17.  ペルガ

文字数 14,635文字

To the Church in Pergamum  ペルガモンに在る教会に向けて





12 “To the angel of the church in Pergamum write:
  These are the words of him who has the sharp, double-edged sword.

‖ペルガモンの守護天使(しゅごてんし)に向けて、斯く書き送れ。

    口中(こうちゅう)より、(するど)諸刃(もろば)(やいば)
    (あらわ)()でたる方よりのことば、
    ()ホ、(なんじ)へと、(つた)ゑん…。

13 I know where you live—where Satan has his throne.
  Yet you remain true to my name.
  You did not renounce your faith in me,
  not even in the days of Antipas,
  my faithful witness, who was put to death in your city—
  where Satan lives.

 (われ)(なんじ)が、()らし()くる(ところ)について、()(およ)ぶ。
 其処(そこ)は、サタンが、彼の王座(おうざ)たるを、(かま)へし(ところ)なり。
 ()れど、汝は、我名(わがな)において忠実(ちゅうじつ)なりて、信仰を(まも)(とお)しきたる。
 我への信仰(しんこう)(あつ)きままにして、それに(とど)まりて、その(うち)より、
 ()ること、(はな)れること、(これ)()つることは、(つい)ぞ、なかりし。
 ()のアンティパス、()(まなこ)にて、信仰(しんこう)(あつ)きものと(もく)されたる、
 あのものが、暴力(ぼうりょく)をもって、()へと(わた)されたときにあっても…。
 斬首(ざんしゅ)されたるの、あの()におひてでさへも…。 

 ことの()こりたるは、(なんじ)らが、()きて()らす、あの(まち)でのこと。
 其処(そこ)は、サタンが住まいし、また、(かれ)が支配する、()領界(りょうかい)なる…。
 
14 Nevertheless, I have a few things against you:
  There are some among you who hold to the teaching of Balaam,
  who taught Balak to the Israelites to sin so that they ate food sacrificed to idols
  and committed sexual immorality.

 ()れど、(しか)しながらも、(われ)は、(なんじ)に対し、幾つか、糾弾(きゅうだん)せねばならぬ。
 (なんじ)らの(うち)幾人(いくにん)かが、バラムの(おし)へたるものに、()まりておる。
 バラム、(やつ)こそが、バラクに、(おし)へを()れたるの張本人(ちょうほんにん)
 そして、そのバラクによって、()(たみ)は、(つみ)(おか)すようなった。
 人々は偶像(ぐうぞう)(ささ)げられたるの、その犠牲者(ぎせいしゃ)(にく)を、()んでいる。
 また、不道徳(ふどうとく)なる、(けだもの)にも(おと)(あさ)ましきの限りを、
 (むつ)みあひにおいて、(はた)すようにもなった…。

15 Likewise, you also have those who hold to the teaching of the Nicolaitans.

  そのうえ、(さら)には、汝らの内には、ニコライ派における、(おし)へたるものを、
  (かた)(しん)じたるの、ものまでもがいるではないか!。

16 Repent therefore! Otherwise, I will soon come to you and
  will fight against them with the sword of my mouth.

  ()くなりけるの状況(じょうきょう)ともならば、(なんじ)は、ことの有様(ありさま)を、
  心底(しんそく)から(かな)しみ、(はらわた)から()やみもて、急ぎ改心(かいしん)するを()たせ!。
  ()もなくば、(われ)は、(なんじ)らの(もと)に、疾風(はやて)の如くしてやってこようぞ。
  (しか)して、その者達(ものたち)とは、我自身(われじしん)が、(みずか)らにて、(たたか)わん。
  ()が、(くち)よりの、この(つるぎ)もて…。

 



17 Whoever has ears, let them hear what the Spirit says to the churches.
  To the one who is victorious, I will give some of the hidden manna.
  I will also give that person a white stone with a new name written on it,
  known only to the one who receives it.

  聞く耳のあらば、聖霊(せいれい)が、()(なな)つの教会(きょうかい)に向けて、(かた)りたるの、
  (つげ)たるの、そのことばを、その御教(みおし)へたるを、聞くがよい。

  勝利(しょうり)()たるものには、(われ)は、()されたる

を、いくばかりか(あた)へん。

  また、そのものには、勝者の(あかし)として、(いろ)(いし)も、一つ、(あた)へん。
  それには、(なんじ)(ほか)(だれ)()()ない、(あたら)しき汝の()たるものが、(きざ)まれてある…。
 


  〈つづく…〉




あとがき:

先に教えの改竄(かいざん)に関して。バラムやらニコライ派に関してのところ。これは、自分もやってしまっているのだが、それはそれなりに良心をもってやってるつもり。でも中には自分が属する集団における権威を、それの制御権を乗っ取らんと、奪わんとして、自身としての独自の考えを、教義を、解釈を、周りの信徒たちに吹聴する、刷り込もうとする、そんな(やから)もいたわけさ。賢しき限りにて、いろいろとあっちからこっちから持ってきて、混ぜ込みして、さもこれぞ真理なり、吾は主よりの霊感を賜った、吾はキリストなり、などと(のたま)いして、周りの信徒らのこころを惑わせてた。洗脳を行っていた。(いにしえ)の異教よりのものが多かった。それらにはそれなりに、なんらかの根拠があったので、それなりに有効に働いてしまう…。そういった連中は完全にすべてハスナムだ。多分、心中奥深くの秘された処では、過分に涜神衝動たるものが働いてしまっていたんだろう。現行の現業の、厳然たる権威たるものを、それに類するものならば、とにかくどうしても地へ落として、とことん(おとし)めたい。どんな手を使ってでもだ。左回転が鍵。それの背後にて働いている力のトレンドがね。そんで、うまく色に染まってくれた連中を道連れにして、皆して破滅するようなる。密やかなる悪意の持ち主。この展開なんかと似てる…。そう近年における人民寺院やオーム真理教に…。否否、サタンそのものとだ…。

*脱線:カタリ派グノーシス派は自分からすると、キリスト教の教義を新たなる霊験を元に再構築再構成したに過ぎない。ことは上辺の表現の違いでしかない。まさに換骨奪胎をやったんだ。彼等は…。ことは「ナイーブなる」を言葉をもって理念化教義化したことにこそ問題はある。その表現は誇大妄想に過ぎるように思える。一線を越えてる。いらぬ観念の持ち込みが多すぎるんだ…。権威たるものを自らのグループ内に至急確立すべく置くべきの、必要性がどうしてもあったんだろね。最大にして根本的なる問題は、既存のオーソドキシカルな勢力はどうしても形骸化してしまうってことにある。腐敗してしまってた。それもやはり Smart Assども 、権力亡者、屑どもに、占拠されてしまうので…。結果、当初のものとは違うものになっていってしまう。ありゃ〜革新派/抵抗派の登場は必然としての事態でしかないわな〜。今も昔も変わらずで!。*終わり1。

追記:
ことの実際は、マインなるものは自分よりも自分たちよりも発達したマインドからの暗示に弱いんだ。その実態においては洗脳という言葉は不適切。それは暗示、催眠効果だ。ことは、その教義たるもの、語られたる内容、表現された内容が、真実であるかどうか、意味が本当にあるかどうかは関係ないんだ。「カリスマ性」なる言葉がすべてを言い表わしてる。何故か魅せられてしまうのだ。惹きつけられてしまう。「神秘的なる何か」を匂わせつつ、謎めいていて、かつ荘厳にして複雑に設えられたるのプロットたるものに、現代人は何故か魅せられてしまうんだ。本質において生きている人においてはまったく通じないんだけどね。その作用は、マインドに活動の拠点をおく人々においては、至って有効に働いてしまう。オームとか、あのエヴァなんちゃら、とかひぐらしみたいに…。絶賛している人々の中にはハイインテリジェントな方も多かった。多ひ。*終わり2。


ことは、なんぼほど、積み重ねられ、弄くり回されてとて、その個人のマインド内においての造作物にすぎない。おそるべき壮麗に仕立て上げられてて、複雑な限りの出で立ち(いでたち)なんだけれどー、ただの命の宿らぬままの伽藍堂たるものであるだけ。得るべきところの一切なし。自己の虚栄心、顕示欲、権勢欲、自己満足だけで、あれやこれや言ってるだけー!。
↑自分にブーメラン直撃の予感!。「 宝具、ギガ・メテオルニアル・インパクト!」(読者)

偶像に捧げられるのは、何らかの動物(生きてたやつ)を殺してすぐ後の肉だろね。焼いてからかになるのかな?。さて、この奉納は、自分を投影してのものであることは、どっかで既に述べた。神への信仰を貫き通すにおいて自己の人生を捧げるだ。だから、やっぱり焼いてからのほうがいい!。保存も効くし、あとでお下がりとしてみんなで分けて食べることもできるーーー!。

この儀礼も変質してしまうんだ…。してしまってたんだ…。しても〜てたんだ。それもかなり前から。自分の代わりに、だれか他の生命でもって代償するへと。そこにありえる、こころの切り替えたるものを、察していただきたい。要は、自分以外の誰か他人が精魂傾けて培ってきたものを、さも自分のものかのようにして奉じるにーだ!。

現代においてはこのことは何と、どの様に、解されればいいのだろうか?。信奉するその対象はいろいろあるさ。元語としてのアイドル、この言葉の意味に、ただ単純に基づけばいいだけ。それは自己を、自己の理想を、憧れを、投影するに足りるもの。そんな何か。そんな誰か。自分が属する世界における実力者、権力者、為政者なんて場合もあるだろうさ。そんで、彼等/彼女らに捧げるのは、基本お金になるんだけれど、それって、自分が生きるにおいて、汗水たらして稼いだお金って訳じゃない場合もあるだろう…。端折って、結論を言うと、それは他人が(親が)汗水たらして稼いだ血銭をぶんどってきて、奉納してるだけの可能性があるのでは?。そんで、そいつを、あたかも自分の資産かのようにして、献上することになってるんじゃないだろうか?。その見返りに、なんらかのいい目を、当人はしてる。しているはず。これが they ate food sacrificed to idols 「偶像へのお供えを彼らは食べる」の意味。違うかもしれないが、一種の共犯関係をそこには見ることができる。そんな状況がことの本質であると想定され得るような…。結局それは無駄遣いたることに、傾倒たることにつきる。真実の大本の大本としては、その事態なることは、至って、決して、承服(かた)し…。ゴースン…。

追記:
いい加減なことばかりも言ってられないので、本音をご披露しよう。これは自分としての総括になる…。偶像礼拝の本質はエゴ崇拝のことになる。それは幻想でしかない観念への信仰だ。それらが何故、どのように起こっているかだ。それはまず獣としての性、その衝動がドライブになってえいる。喰うこと/動くこと/襲うこと/逃げること/殺すこと/寝ること/交合すること/群れること/吠えること/じゃれること、等々。これらの行為には対象たるものがいる。その対象に対しての価値付けが人間においてはまた特殊なのだ…。ヒトの魂において、他人のケダモノじみた行為を意識するならば、そこには何故か激しい忌避感が起こる。自分においては一切感じないんだけどね。最初からいきなり回答いっちゃってるが、悟性と呼ばれるものはヒトの本質たる部分が元々、別起源のコードとして持たされているものなのだ。これにおいてはここまで。とにかくヒトの感性の中にはケダモノのドライブに支配されることを拒む資質もあるんだなってことは覚えておいていただきたい。閑話休題。別の話をしょう。結婚たるものにおいて…。終生にわたっての結婚生活ってのは人間だけのもの。これは動物においてはない。これは、

もしくは法律たるものに基づく。制度は観念的なるものでしかない。それは人間が独自に編み出した架空のプログラム。これに根拠があるのかと問われれば、ないとしか言えない…。もしあるとするならば、あの聖書における男女一体となるべしの教えにしかない。つまりは、メタとしての神よりの要請になる。それが人間においては自然な姿になるのかもしれない…。話を戻して、人間は欲望の対象に関して、複雑にして高度な意味大系を有する。その認識において欲望の強弱はえらく変わってしまう。これは性においてを考えれば分かりやすい。「旦那、うちには元アイドルだった娘がいますぜ。それもかなり有名だった娘がですよー」。みなまで言う必要はあるまい。まあそうゆうこと。「あの店元ミシュラン四つ星の店で働いていたがヒトが独立してやっているそうよ〜」でもいいかも。「流行りだから〜」もね。まあ色々…。そこにはもしかしたら、まったく根拠たるものがないかもしれない。ただの勝手な思い込み、独善的にイメージを湧かしている。いわば妄想に過ぎない。この辺のことを観念的だって言ってるの。社会的観念コード、それらの発生進化増殖細分化の原因は経済にある。ざっくばらんに金儲けとの関係性において。よりたくさん儲けを金を得たいの思惑において価値付は百花繚乱の様へ移り変わっていった。ヒトのこころは飽きやすいので、左に振れたら次は右へ舵を取る。たくさんを長く長く果てしなくお金を落してもらうように…。

話は変わって会社たるものに焦点を当ててみよう!。社員は規律において束ねられなければならない。全力で働いてもらわないといけない。売上の拡大を、利益の増大を、皆して一丸となって達成してもらいたい。勝手なことをしてもらっては困る。怠けるな!。働け!。他所に負けるな!。内に入ったら分かることなのだが、社員は会社命となるしかないんだ。会社の為に働くってのが、何故か自然と意識されるようになる。すんごい皆、真面目。でもね、これも、背景にて働いている力、そうなるようにさせているのは、原始的な恐怖の感情なんだ。群れの掟ってのがあって、それにおいて裁断されないように異常に気を使っている。そこに正しいか正しくないかの判断は必要とされない。自分の属する会社の方針である以上、それに対して物言うことはできない。しない。めんどくさいから。まっ、結論を言えば、会社はまた一つのエゴたりる。色んな会社があるだろうが、今ともなれば、ブラックでない企業など一つもない。どこも余裕がないからね。全部海外に持ってかれてる。入りがどうしても細っていってるから、キレイ事言ってるやってる暇が、余裕がないんだ。だからますますそれはエゴイスティックな傾向を強めていってしまうようになる。そんなトレンドの中、働く人々の意識においても、危機感、焦り、保身、強欲の色合いが強くなっていってしまう。それで、返って、会社への忠誠心は異常なまでに強くなっていってしまうかもしれない。身も心も会社に捧げ尽くすのが唯一の保身の術になるんかも。商売の世界は汚い。弱肉強食の世界。勝てば官軍に尽きる。良心なんて、相手への、仲間への気遣い情けなど無用のもの。あの悟性をその所在として確認される魂とか本質たるものの出番はないわけだ。押し込められて自然と死んでしまうまで…。この辺あたりのことが偶像崇拝であるとされているんかもね。その巨大なエゴとの共犯関係のことを「供物たるものを食する」として表現された罪のことになるのかもしれない。」おはり

言葉足らず。今回のシリーズはどれも解説を書くのが辛い。身につまされるばかりだし、悲しい思いでいっぱいになる。正直言って自分が所属し、また関係を持った会社のすべてがどうれもこれもそうだった。いや、周りの社会が、日本そのものが、世界全体がそうだったのだ…。いつか、別の項にて、このテーマは再チャレンジしてみたく思います。核心部分になるので。拝。


マナがなんたるかは、その当事者たるそのヒトのみが知り得ること。自分においてなんかだと、皆さんによるPV数がそれだし、あれやこれや御託を書けること自体がそうなのかもしんない。きっと他にもいろいろとあるだろうさ。それは生き甲斐たるものが、その人においてなんたるかに依るんかもね…。ヒトはパンのみに生きるにあらず。

新たなる名は、推測ではあるが、洗礼名のこと。これも自分が選んだとしても、
意外とそうじゃないのかもよ。その名が持つ真の意味たるものは、
その個人にて深堀りされる必要がある。









愚痴:

いい絵がぜんぜんないんよ〜〜〜!。信じられる?。
それらの、みんなに、どれにも、なんの霊感も感じらんない…。
数千年も経ってるっていうのに〜!?。
こと黙示録に関しては、ブレイクも、ルドンも、ダメなんよ~。

このことには、カソリックの総本山たるバチカンの悪意たるものを感じる。
敢へて〜、聖書の文言通りに描くことさえもを禁じてた?。
曖昧にしてぼやけたかんじのものしか許さなかった?。

だから合成して調色して、無理から用意してまっすー。
↑返ってひどいものになってるって〜?

アーメン。




バイビーーー!。

まったね〜。

おはり〜


天村崇














超絶長なる蛇足:


さて、今回のペルガモンにおいては、とある自説たるものを開陳したく思わざる得ない。それは以前にも何度かトライしたことがある内容でしかないのだが。然しながら、ここで、再度繰り返させてもらう。

導入としては何がいいか?。それは【where you live is where Satan has his throne】だろうか?。いやこの一文があったればこそなのだ。その意味の解説を改めてしっかり行うことが自分的に避けがたいと思われたればこそっ、この再再再…チャレンジたるをせざる得なくなったのガール!。*注)火の創造者たるツァラが所有する魔剣”ダガール”を記念して使用。*こいつのアイデアは秀逸である。亜空間通信の為のアンテナが剣として使用される。実体無き剣。そして、こいつはなんでもかんでも切断してしまう。触れさえすれば…。なんの手応えもあらずに!。

閑話休題。導入としては直球過ぎるので、ちと迂回しての導入としよう!。

私達人類はここ地球環境において生存してる。その環境たるものは地球と取り巻く全宇宙によってサステインされている。そこに理があるのかないのか、神たるもんがいるのかいないのか分からない知らないけれど、超巨大なシステムの一端として、この地球は存在してる。人類たるものも果たすべくの役割において地球環境の一要因として生存してるー。

基本、私達人類における、知った知らない、認識できる認識できない、理解できる理解できないは、全体としてはあまり重要ではないんだ。各個が果たすべくの役割/勤めにおいてに制限がかけられてしまってる。これは多分、節約、いや合理性の為なんだろうね。

この「私においては」とか「我々人類にとっては」とかは、勝手で、かつ余計な見地でしかない。つべこべ言ってないでさっさと働け!。黙って働いてろ!って誰か見えない存在から怒鳴られたってなんもおかしくない。そんで「言われたこと

を、それ

をやってろ!
」って。*そこにある苛立ちによる乱暴な物言いの原因は、かってな理屈並べて、ぶつくさ不平満載で、いい加減な仕事しかしないものたちの所在に理由がある。*更にはいらんことまで、害にしかならないことまで始める始末なんだから…。

***このたとえ話は重要なんで、これにおいても説明をしておく。すべての尺度たるものは、判断の根拠とされるべきなのは、生活する中で覚えられる各種各様の経験/体験、その成果たるものなんだ。理屈の前に、既に、確固たる価値たる

が、経験において知られている。そのナニカの所在こそが満足としての、正しいこととしての、喜びとしての認識を「色」として創り出してくれる。それはまるでヒトの誕生と伴に同時に機能し始めたかのようにして…。それは魂にしての志向、良心にとっての求めと合致するもんなんだろなと思う。それは天来の資質が、現実との関わりにおいて俄然自己主張を強行に始めるみたいなもんなんかもね。上の例では、仕事のあり方における一般的な指導のことでしかない。なにせ、とかく、逸脱するもの、文句言うもの、怠けるもの、(らく)しよとするもの等が、さんざ、山程、湧いて、出てき来てしまうものなので。*自分が自分に言ってるのでしたーだ。

閑話休題。話しを戻して、”我々人類”とか”私”とか”自分”とかの主語に元々問題がある。如何にそれを手に入れたかに

問題があるのだが。まっ、とにかく其れを主座とした場合には、なしえる理解たるものには、どうしても制限たるものが存在してきてしまう。その原因にはいくつかある…。簡単な話としては感覚受容体における、それのキャパの問題。五感のことね。第六感を含めてもいい。とにかくそれらにおいて拾える情報たるものは全容と比べれば、微々たるものでしかない。「生存において必要とされ対象を認識できさえすれば事足りるでしょー」が制約の正体。この肉体が生存する上において必要とされる情報が拾えるのみで十分として制限が設けられているってことを言いたいだけ。

閑話休題。またもう一つ問題として取り上げておくならば、そこにて働いている機能、仕組たるものが人類には理解できない。

として。実はし得ないんだ。これは単純に、この頭がそれには足りない。知的キャパってやつが付いてけないだけ。手掛かりとなるべくの情報が異常に狭められている上に、事実としてそこにあるシステムが、余りにも複雑で巨大なもんだから。あと千年を()たとしても全然無理だと思う。*かのメゾポタの頃が実はヒトの知性においては最高峰だった…。

考えてもみたまえ、幼稚園児に微分積分の概念が理解るだろうか?。興味を持つことそがそもそも不可能なのだ。…だから、その狭っ苦しい限りでの了見で、あれやこれや訳の分からんことを、つまりは文句をさ、つぶやいたり、わめきたてたり、訴えたりするってところにこそ問題ってのが、馬鹿さ加減ってのがあるんだわさ〜(久方ぶりにケメコ来)。



別の処からの話もさせといてくれ…。表現とか言葉とかは表面的なものだ。他者に対して何かを伝える上において必要とされる代替物。要はそれらは仲介者/仲介物としての”器”でしかない。ネットワーク間における大きな情報の受け渡しにおいて、どういった技術が使われているかは知ってるよね?。圧縮と解凍だ。これも現実たるものの反映として、そのように帰結しての実用化ってことになっているとも言える。表現されたるものはファイル名もしくは圧縮されたるもの。これは、受け取った各自によって事後に

なされねばならない。その背景にある意味の丸ごとを自己において、これまで培われてきた記憶を元に

、自己の理性やら理解やら知性やらのと照らし合わして検分される。そもそもの発端からして、与える側にはことに関しての明瞭さ、理解、また適切なるネーミングと文章構成としての良き取りまとめが課題としてある。そおこには間違いなく巧拙たるものが求められる。ちゃんと、まとめて書けよと。要点だけを取り出して伝えろよと。できねっす…。また、それを受け手が明晰明瞭なる意識の表舞台にて適切に消化できるかどうか?。解凍がうまく果たされて、つまりは受けてたる自分が理解るように翻訳して、その上で正しく理解できるかどうかが次点の課題となる。

*ここは「誠実なる努力」を前提としたとしても、それがあったとしても、相互における発信受信のプロセスが、その伝達がうまくいくってのは難しいってことをいってるだけ。
*鍵はだ!、どれだけ両者において、受け持つ担当において、真剣でありうるか?、これだけー。お前が言うなーってか〜?。

元々の元々からして、それは得体のしれない摩訶不思議なるもの、世界の反映として刹那に感受されたるの印象なのだ。世界そのものは、絶えず、いっときも留まることも、休むこともなく変動変化をし続けている。それは、その印象は、もしかしたら偶然の見た目における、ただ勝手なだけの、ことの、真実の切り出し切り取りにすぎないものなのかもしれない…。

*ここは、ヒトの自意識たるものが、さしてなんら意味のないものに、ことに、無理から意味を与えているっていう事態を述べたいだけ。すべては当たり前(引っかかる/立ち止まる/取り立てて取り上げる必要のないもの)であると同時に、ことのすべてが、その全体が、まさに奇跡の集合体としてある

なのだ。

例えばだ、燦然と輝く太陽の下、渡る風によって、木々の木の葉が揺れている。なぜだか蒼群体としての、並び揃ったかのような挙動が見受けられる。そのことによって、印象としては木々があたかも生きいるもの、自力にてそう動作しているかのように覚えられてしまう。その光輝が氾濫が為に、全動作は印象においてすべて際立て明確明瞭なるものとして捉えられてしまって、こころは圧倒されてしまうばかり。過剰なるときたるを、その一瞬において、過ごし果たしてしまっていた…。

この例において言葉はあくまで無難なるもののみにてまとめたつもりだ。でもさ〜、この一事をもってしてさ〜、量子力学たるものにおける難問の一つに回答を導き出すってことも可能だと個人的には考えている。その波たるものは位置関係において偶然に現れてきてるまでの錯覚にすぎないんだと…。また粒子とは微分としての立ち位置で、変化の対流としてのときたるものでアプローチするならばそんなもんはないとして消し飛んでしまう…。確固たるものを絶対指標を求めるのは拘ることには、なにか”オカシゲ”なるを感じる。固執。不安。執着。自己規定。上昇志向の為のメジャー。強欲…。その一瞬のみのこと。そしてさしたる意味もそこにはない。人間がかってに意味づけしてるまで。

結論から先に言ってしまえば、アプローチたるもの、すべてのことの発端たる

そのもの、その行為こそが、そもそも、初めっから、間違ってる。余計な仲介物を挟んでの、それの助けを借りて、何かを理解しようとする様なもんなのだから。大昔の無骨い潜水服着て、そのまんまの状態で花鳥風月を愛でんするかのようなもんよ。結果として受け取るべきの情報、つまりは印象は、下手なルートに依るものになり、大きく毀損されてしまってる。

受け取られるるべきものなのだ。


 そんで、いないもんまで、勝手に妄想して、実際に存在させてしまうこととなる…。

 それは単なる勘違い妄想なんだって言っても、その当事者たる本人は全く聞く耳持たない。

 こんなんじゃ、酒飲むことによってでしか、楽しいって状態には至れないさ…



析出たるものがなされて、初めて、ことは、ヒトにとっての見た目を得る、日の目を得る。
具体的なる事象として捉えられるようになる。名を得る。表現たるものが為される…。

でもさ、その析出を果たしたるの、その現象たるを起こしている、それの背後のにある、その

が大切なんだ。日常におけるありふれた情報の受答えなんかでは、そういったことが起こる機会なんかまずない。ヒトのこころの奥深き所での、何らかの反応をもってして、初めて、それは析出されるべきの機会を得る。そのもの自体がその自身を外部に向けて発信させるべくして!…。強制的に形態化を求めてきてしまうのだ。ましてやそれが!、そのものが!、自身が所属する世界の一段上の、いや数段上の、霊的ネットワークよりの能動的干渉であった場合には!、析出そのものが、相手側の制御下/誘導においてこなされてのもの、なされたるのものになるのかも知れないのだから…。ヒトのその不自然な有り様に

、なんらかのメッセージを送って来てくれているのかもしれない…。ヨハネの黙示録がまさにそれだ。

現在、世にての表現物は、析出によるものではない。表層における意匠たるもののいじくり回し。ただの知的な組み合わせ。そこに何かヒトのこころを震わすべくの効果が欲しいとして、とんでもないキワモノ、とんでもない感情の振幅を持ち込んでくる。それらは単にスパイスとして使われているに過ぎない。なんと狂った、非現実で、夢現の、虚妄の世界を創作しているのだ?、なにを皆して楽しんでいるのだ?と自分としては愕然としてしまっている…。ハリウッドにおける、小児性愛者らが行ったとされる、あの悪魔的な人体加工まで表現の対象としてしまっているではないか!(脳下垂体のあれの話し)。メイドインアビスの黎明なんちゃらいうやつで!。頭、おかしいんとちゃう?。あのFate シリーズもそうだ…。なにやら空恐ろしい限りの薄ら寒い限りの事態になってるなって思ってる。そして論客の誰もそのことにおいて警告を発していないのだから…。結論としては、伝えるべきものが創作者らの内にては、もうなんにも、一個もないんだ…。頭だけで、生きて仕事してるだけー…。


さ〜て、前置きはここまでにして、ペルガモンにおいて:

えっ!…嘘〜んんん…」(読者)

まずね〜…一律しかないから…。「律」もいらないな〜。

しかない。
これよ〜これー!。

これは創始者と、その世界のこと。ハッキリ具体的に言うと父なる神、その独り後たる神、そして聖霊のこと。すべてはこの三位一体としての神と、それと一体としてある全宇宙のことになる。その構成員の一人として、また人類たるものがいる。この地球に暮らす人類は、なにやら特別な存在らしい。我等人類は。だって、神の一翼を担う方が、我が身の命をすててまで、一度死たるを迎えるまでして、その我等人類を救おうとしてくださったのだから…。*これは原罪においてのみ。*つまりは勝手にマインドなるもの知恵たるものを獲得したことに依る。

話は戻して、その一律たるのは、おそらくだが、かなり厳格にしてなるものなんだ。

そして

なるものを至上の価値をおくとか…つまりはすべての存在する生命は、それらを念頭に、意識して、進化を目指すべくして定められてしまっている。*無機物もある種、ミクロの眼においては生命物だかんね…。まあ、理屈はともかく。いかなる会社組織、市井のグループであってさえも、それには何からの確固たる目標があるよね。そして其れに基づいての理念とか規定たるものが間違いなく定まっている。これは仕事する上で必要だから。これもやはり自然であるが故に、反映とみなすことができる。その理念とか規定たるものは、あまり動かされることはない。

ところが、この一律たるものに、反乱を起こすものたちが出てくるのも常なる話しさ。その理由はいろいろだけれど、一つだけスポットを当てておくならば、長く続くと飽きが出てきてしまうから…。もう一つだけ、主導権たるものを、ヒトはどうしても自分が持ちたくなる。我儘なるを、もうやりたくって、そうありたくって、我慢できなくなる。この二つに関しては、なにも考えるまでもないよね。自身においてや、身近な人々のありようを見てりゃ〜判ること。大事なのは、あれらのことは、どうしても起こるべくして、必然として起こるってこと。


でも、一としての全体性は、その完全完璧なることにおいて、

なんだ。そのことを簡単な言葉として【真実なる方】【真実としてあられる方】ってな具合になる。彼にあっては

んだ。あるがままでしかないんだから。


ところが、そのに対して反乱を起こす側には、(この宇宙においては)、理たるものが、まったく全然一ミリも存在し得ないんだ。じゃないと背理になってしまうもんねっ。いやいや待てよ、そこには理たるものにおいてであったとしても、こちらの理、あちらの理たるものがあるだろうから、一概に背理とはならないだろって考えもあるだろうね。でもね、ことは上位のことなんで、我々低次の存在は、とやかく言うことは許されない。子供は大人の話に口出すな!。屁理屈を言うな!。それを持ち出して、持ち込んでくるなーだ。全知全能の方である以上、その”理”たるものは完璧だ。では、それに異を唱える側は、何に基づいてのことになるのであろうか?。理が全面に出せないのであれば、可能となるのは、もう【嘘】しか残っていない。まさにそれこそが【虚偽】なのだ!。虚偽虚構は、その背景になんら真実としての実体を持つことはない。そして、ならばだ、なんら実りある成果たるものを生み出すことはないのだ。誰も幸せにはならない。しない...。しえない!。


サタンたるものはいるにはいるが、実際に人類に対して直接関与することはない。そんなことはできない。存在してる次元が、その存在状態が違うので。ただ、この存在の「型」たるものが転写されてしまって、ことの影響たるを、受け取らざる得ないってのが人類の実状なのだ。でもさっ大本からの転写がそもそもあることをも思えば、ことは人間自身の選択ってことにはなる。どちらの型に、嵌るのか/沿うのか/染まるのか?、それは人類本人の、その本人の選択いかんでしかない。*何事においても、誰かの性にしちゃ〜いけない。

サタンたるものが生きて、呼吸し、その影響力を放ち、そして一切を支配する、その圏域たるものは、実は人間そのものが創り出したものにすぎない。そして、それは、地上においてもその居場所たるを囲ってしまっているってな寸法さね…。それはかのあの有名な都会である必要もないんだ。ひなびた地方の一角においてでさえ、その圏域たるものは、実に容易く顕現してしまいえる。してる…。


なににおいてであっても、理想を目指し、求め、達成するってことは大変なことさ。
丁度、厳しい山道を頂上にむけて、ただひたすら、延々とあるき続けるようなもの。
そして、楽しいってのは、ほん一瞬だけのこと。


ならばだ、みなと同じように、難しいことなど考えすに、浮かれて騒いで、
とにかく楽しいことだけ考えて、毎日を暮らしていければいい。
楽してお金稼げるよう頑張っていけばいいじゃん。
そのことにおいてこそー、知恵たるものは使うべきよ。
得るべきの才能は、鍛えるべくのその技量とは、
持ってるやつらから、素早く、巧みに、情け容赦なく、ぶん取る、その技やー。
これに尽きるぜ〜〜〜!。

自分のやりたいこと思うがままに生きて何が悪いのよ〜。
今更この歳にもなって、なんで他人に気を使ってヘコヘコしなきゃならないの?!。
もう私は我慢は絶対にしない。
自分の気に入ることだけやる。
絶対に、他人に舐められるようなことは許さない。
美しくきれいになるのがなんでいけないの?。

比べられて見下げられるのなんか絶対我慢ならない。

アーメンって、それなんよ〜?!。

………………

カッコ悪いし、辛気臭いし、なよなよしてて、みぼらしくって、

なによりも考え方からしてダサダサだわ…。

わたし嫌い。

お前らなんか、死んじまいなー!。

目障りなんだよーーー…




その、ほんの一瞬の体験、それによる残響が止まないのだ。
不思議なことに…。漸減さへも、減衰さえも、ほとんどしてゆかない。
それは賜われたるものであるからかなのか、まったく消えないものなのだ。
最初から質たるものが、根本的に、決定的に違うのだろう。
ことは、平時における快とはまったく違う。
その事自体は遠に過ぎて済まされてしまっているのに、
その残響とでも呼ぶしかない余韻の中にて、我は足りてある…。



これが自分においての真実。陽の下において影は存在し得ない。その真実なるを、
認め難し、仰ぎ難し、受け入れ難しにおいて、影たるがまるで顔を背けるかの
ようにして色を現し、起こり、投げかけ、刺し、やがてに、その存在たるを得る。








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