8. 祈祷文編纂用
文字数 7,300文字
ヤッパ、
ちが
らないと
ダメ。その
しっかりと
からでないと
やっても意味なし
。だから
自分なりに
しっくりくる
を
、す
、べき
なんだ。なけりゃ〜
み
す
までのこと!。りに
、は
、ありません
。なんだって
いいんだ
、まったくのオリジナルで
あってでさへ
!。自身にて
生み出すことには、なんの
も
、ありません
。むしろ、
そ
〜すべき
なんだ。使用は
あくまでも
って
とはなりますが。この個人にて
ものの方が
、実は、大事
。皆で一緒にやる
だが
、こっちの方が、もっともっと
大事。一対一
かつに
、にて
、なんのだから
。でも
その
は
間違いなく
全体に
ぶんだ
。以下に叩き台となるべきものをご用意させて頂きました。
皆さんのお好きなように
変更を
加えてくみてやってください。ご自身に合うものとすべく
。最初から大いに
変更が
なされてしまっていますが!。【 使徒信条 】
のみを
、が
たるを
、こそを
、め
、じ
、し
、へて
、めます
。また
かって
ほもって
、されたる
また
めに
されたるの
、じく
。の
このも
、ここまられたままなりて
、その
ひ
、ごそのままに
、き
りて
、また
されして
、ご
へは
なく
、はれ
、またされて
、されて
ある
。これら
よりの
、その
きが
に
、わんとして
れたる
、よりの
ほ
、また
を
、し
げまする
。によりて
、として
ご
せらる
。そして
、との
はりほ
、たれての
ポンテオピラトが
にかけられ
、にて
、せらるる
。れられたるの
そのもて
、かるる
をもって
!における
その
すべて
が
、ほもっての
を
、めたるが
に
!され
、されて
、その
みと
しみを
、と
に
、ひ
くしての
の
に
!な
なる
が
へあることを
、に
、もて
、りながら
!も
、すべて
れ
ひて
、へられての
の
に
!ひに
たる
ら
の
らが
が
、におひて
!こと
へと
、って
、けり
。もて
、なるをもって
【されたる
。だが
この
は
、レほもって
、とり
かるる
。そして
、なんととなりて
、たれたのであった
。その
は
、しばしのみ
に
まりにて
、もて
、って
、きに
、ひしける
。るまで
、にて
、ひしておらるる
。やがてに
、そこより
『との
、づる
。きている
と
、んでしまって
、はもう
へなくなってしまった
とらを
、に
するが
の
なりて
、この
にて
きたるの
そのすべてに
、を
、すが
、なりけるの
、の
〚とも
、なられ
、ひし
たれば
、なる
におひて
ならむこと
、にて
、されたるの
し
、り
、たるものの
、わひとしての
さかの
は
、に
、けして
、これら
、されたるところの
、そのすべての
に
、れんことを
、から
、に
、ひ
ーみ
ーい
ーげ
、らむ
…。アーメン
*
これは
になる
。だから本心であることのそのとして
お読み下さい。*ことの核心は
何に
したるのか
?このことに尽きる。*言うまでもないが ”Intentional Suffering ”の
原点と
みなすべきところ。*復活の実際では別の
新たなる肉体を
まとうこととなる。使徒らでさえ多くは気付けなかった。おそらくは別次元体としてご介在されてた。
*右腕の意味はお分かりですね。以降は神のご意志の元、主導的お立場にてあそばす。
*「
自分こそが
彼を殺したその張本人
なのだ」との*ある意味では、
転写されたるの
そのままに
、もふ数え切れない程までの
が
、に
。彼等は
*
あそこは
自分であればこその
それは
決して
を
さない
。*
たるもの
これのに
こる
。このみは
で
りる
。そこでの
わいを
、へる
、らしめる
、べくして
。ちゃんと
気づけるわ。あまりにも
としての
そのなもんなんで
。【 イエスの教へた祈り 】
にまします
らが
よ
!が
、なるもて
、め
、られ
、そしてばれんことを
!を
、すぐ
、らが
まふここ
へと
、おたらしめ
へよ
!の
、はるるが
くに
、また
にても
、はれんことを
!たるを
、も
、に
らに
、おさひますように
。ら
、が
、したるところの
、その
を
、し
、ましたるが
らもまた
、らが
せる
ちにおひて
、おしが
、はれんことを
!ただの
たる
このつまらなき
なる
を
、みんと
されることの
なかれ
!もし
なる
の
に
ちて
、また
れへと
、ちんと
してあるならば
、その
らの
い
しの
ほ
、どうか
しく
、おします
。アーメン
*
太陽の位置の
ん
ぐらいのが
、祈りの向け先
。その向こうに
ありと
、そこの
にて
が
されておられるのだと
。*日用の糧
もしかしたら
今朝もまた無事に目覚めを
へれて
、今日一日の
生存が
つづいてあることを
感謝しつつ
、も
同じく
、そうで
あります
ようにと
も当たり前はない
のだから。*裁きは
すべて
自動的に即時即応にて
されてあるの
だが
、もしこれが解除
されて
あるなら
、不発
にて
終わっているのなら
、なんらかの
ご意向の向きが、ご介入があったれば
こそ
。*
試みは
避けられません
が
、の
いもて
、あそこはあの様に
祈っといた方がいい
。とかく
我知らずの内に
出る釘になってたりその実際は
「彼の
おきに
おみに
」の状況。ヨブのケース。*Temptation ってこの単語の意味においては、“誘惑”と“試み”の両義がある。これって、
する側
からと
される側
からの
、ことの実際に際しての、そのとらまえ方の違いなのよ。もし、読者を念頭において選ぶんのであれば、“
そうなっていない聖書は
しません
。*原付で走り回ってるからさ〜悪しき企みってものとの
でもいつも
ギリギリのところで
アーメン/
*ヒトにはいろんな求めがあるんだけど、
これらだけ
へと
そういった意味でもこの祈りは
あまりにも芸術的だ
。全文を要約して一言で言えば
、「
に
、として
、えず
、した
にて
、れますように
」。*最後の祈りは「
悪より
救い給へ」なんだけど、この悪は自己の内にあるもの、自分の思考、思いのことでもあるからね。
では
られるべくしての
その自分とは
、いったい何なのか
?*
信仰に
留まらんとして
してあるところの
自分
です
。逆照射
としてでしか
、ソレ
は
かんで
こない
。自分でもソレが
本当のところ
一体で
あるのかは
、【 天使祝詞 】
ご
ら
、だ
、かにして
、もっての
き
を
(い
、れり
!その
しと
の
また
なる
きが
、け
へ
、られますよう
、への
、おぎを
、どうか
しく
、おげます
。たる
らの
に
、に
、り
へ
。そして
、たるが
らを
れる
、のその
の
にも
。と
よりの
れみを
、ふることが
、ひますように
。アーメン
りは
繰り返すに従ってだんだんと
長き時を定着する
こととなる。もうそうなると
頭だけではなく
身体においても馴染みとして完全に憶えられてしまう。すると、
気づく
。一方通行ではあるのだが思いとしての伝達が極端に増大していってしまってる。そして、
向こう
には
姿形はあらねど、それは物言わぬながらも、なにか確固たる存在を、妙に確信してしまってあることに気づく。対象との関係が樹立されて、それが徐々に
深まっていった、そんな風な感じ。見知らぬ人と段々と親しい間柄になってゆく、
そんな展開と、同じであるかのような…。
マリア様は
あなたにとって
ヒト側におけるその最後の代表孤独なままの死とは絶対なりません。だって理解者は身内には誰もいないでしょ?。
そういった意味でもこの祈りには
真剣に取り組まれておかれた方が
…。【 栄 唱 】
の
まりから
、も
、いつも
、に
りなく
、わることなく
に
!ちることも
、きることも
、つるべきこともなく
、に
りて
と
に
、りて
、されんことを
!アーメン
まず
一つ
、ここにおいてともなれば
、心にて
、しっかりと
、み
んで
、おかねばならない
ことが
ある
。それは
、は
、く
願って
、あるにしか
、ないん
だ
ーって
、『コ〜トー!』。なぜならば
、えらく
スケールは
、ってはくるのだが
、やはり
ならざるものは
『ない!』のだから
。トロゴへの
切り替えに
おいて
…。だが
、そうで
、あるならば
、も
、それとしてのものとして
、り
続けているのだと
、ふのであれば
、され
たるところの
、そのすべての
は
、意識的
主体的
能動的にて
、の
なるご
に
、してあることが
、どうしてもとなるし
、またともなってくる
。からして
には
、パートクドルグ
なるものの
が
、せられて
、しまって
、あるのだ
!。この
に
じての
が
、されて
、あって
、こそ
!、めて
、にとって
とされてある
が
される
、その
仕組みと
なっている
。そして
また
に
、これらにおける
相互交換も
、たされることと
、り行われるよう
なって
る
。世界とは
、この
における
その
その
なのだ
。とにかく
、なくしては
、この世界そのものが
、成り立たない
。これとしての
もまた
ち
ない
!。だが
この
みさへ
、して
いて
、くれるので
あれば
、は
、にて
、終焉たるものを
、りする
ことが
ふ
。よって
は
の
、その
すべての
に渡って
、を
、その
を
、また
にて
、そして
、なによりも
くしての
マナー、その
にて
、たして
あらんこととし
、このことにおいて
、をもって
る
!。たるを
、むしろ
、まるで
いなる
こと
で
、あるかのように
して
ひ
、ただ
にて
、け
れてあるまでとす
。そうあれるよう
、する
、し
けて
、ありますと
、すべくしての
もし
あなたが
、その
を
きたい
と
!、い
める
のであれば
、たる
において
、そうでありますようにと
、してあることの方が
先決
だろう。に
いつまでも
永遠に
〜との
ひを
めて
…。もしかしたらそのものは
客観的に正しく
、またいたって
なるもの
なんです。現在
、生きて
、この
にて
ある以上
、は
、そうであることを
、から
、から
、その
結果
、なんですから。【 ファティマの祈り 】
ら
、だ
、て
くしてのその
ひ
、また
いであることを
、どうか
、おしください
。るべくの
の
より
、この
を
、おりくださいますように
。また
、たらんとして
したるの
、そのすべてのものたちを
、その
の
を
、へと
、おきくださります
ことを
。に
、よりの
れみを
、はだしく
とするであろう
、あれら
なる
においては
、ハ
にて
、たされてあらんことを
!。アーメン
そのものが
にて
されてしまった
人々の仏壇前の祈りに移ってからは、その最後は、不慮の死を遂げた方々に向けてとなる。
あの心斎橋の事件でお亡くなりになった方は割と早い目に想起されている。自分の担当。
もう堪らんよ憐憫の情ゆえに自然と掻き立てられ湧き起こりくるその悲しみは…。
あとがき:
各文節はつながりのあるものとないものがある。いたずらに急いで祈りを連続させないで、
各内容/各グループごとに小休止を入れるのがいい。自分はアーメンを唱えて
わずかに
その文章の意味その反響を十分に味わう確認する為の
連想が
なされるべきなのだ。要は聖書からガイドを探すならば、あの『心のかぎり、精神のかぎり、思いのかぎりを尽くして、あなたの神なる主を愛せよ』が相応しい。神もまた自らの働きに対しての信徒からの反映を、
観られたいのだ
。彼の愛ゆえの采配に対して、ヒトもまたおられる
。(*1)その表しの唯一の方法が祈りなんです。
あけすけで健全なる、そして自然な素の思いとしての
応答/伝達/発信/
放射
となるよう。絶対に命令口調にならないように。
声を出した方がいい
。可能な限り、
朗らかで溌剌とした
、明るいものとなるように
。(*2)彼を心の底から信じて、愛して、愛をもって、その愛こそを
放って
…。雑念を極力排して、その思いと
だけに
なるよう…。(*1)
「大いに深くに求めておられる」深い
そのパースペクティブは、そのヒトの人生の丸ごとを見通した上でのものなのだ。
最終的に、あれら不幸も彼の愛ゆえの出来事であったのだと、了解されるようなる。
時差があっても構わないのだ。ありがとうございます、
ました
は…。(*2)
ここは特に大事。ボクからの最大、特上級のアドヴァイス、奥義なんです。
絶対に陰気で殺伐とした追い詰められた感、悲壮感満載でやっては
ならない
。例えそうならざる得ない状況下に
いたとしても
だ!。お父さんだと思って、明朗なるものに、
虚勢を張ってでも
、そうなるよう。彼は辛気臭いのはお嫌
ですから。現実には泣きながら祈るってのが増えていってしまうんですがねー。
音楽を並走させるのがいい…
一番のお勧めはこれ“Sacred Treasures III ”
https://www.youtube.com/watch?v=EmxMlQOEQBo&list=OLAK5uy_kOou0_OGqQM_KlmuwUdJ5ZLHppJiXcMCw
改稿に際しては、いつも
これらが
流れてた…。" Anima Christi "
これは絶体のお勧め。
https://www.youtube.com/watch?v=phGDR9y912s
これの
最後には
主の与えられる”何を表現したかったのかがすぐ分かるので、作曲者は
経験者だったのだと
思います。” Slavite Gospoda ”詩篇135においての詠唱。
https://www.youtube.com/watch?v=E9L7_59PE_A&t=32s
Harpa Deiによる” The JESUS PRAYER ”。
https://www.youtube.com/watch?v=mfzXHDBSaIQ
しばらくこの頁にお付き合い頂けている方なら、お分りになるでしょう。
少しづつ変えてってますよね。実際に唱えてみて自分が思う正解へと
納得ゆくまで
変更を加えてゆくものなのなんです。終局、終わらんのやけど。膨張と圧縮その往来の
これがまた愚かにもおじゃんにされてしまうわけさ。でもそれでいいんだ。
裏方の苦労を一つ。
改稿に際しては
総文字数が7,300に終わるように努力してんの。変な気苦労が絶えないの。意味があるんだかないんだか知らんのやけど…。
彼は
辛気臭いのが
お嫌なんです。なんでそれが分かるかと言うと、
自分の父が
そうだったから。いや意外と
すべてのヒトの中に
彼はおられるのだから。印象の総合で
ことは推し量れるってもんなんだ。私の創作の全般その展開において
聖霊の
その関与を、察することが適うならば
、一つの
間違いなくそうだと
、自分としては、確信してる
…。