第6話

文字数 2,831文字

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・・・・あああ否嗚呼ああああ、もうお母さんは骨に成っちゃったよ・・・・
うううううああああクソクソ!!! 」

叫び疲れた優月はファイルを掴んだままダイニングテーブルを見に行く。誰もいなくなった景色にようやく覚悟が出来る。すると、逃げていた為に貴重な時間を失くしたことが今になって悔しく、胸の奥は痙攣して魂は剝がれ落ちて気道に刺さって詰まる。むせる度に胃がねじられ酸っぱい嘔吐の衝動に身体が覚悟を迫っていく。
見ないふりした罪は何処に行けば取り戻せるのか。

「・・・・道理に合わない笑顔でパトカーに押し込まれた彼を冷たく見ぬふりをした自分の顔を拾いに戻りたい」

忘れていた筈の様々な己の行為が記憶の乱射の隙間に匂い、弟の真っすぐな表情がすり抜けるように瞬く。逆光の彼から顔を背けないで進みさえすれば、答えはしかるべき時に訪れることを信じたかったが、心もとなくなって母の枕の匂いを嗅ぎに戻らずにはいられなかった。少し落ち着いた優月は腹が減っていることに気付く。近くのコンビニへ走っていき、食料品を山盛り買ってきて大急ぎで腹ごしらえをした。
「お腹いっぱいっ、食べ過ぎたかな」
荒ぶりも治まったところで弟の部屋をもう一度ゆっくりと眺めながら気配をたどる。それは時間を特定させない不思議なタイムトンネルに思えた。
「さてと。・・・・やろうかな」
優月は弟の部屋に母が大切にしていた才の記録のすべてを運び込む。直感を頼って、今の自分に必要な物を抜いて分類し始めた。一番古いもので、小学生のころの絵日記もあった。
ここには、期待している何かが確かに潜んでいる。今になってようやく、拙い絵や文章に獰猛な真実の一滴が混ざっているのが理解出来た。

言われたことをそのとおり、形を理解し上手く表現する彼女とは違って、弟は混乱したような行動や表現が多くみられ、学校でも問題児だった。なのに、同じように褒める父に対して初めはダメな弟を慰める為に、元気付けようとしているのだと幼いながら理解して、しっかりと抱きしめてあげたりもした。だがそのうちに、そのような考えはあまりに能天気なものではないかと感じ始める。
しかし、絵描きのはしくれの父が、彼女の絵を見ている時見せない瞳の強さで弟の絵日記を見ていた理由までは見つけられなかった。優月には正当な評価をしてもらえていない意味が分からず、そんな父親に対して悲しくなり、行き止まりで憎しみに変わるまで時間はそれほどかからなかった。だから、二番目の父親として中元隆が来た時は正式に籍に入らなくても、躊躇いも無くおとうさんと呼べたのかもしれない。
その男は、優月の生活を以前より向上させた。それまでも母の実家から援助を受けて暮らしが困ることはなかったが、芸術家の夫を庇う精神的疲労に少なからずストレスはもっていたのだろう。実の親とはいえ、お金の工面をしに訪れる母親の心苦しさは相当な物であったことは、幼いながら優月の胸を同じように不安にさせもした。とにかく、中元は優月にとってはまともな価値観をもった安心できる大人に思えた。
何より、優月を安心させたのは、弟に対して彼女と同様の反応を示し、ずっと彼女が腹の底に隠していたことを現実の中で成敗してくれたこと。

実の父、鬼無直行が亡くなって半年ほど経ち、弟が中学生になった頃、中元との暮らしが始まったのだが、直ぐに中元は、様々な本や絵を吸収し更に激しい表現行為を求めて描きだす才に対して、教育として厳しく管理、目を盗んで表現する絵や言葉を見つけた時はその場でゴミ箱に棄てたのだ。
更に、芸術は社会では必要性は低いのだから、肉体や精神を鍛え直すには武道をせよと強制的に、自らが所属する空手道場に才を入門させた。
最初のうちは思う通りに事は運び彼を歓喜させたが、才の芸術を感知する能力が、武道においても核心を容易く捉えてその理屈をも学び、イメージ通りの攻撃を現実化させていく公式を理不尽に耐える中で構築していた。それは、中元にとっては予想外のことで、結果的には悲劇への結実を自ら遂行する役を成しただけだといえた。

才の芸術性においても、その空白期間が少年院においての知的欲求を強くさせるのに、影響を少なからず与えたとも言える。彼は院内では多くの書物をどん欲に読み漁ったこともあり、芸術的視点の深度が反動的飛躍を遂げ、その過程が独房で書かれた反省文や日記からも読み取ることが出来た。
その反省文の中に非凡さを感じた少年院の所長は中元の実母、美子に送ったようだ。それを読んだ中元美子は才の義理の祖母として、彼が書いた文章やスケッチ、あらゆる全てを送ってもらえるように頼んだ。
何故か、才は受け入れたようだ。但し当初、才は実の母には見せてはいけないと言っていたようだ。理解などしてくれないことは明らかだったから。後に出所が決まって、祖母から渡されるまで母親の香はこれらの存在を知らなかった。

そんな束たちの中、ファイルNo.1の表紙を開いた一番上の用紙に書かれた、
「ハウリング・フラワーズ」
と何かが秘められているような風の行方のような文字に優月は吸い込まれる。身勝手な興奮は冷めきって、ただ自分に立ち返り自らの解剖を迫られた。
「確かにそうかもしれない。殺害した罪は消えないが、弟の現実は私の身勝手な気分のリアルが原因であり、姉としての罪は軽くはない」
優月は吐き気をおこして床に突っ伏すと、ポケット辺りに異物が腿を軽く圧している。武田がチャイムを鳴らした時に慌てて突っ込んだメモリーカードの事を思い出した。
メモリーカードをパソコンに入れてデータを取り込んだ。PM3の音声ファイルがあった。

全ての息遣いの奏でる微かな音階も逃さぬようにヘッドホンで聴くことにした。耳に深く押し当てPLAYをクリックする。
今は素直に心を開くことが出来た。拙いが独特な揺らぎを持ったギターと絡んでいる。いきなりこの魂をぐらつかせる音色を掴んでしまうところは天才的だと思ったが直感的に弱さも見抜いた。ギターの技術を身につけるスピードを感情や閃きが追い越し先にいってしまい、技術が身につかないで、何物でもない者のまま消える魂の脆さを、血を共有する故に理解した。

「誰か助ける人間が必要ではないのか」

悪い記憶の全てがシンプルな救済の旋律として生まれ変わるという、磁極の転換が目の前で起きた優月は、自分こそが才と共にこの血の意味を繋げる天命を授かった気になったのも仕方がない。
優月は弟の旋律を絡め掴むように何度もリピートして、彼の書きなぐった詩を継ぎ接ぎして、少し整える感じで彼女の歌詞とした。最期にタイトルを考えていく中で、少年院から母への手紙の一文に目が留まった。

歌手になった優月に伝えたいとして、
「アネキ、がんばれ
スロウスマイル」とあった。

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