第39話

文字数 3,050文字

終章
  明日のこと

 『ロックバンド「ハウリング・フラワーズ」のファンと称する男、田淵力人(二十七歳・無職)連続傷害事件で逮捕。HOWLING FLOWERSの音楽に興奮して曲をうたいながら暴れてしまったと自供。証拠の音源も押収』

 大島刑事はこの事件を簡単な暴力事件として終わらせてもよいのか迷っていた。
被害者、目撃者共にもその筋の繋がりが多くて捜査が進まなかったが、当初は優月と言うアーティストの歌をうたっていたとか、目撃情報もチラホラ出てきていた筈であった。田淵力人が出頭してからは、それさえも消えてしまった。
ネットでいろいろ囁かれてはいたが、話が極端なものも多くなり、この事件がそもそもそれほどの事件ではないような印象で収着してしまった。大島刑事には、そんな若気の至りのような筋立てには思えなかった。
何より担当の弁護士の権藤が、なぜこんな事件に関わるのかが理解出来なかったのだ。やつは、新聞で世間を賑わす経済事件や闇とのつながりが噂される被告の弁護をすることが多かったのに。だが、平然と権藤は言った。
「大島さん、なんでも素直に取れなくなるのは、嫌な職業病ですよ。娘さんに嫌われてるでしょう。私らは、信じてあげるから始まりますからね。
彼は私の行きつけの飲み屋でボーイさんをしていましてね、いろいろ、娘と話をするのに大切な、音楽や、ファッションとか今時の情報を教えてもらって、お世話になったんです」
表情だけでしゃべっているようで心はどこまでも見えない。
「フラワーズなんたらとあんたは何か関係があるのか」
一瞬、目の深みが増した気がした。
「いち早く、彼が教えてくれた御蔭で娘にも鼻が高いんですよ」
 田淵が出てくると、刑事達の前で権藤は、「元気だったか、ちゃんと皆さんに挨拶をして」
そういかにも叱咤激励する保護者のような振る舞いであったが、玄関を出て迎えの車まで歩いていくふたりの背中から感じられる雰囲気は、まったく正反対に感じられて仕方がなかった。
今あの二人の表情を見れば真実が分かる、どうする?
そんな葛藤を部下が邪魔をした。
「どうしかしましたか。大島さん、今日は娘さんと食事に行かれるんでしょう? 」
「おい、お前はどう思う」
「田淵ですか。多分アイツは大島さんが言っていたように何もしてないんでしょうね。取り調べている側が言うのも変ですが、なんかアイツ、清々し過ぎて」
「そもそもそんな奴が、こんな軽微な事件に首を突っ込むか」
「ですよね。裏取ったとき、直系の上の奴だってのはすぐ分かりましたからね」
「まあな、うちの課長もなんか感じていたみたいだし。それもあって、適当なところで手を打ったという気もしないでもないからな。本当にプンプン匂うぜ」
「それだけヤバい政治的判断だってことじゃないですかねえ。警察もやくざも交じり合った。
ああ、やべえやべえ、もうほっときましょうよ、取り敢えず」
「おい、嶋よ。女子大生の女の子にちょっとしたプレゼントは何がいいかな」
「ゲ、ロリコンすか」
「違うわ、娘にだよ。先月誕生日プレゼント忘れていてな、遅れて渡したんだが、未だに会話の端々で時折無視すんだよ」
「最悪! 」
「そうなんだよ。そんなに怒ることないだろう」
「違います。お父さんとして最悪、詰んでます」
そこまで言われてしまっては大島も頭を掻き、舌打ちを分からぬように鳴らして戻るしか出来ないのであった。
 刑事たちが完全に見えなくなるのを待って、権藤がやっと話し始めた。
「お疲れ様でした、田淵さん」
「わざわざ、すみません」
「何を言われるんですか。会長もお待ちですのでお送りします」
車に乗り込むと、力人は先ず尋ねた。
「ハウリング・フラワーズはどうですか。何とかなっていますか」
「田淵さんの尽力は無駄になっていませんよ。優月は引退を表明してハウリング・フラワーズに武道館を譲る形で上手くすり抜ける事も。最小限のリスクで済みました」

スキャンダルになりそうな事を、少しずつ角度を変え丸めて治めることに関しては専門である。
彼は、この数日の間に、才という少年に接し、そして、作品だけでなくそれらにつながる記録を目にするほどに、なんとかしたい、という漠然とした使命感が湧き、不思議な熱狂を内に感じていた。
これから、才に関しての黒い過去とでも言われるであろうことが、出てくるようになった場合のことも気にならない訳ではなかった。
「これから、いろいろ大変かもな」
「その辺も含めて、私がやるべき分野はかなり在りますので、任せてください」
「よろしく、頼みます」
「はい。でも、才という彼ですが」
力人は其の名前を耳にしただけで少し、顔の表情筋がほぐれるのが自分でも感じられる。
「田淵さんが自ら望んでこの役を受け容れたと聞いて、疑問も有りましたが会って解りました」
力人は親しげな友人に話すように答えた。
「でしょ」
「なんて、言えばいいのでしょうか。理由も無く人に変な夢を見せてしまうような独特な空気を香らせる感じ。直接会って、声のやり取りをして初めて彼の正義も腑に落ちるというか。面白い存在感の子でした」
「あの年で、いろいろ見てきたんだよね。
もっと言うと、いっぱい愛して裏切られて悔しくて憎んで俗な感情をいっぱい浴びて、才能だけ握って裸ではい上がってきた。
やつ自身は望まないにしても・・・・。
まあでも、その才能はずっと前、生まれる前から持っていて、持ち越したもんだから、前の持ち主の体の匂いが、今の奴の肉の遺伝子には気にいられず拒絶反応をおこして、そいつを治めるには過剰、あらゆる過剰の分泌物が必要になる。
天才はそういうものなのかも。でも、それだけでは死んでしまうしか、肉体も体面を保てないんだ。でも静かな愛を受け入れ、その愛に死ぬ事が出来れば、明日が引き受けてくれるさ」
ふーと息を吐いて続ける。
「そういうことが、奴の手紙に書いてあった。覚えちまったよ。馬鹿な俺には正直全部は理解してはいないけどね、アハハハハハ」
優しく穏やかに更に話を続けた。
「彼には、もう何も隠す気も無いし、失う物は何もないから強いよ。人間を脱ぎ捨てて魂そのまんま。でも、今のところ、まだ表には出せないがね。まあ、権藤さんはゆえに大変ですけどね。正直なところ隠されたものは、何れ、誰かに暴かれるかもしれないしね」
「まあ、その時の為に私もいますから。本当に彼が天才ならば彼の伝記に登場できると思うと、少しは息子や孫にも自慢できるんじゃないでしょうか。映画とかになったら、役者に演じられてしまうんですかね」
「いいですね」
「否、嫌ですね。気持ち悪い」
「フっ、どの分野でもスゴイ人ってどこかが、変ですものね」
「心外ですね」
苦笑いをしながら権藤は話を続けた。
「小波お嬢様が会食の後、滝沢社長と一緒にヘブンズ・ドールズに連れて来てくれと。お二方の為にLIVEをするそうですよ」
「それは楽しみだな」
力人は軽く手をあげて頷いた。
「ただ、会長にはばれないように来て、だそうです」
「殺されろって、言うんですかい」
「会長は見ぬふりをしています」
「解ってますよ、アハハハハハ」
彼は嬉しそうに、流れる夜景に浮かび上がっている「HOWLING FLOWERS」の看板を見つめる。

「CDを持っている人はいなくても、
みんなが、何気ない時にふっと口ずさんでもらえる
そんな存在していない
存在になれればいいな
うふふっ」

そう話す才の横顔を思い出した。


                                        終
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み