第4話

文字数 3,354文字

第一章  
 クロスオーバー 1

 ゲートをくぐれば直ぐに下衆どもの視線を浴びる街。通りの向こうのファッションブランドショップ街とは別の欲望を売る場所。
そんな情欲を売り買いする客引きやスカウトの視線が、ギターケースを抱え、制服の上にレザー・ショットを羽織って人ごみをサッと抜けていく三人の少女たちに向く。この通りでは見慣れないスカウトマンが駆け寄ってきて、先頭を行く肩にかかる程度のピンクアッシュ・ヘアを風になびかせる少女に声を掛けた。
「ちょっと、いいかな。君たちのそれはコスプレなの? 」
「現役っス」
桜木小波が振り向きながら答えた時は既に、そのスカウトは何処かへ連れ去られ、彼女の瞳には映ることはなかった。
「制服であんまり、うろうろするところじゃないよね」
「ホームタウンだから安全じゃっ、フフ」
「それはコナがいるからだよ、絶対おいてかないでよ」
ミナは小波の服を握りながら、スカウトの腕を締め上げて連れて行った男の導線を目で追った。背も高く、バンドの中で一番ワイルドなイメージを持つくせにびくつく姿をアキラはいじる。
「それはそれで、楽しいじゃない。陰で見ててやる。性癖だわ」
丸顔で童顔のカワイ子ちゃんにも見えるが小波とは違う理詰めの乱暴さがあるこのドラマ―とベースのミナを小波は左側の口角を上げ、嬉しそうに見やる。
「最高のリズム隊だけど、日常でもなんでそんなふざけたふたりなん? 」
今日も三人は常連のキャッチの男たちの飼い犬の笑いを浮かべた挨拶をやり過ごし、胡散臭い見本市でしかない雑居ビルへ入って行く。
彼女たちは営業開始前の「キャバクラ ヘヴンズ・ドールズ」をスタジオ代わりにして練習をするのであった。
「今日はいつもより、お早いですね」
店長から先に挨拶をされても小波はそっけなく無言で軽く首を動かすくらい。そんな態度のリーダーの為にミナはいつものように自らの役割を果す。
「お疲れ様です。今日はオーデションの決勝大会があるんですよ」
店長の柏木もどこかほっとした表情を浮かべた。
「決勝ですか、それは凄いな。絶対、優勝ですよ」
この十年は音楽に金を使った事のない男が心無い合いの手を返した。
「他の二人はあんなですけど私は緊張して、足の感覚が笑ってるような感じになって。トイレにずっと入っていたいほどヤバイですよ。あと、今日ゲストで優月っていうミュージシャンが来るんです」
柏木は少し話に入れそうに思えた。
「あ、知ってます。去年? 否、その前? とにかくいつかのブレイクアーティストだとネットニュースで見ましたよ。いいな、見たいな」
「私たち、優月のファンなんで、楽しみだったんですけど、いざ当日となるとそれどころじゃないというか」
小波は突然に、ギターを乱暴に弾き、軋むノイズで会話を塗りつぶし、マイクの前に立ち睨み付けていた。
「なあ、お互いやるべきことがあるだろーよ」
柏木は直ぐに、カウンターの奥へ予定なき仕事を探しに消えた。
アキラはリズムを刻み始め、ミナはバタつき溺れたような姿態でベースギターを肩に掛けると、リズムに追いつこうと慌てた。
小波が『every,YES』そう伝えると、アキラはカウントを叫び演奏を始めた。
本域のリハーサルは悪くなかった。しかし小波はどこかはっきりしない感じを醸し出していた。
「どうした?」
アキラは違和感を覚えて小波に尋ねた。
「なんか、ちょっと迷ってる」
ミナも続いた。
「え、なんで、この曲はこのバンドのスタートであり、本物の生きものを手にしたんだって、小波がそう言ったやん。
あの子がやらないから?
あっ」
ミナは自らの失言にビクっとした。小波の左耳にあるターコイズのトラガスに視線を向け、余計な事を言ったことを心底悔やんだ。
「蹴られる。否、殺されたオワタ」
覚悟して身を固くして待つしかなかったが、何故か何ごとも起きない。
「彼もこんなに楽しかったのは初めてと言っていたけど、世に出す事に自分は関わるのは嫌だって感じ。でも一緒に演奏しないと意味がないような気もする」
「でも、そのトラガス・・・・」
再び余計なことを言いかけて止めた。
小波は一瞬睨んだが、気持ちを直ぐに静めてミナにウインクする。
「一曲増えたんよ」
新しく「うた」が誕生した証のピアスに触れながら答えた。アキラが挑発するかのようにミナに向かってウインクをした。
小波はピアスの施術はアキラに頼んだのだった。小波の最初のピアスを開けたミナは嫉妬した。大切な証の共犯者には選んでもらえなかったから。
「コナの浮気者、なんんだよ・・・・」
「何ぶつぶつ言っとるんか」
アキラは舌を出してからかう。
小波は二人のやり取りを気にも留めないで、表現に対する尺度と覚悟に向き合っていた。
「本物で出たいのに。この三人であの感じが再現出来るのかな?」
一見、受け手を拒まない平和なポップさを纏いつつ、中身は身体に選ばれるアルコールでもなく、入り口はだれでもウエルカムながら中毒性も弱くないカラフルに化けるドラックの世界。それが生まれなければ、シンプルなメロディーゆえに、聞き易すい優月の曲と同じになってしまう。
彼が加われば間違いなく、バランスが悪いように見えながらも揺るぎない野生の道化が踊る神曲に成ると小波は信じている。
「そう、彼のギターや、そこにいる、空気感がなければ未完成なのだ」
ここで、小波は我に返った。
「色恋じゃないからな。
さあ、行くよ」
そう言ってミナの尻を蹴った。
ミナは恋バナのようにとらえて更にニヤ付きながら、痛みを消そうと蹴られた尻をせわしなく揉んだ。
アキラはスティックをポケットに差し込んで、小波の後を追いかけていく。
ミナもベースギターを肩にかけ、大きめのバッグに化粧道具やら小物をガチャガチャ鳴らして走りながら尋ねる。
「ねえ、ごめん。どういうこと?
それで、『every,YES』はやるってことでよいの? ねえねえ」
 ミナはそのままにしていれば、正にロック顔で一番クールに思われがちであるが、一番の世話焼きなタイプ。童顔のアキラの男前さと交換すべきだなと、よく小波にからかわれていた。根っからのSであるアキラはハードな顔の女が虐待される姿態をLIVEで嗜むのが堪らないのであった。
それでも、ファンの前では、ミナのイメージをそこなうようなことはしなかった。その辺をわきまえていてくれるところに、ミナはアキラの心はまだ腐っていないと、謎の母性をもって許していた。
 電車内でも静かにふたりの親交は繰り広げられた。いつもはクールながらも嬉しそうにそんな二人を見守る小波が今日は違った。車内吊りの広告をじっと見つめている。
『優月、突然のブレイクからカリスマへ! 
作られた自分を捨てて共感度急上昇。
20年代を切り裂く』
小波は優月が微妙な人気の頃の方が好きであった。去年シングルとして出された、「スロウ・スマイル」は衝撃を受け、こいつは本物だと、メンバーに力説したこともあったが、今は何か素直に受け入れられない気分であった。
電車を降り改札を出ると、スクランブル交差点を囲むビルには優月の新曲の看板広告やプロモーションビデオをループする大型ディスプレイに目を奪われた。優月の人気を改めて再認識していると直ぐに決戦の地に着いた。
会場では『SAD,YES』と題された新曲のポスターが張り出されていた。
「わー、すごい。発売前に優月の新曲CD会場で売るんだ。
なんか真似てない? うちらのこと」
ミナはそう言い残し、興奮して物販の場所を覗きに行ってしまった。
『every,YES』は才が付けたタイトルだ。その時の声も目の前に蘇る。ヘブンリー・ドールズというバンド名を『HOULING FLOWERS』に代えたのもその日であった。
小波はポスターに記載された収録予定曲リスト名をしばらく睨みつけていた。
「『スロウ・スマイル』『SAD,YES』『HOULING FLOWERS』だって? 殺・・・・」
「うん? どうした」
動かなくなった小波をアキラが心配して腕を回した。
「あ、悪い。行こうか」
アキラは歩き出そうとした小波の体をギュっと抱きしめながら頬にキスをした。
「あ、止めろってぇ」
そう言って照れた小波がアキラには堪らなかった。更に強くハグしてミナが騒ぎだしてもしばらくの間、離さなかった。
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