第35話

文字数 2,366文字

 金田マネージャーが小波に指示された場所に車を止めようとすると、スモークガラスの施された黒いワンボックス車が止まっていた。その外にはいかにもヤクザ者の男が通過する車一台一台を鋭い目つきで追って車内を確認している。
状況を察した金田マネージャーはパニック気味になってブレーキを強く踏み過ぎて小波はシートからずり落ちた。
「危ないよ。小波ちゃん大丈夫? 」
上ずった声で金田はまくしたてる。
「僕たち拉致られて、そして売られてしまうのではありませんかね。お嬢様、なにとぞ何卒そこはお上手にご説明をしていただきたく、どうかひとつ」

優月は小波を抱えてシートに戻しながら
「ごめんなさいね。もう、金田さん落ち着いてよ。私たち何も悪いことしていませんからね。小波さんの頼みを聞いてお手伝いしているんじゃありませんか。それになんで、男の金田さんが売られるのよ」
「いやいやいや、オレ健康だから内臓を売られてしまう」
「そうだね」
小波が面白そうに答えて、優月も続いた。
「そうなんだ、どうしましょう」
少し打ち解けた二人は目配せしている。
「あ、ほら、冗談じゃないんだから、ヤクザが殺しに来た」
派手なブレーキ音に力人は一瞬にして殺気だち、スゴスゴとこちらへ向かってくる。金田の震えは止まなかった。

「あ、力のん! 」
そう言うと直ぐに、小波は外へ飛び出していった。
力人は小波を確認すると殺気を鞘に納めてスッとお辞儀をする。それと同時にワンボックスのスライドドアが横に開き滝沢が現れた。彼も小波に向かってお辞儀をすると車内へ導いた。小波はそのまま勢いよく飛び込んでいく。

「何をした!」
ぐったりし、いくらか頬にかすり傷がある才を抱きかかえて振り向きざま、向い側に座っている父親の勇也を小波は怒鳴りつけるのであった。
勇也は、初めて見せる娘の女の気配に対して想定外な動揺に揺れる。だが、すぐに抑えて穏やかな口調で語ることは出来た。
「小波さんはその子と音楽をやりたいんだろ? 」
ハウリング・フラワーズの曲が車内に流れているのに気付いた。
「なんで?」
「何でも知ってるんだ、なあ滝沢! 」
滝沢は軽く頭を下げる。

小波はずっと勇也を睨みつけたままであった。
「怒られる筋合いはないぞ、もうそいつは、音楽をやることになったから。決まったんだ」
「えええ? 」
小波の表情はいくらか和らいで、ゆっくり才の肩を抱き上げて恐る恐るのぞき込み、優しく顔にふれて確かめながら聞いた。
「どういうこと?」
「男はいろいろ大変なんだよ、まあ、いいじゃねーか」
勇也に目配された力人は、優月たちの車の方に向かって歩いて行く。

金田は怯えたままの状態から抜け出せずに殺されると思いながらハンドルを握って固まっていた。力人はウインドウを下げるように合図している。
「にいさん、車をもっと近くに動かして、ちょっと手伝ってくれ」
本当に殺されると確信し、優月を逃がさねばと思った瞬間、優月は既に外に出ていってしまった。

力人は目の前に現れた有名人に、言葉も丁寧になった。
「あ、・・・・こちらへどうぞ」
中を見た優月はすぐに、金田に車を早く動かすように激しい手ぶりで合図した。
「この子は大丈夫なんですか」
震えながらも強く向かってくる優月の顔を見た勇也は
「見た事のある顔だな」
そっけなく言った。
「才のお姉さんよ」
小波への相槌はやけに優しくなってしまう。
「おう、そうなのか、これは、これは。大丈夫だ、心配なら病院に連れていけばいいよ。いい医者はいっぱい知っているから安心しな」

少し、困った顔をした優月を見て言った。
「こいつも、いろいろ、面倒抱えているみたいだが、出来る限りのことはこっちで始末付けるから心配しないでいいですよ。あと、保護護観察官には、氏名不詳でうちの系列の病院で入院してたって事にしとくから」
「ズルズルと、脅すんでしょうか? 」
勇也は笑った。
「私は娘が可愛いからね、娘次第でどうなるかな? ハハハ」
大きな笑い声が車内に響くと小波は不機嫌になった。
「早く、ウチに連れて行ってよ」
才を抱えてゆっくり自分の方へ寄せる。
勇也は不機嫌に変わる。
「ふざけるな。殺すぞ。まだ早いわ」

滝沢と力人は、これまでも何度も小波の部屋で才が一夜を明かしていることを知られたら、自分たちが殺されるなと、自然に視線で結束を誓っていた。
「うっ」
と才は呻いて目を開けた。
「才! 」
小波と優月が目に入っても暫くは彷徨続けて、現実になかなか辿りつけないようであった。

力人がドアを閉めようとすると、才が腕を伸ばした為に閉められなくなった。ゆっくり、その手を中にしまい込もうとした力人の手を才は自らの意思で、今ある最大の力で握り離そうとしなかった。力人は一旦ぎゅっと握り返し、直ぐに才の指を開いて小波に預けた。扉が閉まると、才は小波の胸の中で嗚咽し始めた。

 優月は小波を邪魔しないように才の頭をなでていたが、昔あやした時に撫でてあげたみたいな、なだらかな丸い頭の形ではなく、あちこちに傷や、腫れの痕跡で、いびつになった表面から才の背負ってきた闇の魔物が襲い掛かって来る感覚がして苦しかった。指先で摩ることで才の過去の傷が癒されていくように祈る位しかできない。これまで、ずっと、家族として祈る事を忘れていたことを痛感した。

優月は自分のマンションに連れていくことを希望したが小波は強く反対した。金田マネージャーとしても優月の自宅に彼が同居してはいろいろやりにくくなるだろうと考え、事務所がよく利用するホテルの一室を確保した。
ホテルに着くと、金田は懇意にしているフロア・マネージャーにお願いをして、三人を残して豊田社長に事情を説明するため会社へ向かう。
打ち明けられた優月の決意をどう現実として受け入れればよいのか、それらに関わってくる諸事情の対策に時間は足りないと考えていた。
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