第20話

文字数 3,084文字

 才と優月の実父は鬼無直行といった。彼は絵を描いたり、小説や詩をつくったり、ピアノを演奏したりしたものの、いずれの世界でも食べていけるまでの成功には至れず、あちらこちらを彷徨って何者にも成れなかった人であった。ではあるが、他者の才能を見極めることに関しては、恐ろしいほどの精度を持っており、これはまさに才能と呼んでもよかった。
彼がなけなしの金で食事をおごってやったり、自分には何の役にも立たないコネを譲った者たちは次々と成功を手に入れていったり、などなど逸話には事欠かない。誰も興味を持ちやしなかったが。
そんな彼は才の才能をいち早く理解した。我が子の才能に喜ぶというより、その才能に対して純粋な畏敬の念を感じていたようだ。その熱心さにつられた妻の香も最初は才に対して、苦しい日常生活の中の幸せな生きがいを感じてはいたようだ。だが、夫が子供を残して自らの命を絶ち、とり残された後の落胆は想像に難くなく、その時は才を生きる悪夢の権化のように思うしかなくなった。更に、二人の子供の目の前の食いぶちを手に入れる中で、裏切った男とは真逆の価値を持った、見本になりそうな男の元に身を寄せたとしても誰にも責められないであろう。その男は中元隆といった。
彼はもともといじめられっ子であったが、幼なじみのよしみで人気者の直行について回って自己保身をしていたようだ。傍目には、常に笑いが絶えないように見えたが、本質的に、手にとって見える物以外は信じる事の出来ない彼には直行の如き、雰囲気も含めて愛情表現であるようなやり方は理解出来なかった。
高校ぐらいになると、中元は奮起し空手の道場に通い始めた。直行と一緒にやった、バンドでもセンスがない事を悟り自信を失っていた男には、格闘技によって自らの存在を確認していく必要性があった。もとより、体は大きかったが、力勝負でしか行動できない男の進化などたかが知れてはいるが、素人よりは見栄え良い姿には成れたようだ。     
それが後に、体を使った生き方を実践して、建築業で財を成すという結果へと繋げられた事実をみれば、中元は己を知っていた分、社会の中では常識を心得ており利口であったといえるのでしょう。そのように成功しても中元は、男の子特有の幼少時に確定した上下関係を大人になっても崩すことは出来なかったようでした。
故に、直行の死はこれ程晴れやかで、委縮していた自己を世に問える、輝いた世界を与えられた門出かのように思えた。そのような、感情的な熱っぽさに舞い上がった彼は、以前から特別な思いを持っていた香に言い寄り、その家族を飲み込んでいく様こそ自らの正しさの証明のひとつとして、暗い静かな興奮を味わった。そして、新鬼無一家は社会での成功者の夢を、未来の家族として歓迎した。鬼無才を除いて。
児童文学コンクールの詩部門において優秀賞を表彰されたある日のこと。父親が亡くなってから、母も塞ぎがちであったので、この賞状と記念の盾を渡せば、どれ程喜んでくれるだろう。いつもなら十分位かかる通学路を三分程度で家へ帰り着いた。靴を揃えるよりも、早く知らせたかった。だが、期待した笑顔はなく、返された言葉は、
「そんなことより、先に靴を揃えてあがりなさい。手も洗って。
本当に恥ずかしいかぎりです。ちゃんと、しつけるべきまともな父親の教育がなされていないもので」
母の香は、切れるような白さと僅かな皺もないワイシャツを着た男に、これまで子供には見せなかった笑顔で言い訳していた。そして男は事を成す前にもかかわらず、結果を自慢するような口ぶりで返した。
「これからは、なんでも僕に任せてよ」
「ほんとに、助かります。中元さんがいてくれれば」
この短いやり取りは永遠に才の心中でハウリングし嘔吐の疼きとなって低いリズムを刻んでいく。才の脳は鼻を押さえる指示を両手に申せつけると、才は息が出来なくなって時間をしばらく見失った。これからは、美を無視した都合のよい配列の刹那な流儀が、儚い生命を永遠の欲に正義を誓わせるようになるのだ。
中元の大きな家に引っ越すのに、姉の物は全て丁寧に整理され運ばれたが、才の表現の痕跡が窺えるものは捨てられ、強制的に才の心の赴く場所を奪い去った。そのスペースに中元は嘗ては出来なかった直行への謀反のセクシャルな欲求の捌け口を押し込む。才を自らが生まれ変わった空手道場に連れていったのだ。
何かいけない執念に基づく行進は、時代限りの美を幻覚として見せるもの。中元の頭の中では行進曲が闇の王国制覇の為に響いていたことであろう。
個人的嗜好にすぎない修練によって屈服させる恍惚が屹立する。修練を耐え抜いた暁には、それは直行を最大に貶めるにいたる最高の軽蔑者として育て上げる栄冠が用意されているように考えていた。中元にとって芸術などはお遊びでしかなく、幸せを得ることなど出来ないものである。世の中の金になるアートな商売も、重要と供給の仕組みの中での一部であり、社会をアートが含むなどありえなかった。
 隆は仕事を社員にまかせて切り上げると、才を学校まで迎えに来ては道場まで一緒に連れて行き、しごいて楽しむのだった。
だが、そのような状況にあるにも拘らず才の魂は常にうっすらと潤いに満ちた、重い閃きの粘膜に包まれ、強制された行動、行為に対しても必然として備わっていたような反応で変異を見せていく。肉体的虐待に思われた中元のしごきも、闘争の中にアートの要素の出力先をリンクするプログラムが確立出来てしまえば、才の瞬時の反応は中元とは違う次元の筋道を攻撃においても示すようになっていった。
才の資質に魅かれた師範は、資金的援助を盾に我が物顔で出入りしていた中元が金の卵を壊さぬように、如何に才から引き離したものかと考えるようにもなった。それに対して中元は、「才能があるのならなおのこと潰してしまえ」と更に汚い情熱を注ぎ込んだのだが、いつのまにかそれらのひとつひとつが中元の望みの想定外のキラメキで弾き返されてしまうのであった。
絵も歌も、そして暴力も同じ閃きと肉体の欲望との間合いのせめぎ合いであり、命懸けのものでなくてはならない。永遠の使命に繋がる完全な表現をすることを欲するところに現実が生まれる。
「理由は知らない。知らなくてよいんだ。
評価、好き嫌いを超えた、無私となり繋がることを求める。合法か非合法かも選択の項目にはないのだ。神か人間かの選択はある。神に祈る人の理想はいらない、浅ましき弁解を俺の一筆の先に絡ませ、時には花を絵にして、時にはメロディーに代えて、太陽を嘘の悲しみと混ぜて幸せな生き物と戯れる」
神を誘い出す際の何かが手に絡む感覚の存在を、才は自身が気付かないまま携えるまでになっていたということ。
そこまでのステージに到達した彼は、一般の不良少年がありがちな、肉の欲望を魂の強さのように勘違いして見せびらかす発情沙汰には陥ることはなかった。中元は空手ではどうにもならなくなると家では才を避け、その代わりの存在認証行動は優月に向けた。優月も特に避けることもなく、逆に才の前では受け入れる仕草を見せたりもした。
才は中元という人間に対して信用は全くできなかったが、姉が父親として認めようとする態度については黙って見守ることに決めた。
だが嫌な想像が現実のものとなった。中元は優月を襲ったのだ。
しかし、才が最愛の姉を救ったその時、

「近くに来ないで」

優月にそう叫ばれ、誰にも抱かれぬまま、
只々、
才は待っている。
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