18. ティアラ
文字数 13,994文字
To the Church in Thyatira ティアティラに在る教会へ
18 “To the angel of the church in Thyatira write:
These are the words of the Son of God,
whose eyes are like blazing fire
and whose feet are like burnished bronze.
‖ティアティラの守護天使に向けて、斯 く書けよ…
ここなる言葉は、御子 殿 よりのものなる。
其 の眼 は、揺 らめきながら、輝 めき放 つ、炎 の如 くして、
そが脚 たるや、灼熱 にて、鈍 く輝 きたる、紅 の青銅鋼 かのよう…。
19 I know your deeds, your love and faith,
your service and perseverance,
and that you are now doing more than you did at first.
我 、汝 が培 いたる、その功績 を識 る。
汝 が、愛 を、そして信仰 を、貫 き通したるの、その事実 を。
汝 の、我 を倣 って為 したるの、数々 の、奉仕 たる行 ひについてを。
そして夥 しき受苦 の到来 に際 しても、忍耐 を、果 たし通したるを。
今ともなれば、汝の為 せる、その伎倆 は、その実働 は、
最初 の頃と比 ぶれば、遥 かに、格別 なるまでに、優 りたる…。
20 Nevertheless, I have this against you:
You tolerate that woman Jezebel, who calls herself a prophet.
By her teaching she misleads my servants into sexual immorality
and the eating of food sacrificed to idols.
然 れども、然 し乍 らも、我 に、汝 が有 り様 におひて、責 むるべきことあり!。
汝 が、あの自 らを預言者 と宣 ふ、ジザベルなる女を、見過 ごしたることにおいて。
はたして汝 は、あの女 が、行 ひしたることを、しかと理解 しておるぞや?!。
あの女 は、信徒 たちを、誑 かしをもって、誤 った道 へと、誘 ひ入 れ、
己 が悪事 にて汚 し、それもての染 め上 げを行 ひしておりたる。不貞 なる姦淫 へと、
誘 ひ込 み、此 れを彼等 に行 わせしめたる。そして、更 には、偶像 に捧 げられたるの、
その肉 を、喜 びもて食 むるよう、喰 らひ合ふことさへをも、教 へしなる。
21 I have given her time to repent of her immorality, but she is unwilling.
我 は、女 に、ときの猶予 たるを与 へし。あの女 、自身 が、其 の
不道徳 なる行 ひを、畏 れ、恥 じて、悔 いて、そして改 めせんがため。
然 れども、あの女 は、そうすることを、良 しとせず…。
22 So I will cast her on a bed of suffering,
and I will make those who commit adultery with her suffer intensely,
unless they repent of her ways.
故 に、我 は、此 の女 が、陰毒 によりての病 にかかり、床 に伏 して、苦 しむようせん。
そしてあれら、女 と姦通 したるのものらもまた、苦難 の淵 に、沈 むようせん。
あれら自身 が、女 と行 ひたるを、悔 ひて、詫 びて、ことを改 めない限 りにおいては…。
23 I will strike her children dead.
Then all the churches will know that I am he who searches hearts and minds,
and I will repay each of you according to your deeds.
女 が儲 けたるの、其 のすべての子等 は、不遇 なる死 を、迎 へるようにせん。
然 すらば、然 するなば、すべての教会 、そこに集 ふ、其 の信徒 のすべては、
我 が、心 中に、その内奥 にて、そこにヒトが思ひしこと、考へることを、
尽 くに探 りて、そのすべてを知 り尽 くしたるの者なることが、皆にも判 ろうぞ。
そして、更 には、各自 が果 たしたるの、その日々の行 ひに、その功労 におひて、
その功績 に準 じて、また応 じて、我 が、報 ひるものなることが…。
24 Now I say to the rest of you in Thyatira,
to you who do not hold to her teaching
and have not learned Satan’s so-called deep secrets,
‘I will not impose any other burden on you,
また、ティアティラにおける、汚 れなき、残 りの信徒 らに向けて、斯く伝 へん。
汝 ら、つまりは、あの女 の教 へたるものを、受入 れざりしものたちに向けて…。
そう、サタンの、いはゆるところの、「深遠 なる秘儀 」たるを、学 ばざりしものたち。
『私は、あなた達には、いかなる重荷 をも、負 わせることはない』。
25 except to hold on to what you have until I come.’
『その信仰 を、我 が来 るの、その瞬間 まで、
しっかりと保持 して、固 く守 り通 して、あること以外 には!』。
26 To the one who is victorious and does my will to the end,
I will give authority over the nations—
我が意志 たるを、最後 の最後 まで、貫徹 せしむるもの、そうすることに勝利したるのもの、
其 のものらには、我 は、国々 に渡 って支配 する、その権威 を、
その権能 たるを、与 へん。
27 that one ‘will rule them with an iron scepter
and will dash them to pieces like pottery’—just as
I have received authority from my Father.
其 のもの達が、すべての国々 を、支配 する。
その権限 たるの、所持 を表 わすにおいて、鉄杖 を、与 へられて。
その一撃 のもとに、それらの国々 は、素焼 きの壺 の如 くして、
粉々 に、容易くして、砕 かれようぞ。
左様、ことは、我 と、まさしくして同 じとなる…
我 が、父 より、権能 を、
受領 せしことと、同 じなりて…。
28 I will also give that one the morning star.
我 は、また、そのものには、明 けの明星 をも与 へん。
29 Whoever has ears, let them hear what the Spirit says to the churches.
誰 あろうとも、聞 く耳 のあらば、
聖霊 が、諸教会 に向けて、語 るところを、その説 くことを、聞 くがよい…。
〈つづく…〉
Re: あとがき兼、ほぼ
*先ずハ簡単なやつからー!
Re: 初っ端の絵は…
”バーサーカ〜”じゃ〜ぁぁぁぁあッないよ〜。いい絵がないのはボクへのお楽しみということでそう手配してくれているんだと思ふ。某 らかのオリジナルがあって、それに加工を施 させて「も〜てます〜」(サーヤ)。あまり上手にではありませんがご容赦の程を。謝。
Re: Expression of "Son of God"
これよりも先に 、”Son of Men” において質問しよう。あれよあれっ聖書ん中でよくでてくる”ヒトの子”って表現。これってどゆ意味?。子供っていうこと?。違うよねー。すんずばらくしたら考へ話すわ…。それはあるニュアンスを込めて、そうした表現にしてるの。あなたもヒトの子なんです。髭面の頭ハゲ散らかした状態であったってー!。
それは、今、あなたが生きてここに、このときにあるのは「系類としての結実である」との含みもて語りかけているまで。先行する沢山の先祖が居られてこそのあなたであると。そして、あなたも、また子をもうけるであろうから、彼ら子孫に対しての責任があることも当然の前提となっている。連綿と続く世代の結束点として、あなたたる存在は今ここにいるという時事の元に「ヒトの子よ」って語りかけてるの。今ここに生存しているあなたには自覚すべき課題たるものがある。一つにあなたの先祖が果たさなかったこと、できなかったことを代わってなすこと。ハッキリ核心たることをいえば、”過ち”として血筋の中に持ち込んだ罪としての傾向をあなた自身において取り除くこと。間違いなくその血は流れているのだから。このことの意味は、次代の子孫がそれに同じく縛れれないようにする為にも大切な課題になる。二つ目の課題は、あなたの血を受け継ぐ子孫がより自由にして健全に生きられるようにすることにある。
イエスにおいても系類を前提にして、神の子よって呼びかけが採用されているのが意味深い。
完全なるものからは同じく完全なるものしか生まれない。イエスも完全にして聖なるものになる。そうとしかならない。父と子としての同じ関係がることをヒトに向けて強くアピールしているに過ぎない。その相似たる事態を意図して持ち込んできているまで。ヒトとの違いは、始まりのものと、その子しかしないこと。ヒトにおいては、何代にもわたっての先行する先祖がいて初めてあなたがいるってこと、そして…。イエスを手本にして、父に代表される、あなたにとっての先祖たるものたちの、その生存における意義たるものをよく自覚して、その彼らに感謝して、また、あなたの子にて代表される子々孫々に向けて、愛を抱くこと、そして、あなたが果すべくしてある責任たるものを自覚しなさいよが隠されたメッセージとして、あの表現はあるのかもしれない…。
この絵は、エゼキエル書における智天使に関しての記述を元にしたものになるのだけれど、ただ単に言葉のままのものに妄想の翼を広げたものに過ぎない。聖書の中では、よく”Son of Men” の用法が登場する。自分の理解においては、それはあくまでヒトのことに過ぎないのだ。だから上の絵の作者のような、それを赤子や子供として描くことは勘違いでしかないものだと思う。字面/表/表層のみにて、ことを理解するにおいては、大いなる間違いにつながることもあるであろうことを注意しておきます。*所詮は、本人以外に、その表現はできないんだ。おそらくは、その言葉をもって完結している。だから手を出すなって表現者らには言いたいんだ…。追記:その完結たる事態が分からず、理解できない人々らにおいて、妄想が羽ばたく。なんと、それを、逸脱たるオリジナルの破壊を良しとしてしまうんだ…。それがファンタジーなんだとか、個人の自由なのだとかなんとか言って!。良かろう…。ならばだ…、覚悟たるものが一ついる。それは真実ではもうないんだと、本当とは既に一切関わりなしと成り果てたることも、何処かで意識しておいて欲しい。もし、そちら、妄想側に傾いていってしまって、そちらが本領となってしまったならば、その暁には、あなたは”魔女”となる。自覚のあるなしに関係なく、”かれ”と、同類になってしまう。ならばだ、その事態においての覚悟はしておくべきだと思うがね…。
Son of a bitch, Son of a gun って表現ももあるんだよね〜。
雌犬は発情期ともなれば、もうどこの誰であろうが関係ない。誰にでも股を開く、そんな女の息子っていみなる。売女の子って意味で極度に侮蔑した表現になる。
ガンの方は、戦艦の大砲(Canon)の意味が元々なんだけど、火遊びってニュアンスが添えられているからGunにされちゃった。水兵さんが戦艦に同乗してる女性の用務員さんと夜間逢引をしたのが大砲の下でしたって。そんで、そのオナゴさんも、引く手あまたで相手してたので、誰のやら分からん子を宿してもうた。そんで、あとで、いろいろと面倒ごとが起こるんだ。それを聞かされた男は寝耳に水ってなことになった。そん時の男の驚きの心情たるものを添えるの意味でSon of a gun って会話の途中に挟むんだ。←このエピを聞いた後代の男達が、その我等バカどもが、思ったのさ。戦艦の乗組員やっててさ〜、その任務中に夜間、甲板でしけ込むとは〜「やってくるじゃん」って。そういたリスキーな真似してでも、「やりたくなったらやるのが男ってやつだもんなー」って。「それこそが俺ら男ってやつじゃん」って。だから「やっる〜」「やるな〜」って、同類としての、同じ類型としての、感嘆とワクワク感を込めて、その会話の相手に対して使われるのー。www。ニュアンスが奥深いってことで追記した。
エゼキエル書における、あの智天使に関しての記述に関して、その結論を言うならば、
あれは既に、エゼキエルは、イエズスの登場を、ヴィジョンにて観ていたのだ。
救世主たるものの、その到来を、暗に、私達に伝えてくれていた…。
Re: 明けの明星において。
文中における「I will also give that one the morning star」のところ。
これの意味はさておいといて、後の22章16節 にて、
その星は、イエス自身を指すものだと、自ら語っている。
「I am the Root and the Offspring of David, and the bright Morning Star.」
ご自身のことを、輝かしき朝の星だっておっしゃってる。
明け方前に、東の空にて、強力に輝く星であることのみに着目。それは強力な光放つ金星のことになるのだが、それって、すぐにその姿を消すじゃん。なぜって、後を太陽が追ってきてるから…。つまり、明けの明星たるものには、太陽の先導者としての役割が勝手に読み込まれて、投影されてる。そんで、この太陽たるものが、ご本尊としての神そのものを同じく投影しているってことは言うまでもあるまい。イエスにおいてを振り返ってみれば、荒野にて呼ばわる洗礼者ヨハネがその役を担ってた。某らかの先鋒役が控へしてて、それの活動の後に、真の主役たるものが登場するってのがお決まりとしてのパターンなのだ。魁、初穂、先鋒、その道たるを整へるもの、もしくは生贄、人柱...。
では、その”
それは、勝ち星であることの意味は当然であるとして、
Re: 彼は鐵の杖をもて之を治め、土の器を碎くが如くならん。(文語訳)
an iron scepter and will dash them to pieces like pottery’ のところ。ここにおいては、
このアマ〜ンに、大いに語らせてもらわな〜「アッカ〜ン!」(浪速的文調)。
先ずは前後先になるが、この”pottery”って何?。
陶器の壺ってのが簡単なイメージ。それは素焼き、つまりはテラコッタの器!。細かな土を、水で捏ねて粘土にして、型整えて、焼いただけの代物。容器だね。中には水やら、食べ物やら、いろんなものが入れられるー。便利ー。とても役に立つー。
次に鉄の杖。こいつは、権威を所有してるってことの証であり象徴としての物品。誰でもが持てるもんじゃない。まっ、とにかく今回に関しては、その権力の証としての武具としての側面に脚光たるものは当てられねばならない。鉄の棒だよ。棍棒って言ったほうがいいかな…。
これをもって陶器の壺、それもかなりでかいやつ、ぶっ叩いたらどうなるか?。それが、いかに分厚い装甲であったとしても、もう堪らない。一撃をもって簡単に砕け散る。これは確かなこと…。間違いないこと…。
この喩えは、自分としてはめっちゃ気に入っている。ほんと秀逸。感覚的に大いにしびれるものがある。質的に極端なることがまたいい。頑丈そうにみえたる大きなものが、か細き棒の一撃をもって、ものの見事に砕け去り、数多の断片となって、飛び散っててゆく。その様たるを想像しただけでとにかく、もう、最高!。
閑話休題。いきなり枢要たるを語りて宣 へば、それは正しくエゴとしての人格のことだ。その事以外の解釈は余計にして無用!。この物質性としての肉体を、自己であると信じて疑わない私達人間のこと。獣の生存本能たるものに、無分別に、流されて、染まって、支配されて、それとの同化の極致と今まさになり果てたるの人々のことだ。このことは私なる自己観念の元に、つまりは人格に重きをおいている限りは、すべての人間が、これだと言い切ることができるー!。
これにおいては脆さたるものが認められる。
その一つは、人格たるものは、観念をもって、なんらかのコード/言語をもって、構成されてされていること。それらに即して倣って従ってでしか、なんもできやしない。それは情報って、プログラミングだって、言うのが一番いいんだろうが、架空の仮想の意味大系でしかない。簡単な例を上げれば、愛たる言葉は知ってはいるが、それを、その実際を誰も知らない。真実のそれ自体に触れたこともなければ与えられたこともない。つまりは、それそのもののインプットがないだ。さすれば、アウトプットのしようがないではないか!。ってことでー、世の中からはどんどんとそれの存在が薄くなってゆきましたとさーだ。閑話休題。まっ、とにかく、真実なるものの前では、観念や想念なんか、一撃の元に吹っ飛んでいってしまうってことになるのは理解してもらえると思う。今まさに目の前に迫りくる危機に際しては、「神よ助け給へ」なんて言ってる場合じゃない。その危機たるものの本質を明瞭明確に確認意識して、それへの対処を、具体的に我が知見、我が意、我が努力において先ずは果たすが先決だ。念仏唱えてどうかなるはずもない。ことリアルにおいては、想念たるもの観念たるものは、あまり役に立つものではない。やはり、最後は、意志力、勇気、決断力なんかの実戦においてのみ培われるものが頼りになってくる。…それらは、言ってはなんだが…魂としての力量ってことになるんではないか?…。
また、この肉体ってのがいたって弱いもんなんだ。このことは物質は酸化しやすく、また紫外線によって破壊され劣化してゆくことを見れは明らかなることだ。ちょっと深い傷でもできれば、そこにはすぐ化膿たる事態が発生する。バイキンに侵され易いんだ。人体においての老化ともなればに、それに伴う体組織の変化たるものを思えば、もう話はいらんかもしれない。オペレーションを担当するシステムも駄目になってゆくばかり。耄碌、認知症、ボケ。それらはもう決して、絶対に、元に、若かりし頃の状態には戻らない…。
そんで王権としての証たるあの鉄杖だ…。
それはいったいなんなんだ?。
ことはそれの物質性に対しての圧倒的に優位なること。
対物質おいての、その支配力、破壊力、永続なること。
結局は、ことの始まりに関することになっていってしまう。
宇宙が宇宙を生み出したって訳じゃない。
卵が先か鶏が先かの話の枠では埒が明かない。
あるとき、無において、有が誕生したのだ。
その原因体を我々は便宜上、神と呼んでいる訳さ。
その名はともかくとして、
何か、物質性の上位に、それ以前に、何か別の何かが存在する。
そう推論することはいたって健全になる。
帰納法的に、それはもう至って完璧に確実なのだ。
*考察の根拠とされるべきは「人類は人類自身が生み出した訳ではない」っていう事実。
聖書においては、イエスは、その上位のなにかよりの権威をもって、それを与えられて、この世に登場してきたとハッキリ宣 ってる。そんで実際、物質世界の枠においては果たし得ない奇跡を行った。またその奇跡おいて最大の争点となるのは死よりの復活だ。この世の理からすれば、これはもう完全に逸脱した現象だ。絶対にあり得ない。もしあり得るとすれば、それは、もう根源としての別次元からの干渉において、まったく未知なる別種の理が作用したとしかならない。*(マドカにて世に流布してしまった、あの「円環の理」の意味は、エニアグラムに結びつけなければならない。エラー修正としてこれ言っとく。)
あの鉄杖はイエスによって与えられるもの。だからこの世の理からは外れたものになる。そこは真実はどうなのかはまったく知らないが、伝聞によると不死としての世界であるらしい。とは言っても、その実際は、始まりも終わりも同じで間の時間経過は、その界隈においてはナンセンスであるらしいのだがねー!。知らねッ…。
Re: さ〜て簡単なのは済んだので、こっからは簡単じゃないやつになります〜!。
前ペルガモンへの手紙と同じような糾弾内容が含まれている。今回はベタなアプローチをもって、そこには実際何があって、どういう展開において罪たるものを犯すなのかを見ていこう。
まずはだ、ティアティラはそこそこの人口を抱える都市部だ。本区域における信徒達の取りまとめ役として守護天使たる方がいる。これは神父さんだろね。彼の主な仕事は、信徒たちの管理監督。彼等、信徒たちが正シ〜ヒッ、道を歩めるようにと…。
そんで、イザベルなる女が別に登場してる。固有名詞付きなので実在する人物だったのだろう。その女は自身のことを未来のことのことを読むことができる能力者であるとうたってた。よく当たるので周りは彼女のことを予言者として認めていた。今の現代においてもこうした生業のヒトはいるので、それに関してのイメージを持つことはさして難しくない。あれやこれや不安をかこつ人達においては、なんだかんだ言っても頼りにされてた。彼女は先生と呼ばれ、権威者として相談を持ちかけてきたその相手とは親身になって接することができた。その彼女の権威たるものは、普通のヒトにはあまり馴染みのない、彼女ら専門家のみが知る専門知識。それに準じての、また当事者の状況に基づいての解釈を行う。あれやこれや言うことができる。受け手としては、訳わからずながらも、そのお言葉に縋り付くしかない…。
こっからは、ことの実際、真相を、勝手に想像してみる…。このイザベルは金持ちになりたい、皆が崇拝する権威となりたい、権力を握りたいといった思いが強かった。育ちが悪く、品性たるものにはなんの価値もおいてなかった。世の中はキレイ事ではなく、ただ色と金と権力が支配するだけの世界との認識に凝り固まってた。彼女がやったのは誑し込みだ。不道徳なる性行為なる表現があるので、つまりは妻帯者としてある男性の相談者を誘惑して寝たのだ。そこには何らかの目的があったはずだ。パトロンとするとか後ろ盾として何らかの便宜を図ってもらうとか…。とにかく自分の肉体であろうがなんであろうが使えるものはなんだって使う。それが使える内に目一杯使う。徹底的に使い切るが方針だった。誑し、色仕掛けたるものにおいてのその技量、誘惑としての手練手管はあまりにも洗練されたものであった…。
親しくお付き合いさせていただいてる方々からは…
”ベラ”って呼ばれれても〜て…。
ことは寓意としての表現と見做すべきだ。では具体的にはどんな事象のことを言っているのだろうか?。先ず、それは間違った行動たるものにつながっている。「she misleads my servants」 この一文にことの焦点たるものを探る手掛かりがあるのかもしれない…。
端折る。肉の喜びとはあくまで獣としての本能からの要求を満たすことにおいて得られること。この肉は快感と苦しみを梃子に動かされている。こころはそこに対象とされうべくの意味内容をこじつけで無意識に設えているだけ。肉は物質性を表しこれをもって、これを中立ちとしてヒトは満足たるを得てる。その目的を果たし完結させている。
でもこの有様は物質性により根付くことに他ならない。場合によっては肉への執着は、より強固なものとして習慣化し常態化して残ることになる。*ここには何かが欠落しているのだ。
イエスというか神性としてある神としては、そんな入れ物においてではなく中身としての本質として、それが真実求める所において、ことを為すべく誘導されている訳だ。だから、肉からの獣の習性としての、色がそこに差し込まれてしまうことは、ことをおじゃんにしてしまう。ことにおける質的なものを、まったく違うものへと変えてしまう。レトルト食ってハイおしまいがいい例になるかもね。あの「違うだろ!」の姐さん呼びたい…w。
肉としてのセックスは、あくまで自己本位/自己満足的なものとして規定されてしまうのかもしれない。相手を力づくで組み伏せ、支配の証として性交を果たす。相手の警戒を掻い潜って、その相手を催眠状、暗示下においてこちらの好き放題をおこなう…。これのロールプレーがスタンダード?。
英語におけるその表現や単語そのものの構成をよく吟味するならば、もうすべてを完璧に理解してるじゃないの〜って思えるときがある。…。例えば Make love と Fuck のことなる。共にセックスを表わしている。二種類の性交があることをはっきりと英語圏の人間ははっきり自覚している。前者はとても難しいとも言えるし、ヒトとしてはとても自然なものだとも言える。かっては、本来的には、これが普通だった。だがどうだろうか、今のこの時代においては?。男女の合意のものあったとしても、そこに信頼と友愛と愛を媒とした融合が、接合が、なし得ているのだろうか?。自分はそれを疑う。あるのは性欲の充足を目的とした相互Fuckしかないのではないだろうか?。これがセックスとしての当たり前であると、メディアを通して洗脳が行わ続けてきたことの結果だ。Fuckはレイプなのだ。動物でさへ、もっとましだと思う...。
*ゴメン、今ん処は、後から無理からぶっ込んだ部分になります。m(__)m
問題だったのは信徒たちのかなりの数が彼女との関係を持ってしまっていたことにある。場合によっては、小集団としてのかれらキリスト教グループを乗っ取りの対象として見てた。丁度手頃であることからも、理に適っていたのかもしれない。そんでゆくゆくは、自身をマリアの転生であるなどと宣うことにことによって、突如トップに躍り出る。そんな計画だったのかもね…。
こういった人間臭い次元での、ヒトのこころの変化進行に対して、ただの傍観者としてでしかなかった神父に、管理の不行き届きとしての叱責が、天の声としてくだされていたのかもしれない。*勘の鋭い信徒らにおいては、ことは既に明らかに周知されており、みなの心中にては不快感、非難、失望が渦巻いていた。その思いの矛先が神父に向けられていたことの昇華だったのかもしれないが…。
追記:そういった人間の動向に関しては管理者としては釘刺しに動くのはなかなかに躊躇われてしまってたんだろね。気になる、気に障るの思いがあったとしても…。男女の色恋、色情の要素が強くって、うかつにその関係たるものに踏み込むことはできなかった。なんとなく勇気たるものの不在をこの神父には観てしまう。でもその介入を行うべくのその一歩が為されなかったがために、えらいことが水面下では進行してってしまう…。やはり二の足を踏むその行為こそが絶対になされるべきことであった。この神父さんには、
しかしだ、これはコレで終わらない。「the eating of food sacrificed to idols」がさて何の事態のことを表しているのかについても、突き止められなければならない…。ここでの偶像は、イザベルが仲介を務めるなんか。実際にはイゼベルなる人物に投げかけられているイメージ。投影たるものをファン達はイザベラに行っている。幻としての虚妄でしかないものを…。
端折る。それは主観としての神の代用物でしかない。
なんでなんかは知らないが、人間は熱烈に何か誰かに憧れてしまう。
それは、あくまで、その個人おいての手前勝手な幻想に過ぎないものをだ。
そいつを投影してしまう。このことの原型は親への甘えなんかもね〜…?。
いい加減なことを言う…。
ことは「君もそのことにおいて、その時点では楽しんだから、よかったじゃない…」で表され、そして済まされるものなのかもしれない。熱狂的な浮ついた思いにて、その相手を心から信じて信仰してた。そんで浴びせるほどのお布施を渡したりもした。
子を思えばこそ、親は子に対して厳しくなる。
我が子に幸せになってもらいたいから。
この世はそんな浮ついた世界ではないのだから。
でも、ヒトは「自己には甘く他人には厳しい」ってのが元々の傾向性としてはある。そんで、どうしても易きに流れやすくなってしまうってのがヒトの性。端折る。神の代用物が偶像の存在理由だ。それはリアルでない分、こちらの思い通りのイメージを投影することが可能だ。気休めとしては最高にして万全。だってあくまで仮想としてのそれなんだから…。
こういったヒトのこころの弱さに付け込んでの富の搾取としてのシステムが考案された。考えたやつはハスナムス達に間違いない。良心たるをどっかに忘れてきてしまった人間。そんで神をもってが一番ヒトのこころに対しては有効性があることも見抜いていた。手っ取り早く収奪が可能になる。クレイムはも上手に簡単に封じることができた。「あなたの行い、その思いに、未だ問題があるのでしょう…」。
もういいか…語るの嫌になってきた。
一を聞いて十を悟られる皆様なれば、今回はもういいでしょう?。
また気が向いたら追加としての部分を、
いや完成体とすべく残りの部分を吐き出させてもらいに来ます。
本稿はここまで。
拝
天村崇
一件のみ追記:
Re サタンの奥深きところにおける秘密とは?
サタンの、いはゆるところの「深遠なる秘儀」って訳した。
原文では、Satan’s so-called deep secretsってなってる。
彼のいるところは、ヒトに立ち入れない地下深部、奥深きところ。
だから基本、ダイレクトには関わりはあり得ない。
そこで一つの秘儀が果たされるべくしてあることが進行した。
彼と同じ傾向性において教団を色付けして、それにおいて取りまとめを果たす。
偶像は内部は空っぽなので、何でも入ることができる。
そこにおいてもダイレクト感は一切ないが、依代としての効果はあるんかもしれない。
霊感の強いヒトでもいれば電話代わりぐらいにはなるようになっちゃうのかもしれない。
それは地獄の構成そのものを、地上世界にて建立してこそ果たさせるもんなんかもね。
転写にて結晶化が見事にヒトらによった果たされてしまう。
まあ、とにかく、同類は集まってきてしまうもんさ。
また
ヒト自らにパンデモニウムを構築させている。
これがそれ。
さまよい迷いでた子羊。そのらの群れ。
彼等彼女らがいる処、陥る処、囚われてある処。
まさにそれがそこだ…。
それらの報賞たるもののイメージは尽 くすべて落ちる。
消え失せて然り。そんなことどうでもよくなる。
主への丸投げでいいやとなる。
無思念・無想が居場所となる…。
然しながらも、動いてはいるね、
あれやこれや忙しく働いている。
完璧なる仕事とはどこまで?を意識して。
おまけ:
改めて振り返って思ったのは、そこにある異常なまでの
指針とてのベクトルは、純正、純度、純粋性の追求にこそ、課題たるものが設定されている。
まとめて一言で言えば、至上の、高貴なるの極致して、既におわしませる方を崇拝し、
関わりをダイレクトに持て!。それへと至れだ!。
このことは金の精錬に例えるのが一番良い。
その目的において、すべては整えられてある。
純度100%を目指すべくその道すがらとしての環境は設定されて用意されている。
このことが、なんのことに関わるのかは正確には分からないが、
なんとなしにではあるが、そこにある種の秘儀たる化学変化が予感される。
多分、上位とは、そうしたものが、アストラル的な何かが、特質なるところなのだろう。
表現としても、清らかな魂の持ち主とか、清廉潔白なヒトっての世にては使われている。
無意識、無自覚ではあるが、某らか、その状態に価値たるを認めている。
それは達成されることが可能なる状態でもある。
これも金における”例え”をもってでしか、その達成の鍵たるものは知り得ないのだが、
熱をもって、混ざり込んでいるあれらの不純物を、揮発させるしか方法はない。
その熱を持たせるべくしてガイドと環境たるものが備えられている/くるまで。
これはキリストの教えにおいての解釈。それに過ぎない…。
でも他の先駆者たちも何故か、よく似たことを言っているのだが。
否、最大公約数としてを取り出して見れば、まったくのおんなじー!。
これって純金製なんだって〜!
18 “To the angel of the church in Thyatira write:
These are the words of the Son of God,
whose eyes are like blazing fire
and whose feet are like burnished bronze.
‖ティアティラの守護天使に向けて、
ここなる言葉は、
そが
19 I know your deeds, your love and faith,
your service and perseverance,
and that you are now doing more than you did at first.
そして
今ともなれば、汝の
20 Nevertheless, I have this against you:
You tolerate that woman Jezebel, who calls herself a prophet.
By her teaching she misleads my servants into sexual immorality
and the eating of food sacrificed to idols.
はたして
あの
その
21 I have given her time to repent of her immorality, but she is unwilling.
22 So I will cast her on a bed of suffering,
and I will make those who commit adultery with her suffer intensely,
unless they repent of her ways.
そしてあれら、
あれら
23 I will strike her children dead.
Then all the churches will know that I am he who searches hearts and minds,
and I will repay each of you according to your deeds.
そして、
その
24 Now I say to the rest of you in Thyatira,
to you who do not hold to her teaching
and have not learned Satan’s so-called deep secrets,
‘I will not impose any other burden on you,
また、ティアティラにおける、
そう、サタンの、いはゆるところの、「
『私は、あなた達には、いかなる
25 except to hold on to what you have until I come.’
『その
しっかりと
26 To the one who is victorious and does my will to the end,
I will give authority over the nations—
我が
その
27 that one ‘will rule them with an iron scepter
and will dash them to pieces like pottery’—just as
I have received authority from my Father.
その
その
左様、ことは、
28 I will also give that one the morning star.
29 Whoever has ears, let them hear what the Spirit says to the churches.
〈つづく…〉
Re: あとがき兼、ほぼ
ダベリ
*先ずハ簡単なやつからー!
Re: 初っ端の絵は…
”バーサーカ〜”じゃ〜ぁぁぁぁあッないよ〜。いい絵がないのはボクへのお楽しみということでそう手配してくれているんだと思ふ。
Re: Expression of "Son of God"
これよりも先に 、”Son of Men” において質問しよう。あれよあれっ聖書ん中でよくでてくる”ヒトの子”って表現。これってどゆ意味?。子供っていうこと?。違うよねー。すんずばらくしたら考へ話すわ…。それはあるニュアンスを込めて、そうした表現にしてるの。あなたもヒトの子なんです。髭面の頭ハゲ散らかした状態であったってー!。
それは、今、あなたが生きてここに、このときにあるのは「系類としての結実である」との含みもて語りかけているまで。先行する沢山の先祖が居られてこそのあなたであると。そして、あなたも、また子をもうけるであろうから、彼ら子孫に対しての責任があることも当然の前提となっている。連綿と続く世代の結束点として、あなたたる存在は今ここにいるという時事の元に「ヒトの子よ」って語りかけてるの。今ここに生存しているあなたには自覚すべき課題たるものがある。一つにあなたの先祖が果たさなかったこと、できなかったことを代わってなすこと。ハッキリ核心たることをいえば、”過ち”として血筋の中に持ち込んだ罪としての傾向をあなた自身において取り除くこと。間違いなくその血は流れているのだから。このことの意味は、次代の子孫がそれに同じく縛れれないようにする為にも大切な課題になる。二つ目の課題は、あなたの血を受け継ぐ子孫がより自由にして健全に生きられるようにすることにある。
イエスにおいても系類を前提にして、神の子よって呼びかけが採用されているのが意味深い。
完全なるものからは同じく完全なるものしか生まれない。イエスも完全にして聖なるものになる。そうとしかならない。父と子としての同じ関係がることをヒトに向けて強くアピールしているに過ぎない。その相似たる事態を意図して持ち込んできているまで。ヒトとの違いは、始まりのものと、その子しかしないこと。ヒトにおいては、何代にもわたっての先行する先祖がいて初めてあなたがいるってこと、そして…。イエスを手本にして、父に代表される、あなたにとっての先祖たるものたちの、その生存における意義たるものをよく自覚して、その彼らに感謝して、また、あなたの子にて代表される子々孫々に向けて、愛を抱くこと、そして、あなたが果すべくしてある責任たるものを自覚しなさいよが隠されたメッセージとして、あの表現はあるのかもしれない…。
この絵は、エゼキエル書における智天使に関しての記述を元にしたものになるのだけれど、ただ単に言葉のままのものに妄想の翼を広げたものに過ぎない。聖書の中では、よく”Son of Men” の用法が登場する。自分の理解においては、それはあくまでヒトのことに過ぎないのだ。だから上の絵の作者のような、それを赤子や子供として描くことは勘違いでしかないものだと思う。字面/表/表層のみにて、ことを理解するにおいては、大いなる間違いにつながることもあるであろうことを注意しておきます。*所詮は、本人以外に、その表現はできないんだ。おそらくは、その言葉をもって完結している。だから手を出すなって表現者らには言いたいんだ…。追記:その完結たる事態が分からず、理解できない人々らにおいて、妄想が羽ばたく。なんと、それを、逸脱たるオリジナルの破壊を良しとしてしまうんだ…。それがファンタジーなんだとか、個人の自由なのだとかなんとか言って!。良かろう…。ならばだ…、覚悟たるものが一ついる。それは真実ではもうないんだと、本当とは既に一切関わりなしと成り果てたることも、何処かで意識しておいて欲しい。もし、そちら、妄想側に傾いていってしまって、そちらが本領となってしまったならば、その暁には、あなたは”魔女”となる。自覚のあるなしに関係なく、”かれ”と、同類になってしまう。ならばだ、その事態においての覚悟はしておくべきだと思うがね…。
Son of a bitch, Son of a gun って表現ももあるんだよね〜。
雌犬は発情期ともなれば、もうどこの誰であろうが関係ない。誰にでも股を開く、そんな女の息子っていみなる。売女の子って意味で極度に侮蔑した表現になる。
ガンの方は、戦艦の大砲(Canon)の意味が元々なんだけど、火遊びってニュアンスが添えられているからGunにされちゃった。水兵さんが戦艦に同乗してる女性の用務員さんと夜間逢引をしたのが大砲の下でしたって。そんで、そのオナゴさんも、引く手あまたで相手してたので、誰のやら分からん子を宿してもうた。そんで、あとで、いろいろと面倒ごとが起こるんだ。それを聞かされた男は寝耳に水ってなことになった。そん時の男の驚きの心情たるものを添えるの意味でSon of a gun って会話の途中に挟むんだ。←このエピを聞いた後代の男達が、その我等バカどもが、思ったのさ。戦艦の乗組員やっててさ〜、その任務中に夜間、甲板でしけ込むとは〜「やってくるじゃん」って。そういたリスキーな真似してでも、「やりたくなったらやるのが男ってやつだもんなー」って。「それこそが俺ら男ってやつじゃん」って。だから「やっる〜」「やるな〜」って、同類としての、同じ類型としての、感嘆とワクワク感を込めて、その会話の相手に対して使われるのー。www。ニュアンスが奥深いってことで追記した。
エゼキエル書における、あの智天使に関しての記述に関して、その結論を言うならば、
あれは既に、エゼキエルは、イエズスの登場を、ヴィジョンにて観ていたのだ。
救世主たるものの、その到来を、暗に、私達に伝えてくれていた…。
Re: 明けの明星において。
文中における「I will also give that one the morning star」のところ。
これの意味はさておいといて、後の22章16節 にて、
その星は、イエス自身を指すものだと、自ら語っている。
「I am the Root and the Offspring of David, and the bright Morning Star.」
ご自身のことを、輝かしき朝の星だっておっしゃってる。
明け方前に、東の空にて、強力に輝く星であることのみに着目。それは強力な光放つ金星のことになるのだが、それって、すぐにその姿を消すじゃん。なぜって、後を太陽が追ってきてるから…。つまり、明けの明星たるものには、太陽の先導者としての役割が勝手に読み込まれて、投影されてる。そんで、この太陽たるものが、ご本尊としての神そのものを同じく投影しているってことは言うまでもあるまい。イエスにおいてを振り返ってみれば、荒野にて呼ばわる洗礼者ヨハネがその役を担ってた。某らかの先鋒役が控へしてて、それの活動の後に、真の主役たるものが登場するってのがお決まりとしてのパターンなのだ。魁、初穂、先鋒、その道たるを整へるもの、もしくは生贄、人柱...。
では、その”
明けの明星
”たるを「生涯において信仰を守り通し、勝ちを得たるものには与へよう」と語るイエスの、そこにある真意はなんなのか?。それは、勝ち星であることの意味は当然であるとして、
本体の
誘導を、務めるべくしての、名誉ある存在として、与えられる刻印なのかもしれない。そして、その本体とは、以降に、その彼等を模範として、灯明として、無事に勝ちたるを修めたるの、後続としての人々
、その全員を、全体をひとまとめにしたものを意味するのかもしれない…。Re: 彼は鐵の杖をもて之を治め、土の器を碎くが如くならん。(文語訳)
an iron scepter and will dash them to pieces like pottery’ のところ。ここにおいては、
このアマ〜ンに、大いに語らせてもらわな〜「アッカ〜ン!」(浪速的文調)。
先ずは前後先になるが、この”pottery”って何?。
陶器の壺ってのが簡単なイメージ。それは素焼き、つまりはテラコッタの器!。細かな土を、水で捏ねて粘土にして、型整えて、焼いただけの代物。容器だね。中には水やら、食べ物やら、いろんなものが入れられるー。便利ー。とても役に立つー。
次に鉄の杖。こいつは、権威を所有してるってことの証であり象徴としての物品。誰でもが持てるもんじゃない。まっ、とにかく今回に関しては、その権力の証としての武具としての側面に脚光たるものは当てられねばならない。鉄の棒だよ。棍棒って言ったほうがいいかな…。
これをもって陶器の壺、それもかなりでかいやつ、ぶっ叩いたらどうなるか?。それが、いかに分厚い装甲であったとしても、もう堪らない。一撃をもって簡単に砕け散る。これは確かなこと…。間違いないこと…。
この喩えは、自分としてはめっちゃ気に入っている。ほんと秀逸。感覚的に大いにしびれるものがある。質的に極端なることがまたいい。頑丈そうにみえたる大きなものが、か細き棒の一撃をもって、ものの見事に砕け去り、数多の断片となって、飛び散っててゆく。その様たるを想像しただけでとにかく、もう、最高!。
閑話休題。いきなり枢要たるを語りて
これにおいては脆さたるものが認められる。
その一つは、人格たるものは、観念をもって、なんらかのコード/言語をもって、構成されてされていること。それらに即して倣って従ってでしか、なんもできやしない。それは情報って、プログラミングだって、言うのが一番いいんだろうが、架空の仮想の意味大系でしかない。簡単な例を上げれば、愛たる言葉は知ってはいるが、それを、その実際を誰も知らない。真実のそれ自体に触れたこともなければ与えられたこともない。つまりは、それそのもののインプットがないだ。さすれば、アウトプットのしようがないではないか!。ってことでー、世の中からはどんどんとそれの存在が薄くなってゆきましたとさーだ。閑話休題。まっ、とにかく、真実なるものの前では、観念や想念なんか、一撃の元に吹っ飛んでいってしまうってことになるのは理解してもらえると思う。今まさに目の前に迫りくる危機に際しては、「神よ助け給へ」なんて言ってる場合じゃない。その危機たるものの本質を明瞭明確に確認意識して、それへの対処を、具体的に我が知見、我が意、我が努力において先ずは果たすが先決だ。念仏唱えてどうかなるはずもない。ことリアルにおいては、想念たるもの観念たるものは、あまり役に立つものではない。やはり、最後は、意志力、勇気、決断力なんかの実戦においてのみ培われるものが頼りになってくる。…それらは、言ってはなんだが…魂としての力量ってことになるんではないか?…。
また、この肉体ってのがいたって弱いもんなんだ。このことは物質は酸化しやすく、また紫外線によって破壊され劣化してゆくことを見れは明らかなることだ。ちょっと深い傷でもできれば、そこにはすぐ化膿たる事態が発生する。バイキンに侵され易いんだ。人体においての老化ともなればに、それに伴う体組織の変化たるものを思えば、もう話はいらんかもしれない。オペレーションを担当するシステムも駄目になってゆくばかり。耄碌、認知症、ボケ。それらはもう決して、絶対に、元に、若かりし頃の状態には戻らない…。
そんで王権としての証たるあの鉄杖だ…。
それはいったいなんなんだ?。
ことはそれの物質性に対しての圧倒的に優位なること。
対物質おいての、その支配力、破壊力、永続なること。
結局は、ことの始まりに関することになっていってしまう。
宇宙が宇宙を生み出したって訳じゃない。
卵が先か鶏が先かの話の枠では埒が明かない。
あるとき、無において、有が誕生したのだ。
その原因体を我々は便宜上、神と呼んでいる訳さ。
その名はともかくとして、
何か、物質性の上位に、それ以前に、何か別の何かが存在する。
そう推論することはいたって健全になる。
帰納法的に、それはもう至って完璧に確実なのだ。
*考察の根拠とされるべきは「人類は人類自身が生み出した訳ではない」っていう事実。
聖書においては、イエスは、その上位のなにかよりの権威をもって、それを与えられて、この世に登場してきたとハッキリ
あの鉄杖はイエスによって与えられるもの。だからこの世の理からは外れたものになる。そこは真実はどうなのかはまったく知らないが、伝聞によると不死としての世界であるらしい。とは言っても、その実際は、始まりも終わりも同じで間の時間経過は、その界隈においてはナンセンスであるらしいのだがねー!。知らねッ…。
Re: さ〜て簡単なのは済んだので、こっからは簡単じゃないやつになります〜!。
前ペルガモンへの手紙と同じような糾弾内容が含まれている。今回はベタなアプローチをもって、そこには実際何があって、どういう展開において罪たるものを犯すなのかを見ていこう。
まずはだ、ティアティラはそこそこの人口を抱える都市部だ。本区域における信徒達の取りまとめ役として守護天使たる方がいる。これは神父さんだろね。彼の主な仕事は、信徒たちの管理監督。彼等、信徒たちが正シ〜ヒッ、道を歩めるようにと…。
そんで、イザベルなる女が別に登場してる。固有名詞付きなので実在する人物だったのだろう。その女は自身のことを未来のことのことを読むことができる能力者であるとうたってた。よく当たるので周りは彼女のことを予言者として認めていた。今の現代においてもこうした生業のヒトはいるので、それに関してのイメージを持つことはさして難しくない。あれやこれや不安をかこつ人達においては、なんだかんだ言っても頼りにされてた。彼女は先生と呼ばれ、権威者として相談を持ちかけてきたその相手とは親身になって接することができた。その彼女の権威たるものは、普通のヒトにはあまり馴染みのない、彼女ら専門家のみが知る専門知識。それに準じての、また当事者の状況に基づいての解釈を行う。あれやこれや言うことができる。受け手としては、訳わからずながらも、そのお言葉に縋り付くしかない…。
こっからは、ことの実際、真相を、勝手に想像してみる…。このイザベルは金持ちになりたい、皆が崇拝する権威となりたい、権力を握りたいといった思いが強かった。育ちが悪く、品性たるものにはなんの価値もおいてなかった。世の中はキレイ事ではなく、ただ色と金と権力が支配するだけの世界との認識に凝り固まってた。彼女がやったのは誑し込みだ。不道徳なる性行為なる表現があるので、つまりは妻帯者としてある男性の相談者を誘惑して寝たのだ。そこには何らかの目的があったはずだ。パトロンとするとか後ろ盾として何らかの便宜を図ってもらうとか…。とにかく自分の肉体であろうがなんであろうが使えるものはなんだって使う。それが使える内に目一杯使う。徹底的に使い切るが方針だった。誑し、色仕掛けたるものにおいてのその技量、誘惑としての手練手管はあまりにも洗練されたものであった…。
親しくお付き合いさせていただいてる方々からは…
”ベラ”って呼ばれれても〜て…。
ことは寓意としての表現と見做すべきだ。では具体的にはどんな事象のことを言っているのだろうか?。先ず、それは間違った行動たるものにつながっている。「she misleads my servants」 この一文にことの焦点たるものを探る手掛かりがあるのかもしれない…。
端折る。肉の喜びとはあくまで獣としての本能からの要求を満たすことにおいて得られること。この肉は快感と苦しみを梃子に動かされている。こころはそこに対象とされうべくの意味内容をこじつけで無意識に設えているだけ。肉は物質性を表しこれをもって、これを中立ちとしてヒトは満足たるを得てる。その目的を果たし完結させている。
でもこの有様は物質性により根付くことに他ならない。場合によっては肉への執着は、より強固なものとして習慣化し常態化して残ることになる。*ここには何かが欠落しているのだ。
イエスというか神性としてある神としては、そんな入れ物においてではなく中身としての本質として、それが真実求める所において、ことを為すべく誘導されている訳だ。だから、肉からの獣の習性としての、色がそこに差し込まれてしまうことは、ことをおじゃんにしてしまう。ことにおける質的なものを、まったく違うものへと変えてしまう。レトルト食ってハイおしまいがいい例になるかもね。あの「違うだろ!」の姐さん呼びたい…w。
肉としてのセックスは、あくまで自己本位/自己満足的なものとして規定されてしまうのかもしれない。相手を力づくで組み伏せ、支配の証として性交を果たす。相手の警戒を掻い潜って、その相手を催眠状、暗示下においてこちらの好き放題をおこなう…。これのロールプレーがスタンダード?。
英語におけるその表現や単語そのものの構成をよく吟味するならば、もうすべてを完璧に理解してるじゃないの〜って思えるときがある。…。例えば Make love と Fuck のことなる。共にセックスを表わしている。二種類の性交があることをはっきりと英語圏の人間ははっきり自覚している。前者はとても難しいとも言えるし、ヒトとしてはとても自然なものだとも言える。かっては、本来的には、これが普通だった。だがどうだろうか、今のこの時代においては?。男女の合意のものあったとしても、そこに信頼と友愛と愛を媒とした融合が、接合が、なし得ているのだろうか?。自分はそれを疑う。あるのは性欲の充足を目的とした相互Fuckしかないのではないだろうか?。これがセックスとしての当たり前であると、メディアを通して洗脳が行わ続けてきたことの結果だ。Fuckはレイプなのだ。動物でさへ、もっとましだと思う...。
*ゴメン、今ん処は、後から無理からぶっ込んだ部分になります。m(__)m
問題だったのは信徒たちのかなりの数が彼女との関係を持ってしまっていたことにある。場合によっては、小集団としてのかれらキリスト教グループを乗っ取りの対象として見てた。丁度手頃であることからも、理に適っていたのかもしれない。そんでゆくゆくは、自身をマリアの転生であるなどと宣うことにことによって、突如トップに躍り出る。そんな計画だったのかもね…。
こういった人間臭い次元での、ヒトのこころの変化進行に対して、ただの傍観者としてでしかなかった神父に、管理の不行き届きとしての叱責が、天の声としてくだされていたのかもしれない。*勘の鋭い信徒らにおいては、ことは既に明らかに周知されており、みなの心中にては不快感、非難、失望が渦巻いていた。その思いの矛先が神父に向けられていたことの昇華だったのかもしれないが…。
追記:そういった人間の動向に関しては管理者としては釘刺しに動くのはなかなかに躊躇われてしまってたんだろね。気になる、気に障るの思いがあったとしても…。男女の色恋、色情の要素が強くって、うかつにその関係たるものに踏み込むことはできなかった。なんとなく勇気たるものの不在をこの神父には観てしまう。でもその介入を行うべくのその一歩が為されなかったがために、えらいことが水面下では進行してってしまう…。やはり二の足を踏むその行為こそが絶対になされるべきことであった。この神父さんには、
あの祈りの
、あの一節を
、唱えることを、その手のデリケートな問題に踏み込むときには行うことをお勧めする。そう、あれだ…Passio Christi, conforta me.(パッシオクリスティコンフォルタメ) 「キリストの御受難、われを強め
給へ」。そのことを思って、祈ることによって、その彼から勇気を分けてもらって、そんで自分のを振り絞るの〜!。くだくだ女々しく怯んだままに管巻いてるんじゃないのー!。しかしだ、これはコレで終わらない。「the eating of food sacrificed to idols」がさて何の事態のことを表しているのかについても、突き止められなければならない…。ここでの偶像は、イザベルが仲介を務めるなんか。実際にはイゼベルなる人物に投げかけられているイメージ。投影たるものをファン達はイザベラに行っている。幻としての虚妄でしかないものを…。
端折る。それは主観としての神の代用物でしかない。
なんでなんかは知らないが、人間は熱烈に何か誰かに憧れてしまう。
それは、あくまで、その個人おいての手前勝手な幻想に過ぎないものをだ。
そいつを投影してしまう。このことの原型は親への甘えなんかもね〜…?。
いい加減なことを言う…。
ことは「君もそのことにおいて、その時点では楽しんだから、よかったじゃない…」で表され、そして済まされるものなのかもしれない。熱狂的な浮ついた思いにて、その相手を心から信じて信仰してた。そんで浴びせるほどのお布施を渡したりもした。
この行為こそが
、お返しであったと…。その夢の狂乱こそが、あなたにとっての真実の取り分であったのだと…。*サンマがよくギヤグでやってるやつ。*これを食ったと言えるのかどうか?。*あとはやっぱり金だろね。なんらかの旨味があった訳だ…。それはよく分からない。ゴメン。子を思えばこそ、親は子に対して厳しくなる。
我が子に幸せになってもらいたいから。
この世はそんな浮ついた世界ではないのだから。
でも、ヒトは「自己には甘く他人には厳しい」ってのが元々の傾向性としてはある。そんで、どうしても易きに流れやすくなってしまうってのがヒトの性。端折る。神の代用物が偶像の存在理由だ。それはリアルでない分、こちらの思い通りのイメージを投影することが可能だ。気休めとしては最高にして万全。だってあくまで仮想としてのそれなんだから…。
こういったヒトのこころの弱さに付け込んでの富の搾取としてのシステムが考案された。考えたやつはハスナムス達に間違いない。良心たるをどっかに忘れてきてしまった人間。そんで神をもってが一番ヒトのこころに対しては有効性があることも見抜いていた。手っ取り早く収奪が可能になる。クレイムはも上手に簡単に封じることができた。「あなたの行い、その思いに、未だ問題があるのでしょう…」。
もういいか…語るの嫌になってきた。
一を聞いて十を悟られる皆様なれば、今回はもういいでしょう?。
また気が向いたら追加としての部分を、
いや完成体とすべく残りの部分を吐き出させてもらいに来ます。
本稿はここまで。
拝
天村崇
一件のみ追記:
Re サタンの奥深きところにおける秘密とは?
サタンの、いはゆるところの「深遠なる秘儀」って訳した。
原文では、Satan’s so-called deep secretsってなってる。
彼のいるところは、ヒトに立ち入れない地下深部、奥深きところ。
だから基本、ダイレクトには関わりはあり得ない。
そこで一つの秘儀が果たされるべくしてあることが進行した。
彼と同じ傾向性において教団を色付けして、それにおいて取りまとめを果たす。
偶像は内部は空っぽなので、何でも入ることができる。
そこにおいてもダイレクト感は一切ないが、依代としての効果はあるんかもしれない。
霊感の強いヒトでもいれば電話代わりぐらいにはなるようになっちゃうのかもしれない。
それは地獄の構成そのものを、地上世界にて建立してこそ果たさせるもんなんかもね。
転写にて結晶化が見事にヒトらによった果たされてしまう。
まあ、とにかく、同類は集まってきてしまうもんさ。
また
あれ
はとても伝染性が高いもんだからさっ。ヒト自らにパンデモニウムを構築させている。
これがそれ。
さまよい迷いでた子羊。そのらの群れ。
彼等彼女らがいる処、陥る処、囚われてある処。
まさにそれがそこだ…。
それらの報賞たるもののイメージは
消え失せて然り。そんなことどうでもよくなる。
主への丸投げでいいやとなる。
無思念・無想が居場所となる…。
然しながらも、動いてはいるね、
あれやこれや忙しく働いている。
完璧なる仕事とはどこまで?を意識して。
おまけ:
改めて振り返って思ったのは、そこにある異常なまでの
潔癖
なることへのこだわりだ。指針とてのベクトルは、純正、純度、純粋性の追求にこそ、課題たるものが設定されている。
まとめて一言で言えば、至上の、高貴なるの極致して、既におわしませる方を崇拝し、
関わりをダイレクトに持て!。それへと至れだ!。
このことは金の精錬に例えるのが一番良い。
その目的において、すべては整えられてある。
純度100%を目指すべくその道すがらとしての環境は設定されて用意されている。
このことが、なんのことに関わるのかは正確には分からないが、
なんとなしにではあるが、そこにある種の秘儀たる化学変化が予感される。
多分、上位とは、そうしたものが、アストラル的な何かが、特質なるところなのだろう。
表現としても、清らかな魂の持ち主とか、清廉潔白なヒトっての世にては使われている。
無意識、無自覚ではあるが、某らか、その状態に価値たるを認めている。
それは達成されることが可能なる状態でもある。
これも金における”例え”をもってでしか、その達成の鍵たるものは知り得ないのだが、
熱をもって、混ざり込んでいるあれらの不純物を、揮発させるしか方法はない。
その熱を持たせるべくしてガイドと環境たるものが備えられている/くるまで。
これはキリストの教えにおいての解釈。それに過ぎない…。
でも他の先駆者たちも何故か、よく似たことを言っているのだが。
否、最大公約数としてを取り出して見れば、まったくのおんなじー!。
これって純金製なんだって〜!