21. ラオデ
文字数 5,795文字
To the Church in Laodicea ラオデキアに在る教会に向けて
14 “To the angel of the church in Laodicea write:
These are the words of the Amen,
the faithful and true witness,
the ruler of God’s creation.
‖書 けよ、ラオデキアの守護天使 たるものたちに向けて。
‖我 が述 べるを、語 りしを、告 げたるを、そのままにして。
唯一 のアーメンたる方が、我 ヨハネに、語 り賜 ひしたるを、汝 に伝 へん。
信仰 厚 き方 、真実 の証人 たる方よりのご伝言。
神 たる方 によりて、創造 されしものの内 にありて、
そのすべてを、支配 されてあられる方 よりの、ご伝達 なる…。
15 I know your deeds, that you are neither cold nor hot.
I wish you were either one or the other!
我 、汝 が行 ふ、日々 の就労 、その如何 たるを知 る。
汝 のこころは、冷 たくもなければ、熱 きにもあらず。
我 、願 ひしは、汝 が、いずくか一方 にて、有れること。
16 So, because you are lukewarm
—neither hot nor cold—
I am about to spit you out of my mouth.
汝 、熱 きにあらず、また冷 たくにもあらず、煮 えきらぬままでいて、
ただ生温 きであるが故 に、我 、今 まさに、汝 を、
我 が口中 より、吐 き出 ださん。
17 You say, ‘I am rich;
I have acquired wealth and do not need a thing.
’ But you do not realize that you are wretched,
pitiful, poor, blind and naked.
汝 は「我 、恵 まれし者なり」と、斯 く思 ひ、
また、「豊かなるかな」と、
また「乏 しきには非 じなる」と、
斯 く思ひて、また言 ひたる。
然 れど、汝 は、知 らずにおるに過 ぎずなり。
如何 に、己が、惨 めなる、ヒトにしかあらじなることか…。
如何 に、汝が、哀 れにして、惨 めな存在 にしか、有 らじなることが。
其 のこころは、貧 しくしての、その限 りにありて、
また其 の眼 は、正 しく盲 のそれであり、
ことの一切 に、気 づけぬばかりの、無知 にして、
また愚 かなる、凡俗 のヒトにしか有らじなることを…。
そして、更には…
裸 にてあることも、其 れでおれることをも、
知 らずして、また解 らずままにありて、
気 づくことさへ適 わぬ、正に鈍感 としての其 の極み、
其 れとしての、極致 なるものかな…。
正に、これこそが、今 にある、汝 たるものの、その真実 なる…。
18 I counsel you to buy from me gold refined in the fire,
so you can become rich;
and white clothes to wear, so you can cover your shameful nakedness;
and salve to put on your eyes, so you can see.
我 、汝 に、強 くにて、勧 めたらん。
我 より、火 にて精錬 されたるの、純金 を、買 ひ求 めんことを。
然 すらば、汝 は、真 に富 めるものともならん。
そして、純白 の衣 を、まとひしものともなるらん。
然 すらば、裸身 のままに曝 け出 されたるところの、汝 の其 の恥 ずべき姿 たるをも、
汝 が、今 にありたる、恥知らずとしての其 の無様 なる有様 なるをも、
覆 ひて、また隠 すことが、適 ふことともなろう…。
そして、汝 の、その盲 たる眼 には、膏薬 を、即座 に用 ひよ!。
然 すらば、見 ゆることホば、汝 は、遂 に、やっとにて、得 んこととなろう…。
19 Those whom I love I rebuke and discipline.
So be earnest and repent.
我 の愛 してあるものたち、もし、その彼等 が、微温 けらば、
我 は、戒 めをもって、急 ぎもて、彼等 を打 ちもて、懲 らしめたるをせん。
そして、然 るべくの鍛錬 たるをも、用意して、
それを、彼等におひては、課 さん。
よって、真剣 の上にも、こころより、誠実 でありたれよ。
かっての、その自分 の有 り姿 たるを、よっく詳察 せんことを!。
もし、そこに、非 のあらば、後悔 し、それらを根本 からして改 めひよ。
此 れを済 ませてから、今の勤 めたるものに戻 りて、改 めて、労に励 まんことを…。
20 Here I am!
I stand at the door and knock.
If anyone hears my voice and opens the door,
I will come in and eat with that person, and they with me.
我 は、今の、このあらゆる瞬間 におひても、
あらゆる、すべてのヒトの子らの、側 に控 へして、
其 の者 の側 に寄 り添 ひて、
見守 りを、絶えずをもって、行 ひてしておりたる…。
其 の者 の戸口 の、前 に立 ちて、其 の扉 を叩 ひておる…。
そして、もし、其 の家 の主 たるものが、我 の来訪 に気 づひて、その戸 を、
開 け放 つならば、我 は内 に入 りて、此 のものと一緒 に、食事 をせん。
其 れ以降 、このものは、我 と共 に、在 ることとなる…。
21 To the one who is victorious,
I will give the right to sit with me on my throne,
just as I was victorious and sat down with my Father on his throne.
勝利 ホ得 たるには、我 が既 に与 へられたるの、
玉座 にて、我 と伴 に、座 する権利 ホば与 へん。
ことは、まさしく、同 じなるかな。
我 が勝者 となりて、父 と伴 に、彼 の王座 に着 きたることと…。
22 Whoever has ears,
let them hear what the Spirit says to the churches.”
誰 あろうとも、耳 のありければ、
聖霊 が、諸教会 に向 けて、伝 へ、聞 かせて、説 きたるを、
聴 くが良 い…。
〈了〉
そう。いきなりの、突然の、めちゃ厳しい糾弾としてことは始まっている…。なんらかの位置決めにおいて自己のステイタスたるものを確立する。この認識をヒトは社会人生活においては絶対に必要とする。なんらかの優劣の意識を対外的に持つことにおいてでしか自己を、そのアイデンティティたるものは結像できないのだから。そんな人間たちを十把一絡げにして、すべてのものたちを「”彼”においての標準」へと連れ去ってしまう。これには神父さんたちであったとしても当然のことかのようにして含まれてしまってた。神学校にて然るべくのプログラムを終了したからこそ神父たりえる。この世界においては自分は権威なんだと…。市井の一般信徒とは訳が違うんだと…。どこいってもこのことは同じ。
彼が、とても厳しいお父様であることを、ご認識ご自覚いただければと思います。
たぶんね〜、何一つとして、他者より、他の兄弟より、優れたるの思いは、持ってはいけないんだ。それは、お前らは、
手に入れる為には対価が必要。お金がいる。
その対価たるものは、汗水涙等を流さないと手に入らない。
だからぶつくさ、たらたら、不平を言うなって。文句を口にすなって。
ただひたすらに懸命にで働いてろって!。
*ただし、
冷たく…
ここは、まったくのプロジェクションってのが彼においてはないんだ。
我見に煩わされるってのがない。だから「クールに」ってのともまた違う。
そこにある、あるががまんまを、冷徹な眼で、ただみてるだけ。
その全部を、余す処なく、全体として。
ある意味、個人としての反応の意見のなくしてだね。
(では、誰が観ているのか、気づいているのか?。”彼”がだ!。)
生来の傾向性は無碍に切り捨てられてしまっている。
次点においての、彼の行動たるは、然るべくであるのみ…。
その、他人の問題には、手を出さないが簡単な事例。
だってそれは彼/彼女自身、本人が解決すべきことなんだから…
もし他人のそれに手を出すのなら、口を挟むのなら、
その動機が、あなたの虚栄心から、弱さからのものではないのか、
よく調べられてからにして。
実際、現実には、存在などしていない…のかもしれない…。
ある一面において、かれらは、あなたに対してのトラップ。
あとがき:
ことは、たとえをもって語られてはいるが、真実として起こりうる事態を説明してくれているまで。実際に現実にて起こることが表されている。彼が内に入りて一緒に住む。一緒に飲み食いをする。苦楽を伴にしてくれる。これは、つまりはだ、あなたは彼に、彼はあなたになるの意味でしかない。
*
*ことにおいての自覚のありなしは関係ない。既に同化は完了してしまっている。
*あなたにおいても、これまで道程において、覚悟はできてるはず。
その、これからの人生たるものの道行きは、まさに、聖書にて描かれたるの、彼の経たるの、そのまんまになる。そうなって、然るべく、ことに応えてあることこそが、あなたのこの人生におけるミッション。これは可愛そうだけれど、そのまま行くか、外れるかの二者択一しか選択肢はない。
まあ、彼程までに極端にして究極の事態たることはまずあるまい。それでも、またまったく違った、別の形にはなるが、どこかしらか似たるものとなることだけは間違いない。だいたいがだ、死たるものが、誰においたって、暴力的にして、かつ非情なるものであることに間違いないでしょう?。なんにしたって誰にしたって、それと対面することは避けられないんだ。ならばだ、彼が教えるところを、人生に混ぜ込んで、それを生きるってのも一つの選択になる。彼が約束するのは、新たなる器を与えられ、別天地においての生存になる。
片や、また違った救済のビジョンってのは、
本源に至り還りて、それに溶け込んで、それと一体となること。
こっちはブッダによる啓示になるな。でもこれも簡単には為し得ない。
シリーズの停止において:
ことはまだまだ序の口にすぎない。
ヨハネが幻視したるの内容はまだまだ続く。
むしろ、こっからが”本番”。
でも、いまは、手がつけられない。
だって、もうすぐ七月で、直にテニスが再開されるのだからー!。
また、いつか、主の思し召しがあれば、続きにも挑戦いたしたく思ひます…。
草々
天村崇
付録;
この後 われ見 しに、視 よ、天 に開 けたる門 あり。
初 に我に語るを聞きしラッパのごとき聲 いふ
『 ここに登 れ、我この後おこるべき事を汝に示さん 』
直 ちに、われ御靈 に感ぜしが、視 よ、天に御座 設 けあり。
その御座 に坐 したまふ者 あり、
その坐 し給 ふものの状 は碧玉 ・赤瑪瑙 のごとく
かつ御座 の周圍 には緑玉 のごとき虹 ありき。
また御座 のまはりに二十四の座位 ありて、
二十四人の長老 、白 き衣 を纏 ひ、首に金 の冠冕 を戴 きて、その座位 に坐 せり。
御座 より數多 の電光 と聲 と雷霆 と出 づ。
また御座 の前 に燃 えたる七つの燈火 あり、これ神の七つの靈 なり。
座御 のまへに水晶 に似たる玻璃 の海 あり。
御座 の中央 と御座 の周圍 とに、
四つの活物 ありて、前 も後 も數々 の目 にて滿 ちたり。
第一の活物 は活物 は
第三の活物 は面 のかたち
【断】
続きのさわり。
ねっ、新たなる幕開けとなってるでしょ。
そっそっそっそしてーーー、スフィンクス、
「 キィ〜タ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!」。
ですよねっ。ならばだ……、1FのNo.36へGO!!!
ここまで明晰なる幻視はまずないな。
また、その内容のスケール大にして内容が過剰にして濃すぎること。
ヒト単独で、その頭ん中で、生み出せるものではない。
やはり、彼方よりの、流入と見なさざるえない。
各自にてアプローチをされるのがいい。
ただし言っとく。覚悟しておくように。
それの霊性に触れることは、こちらにもそれなりの力量とキャパがいるからね。
また、同調せずに読んだとしても、それには意味がない。
なんも残らない…。
ほんと、長きのお付き合いに感謝いたします。
どうもありがとうございました。
また別のシリーズ等にて、お目にかかりましょう。
拝
崇
最後の審判は可能性としては二重の意味として捉えられる。ことは、すべてのヒトにやがてに訪れる死たる事態のことでしかないんかもね。個別にては、それは間違いなく、避けがたく到来してしまう。全体全部にて、それはいっぺんに起こるのかもしれないが、実は、個人、単体においての、その寿命のことを言ってるのかもしれない。
誰においても避けがたきことなんで、全景としての表現となった、そうしたのかもしれない。
誰がだ?…。
何を言わんとしているか分かります?。
黙示録にて表されたところの、 ”怒りの日” たるものは、あの内容は、誰もが皆に、避けがたくして訪れる終末期のことになる。そこでのターミナルケアを目的として、その中身は書かれた。伝えられてあった。※(キリスト教の文化圏内にある人のみに限定はされてしまうのだが…)。
だから〜、一度は、しっかりと、時を迎えるその前に、先に読んどいたほうがいい。死期たるものに関しての、そこにおいての一つの教唆になってるのだから。一切が音をたてて崩れ去る。このことは確実。で〜も〜、”光”は、そこにおいてこそ、生まれて初めて、実体として、意識にては確認されるようなるんだよっと…。
14 “To the angel of the church in Laodicea write:
These are the words of the Amen,
the faithful and true witness,
the ruler of God’s creation.
‖
‖
そのすべてを、
15 I know your deeds, that you are neither cold nor hot.
I wish you were either one or the other!
16 So, because you are lukewarm
—neither hot nor cold—
I am about to spit you out of my mouth.
ただ
17 You say, ‘I am rich;
I have acquired wealth and do not need a thing.
’ But you do not realize that you are wretched,
pitiful, poor, blind and naked.
また、「豊かなるかな」と、
また「
また
ことの
また
そして、更には…
正に、これこそが、
18 I counsel you to buy from me gold refined in the fire,
so you can become rich;
and white clothes to wear, so you can cover your shameful nakedness;
and salve to put on your eyes, so you can see.
そして、
そして、
19 Those whom I love I rebuke and discipline.
So be earnest and repent.
そして、
それを、彼等におひては、
よって、
かっての、その
もし、そこに、
20 Here I am!
I stand at the door and knock.
If anyone hears my voice and opens the door,
I will come in and eat with that person, and they with me.
あらゆる、すべてのヒトの子らの、
そして、もし、
21 To the one who is victorious,
I will give the right to sit with me on my throne,
just as I was victorious and sat down with my Father on his throne.
ことは、まさしく、
22 Whoever has ears,
let them hear what the Spirit says to the churches.”
〈了〉
そう。いきなりの、突然の、めちゃ厳しい糾弾としてことは始まっている…。なんらかの位置決めにおいて自己のステイタスたるものを確立する。この認識をヒトは社会人生活においては絶対に必要とする。なんらかの優劣の意識を対外的に持つことにおいてでしか自己を、そのアイデンティティたるものは結像できないのだから。そんな人間たちを十把一絡げにして、すべてのものたちを「”彼”においての標準」へと連れ去ってしまう。これには神父さんたちであったとしても当然のことかのようにして含まれてしまってた。神学校にて然るべくのプログラムを終了したからこそ神父たりえる。この世界においては自分は権威なんだと…。市井の一般信徒とは訳が違うんだと…。どこいってもこのことは同じ。
彼が、とても厳しいお父様であることを、ご認識ご自覚いただければと思います。
たぶんね〜、何一つとして、他者より、他の兄弟より、優れたるの思いは、持ってはいけないんだ。それは、お前らは、
みんな
、儂の子供達だろって。親御さんの立場ともなれば、よく分かる思いなのではないでしょうか?。子等の、そのみんな、全部を、愛している。だから子等にもお互いに愛し合って欲しいって。手に入れる為には対価が必要。お金がいる。
その対価たるものは、汗水涙等を流さないと手に入らない。
だからぶつくさ、たらたら、不平を言うなって。文句を口にすなって。
ただひたすらに懸命にで働いてろって!。
*ただし、
こころ
を伴って、良心
が参加するにて。冷たく…
ここは、まったくのプロジェクションってのが彼においてはないんだ。
我見に煩わされるってのがない。だから「クールに」ってのともまた違う。
そこにある、あるががまんまを、冷徹な眼で、ただみてるだけ。
その全部を、余す処なく、全体として。
ある意味、個人としての反応の意見のなくしてだね。
(では、誰が観ているのか、気づいているのか?。”彼”がだ!。)
生来の傾向性は無碍に切り捨てられてしまっている。
次点においての、彼の行動たるは、然るべくであるのみ…。
その、他人の問題には、手を出さないが簡単な事例。
だってそれは彼/彼女自身、本人が解決すべきことなんだから…
もし他人のそれに手を出すのなら、口を挟むのなら、
その動機が、あなたの虚栄心から、弱さからのものではないのか、
よく調べられてからにして。
実際、現実には、存在などしていない…のかもしれない…。
ある一面において、かれらは、あなたに対してのトラップ。
あとがき:
ことは、たとえをもって語られてはいるが、真実として起こりうる事態を説明してくれているまで。実際に現実にて起こることが表されている。彼が内に入りて一緒に住む。一緒に飲み食いをする。苦楽を伴にしてくれる。これは、つまりはだ、あなたは彼に、彼はあなたになるの意味でしかない。
*
あそこ
は核心的なる部分になるな。その事態はまさに奇跡そのもの。それでしかない。*ことにおいての自覚のありなしは関係ない。既に同化は完了してしまっている。
*あなたにおいても、これまで道程において、覚悟はできてるはず。
その、これからの人生たるものの道行きは、まさに、聖書にて描かれたるの、彼の経たるの、そのまんまになる。そうなって、然るべく、ことに応えてあることこそが、あなたのこの人生におけるミッション。これは可愛そうだけれど、そのまま行くか、外れるかの二者択一しか選択肢はない。
まあ、彼程までに極端にして究極の事態たることはまずあるまい。それでも、またまったく違った、別の形にはなるが、どこかしらか似たるものとなることだけは間違いない。だいたいがだ、死たるものが、誰においたって、暴力的にして、かつ非情なるものであることに間違いないでしょう?。なんにしたって誰にしたって、それと対面することは避けられないんだ。ならばだ、彼が教えるところを、人生に混ぜ込んで、それを生きるってのも一つの選択になる。彼が約束するのは、新たなる器を与えられ、別天地においての生存になる。
片や、また違った救済のビジョンってのは、
本源に至り還りて、それに溶け込んで、それと一体となること。
こっちはブッダによる啓示になるな。でもこれも簡単には為し得ない。
シリーズの停止において:
ことはまだまだ序の口にすぎない。
ヨハネが幻視したるの内容はまだまだ続く。
むしろ、こっからが”本番”。
でも、いまは、手がつけられない。
だって、もうすぐ七月で、直にテニスが再開されるのだからー!。
また、いつか、主の思し召しがあれば、続きにも挑戦いたしたく思ひます…。
草々
天村崇
付録;
この
『 ここに
その
その
かつ
また
二十四人の
また
四つの
第一の
獅子
のごとく、第二の牛
のごとく、第三の
人
のごとく、第四の活物は飛ぶ鷲
のごとし…。【断】
続きのさわり。
ねっ、新たなる幕開けとなってるでしょ。
そっそっそっそしてーーー、スフィンクス、
「 キィ〜タ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!」。
ですよねっ。ならばだ……、1FのNo.36へGO!!!
ここまで明晰なる幻視はまずないな。
また、その内容のスケール大にして内容が過剰にして濃すぎること。
ヒト単独で、その頭ん中で、生み出せるものではない。
やはり、彼方よりの、流入と見なさざるえない。
各自にてアプローチをされるのがいい。
ただし言っとく。覚悟しておくように。
それの霊性に触れることは、こちらにもそれなりの力量とキャパがいるからね。
また、同調せずに読んだとしても、それには意味がない。
なんも残らない…。
ほんと、長きのお付き合いに感謝いたします。
どうもありがとうございました。
また別のシリーズ等にて、お目にかかりましょう。
拝
崇
最後の審判は可能性としては二重の意味として捉えられる。ことは、すべてのヒトにやがてに訪れる死たる事態のことでしかないんかもね。個別にては、それは間違いなく、避けがたく到来してしまう。全体全部にて、それはいっぺんに起こるのかもしれないが、実は、個人、単体においての、その寿命のことを言ってるのかもしれない。
誰においても避けがたきことなんで、全景としての表現となった、そうしたのかもしれない。
誰がだ?…。
何を言わんとしているか分かります?。
黙示録にて表されたところの、 ”怒りの日” たるものは、あの内容は、誰もが皆に、避けがたくして訪れる終末期のことになる。そこでのターミナルケアを目的として、その中身は書かれた。伝えられてあった。※(キリスト教の文化圏内にある人のみに限定はされてしまうのだが…)。
だから〜、一度は、しっかりと、時を迎えるその前に、先に読んどいたほうがいい。死期たるものに関しての、そこにおいての一つの教唆になってるのだから。一切が音をたてて崩れ去る。このことは確実。で〜も〜、”光”は、そこにおいてこそ、生まれて初めて、実体として、意識にては確認されるようなるんだよっと…。