第16話

文字数 3,386文字


GOOD BUG 5

 店内は雨のせいか客もまばらであった。
「いらっしゃいま・・・・」
店長は客ではなく身内と分かるとあからさまに拍子抜けした姿でぺこりと頭を下げ、誤魔化しまぎれの苦笑いが消えぬままに、踵を軸に身体を回転させて流れるような導線でホールへ戻って行く。小波たちは気配を隠して事務所に入り、素早く内側からカギを掛けた。
小波はソファーに倒れ込んだ才の横に座り、すぐに身体の状態を確認する。才の頭を抱え、髪の毛をかき分け念入りに裂傷を見つけると消毒液を塗っていく。傷だけでなく僅かなうっ血も見落とさないように時間をかけて見た。納得いく診察を終えた少女は少し肩を落として、深めに息を吸い込むと、
「ケンカはやめて欲しい」
それだけを言った。
素直な視線が絡むと才はすっと小波の甲に自分の掌を合わせてそれぞれの指の間に閉じた。
「内側にぼんやりとしている何かと向き合う為に必要なんだ・・・・。
他はどうも俗なモノへと繋がっているように思えて。暴力的な手段だけは俗な迷いを遮断してくれる根源的存在理由の味がするんだ。社会的に制裁されることで、俗なる弱さのライン上にある自らの自由や尊厳が奪われることは、そのままわがままな欲求から離れ、その地点でガチな向き合いが出来るって感じ」
「君が何者であるのかってこと? 」
「否、見ようとしているだけ、理由なんかどうでもいいんだ。まさにそこから、目を覆いたかった。
何者にもなりたくない。
少なくとも今まではまあ、汚い儀式だけど必要だと感じていたよ。
悪い旋律だけど神が穏やかに存在しているんだ、いつも其処に・・・・」
小波は「痛みだけでは自分を捕まえておけないのよ」とでもいうように、今にも消えてしまいそうな才の手首をそっと触って、存在を感覚的に確かめられたことに安心した。
すると、今度は小波の方からゆっくり指を這わせて、ずっと繋ぎとめるための祈りを纏わせてやりたいと繋いでみた。
「わたし、才君が弾くギターが好き。
メロディーがもっと欲しい。
詩を歌いたい。
暴力は君を奪ってしまうから止めて欲しいと思うんだよ。乱暴に言うと、才が人に危害を加えようが、犯罪者として捕まり世間から責められても、私は嫌いにならないし、味方なんだけど。
こんなに、愛したい才能が奪われることが悲しい・・・・よ」
何かに押し戻されるような、どこか感情的な力を滲ませて声高に震える。
「ギリギリにいる時こそが何者でもない僕が必要とされる僕になる・・・・
ルールのない世界の乾いた色はどこにあるんだろう。
でもなぜか、幸せなのに乾いた色が鳴ったよ。
小波さんたちと音楽した時はね」
小波は才の哀しい領域から引き戻してあげたい思いが溢れて、おせっかいになる。
「才君の何かを、私たちの手で音楽に出来れば凄い事になるよ」
「凄い事になっても、認められないようにしたいな。
評価なんてそれはどうでもいいんだ。存在理由がどうとか、他人を感動させられるアーティストになるとか、みーんな、どうでもいいんだ」
「それが、目的になったら道を誤るけど、そんなに忌み嫌って自分を追い込まなくてもいいんじゃないかな」
「ふふ、ありがとうね。
たださ、自らの生い立ちやトラウマを日記のようなおしゃべりでばらまいて、ありがとうって言える人は気付いた方がいいんだ。それはまさに排泄行為でしかないと思うんだ。自分のうんこを見せびらかして、わー、臭いですね、うーん、判って呉れるかい、みんなありがとうって、臭いだろうつって」
「わたしは大丈夫?
そう言われると不安になるよ。嫌だな」
「そんなところに近づかないように、お互い気を付けたい、なんて」
「うーん、確かに」
すぐ、我に返って
「でも、本物の芸術家もいるわけじゃない」
「黴菌(ばいきん)を己のよだれで溶かして芳醇なつばにしてペッて、唾を吐きながらも新しい終わりの者となり遂げた芸術家。めったにいないけれどいるにはいるな。
表現は自分の行動、生き様、が最終地点、そして終わるのみ」
才なりに注意深く話そうとは心がけていた。それでも、あまりにすべてが混乱して同時にそのまましゃべるから、嘘にも真実にも聞こえてしまう。考えあぐねる程に脳内の処理能力を超えて、ポンコツの印象を与えかねなかったが、小波は見極められる人間であった。
「才となら、一緒に曲をつくってその道を進める」
「ロクなことにならないし、もう嫌なんだ。
のこのこ出て来て売りさばかれる・・・・」
「優月のこと?
似てるから?
似てるようで、にてない。イミテーションと本物は違うよ」
才はじっと見つめていたが、やがて口にした。
「姉だよ」
小波はこの告白もびっくりしなかったし、望まれた方向へ勢いよく水が流れた気持ち良さを感じた。
「あと、
彼女の父親を殺したんだ。
まあ、戸籍上は違うんだけど、姉はお父さんって呼んでたからね。
おじさんは優月を気に入っていたしね。生きる為の愛想は必要で、姉は僕の代わりに役目を被ってくれているのだと、小さいながらに感じていた。僕は出来なかったからね。それでも子供心に決心はしていた。
何かが起きた時は僕が守るって」
「ここにのせて」
小波はギュウっと才に抱き付き、顎を肩に乗せさせた。彼から出た心を零さず受け入れたかったから。そんな小波の行動は才の感情を深くモフモフに宥め(なだめ)ていく。才は深く息を吐いて、微かに触れるかどうかの感覚で、ふたりのトラガスに唇をそっと。
小波は自分の咄嗟の行動にやっと心が追い付く。
「出会えてよかった」そして「もう、もっと優しく抱きしめるしか道はない」のだと理解した。
アートがエロスと同じ化学式であることを、歌っているメロディーが証明する。何者かが味方となった。悲しみや罪の意識を超えた果てに行き着いた笑いの中で、小波は才となんでもないメロディーを口ずさめれば天国なのだと思えた。
「バンドに入るとかそれはどうでもよいとして、僕がいることが、君をうれしく出来るのならアルバムづくりに参加するよ」
昔話はもう用済みであった。小波の演奏によってふたりは、やさしさに、疲れた心も素直に寄り添える気分と成れたから。
「ただ、人の為とか、いい曲だとか、メッセージだとかその辺はまだ心許せないから、助けておくれ」
小波は無言で肩に手を掛け胸に顔を寄せた。
「イテッ」
才は少しこわばってみせたが、嫌がっていない事は小波にもすぐに理解出来た。彼女の鼓動のリズムに才は気持ちよさそうにメロディーをハミングする。小波は鳥肌がたった。
「これが天才の感触、色、曲がり方、歪み方なのね」
だが、抱きしめるとあっけない身体だ。
「天才ってこんなに心もたないものかしら」
いとも容易く小波の胸に収まってしまった。
「でも、きっと空に、放った途端、大きく、大きく、余りに自然に世界を受け入れ、世界のメロディーになってしまい全てになってしまう。
光だ。
否、暗黒の闇かもしれない。
天才とはいったが、よく解らない。
ただ、明らかに違う、差。
大きな差なのね」
小波も感覚では分かった。そして世界に叫びたくなる。才は嫌がるだろうけど。平等を口にする近代社会における言葉としての人間らしさを都合よく使っているだけの奴らへ、
「正しい自然の正解がこの男の子にはある」
そう叫びたかった。そんな差なのだ。
差。
差との調和。ふたりの握られた掌に隠れて生まれた。
小波の瞳から、悲しさなのかうれしさなのかも解らない涙がすっと流れ落ちた。恋とはどういう物なのかは分からないが、いきなり極限の花弁が手の上でちいさく回って舞い降り、悶えている何かに変幻していく胸苦しさが存在していた。
今ここで。掌の上に。
才は冴えた夢の中で、小波に話しかける。
「嫌われているのに、口ずさまれてしまう、ヒットしない名曲をつくりたいよ
一緒に・・・・」
それがいいねと、小波が嘘の無い幸せで微笑み返す。
「このリズムがある限り
こんな夢が見られるのなら。
狂ったようにこぼれる、隠していた満面の笑顔でわたしは君を抱きしめる」
この世界を変える出会いとなった奇跡のあの日、もし、ちょっとタイミングが違っていれば今日は無かった。
小波とミナ、アキラの待ち合わせに至るまでのそれぞれの選択からのキャバクラ「ヘヴンズ・ドールズ」着迄の偶然。小波は過去のことながら心臓がドキドキとしてきてしまう。
「神様って、マジでいるな。ごめん。
これからは信じます」
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