第21話

文字数 2,743文字

 自宅に戻った優月は、マネージャーに手に入れてもらった「HOWLING FLOWERS」の資料をテーブルに置いた。しかし直ぐに見る勇気が出なかった。一旦、いつもなら面倒に思う入浴を進んで選択することにした。シャワーで簡単に済まさず、ゆっくりお湯に浸かり、体や心の澱を汗と一緒に出し切ってしまいたかった。現実を迎い入れるには動揺したままでは持ち堪えられない。不安は既に逃げられぬ現実にフェーズも変わっていた。
「ここまで来たら、目と耳で物理的な証拠を吟味して逃げずに生きていこう。それが、弟に許してもらえないにしても希望になればいいじゃないか。確かめたい。伝わっているのか。許してくれるのか」
髪の毛を乾かし、スキンケアを行いリビングルームに入ったが、チラッとテーブルを見たが直ぐに、足を止めキッチンへ向かいコーヒーを入れ始めた。
実家から持ってきたマグカップをファイルの横に置き、いよいよ決心を固めた優月はファイルの表紙を開いた。

「HOWLING FLOWERS G/Vo:conami B:mina Dr:akira G: Si
every,YES 作詞 作曲 HOWLING FLOWERS 」

 幼稚園のころから弟は花が好きだった。なんで好きなのと聞いたら、
「髪の毛に挿したユウをみんながかわいいって言ってくれるでしょ」
才は本当にそう思っていたと思う。
ある時いつものように花を持ってきたことがあった。なんて可愛い弟と抱きしめて、黄色の鮮やかな大きな向日葵を髪に飾った。
最高に幸せな思いに浸っていた矢先、花弁からはい出した蜂が攻撃を始めた。私がパニックに陥り、半狂乱で必死に払っていると、才は嬉しそうにしていた。傍から見える優月の姿が、うれしくて踊っているようにも見えたようだ。
優月はその後、才を無視した。
才は良かれと思ったのに、そうならなかったことにショックを受けた。それから、彼は二度とユウが酷い思いをしないように花の絵を描き持って行った。「これは安全な綺麗なお花だよ」と。だが、その絵を優月は受け入れられなかった。弟に投げ返し部屋に散らばったこともあった。そのような時に、その絵が画家の端くれでもある父の目に留まり褒められるようになった。
才が好んで描いたのは、顔を花にしたものが多かった。色にも表情を刻むようなタッチが、二次元を混乱させる世界を与えた。
それまで、父は優月の美少女ぶりを可愛がっていたのに、才に対しての興味がより強くなったことは傍目からも明らかであった。父は内なる力を評価するタイプの人間であった。可愛い見てくれだけの優月よりも、天才を秘めていると思える弟に愛情が向いたのだろう。
直行自身には才能がなかったが、他の才能を見抜く面ではずば抜けた審美眼を持っていた。よく、才能を見抜く天才と自ら自虐的に言い放ってもいた。
初めは香も一緒に笑い、才に僅かながらの期待を寄せていたが、日々繰り返す情けない現実をそんなギリギリのユーモアで踏みこらえている夫を妻として愚痴も言いたくなるだろう。
「こんなに、貧しくみじめな暮らしをいつまでさせるつもりなのよ。いいかげん、夢をみないでまじめにして下さい」そう、月末になるとよく迫った。
そんな日常を敏感に察した才は両親の為に笑ってもらおうと、顔が花となっているサーカス団の情景の絵を描いたら地元の絵画コンクールで賞を取った。
だが翌日、直行は自ら命を絶つ。
その手には、「花のサーカス」と題されていたその絵の記事が載った配達されたばかりの新聞の朝刊が握られていた。それぞれの花の顔は歌っているように見えるものから、呻いているようなもの、その紙に存在する世界において華やかな音階を奏でていた。
未亡人となった母はその後すぐに、社会において成功した中元の誘いにのって同居を始めたことも、多少社会のことも理解出来るようになった娘には痛いほど理解出来た。ようやくまともな家族になると子供心に考えていた。
なぜなら、新しく父と成る人は才の特質を評価などしないし、父や弟なんかを気持ち悪いと思うまともな市民であったので、これまで理解されなかった鬱屈を取り除いてくれる正しき大人に見えた。優月は養父を味方につけることは、才の無力を改めて確信し世間に、幼き葛藤の清算を頼んだようなものであった。
また中元は優月の見栄えに魅かれて愛情を注いでくれるであろうことも察していた。
「そのことが、今の苦しみの要因でもあったのだけれど・・・・」
コーヒーを一口飲む。
「熱っ。
ふー、
【HOWLING FLOWERS】か」
溜息のように口走った。
パソコンに音源の入ったマイクロディスクを差し込む。
「駄目だ。コーヒーじゃあ」
急に立ち上がり、キッチンに向かい、アルコール9%のラリアット酎ハイを冷蔵庫から持ってくると、歩きながらグイッとコーラのように喉に流し込む。そして、思い出したように、実家より持ってきた才の残していったノートや手紙、メモなどを全てかき集めて持ってきて、乱暴にファイルの横に置いた。

やっと「every,YES」を再生出来た。

タイトルは前向きで、「元気を出せよ」的な応援&メッセージソングにしか考えられないが、よく聞くとそんな軟さはない。
生きる事を無意味にしない為に戦うからこそ真実を自ら疑い、混乱した感情に絡む絆を取り戻す為に、自らを迷子にして、明かりを辿ってそちらへ進化する悪意の籠った悪夢の情欲の歌。母と弟を失くして、取り戻せなくなった事に全てが溶けて、自分がどれもこれも放棄した時に聞いた才の治療実験の猿声が蘇った。
CDを止めて、スマホのsaiのフォルダを開き再生する。
これらの曲はところどころ、不自然なハミングに変わったり、アーアーなど歌詞としてブランクがあった。これらは一発録音であり、思いつきの為完成されていなかったようにも思えたが違う。
既に、完成してあったが、敢えて、意図的に抜いていたのかもしれないと理解出来た。
優月はそのブランクに歌詞をはめ込んだ「スロウスマイル」で再起したが、本物の姿を前にすると、優月版は生物学的な方程式があまりに都合よく改ざんされたような代物でしかない。
合法な円のなかで切り取られた日常の絵空事と違法な目で切り取った、事実的根拠。
優月は弟を見失っていながら、姉という事実だけで弟の正義を取り戻す為に改めて歌い始めた気になっていたのに、
「何も変わっていない・・・・」
だが優月は不可解に思う。
本当に才ならば表現を第三者と共有することを拒絶するに違いない。ましてや他人となんて。血の繋がりよりも強い信頼出来る人間に出会ったとでもいうのか。
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