第19話

文字数 2,407文字


野良犬のうた 3

その時の少年。鬼無才からすると、取り敢えずは介抱されながらこの状況を受け止め、分断されし記憶を整理するしかなかった。
「殴られ跳ねる痛み。浮遊する時間にまみれてごみのように捨てられた事実。自ら拾い上げ、これこそギリギリの尊厳として許される美学の果てよ。壊れた次元で均衡を維持する旋律に僕は溶けたか」
半殺しにされた時の気持ちは鮮明だ。
「あの二人の大人は好きかもしれない」
才は自分が美の絵具となって好きなように塗りたくられ、はたまた、色目を拒絶され、未開封のまま棄てられたい欲求を編み込むエロティック。不意に思い出してムズムズする感触に帰還する。
そして、今いる場所があの大人たちと関係がある店であることが、素直に嬉しかった。
この状況を作ってくれたピンク髪の少女にも感謝と好意を持った。体を休める場所が用意されていることの有り難みは重く感じる。屋根のあるところで落ち着く難しさを才はこれまでの生活で思い知っていたから。
彼は東京へやって来てからは日雇いの仕事を暫くやっていたが、時折巡回に来る警官の目を気にして、なかなか落ち着く事が出来なかった。
そのような日々を過ごしていたある日、繁華街で騙された客に逆襲を受け襲われている客引きのおじさんを助け、その後はいろいろ面倒を見てもらうようになった。タケオジと呼ばれている四十代の男であった。
居候までさせてもらい手伝いをするようになったが、ほどなくしてキャバクラ店の女の子、モモに誘われるままに彼女の部屋に住むようになる。
店長は才が転がり込んだことを知ると、腕の有る才には何も言わないで弱いタケオジに八つ当たりして厳しくドヤした。これらの一件が噂となり、夜のお姉さん達の用心棒を生業とするまでに至ってしまう。そのうち、あの時の恍惚。暴力による生のギリギリの興奮を嗜むあの時の怪物が降臨したのだった。
才は介抱されているまどろみの中、運よく零れ落ちて拾われたことは、まさに新しい終わりにはうってつけに思えた。特に才は天使である少女の名前が「小波」であることを嬉しく感じた。音階と在り様がこの女の子の特質を表し完成させる上で必要としているようなのだ。
あと耳の形が好きだった。
意識を取り戻した時、目の前にはピンクの髪が風の流れを見せ、お気に入りの耳の流線と、小さな羽クロスのピアスリングが心を整えてくれた。明日への祈りの大事な1ピースとなった。
ある日、寝ている才の意識にダイレクトな光りが射す。生活音でも話し声でもない旋律が聞こえた。
「スロウスマイル? 僕のだ」
我に返って、ジーンズの尻のポケットを慌てて探るも大事なメモ帳が無かった。

『生まれた僕はすぐに振り返った
明日に通じる今来た道を
でも、泣かなかった
このままゼロになるために

今日を棄て空へ落ちようぜ
君の中の悪い僕が
悪態を付いているように見えても
悲しまないで笑っておくれよ
いつかはやさしい明日が
君の骨に飾られますように

何もない僕が吊るされたら
見ぬふりしてもいいよ
だけど、君のタイミングで
遅れてもいい
ゆっくりでいいから
欲しいよ
スロウスマイル

生まれた僕はすぐに振り返った
明日に通じる今来た道を
でも、泣かなかった
このままゼロになるために

明日を疑って道で踊ろうぜ
君に咲く黒い花が
死にかけのたるんだ肉に咲いても
目をそらさないで笑っておくれよ
いつかはつらい今日が
君の歌に食い千切られますように

何もない僕が吊るされたら
見ぬふりしてもいいよ
だけど、君のタイミングで
遅れてもいい
ゆっくりでいいから
欲しいよ
スロウスマイル 』

彼女らの演奏はあまりにも生身の鬼無才にフィットしていた。
姉のモノと違って、好みだった。
悪い人間の音の破片どもがあるべき姿の旋律となって帰還した。がっちり己の擬態を抱きしめるのは当然なのだが、そんなに容易く生み出せるのが信じられない。
「ピンクの子・・・・」
壁にもたれながらも真剣な面持ちで見ている才に気付くと、小波は演奏を止め、抑えきれない衝動そのままにトットットットと走り寄って行った。
「ねえ、あんた。優月のスロウスマイルよりこの方が好きなんだけど」
そう言って、才の反応をしばらく待っていたが、待ち切れずに続けた
「合ってる? 君が夢で歌っていたバージョン。優月の曲好きなの?」
小波の感性への共鳴を感じ、慄きに指先だけでなくあらゆる肉は震え、立っていられなくなってよろめいた。
「あっ」
才の声に無防備にされたせいか、小波は乙女チックな声を洩らした。
そのような反応に自ら解せぬ小波は、乱暴に言った。
「ねえ。あんた、弾いて」
ギターをグイっと差し出す。なぜか、弾けると思ったのだ。アキラとミナに合図を送った。
ドラムとベースのリズムが立ち上がり小波が歌う。当たり前のように才もギターを弾いていた。
演奏が終わり、全てが始まったことを『ヘブンリー・ドールズ』のメンバーそれぞれが悟っていた。
才は何も感じないのではなく「無」を浴びる中で、少女たちのプレイにのまれて涙がスッと流れた。
「もしよかったら、もう一曲だけ一緒にやりたいんだけど」
「いいよ、優月の曲?」
「さあ、この先のことはわからないけど」
三人は意味を掴めない顔をしたが、余計なことは言わないままに、ただ「「どんな感じの曲?」と聞いてくれた。才はなんてことの無い気遣いに満面の笑みを浮かべた。
「『every,YES』って言うんだ。
一緒に引っ張り出して欲しいのだけれど。いいかな」
「楽しくなってきたな。コンテストに出せるくらいスゴイの出来たりして」
ミナは少し調子づいた自分に我に返り、蹴られるなと身構えたが、アキラも小波も珍しく同じような表情で満足げなニヤツキをしている。安心して少年に目をやると、魚の腐ったような鈍い瞳がグラっと光を吸い込み波打った様に見えた。少女の本能が畏怖して身震いを起こした。鬼無才が散らかっている記憶を整えて闇の過去に立ち戻るまさにその瞬間であったのだ。
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