第5話

文字数 1,390文字

 「優月ほら、『SAD,YES』のCD間に合ったよ。ポスターもいい感じに仕上がったぞ」
マネージャーは嬉しそうに走ってやって来て、楽屋に入る少し前からもう喋り始めていた。
「金田さんにお任せしていますから。気に入ってもらえればそれだけで結構です」
優月にとって、他人が自分を通して喜びを得ているこの状況が只々、有り難かった。
「マネージャー生命を掛けているからな。こんなこと言っていいのか分からないけど、お母さんのことがあってから、才能がようやく目覚めた感じだよな。人間悲しみを乗り越えると、一皮むけるんだな」
多少の無神経さに対してはもう何も感じない。微笑ましく思う程であった。ただ、優月の心が隠された始まりを引き寄せようとしてしまうのも事実。しかも、マネージャーは扉を開けっぱなしで出て行ってしまったから、エントランスで流されている優月の新曲が恫喝のように響く感じがした。

『この世に溢れるNOを抱え
庭を追い出されても世界は終わらなかった
君が嫌なことばかりして
優しい町の人を悲しませても
僕は逃げたくはないよ

この世はあるがままに
YESで生きればいいんだよ
君は混乱した怒号の中でNOを歌うのか
ならば、僕と一緒に死のう
ゆっくりゆっくり
永遠の明日へ
僕はYESになる
空さえ見えたなら SAD.YES
逃げなけい僕の足元 SAD.YES
花は永遠のちょっと先で咲くよ SAD.YES』


「あっ、金田さん、ごめんなさい。
才能・・・・、目覚める・・・・才能なんて、ない」
優月は金田の下に駆け寄りたい衝動にかられ楽屋を飛び出したが、二歩から三歩への間に脚は重くもがき進めなくなった。
「いやらしい・・・・、
泣きそう」
泣き顔を誰にも見られぬうちに素早い動きで楽屋へとくびすを返した。嘘のように軽やかな足取りが切なくて、化粧台に乗せてあったスマホを無駄に荒っぽく掴み取った。呪縛を解くいつもルーティンと化したミュージックアプリを開き「プレイリスト:Sai」をPLAYさせる流れは迷いもない。
消え入りそうな弟の声がいつの間にか旋律を引き連れて蠢きだした。ある怪物が使命を纏って下々に分け与えるような、まがまがしく汚らわしい生殖行為の踊りが見える。

『この世に溢れるNOを抱え
庭を追い出されても世界は終わらなかった
君が人殺しだからって 
正義の弱虫たちに追い詰め・・・・』

神聖な才の神曲がエントランスの中身のない軽い空気でしかないメロディーと言葉をめくり上げ、あの時の目でじっと見ている。才のオリジナルブルースが血の繋がった姉の身体を隅々まで吟味して、使い物になるか見定めているのだ。
優月は己の能無しの面を鏡に見て、慌ててイヤホンをむしり取った。
「知らぬ人が聞いたら荒っぽい『SAD,YES』だと言うだろうか。少しだけ歌詞も変えたけれど、あらゆる場所と世代へ向けて、救いになるように気持ちを込めた。彼女なりのケジメであり、才への謝罪だった。でも、彼の『every,YES』を前にしたら、あらゆる存在理由が透けていき気づかれやしなくなるんだ、誰にもね。
ならば、もう自ら捨ててジャンプを楽しむのさ。
あああ、止めて。
下僕の使命は母の葬式の日、才の部屋でしかと拝命させてもらったじゃない」
あの前夜の叫びと繋がった。
「うううううあああッ・・・・
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