第6話

文字数 2,455文字

クロスオーバー 3

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「・・・・嗚呼ああああ、もうお母さんは骨に成っちゃったよ・・・・
うううううああああクソクソ! 」
叫び疲れた優月はファイルを掴んだままダイニングテーブルを見に行く。誰もいなくなった景色にようやく覚悟が出来る。すると、逃げていた為に貴重な時間を失くしたことが今になって悔しくなった。
道理に合わない笑顔でパトカーに押し込まれた弟を冷たく見ぬふりをした自分に向き合う必要があるのだ。
少し落ち着くと優月は腹が減っていることに気付いた。直ぐにコンビニへ走っていき、食料品を山盛り買ってくると、大急ぎで腹ごしらえをした。
「お腹いっぱい、食べ過ぎたかな」
優月は荒ぶりも治まったところで、弟の部屋をもう一度ゆっくりと眺めながら気配に浸る。る。
「さてと、やろうかな」
優月は弟の部屋に母が大切にしていた才の記録のすべてを運び込む。直感を頼って、今の自分に必要でありそうなあたりを抜いて分類し始めた。一番古いもので、小学生のころの絵日記もあった。ようやく、拙い絵や文章に獰猛な真実の一滴が混ざっていることを理解出来た。
言われたことをお望みとおりの表現する彼女とは違って、弟は混乱したような行動や表現が多く、学校でも問題児だった。
ダメな弟を慰める父に対して初めは、弟のための優しい嘘であるのだと理解して、しっかりと抱きしめてあげたりもした。だがそのうちに、そのような考えはあまりに能天気なものではないかと感じ始めた。
しかし、絵描きのはしくれの父が、彼女の絵を見ている時見せない瞳の強さで弟の絵日記を見ていた理由までは見つけられなかった。優月には正当な評価をしてもらえていない意味が分からず、そんな父親に対して悲しくなり、行き止まりで憎しみに変わるまで時間はそれほどかからなかった。
だから、二番目の父親として中元隆が来た時は正式に籍に入らなくても、躊躇いも無くおとうさんと呼べたのかもしれない。
その男は、優月たち家族の生活を向上させた。それまでも母の実家から援助を受けて暮らしが困ることはなかったが、芸術家の夫を庇う精神的疲労に少なからずストレスはもっていたのだろう。実の親とはいえ、お金の工面をしに訪れる母親の心苦しさは相当な物であったことは、幼いながら優月の胸を同じように不安にさせもした。とにかく、中元は優月にとってはまともな価値観をもった安心できる大人に思えた。
何より、弟に対して彼女と同様の反応を示し、ずっと優月が腹の底に隠していたムカつきの幼虫を現実の中で潰す様に信頼を寄せた。
実の父、鬼無直行が亡くなって半年ほど経ち、弟が中学生になった頃中元との暮らしが始まったのだが、直ぐに中元は才に対して、厳しく様々な表現に対して目を光らせ管理する。目を盗んで表現された痕跡、絵や言葉を見つけた場合には教育上の躾としてゴミ箱に棄てた。
芸術は社会では必要性は低いのだから、肉体や精神を鍛え直すには武道をせよと強制的に、自らが所属する空手道場に才を入門させもした。
最初は思い通りに事は運び、彼を満足させたが、才の芸術を感知する能力が、武道においても息づいてしまう。武術の動的核心を容易く捉えてその理屈をも学び、表現として格闘の美を味方につけた。それは、中元にとっては予想外のことで、悲劇への結実を自ら遂行する役を成しただけだといえた。
才の芸術性においても、その空白期間が少年院においての知的欲求を強くさせるのに影響を与えたのだろう。彼は院内では多くの書物をどん欲に読み漁った。芸術的視点の深度が反動的なる飛躍を遂げ、書かれた反省文や日記からも読み取ることが出来た。
その反省文の中に非凡さを感じた少年院の所長は中元の実母に連絡をした。
中元美子は才の義理の祖母として、彼が書いた文章やスケッチ、あらゆる全てを送ってもらえるように頼んだ。
何故か、才は受け入れたようだ。但し当初、才は実の母には見せてはいけないと言っていたようだ。理解などしてくれないことは明らかだったから。後に出所が決まって、祖母から渡されるまで母親の香はこれらの存在を知らなかった。

そんな束が母親の葬式を終えた優月の前に辿り着いた。
深く息を吐き、才の姉は表紙代わりの用紙を手にする。見覚えのある弟の筆跡で書きなぐった文字があった。
「ハウリング・フラワーズ」
彼女の身勝手な興奮は冷める。弟に許されるための自らの解剖を迫られていることを突き付けられている気がした。
「確かにそうかもしれない。殺害した罪は消えないが、弟の現実は私の身勝手な気分のリアルが原因であり、姉としての罪は軽くはない」
優月は吐き気をおこして床に突っ伏すと、ポケット辺りに異物が腿を軽く圧している。武田がチャイムを鳴らした時に慌てて突っ込んだメモリーカードの事を思い出した。
メモリーカードをパソコンに入れてデータを取り込んだ。MP3の音声ファイルがあった。
ヘッドホンを耳に深く押し当てPLAYをクリックする。メロディーに纏われる息遣いの微かな音階も逃したくなかった。
ようやく素直な心で開くことが出来る。拙いが独特な揺らぎを持ったギターと絡んでいた。聞き手の魂をぐらつかせる音色が天才であった。だが直感的に弱さも見抜いた。ギターの技術を身につけるスピードを感情や閃きが追い越し先で消えてしまう。技術が身につかないで、何物でもない者のまま消える魂の脆さを、血を共有する故に理解した。
「誰か助ける人間が必要だ」
悪い記憶の全てがシンプルな救済の旋律として生まれ変わるという、磁極の転換が目の前で起きた優月が、自分こそが才と共にこの血の意味を繋げる天命を授かった気になったのも仕方がない。
姉は弟の旋律を絡め掴むように何度もリピートした。彼の書き殴った詩を継ぎ接ぎして、少し整える感じで彼女の歌詞にした。
最期にタイトルを考えていく際、少年院から母へ送られた手紙の一文が目に留まった。
歌手になった優月に伝えたいとして、
「アネキ、がんばれ、
スロウ・スマイル」
とあった。

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