちゃんにも優しく出来るかもね」
悲しい哲学に思えた。
「才君は絵を書いたりする才能があるんだよ」
「本当は映像じゃないんだ。メロディーが悪い神様そのものだから、この体を鉛筆にして、毎日の閃きを空手の道具にしてあの美の世界を生きる事が出来れば同じ事かも・・・・」
美子は才の全てを宝物にしたくなった。
「何も悪くない。卑怯な弱虫の宿命さ。お前を生かさなければいけない」
実の息子が死ぬだろう時にも才を抱きしめずにはいられなかった。
祖母として、魂の声から逃げなかった。
そんな義理の祖母と比べてしまえば、警察が来た時、だまって指をさし続ける優月とは大きな距離の差は致し方なかった。
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