15. エペソ
文字数 5,648文字
To the Church in Ephesus エペソに在る教会に向けて。
1 “To the angelof the church in Ephesus write:
These are the words of him who holds the seven stars in his right hand
and walks among the seven golden lampstands.
‖エペソ教会、その守護天使 に向けて、書 けよ…
ここに記 せしは、その右の手に、七つの星 を握 られたる方、
また、七本 の金 の燭台 の間 を、歩 まれてある方様よりの、お言葉 なる…。
2 I know your deeds, your hard work and your perseverance.
I know that you cannot tolerate wicked people,
that you have tested those who claim to be apostles but are not,
and have found them false.
我 、汝 が、此 れまでに行 ひ為 してきたるの、その功績 たるを知る。
汝 にて、果 たされたるの、数々 の、献身 、奉仕 、奮闘 の、ありけるを。
そして、汝 が、真 の試練 として訪れた、数多 の、侮辱 、屈辱 、辱 め
に対しても、耐 へに堪 へて忍 びにて、その勲 したるを、証明 したることも。
我 知 りたるは、汝 が、嘘偽 りに依 る事態 なるを、断 じて許 すことのできない
質 なりけること…。信徒 であると宣 ひしながらも、その実 、内 においては、
まったく、そのようなものでは非 ざるものたち…。汝 は、其 のことを見破 り、
そして彼等 を試 みるにおいて、まったくの偽物 なることを、暴 ひてみせたる。
3 You have persevered and have endured hardships for my name,
and have not grown weary.
汝 は、私 への、信仰 において、その身 に起 こりし困難 にもよく耐 へ、
辛苦 、欠乏 、恥辱 に忍耐 するを、真実 、果 たしきたれり。そして、
その修練 たるにも、飽 きること、倦 むこと、疲 れ果 てることも、
一切なかりける…。
4 Yet I hold this against you:
You have forsaken the love you had at first.
然 れども、我 は、汝 に対 し、糾弾 せずに、おれぬことあり!
汝 は、忘 れてしまっている。当初 にては、持っていたはずの、あの愛 を。
今 にある汝 とは、それからは遠 く離 れ、隔 たったものにしかあらじ。
5 Consider how far you have fallen!
Repent and do the things you did at first.
If you do not repent, I will come to you and remove your lampstand from its place.
汝 が、何故 に、これほどまでに堕落 したるのかを、其 の訳 たるを、省 みよ!
因 となりたるを後悔 し、最初の頃の様に、行 ひ為 せるよう、その態度 たるものを、
改 ためよ。もし汝 が、今の状態 に後悔 たるを、失望 たるを覚 へず、未だ、些事 にて
汲々 として勤 めんとすらば、我 は、汝の元 に赴 きて、汝が有 するその燭台 を、
今 ある場所 より取 り去 りて、他 へと、移 さん…。
6 But you have this in your favor:
You hate the practices of the Nicolaitans, which I also hate.
ただ、然 しながらも、汝 が、為 したるにおいて、評価すべきことが一点ある。
汝 は、異端 たるニコライ派が行う、儀礼 たるものを憎む。
我 もまた、之 を、憎んでいる。
7 Whoever has ears, let them hear what the Spirit says to the churches.
To the one who is victorious, I will give the right to eat from the tree of life,
which is in the paradise of God.
聞く耳のあらば、聖霊 が、諸教会 に向けて、伝 へて述 べる、その言葉 を聞 くがよい。
勇 ましく戦 い、勝利 したるものには、我は、命 の樹 より、とって食べる権利 を与 へん。
それは、神 の楽園 にて、生 へる。
〈つづく…〉
初稿。
これまだ駄目。
でも、もうどうでもいいや〜…
「 ゴースン・サンダー !!!」
パッカ〜〜ンンン…
「 ギャー!」
さてっと、今回のにおいては、いきなり解説をば、ブチかますぅぅぅ〜(モモちゃん)。
守護天使は、それぞれの地区における管区長たる方々。信徒のリーダー。神父さん達。もしくは、ある人格タイプにおける代表的な誰か。まあ言っちまえば、それはただのヒトだ。もしかしたら、あなた個人に向けての、話しなにかもしれない。そう。そう思って読むのが正解。七つの側面からあなたは打たれるのだ…。
実は、この辺までは、ヨハネの自己批判としての夢であると踏むことも可能なのだ。もしくは彼が見知ったるの誰か。その誰かがヨハネの念頭にあっての、その上での夢。その彼に対してのヨハネの密かなる批判もしくは糾弾の噴出が表象をもってなされていただけなのかもしれない。なので、初っ端の、ここでのイエズスは、単なる幻、権威たるものの投影でしかない可能性もあるにはある…。
ここは、ある人格のタイプが前提にされてる。
彼は、自己が心棒する価値、ここでは信仰において熱心にして真面目だ。
そして当然な話として意志も強く固く、根性も忍耐力もある。
実際に彼は、迫害においての苦しい局面を幾つも潜ってきてる。
だから、それによっての自負心たるもの、プライドもさぞあることだろうね…。
だから出だしにおいては、イエズスからの称賛から始まっている。
それはそうなんだ…間違いない。だけど…これは…。
このタイプにおいては、問題視されれるべき傾向性が一つ、際立ってでてきてしまう。
*(すべてのタイプそれぞれに、それはある...。)
彼が属するキリスト教としてのグループは、教えとしての理念の共有において成り立っている。その特徴の最たるものは、愛を中立ちとしての誠実さ。嘘偽りのなきこと。既に独善的なるの、それ故に際立っての、”罠”たるものの匂いが…。
彼は、その同じ価値観/理念に生きる他人の所作に関しては神経質にして、こと更に厳しいんだ。厳格にいつも測っていて、厳密に評価してしている。内心において。しかし…それは、至極素朴であくまでも単純な、彼個人の判断基準に基づいてのものでしかないな…。正直言って薄っぺらい。紋切り型。あくまでも彼個人においての独善でしかない。
おそらくは統合においては、未だ、未熟なまんまなんだろな。つまりは赤ちゃん。そして、へんな方向にスライドしてしまって、そこで凝り固まっちゃってる。頽落したタイプ8なんかが、なんとなくイメージとして浮かんできて、候補として上がってきちゃう。8は、反射神経の塊としての本能領域が主で、そこに良く鍛えられた頭脳が従としてサポートを果たしてきているタイプになる。彼は実社会においては間違いなく頭角を現す。ボスタイプ。自己の膨張が傾向性で、会社なんかだともうそれと一体化しちゃう。とにかく、自分のホームグラウンドを、どんどん広げて領土を拡大してゆくのが、彼にとっての当然としての自然。多分、これが彼においての真実の、信仰においてのもう一つの生き甲斐?。
自分の生きる信仰において基づくの価値の基準において、その彼としての内面世界において、他人の卑劣なること、虚偽たること、浅ましきなること、低俗なること、無知なることetc、こういったことには激情をもって反応してしまうのが彼の性。腹がめっぽう立っちゃう。そんで、警官として、刑事たるものの自覚において、果たされるべくを「我果たさん」となってしまう。その仮想でしかないその職務をだ!。その相手当事者たるを裁断することにおいては容赦なく、即座に即断をもって走りだす。そんで迅速に走り切る。ことにおいてのその実行力たるや、その巧拙踏まえたることには、ただ脱帽するばかりとなろう。徹底的にやっつけるを旨とするその行動力たるや、まさに刮目するばかりのものとなる。
誰も、そんな風には、行い得ない。
You have tested those who claim to be apostles but are not, and have found them false.
あなたは、「私は何々だ」と申告しながらも、実際はそうではない者らを、試みた。
そして、彼らが偽物であることを見つけた。
この一文に、皆さんは身近にあった事件の、某かを思い出すことができるのではないだろうか?。学歴詐称事件なんかがイメージしやすいのでは…?。もしくは政治家が賄賂を…。
銀行員が顧客の口座から勝手に…。清純アイドルとして売り出しながら、実はやり…。w
そこにあるのは、周りの人々においての恥部たる部分、黒歴史、失点失地たる内容、つまりは誰かのスキャンダルに関しての異常なるこだわり、関心、興味になる。その思いの背景には、間違いなく、ある種の独特なニュアンスにおける”怒り”、もしくはいっそ”憎しみ”たるものが存在してる。*もってまわった表現をしたのは、そこには、”業”としての嫌らしい感情の色合い/うねりがあればこそだ。性の色が、その怒りの起爆には混ざってる。
その事態に対しての、あなたがなされたるの、断罪に向けての執念たるや、空恐ろしいものが
あった。あなたは、なんて正義感に溢れたるの、それに優れたるの方であろうことか!。
もしかしたら、彼の周りの方々においては、それは為されて当然のことで、自分としては、彼の行いには胸のスク思いをしたとおっしゃる方も、いたはいたであろう。よくぞ言ってくれたと、やってくれたことかと。
だが、イエズスからの弁は、糾弾となっていた。
それは何故だ?。
血に飢えたるのままに、裁きたる行いへと、走ったとみなすことが可能だからだ。
何をそんなに、落ち着かぬままに、極端な行動へとあなたは走ってゆくのだろうか?…。
ことの結論としては:
自分が信じる価値、それへ奉仕が、そのまま自分の世界となり果ててしまっている。
それは、異物の混入を絶対に許さない狭量なるこころのあり様なのだ。
その彼の世界とは、かなりの潔癖症によっての、殺伐としたものともなりうる。
許容力がないので、実力行使で、その異物たる存在を、強制的に取り除こうとしてしまう。
ことの熟れの核心は、相手の存在を、生存たるを思ひやるこころ。
愛としての、その自然なる心情の保持と、それによっての自然なる発露のみ。
哀れみと悲しみを胸に、ただ見守って、そして、放っておけばいいだけの話し。
何一つとして、無理なことを、乱暴なことを、すべきではない。
彼等は、然るべくして、やがてには、間違いなく、自滅するのだから…。
追記:
この部分に関しては、いいトレーニングがあるんだ。
自分が心がけてきたものなんだが。
事務所の強力プッシュだけでテレビ出てる芸人いるじゃん。
全然面白くないのが。た〜くさん。
例えば、サバンナの○木とか、ゆり○○とか…w。
温かい目で、我動じずの構へにて、ただ視てるだけに留めるの。
反応して「しょーもなっ!」とか言ってはならない。←これは怒りだ。
彼等は愚かでバカだけれど、それなりに苦労して生きてはるんだから…。
私の嫁は昔からショージ兄やん嫌いです。
強烈にして非情なる「しょーもなっ!」を口に発します。
ぼくは好きです。いや、愛してる…。
最後に:
イエズスの教へを、行いを、曲解する、逸脱する、その教義に変更を加える、
これだけは絶対に、許されることではない。万死に値する。これは確実だ。
その強調としてニコライ派の部分はあるのだろう。
強力な釘刺しとしておかれている。
でも〜、これもー、ことは主にお任せしておけばいいー!。
しっかし、虎の威を借る狐の多いこと多いこと…。←バカちんがズバリそう。
自分も気をつっけよーっと。
バイ、なら。
燭台は灯火。希望としての。信頼に足りる存在への。
これがあるからこそ、我等は健全に生きられるのだ。
それも確かなる導きにおいて…。笑いも許されて…。
それが移されたならば、現在生活環境において恵まれている、
それはもう再び帰ってくることはない…。絶対に…
ことはすべて、我々の生活様式に沿って翻訳されてくる。それぞれに役割やら意義たるものが
あるものなのだから。日常の品々、もしくはありふれた言葉であってさえ、その背後に奥深い
意味を込めることが、引出してくるこができる…。それらのコードに基づいて翻訳作業を行っているのがマインドだ。これにおいては上手なのと下手なのがいるのは間違いない。伝言ゲームがいいモデル。プロの翻訳家と素人とでは自ずから出力において差が出てきてしまう…。
夢としてありながらも、その実態はまったく違う。異常なる覚醒感がそこにはあるのだから。紡がれてあるその夢にただ翻弄されて、完全に当事者として取り込まれてしまっている。されども自分とことの成り行きを外部からただ冷徹に見つめるだけの別の自分とがいる。これも上位の存在が、上位の次元からの介入が、助けがあったればここそ。通常の夢ではこうはいかない…。
1 “To the angelof the church in Ephesus write:
These are the words of him who holds the seven stars in his right hand
and walks among the seven golden lampstands.
‖エペソ教会、その
ここに
また、
2 I know your deeds, your hard work and your perseverance.
I know that you cannot tolerate wicked people,
that you have tested those who claim to be apostles but are not,
and have found them false.
そして、
に対しても、
まったく、そのようなものでは
そして
3 You have persevered and have endured hardships for my name,
and have not grown weary.
その
一切なかりける…。
4 Yet I hold this against you:
You have forsaken the love you had at first.
5 Consider how far you have fallen!
Repent and do the things you did at first.
If you do not repent, I will come to you and remove your lampstand from its place.
6 But you have this in your favor:
You hate the practices of the Nicolaitans, which I also hate.
ただ、
7 Whoever has ears, let them hear what the Spirit says to the churches.
To the one who is victorious, I will give the right to eat from the tree of life,
which is in the paradise of God.
聞く耳のあらば、
それは、
〈つづく…〉
初稿。
これまだ駄目。
でも、もうどうでもいいや〜…
「 ゴースン・サンダー !!!」
パッカ〜〜ンンン…
「 ギャー!」
さてっと、今回のにおいては、いきなり解説をば、ブチかますぅぅぅ〜(モモちゃん)。
守護天使は、それぞれの地区における管区長たる方々。信徒のリーダー。神父さん達。もしくは、ある人格タイプにおける代表的な誰か。まあ言っちまえば、それはただのヒトだ。もしかしたら、あなた個人に向けての、話しなにかもしれない。そう。そう思って読むのが正解。七つの側面からあなたは打たれるのだ…。
実は、この辺までは、ヨハネの自己批判としての夢であると踏むことも可能なのだ。もしくは彼が見知ったるの誰か。その誰かがヨハネの念頭にあっての、その上での夢。その彼に対してのヨハネの密かなる批判もしくは糾弾の噴出が表象をもってなされていただけなのかもしれない。なので、初っ端の、ここでのイエズスは、単なる幻、権威たるものの投影でしかない可能性もあるにはある…。
ここは、ある人格のタイプが前提にされてる。
彼は、自己が心棒する価値、ここでは信仰において熱心にして真面目だ。
そして当然な話として意志も強く固く、根性も忍耐力もある。
実際に彼は、迫害においての苦しい局面を幾つも潜ってきてる。
だから、それによっての自負心たるもの、プライドもさぞあることだろうね…。
だから出だしにおいては、イエズスからの称賛から始まっている。
それはそうなんだ…間違いない。だけど…これは…。
このタイプにおいては、問題視されれるべき傾向性が一つ、際立ってでてきてしまう。
*(すべてのタイプそれぞれに、それはある...。)
彼が属するキリスト教としてのグループは、教えとしての理念の共有において成り立っている。その特徴の最たるものは、愛を中立ちとしての誠実さ。嘘偽りのなきこと。既に独善的なるの、それ故に際立っての、”罠”たるものの匂いが…。
彼は、その同じ価値観/理念に生きる他人の所作に関しては神経質にして、こと更に厳しいんだ。厳格にいつも測っていて、厳密に評価してしている。内心において。しかし…それは、至極素朴であくまでも単純な、彼個人の判断基準に基づいてのものでしかないな…。正直言って薄っぺらい。紋切り型。あくまでも彼個人においての独善でしかない。
おそらくは統合においては、未だ、未熟なまんまなんだろな。つまりは赤ちゃん。そして、へんな方向にスライドしてしまって、そこで凝り固まっちゃってる。頽落したタイプ8なんかが、なんとなくイメージとして浮かんできて、候補として上がってきちゃう。8は、反射神経の塊としての本能領域が主で、そこに良く鍛えられた頭脳が従としてサポートを果たしてきているタイプになる。彼は実社会においては間違いなく頭角を現す。ボスタイプ。自己の膨張が傾向性で、会社なんかだともうそれと一体化しちゃう。とにかく、自分のホームグラウンドを、どんどん広げて領土を拡大してゆくのが、彼にとっての当然としての自然。多分、これが彼においての真実の、信仰においてのもう一つの生き甲斐?。
自分の生きる信仰において基づくの価値の基準において、その彼としての内面世界において、他人の卑劣なること、虚偽たること、浅ましきなること、低俗なること、無知なることetc、こういったことには激情をもって反応してしまうのが彼の性。腹がめっぽう立っちゃう。そんで、警官として、刑事たるものの自覚において、果たされるべくを「我果たさん」となってしまう。その仮想でしかないその職務をだ!。その相手当事者たるを裁断することにおいては容赦なく、即座に即断をもって走りだす。そんで迅速に走り切る。ことにおいてのその実行力たるや、その巧拙踏まえたることには、ただ脱帽するばかりとなろう。徹底的にやっつけるを旨とするその行動力たるや、まさに刮目するばかりのものとなる。
誰も、そんな風には、行い得ない。
You have tested those who claim to be apostles but are not, and have found them false.
あなたは、「私は何々だ」と申告しながらも、実際はそうではない者らを、試みた。
そして、彼らが偽物であることを見つけた。
この一文に、皆さんは身近にあった事件の、某かを思い出すことができるのではないだろうか?。学歴詐称事件なんかがイメージしやすいのでは…?。もしくは政治家が賄賂を…。
銀行員が顧客の口座から勝手に…。清純アイドルとして売り出しながら、実はやり…。w
そこにあるのは、周りの人々においての恥部たる部分、黒歴史、失点失地たる内容、つまりは誰かのスキャンダルに関しての異常なるこだわり、関心、興味になる。その思いの背景には、間違いなく、ある種の独特なニュアンスにおける”怒り”、もしくはいっそ”憎しみ”たるものが存在してる。*もってまわった表現をしたのは、そこには、”業”としての嫌らしい感情の色合い/うねりがあればこそだ。性の色が、その怒りの起爆には混ざってる。
こすれる
程までに、深く決定的に関係したくてしょうがない。そういった思いになっちゃっている…。その事態に対しての、あなたがなされたるの、断罪に向けての執念たるや、空恐ろしいものが
あった。あなたは、なんて正義感に溢れたるの、それに優れたるの方であろうことか!。
もしかしたら、彼の周りの方々においては、それは為されて当然のことで、自分としては、彼の行いには胸のスク思いをしたとおっしゃる方も、いたはいたであろう。よくぞ言ってくれたと、やってくれたことかと。
だが、イエズスからの弁は、糾弾となっていた。
それは何故だ?。
血に飢えたるのままに、裁きたる行いへと、走ったとみなすことが可能だからだ。
何をそんなに、落ち着かぬままに、極端な行動へとあなたは走ってゆくのだろうか?…。
ことの結論としては:
自分が信じる価値、それへ奉仕が、そのまま自分の世界となり果ててしまっている。
それは、異物の混入を絶対に許さない狭量なるこころのあり様なのだ。
その彼の世界とは、かなりの潔癖症によっての、殺伐としたものともなりうる。
許容力がないので、実力行使で、その異物たる存在を、強制的に取り除こうとしてしまう。
ことの熟れの核心は、相手の存在を、生存たるを思ひやるこころ。
愛としての、その自然なる心情の保持と、それによっての自然なる発露のみ。
哀れみと悲しみを胸に、ただ見守って、そして、放っておけばいいだけの話し。
何一つとして、無理なことを、乱暴なことを、すべきではない。
彼等は、然るべくして、やがてには、間違いなく、自滅するのだから…。
追記:
この部分に関しては、いいトレーニングがあるんだ。
自分が心がけてきたものなんだが。
事務所の強力プッシュだけでテレビ出てる芸人いるじゃん。
全然面白くないのが。た〜くさん。
例えば、サバンナの○木とか、ゆり○○とか…w。
温かい目で、我動じずの構へにて、ただ視てるだけに留めるの。
反応して「しょーもなっ!」とか言ってはならない。←これは怒りだ。
彼等は愚かでバカだけれど、それなりに苦労して生きてはるんだから…。
私の嫁は昔からショージ兄やん嫌いです。
強烈にして非情なる「しょーもなっ!」を口に発します。
ぼくは好きです。いや、愛してる…。
最後に:
イエズスの教へを、行いを、曲解する、逸脱する、その教義に変更を加える、
これだけは絶対に、許されることではない。万死に値する。これは確実だ。
その強調としてニコライ派の部分はあるのだろう。
強力な釘刺しとしておかれている。
でも〜、これもー、ことは主にお任せしておけばいいー!。
しっかし、虎の威を借る狐の多いこと多いこと…。←バカちんがズバリそう。
自分も気をつっけよーっと。
バイ、なら。
燭台は灯火。希望としての。信頼に足りる存在への。
これがあるからこそ、我等は健全に生きられるのだ。
それも確かなる導きにおいて…。笑いも許されて…。
それが移されたならば、現在生活環境において恵まれている、
なにか
が大きく失われる。取り上げられて、取り去られてしまう。それはもう再び帰ってくることはない…。絶対に…
ことはすべて、我々の生活様式に沿って翻訳されてくる。それぞれに役割やら意義たるものが
あるものなのだから。日常の品々、もしくはありふれた言葉であってさえ、その背後に奥深い
意味を込めることが、引出してくるこができる…。それらのコードに基づいて翻訳作業を行っているのがマインドだ。これにおいては上手なのと下手なのがいるのは間違いない。伝言ゲームがいいモデル。プロの翻訳家と素人とでは自ずから出力において差が出てきてしまう…。
夢としてありながらも、その実態はまったく違う。異常なる覚醒感がそこにはあるのだから。紡がれてあるその夢にただ翻弄されて、完全に当事者として取り込まれてしまっている。されども自分とことの成り行きを外部からただ冷徹に見つめるだけの別の自分とがいる。これも上位の存在が、上位の次元からの介入が、助けがあったればここそ。通常の夢ではこうはいかない…。