33.  テヒリム40

文字数 13,413文字

          まずは広く一般をもってして知られたたるの訳にて、
             この詩をご鑑賞してくださいませ...。

               今回は、”プリン”で参ります。
              かってのその昔、あのダビデ王が、
          こよなく愛されたという

なのでございすぅ〜…。




            Re: 口語訳版聖書における詩篇40編


           わたしは耐えて忍んでをもって、主を待ち望んだ。
        すると主は耳を傾けて、わたしの叫びをお聞きになられたのだ。

          主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から、引きあげて、
        わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。

             主は新しい歌をわたしの口に授け、
        われらの神にささげる賛美の歌をわたしの口に授けられた。
         多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう。

          主をおのが頼みとする人、高ぶる者にたよらず、
          偽りの神に迷う者に頼らない人は幸いである。

       わが神、主よ、あなたの奇しき御業と、われらを思う御思いは、
              多くて、比べうるものはない。
      わたしはこれを語り述べようとしても多くて数えることはできない。

             あなたは生贄と供え物とを喜ばれない。
               あなたはわたしの耳を開かれた。
             あなたは燔祭と罪祭とを求められない。

                その時わたしは言った、
      「見よ、わたしは参ります。書の巻に、わたしのために、記されています。
            わが神よ、わたしは御心を行うことを喜びます。
             あなたの掟は、わたしの心の内にあります」と。

        わたしは大いなる集会で、救についての喜びの訪れを告げ示しました。
               見よ、わたしは唇を閉じませんでした。
              主よ、あなたはこれをご存じのはずです。

            わたしは、あなたの救を、心の内に隠しおかず、
            あなたの誠と救ひとを(人々に)告げ示しました。
             わたしは、あなたの慈しみと誠とについて、
             大いなる集会に隠すことはありませんでした。

           主よ、あなたの憐れみを、わたしに(対して)惜しまず、
         あなたの慈しみと誠とをもって、常にわたしを、お守りください。

              数えがたい災が、わたしを取り囲み、
              わたしの不義が、わたしに追い迫って、
              物見ることができないまでになりました。
              それはわたしの頭の毛よりも多く、
        わたしの心は(最早)消え失せんばかりともなってしまっております。

      主よ、御心ならば(御心に適う者ならば)このわたしを、お救いください。
             主よ、すみやかにこのわたしをお助けください。

             わたしのいのちを奪おうと、尋ね求める者どもに、
                 尽く恥じを味わさせてください。
               わたしが損なわれることを願う者どもを、
                後ろに退かせ、恥を負わせてください。

             わたしにむかって「あっはぁ~、あっはぁ~!」と
                  言って(喜ぶ)者どもを、
               自分の恥によって恐れ慄かせてください。

               しかし、すべてあなたを尋ね求める者は、
                 あなたによって喜び楽しむように。
                  あなたの救ひを愛する者は、
               常に「主は大いなるかな」と唱えるように。

            わたしは貧しく、かつ乏しい(ものでしかありません)。
             しかし主は、こんなわたしを、顧みてくださる。
                あなたは、わが助け、わが救い主です。
                    わが神よ、どうか、
            (私を救い出すことにおいて)躊躇わないでいてください。


                       〈終わり〉





僅かながらもこれにおいても手を入れました。2%ぐらいかな?。括弧内はすべてそう。
そんなことより詩篇ってなに?。またダビデって人はどんな境遇にてそれで過ごして
いたの?。最後に、またなんでそんなにもたくさんの詩を、彼は詠んだのか?。
彼が本当に、あれら詩篇を作った書いたかなんてことはどうでもいいこと関係ない…。
彼作に帰せられるべくしてのものであるのは確かなのだから。
そうした方が「より良い」と判断されたまでなのだから…。
ことは、あの、「荒野の誘惑」に似てる。
大事なのは、どれもみな、艱難試練を実際経ての、経た上での、
その

、改めてをもってしての、信仰告白なのだ!。

少し割愛して、端折って云うと〜、自分はダビデが好きなんだ。
どうしてそうなるのかはご推察におませしよう…。
ヒントとして一枚だけ絵をご紹介しておきたく思います。
その彼を、その彼のお人柄を、表す理解するに、好適にして格好なるのがこれ!。



              巨人兵ゴリアテ  勇者ダビデ

              もう、笑けてきちゃうでしょう?!。
            こういう”

”なところが自分は大好き。
          また、どうしたものなのか、音楽の才能がとてもあった…。





                   〈暗転〉



             Re: さて〜こっからは、当然の〜:

      その恒例慣例定食的なるをもってしましての展開、第二部となりま〜す
      今回はですね〜、なんと、もう、ごッテごッテにされての、
      飾られ倒されましたところの、”プリンパフェ”なんで、ございますのよーっ!。






先云うとこ…この40のみならずとはなるんですが〜窮地においての嘆きの詩が多いんです。
テヒリ〜ム全体において!。自分たる人間にてはこの窮地たるものおける…その渦中にある
ことにおける思いってのには思い当たるところがある。たくさんにもう存分にありますんで、
そう未だ忘れてしまう程までには昔のことでもないので〜、でっ!この第二部といたしまして
のこの意訳においては〜思いっきり感情移入をもってして文章を撚り倒したりましたでござります〜。(なんかの影響が残ってしまってるな〜...)。でっ!、文意的に過剰なるとなってしまっております。その辺を汲んでいただいて、それをもってしてで、ご拝読賜ればな〜と、思っております。敬具 天村崇



Re: 開演!。【 Tehillim No.40 】その意訳、感情移入過多ver.


 I waited patiently for the Lord; and he inclined unto me, and heard my cry.

私は忍耐強く(そのとき)訪れてある逆境たるものを辛抱して、
我が主(が図らい給うの)を待っていた。
そして、彼は、その御心を私に向けて、その私たるものに目を留めてくださった。
そこにある我が心の叫びたるものを、聞いてくださっていたのだ…。

 He brought me up also out of an horrible pit,
out of the miry clay,
and set my feet upon a rock, and established my goings.

彼は、その様な状況にある私を、
引き上げて、引き起こして、くださったのだ…。

あの恐ろしく乏しく貧しくそして劣悪なる、
まるで、地獄にあるかのような生活その環境から!。
底なし沼の如くをもってしての、その窮地/陥穽/落とし穴、
それにあっての境遇たるものから!。

そして、彼は、その私を、シッカリとした石の如くしての基盤の上に、
置いてくださったのだ…。

そして、更には、これより後、私が往くべくしての道を!。
これより後、為すべくしての仕事たるものを
備えてして与えてくださっていたのだ…。

And he hath put a new song in my mouth,
even praise unto our God:
many shall see it, and fear, and shall trust in the Lord.

そして彼は、その私が自身の口もて、語る、歌う、新たなる詩たるを、
(そが霊感たるを)、授けてくださっていた!。

更に加えて、我ら主たるその神を、賛美するにおいての、
思い、確信、根拠さへ、添えて持たせてでをもって!。

多くが、それを見ること読むこと聞くことに(やがては)なるだろう…。
そして、その彼らは!、神たるを、私の主たるを、
信じ、より頼む…、信仰することと(間違いなく)なるであろう!。

 Blessed is that man that maketh the Lord his trust,
and respecteth not the proud, nor such as turn aside to lies.

 (神たるものにおいて)「祝福されてあるもの」とは、
 「如何なる人々のことを、人たちのことを、云うのであろうか?!」

 ”主”に、自身の信頼たるを、そのすべてを、
  置くこと、預けることが、真実できるヒトのことだ!。

  人の世、その社会において(その地位にありて)奢り誇りて暮らしている者ら、
  ある者らを、尊重せず、(信頼せず、頼らず、まったくをもって心服せず)
  虚偽(きょぎ)(いつわ)り、(夢でとしてでしかないその世界)社会に、(共同幻想の内に)、
  自身を置くこと、同調させることを、本心とはしていない人たち、
  染まらぬままにあることができるヒトたちのことになる!。

Many, O Lord my God,
are thy wonderful works which thou hast done,
and thy thoughts which are to us-ward:
they cannot be reckoned up in order unto thee:
if I would declare and speak of them,
they are more than can be numbered.

 多い、本当に多いのだ!、嗚呼~我が主、我が神よ~…、
(そういった方々が)多く、沢山、(間違いなく今も)現存されておられる…

 その彼らのすべてが、そのすべての人たちこそが、
 貴方の手によってなる、なった、”作品”としての人間たちなのです…。

 そして、わたしたち人の子らに向けられた、あなたの思い願い慈しみもまた、多い!。
 それらを、貴方のために、

、私たちにできることのわけがない!。

 もし私が、それらのことにおいてを、ついてを、((まわり)りの人々に)表明し、
 そして(その詳細を)語るのであれば、最早、それらは、
 数え切れない程の迄のことなので…(もう不可能なることとしかならない)。

Sacrifice and offering thou didst not desire;
mine ears hast thou opened:
burnt offering and sin offering hast thou not required.

(逆境としてのその試練!その渦中の只中に、私があるとき、あったとき)

 あなたは、その私に、生贄を捧げること、供え物をすること、
 これらを要求されることはなかった。

(その代わりに)わたしの耳は、
 あなたに、(あなたの求めとしてのお言葉を、その教えを、聞くべくして)、
 開かれてしまっていた。
(そばだてて、それらを聴くようにと…)

(その時節においての、その渦中にあった私からは、)
 丸焼きにされた生贄や、罪の償いとしての証しとしての供え物を、
 あなたは、その私からは、必要とされてはいなかった。

Then said I, Lo, I come:
in the volume of the book it is written of me,

 そのようにありて、そうして私は云った、主に語りかけたのだ!:

「私は参ります」と…。
「私は御下に/その完全なる支配下へと、
 この身のすべてを、その処遇たるのを、納めます/委ねます」と…。

 分厚きあの本、聖書の中にて、斯く述べられてあったその文言は、
 (実は)この私についてのことだった…。

I delight to do thy will, O my God:
yea, thy law is within my heart.

 私は喜んで、貴方の意志に、その思いに、
 その願いに、従うこと、沿うことと、致しましょうぞ!。

 嗚呼~我が主、我が神よー

 然り!貴方が定められるところの””たるもの、
 そのすべては、しかと我が心の内に現在ある。
(しかと修められて、根付いて、その全権を発動している)

I have preached righteousness in the great congregation:
lo, I have not refrained my lips,
O Lord, thou knowest.

 私は、大いなる集会の場にて、
(貴方においての)正しき道たるもの、それの真実なるを、
 説いて著して語ることを行いました。

 主よ!、私は、私のその唇が動くさまを、留め置くようなこと、
 差し控えるようなことは、一切致しませんでした!

(徹底的なるをもって、もう過剰となることも全く気にもせず、考慮だにもせず!)

 嗚於~主よ!、貴方は(既にこのことは)ご存知のはずです!。

I have not hid thy righteousness within my heart;
I have declared thy faithfulness and thy salvation:
I have not concealed thy lovingkindness and
thy truth from the great congregation.

私は、我がこころの内にて、確信されたることの真実!、
貴方において正しくしてあったことの、それら一切を、
(他の皆に)隠するようなことは、しなかった…。

私は、ハッキリと、述べて伝えて語ってを、行った!。
貴方たる存在においての、その誠実なることを!、
そして、貴方によって為される、救済たるものの、その実際についてを!。

私には、貴方にあって、備わりて持たれてあられる、(ヒトに向けての)、
その愛の深さ、親しみをもってしてなるその慈しみ深きなること、それの尽きざること、
そしてまた、真実なること、(厳正にしてその教えの事実なること)、
これらを、このことを、大いなる集会の場(への参加において)、
口を塞いだままでいること、すべて隠して、
最早自分だけの秘密だなどと、しは、しなかった…。
(そんなことができる訳、筈なかったのです!。)

Withhold not thou thy tender mercies from me,
O Lord: let thy lovingkindness and thy truth continually preserve me.

 貴方において備わりたり、真に思いやり深くしてなる、
 その慈愛慈悲庇護たるたるものを、
 どうか。お願いですから、
 私において、保留されるようなことを、そんなことは…、
 あなたは(決して)しない、されない、いて、

!。

 嗚於~我が神よー!、

(広く深く一切に対して持たれて抱かれてある)親しみをもってしてなる、
 あなたのその愛をもって、
 そして、
 あなたが、真実/真理/真正なることをもって、
 この私を、いつも、絶えず、まったき途絶えることなきままの、その姿にありて、
 お守りくださいますように〜!

For innumerable evils have compassed me about:
mine iniquities have taken hold upon me,
so that I am not able to look up;
they are more than the hairs of mine head:
therefore my heart faileth me.

数え切れないほどの、大量の悪、災い、不幸
今の、この私を、取り囲んでしまっています。

ですが、ことは私たる人間においての、その不義不足不正欠点としての領分が、
私を捕らえて離さないでいるだけの話しでしかないのです。私はどうしたものか、
御身を、見上げることが、尽くをもってして、できなくなってしまっている…。

それら、罪によっての欠点の数は、私の頭の毛の数よりも遥かに多い!:
 そうであることを、私の心は、しっかりと理解してしまっているので、
 望みたるものを、持つことが、いまはもうできなくなってしまっているのです…。

Be pleased, O Lord, to deliver me:
O Lord, make haste to help me.

どうか、お願いです!、
主よ!我が神よ!、
涙に暮れてあるこの私にー!、
どうか〜(み救いたるを)、与へて、給わって、下さって、やってください!。

嗚呼~主よ!我が神よーー!
(我が元へと)急ぎ来たりて、

ください!。

どうか!、この私をーーっ!、救って

くださいませーー!!!


Let them be ashamed and
confounded together that seek after my soul to destroy it;
let them be driven backward and
put to shame that wish me evil.

 私の命を、取らんと、滅ぼさんと、そう願って画策している者達、
 私の魂を、力づくをもってして、奪い取らんと、絶えず付け狙ってくる者達、
 そいつらに〜〜

(敗退をもってしてなる)その屈辱を!失望を!絶望を!。

  そしてー!、

(天、我方(わがかた)に味方してあることの事実現実に〜)動揺させて、
 湧き起こるべくしての混乱たるをーー、味わせてやってください!。

 彼らを、後方の彼方奥地へと、それらの来し方へと、駆り立ててやってください。

 そして、私に悪しきことを企んだることを、心底、悔やみ、
 敗戦の敗北たる事実に、そによる恥たるを、負わせて、やってください…。

Let them be desolate for a reward of their shame that
say unto me, Aha, aha.

彼らを、漠然としたるの、また愕然としてあるの、
その失意失望、落胆喪失の思いへと、
追いやって、至らしめきって、やってください…。

恥ずべきを、過ちの極みたる行いをしたのだと、
それを行いたることの報いとして…。

彼らは、私に、こう云ったのだ、
「ほ~ら見ろよ、ヤッパリ〜だ、思ったとおりだ〜!、
(あいつはグズで間抜けで白痴の低能のバカなのだ)」と…。

*「アッハ~!アハハ~ンのアッハッハハー!!

Let all those that seek thee rejoice and be glad in thee:
let such as love thy salvation say continually,
The Lord be magnified.

地上に生きるすべての人々が、あらゆるそのすべての者達が、
貴方を、喜ばせることに奔走し、その具体的な内容を探し求め、
また渾身の力、自己の思いの限りもて、ことを為さんと励んであること…、

貴方において、とって、このことが、
大いなる喜びとして、受け入れられてあられんことを…、

斯くの如く、なる程まで、貴方によってなる、救済たるものを、
我らは愛して止まなくなるのだと…、

終わりなくして、終わることなくして、
我らに、そう云わせて、語らせて、述べさせて、
そして、伝えさせてやってください…。

「主は、真に、本当に、偉大なる方なのだ」と…。

But I am poor and needy;
yet the Lord thinketh upon me:
thou art my help and my deliverer;
make no tarrying, O my God.

 然しながら、今のこの私は、貧しきものの限りにて、また困窮せるものにしかあらずなる。

 されども、主は、”きっと”この私の身の上をも、顧みてくださる(に違いない)。

 貴方は、私の助け手であり、(受苦受難その境遇からの)開放者でもあられるのですから。

 このことをその救済たるのホ!、どうか、お願いですから〜〜

   このわたくしにおいての、

を、

   「

〜」
いて

くださいませ〜〜〜!

   「嗚於~我が主よ!我が神よーーっ!!!」(気を失わんばかりの絶叫をもって…)









                    〈了〉






あとがき兼補足:



*「その私をシッカリとした石の如くしての基盤の上に置いてくださった…
  更には、これより後、私が往くべくしての道を、これより後、
  為すべくしての仕事たるものをも、お備えてして与えてもくださっていた…」

 自分が訳において何を心中思っていっているかはお分かりですよね?。

*「そして、その彼らは、神たるを、私の主たるを、
  信じ、より頼む…、信仰することと(間違いなく)なることであろう!。」

 どうですかみなさん?…もうそうなってもうておられんのと違いますやろか?!。w。

*「最早、それらは、数え切れない程の、迄なので…」

  下手したらこの執筆、もう終わりなくして、未来永劫、
  続けられてしまいよることなるんと違いますやろか〜?。我が命尽きるまで…。

*「わたしの耳はあなたの求めとしてのお言葉をその教えを聞くべくして、
  開かれてしまっていた」

  虚心坦懐をもってその御教を聞くは聞けるは〜、やはり絶望的なる状況にあってこそ。
  元気満タンのそのおりには、自己の考えが殆ど主導権を握ってしまっているので無理。
  入ってくる、来れるわけがない…。

*「貴方が定められるところの”律”たるもの、
  そのすべては、しかと我が心の内に現在ある。」

  今ともなれば、もう肉に溶け込んで、一体となってそれを支配してある。
  やはり罪人に向けてでしかない。ならば当然な話し

律たるものが必要になる。
  メタコード。最上位コードとしてもう完全に意識されてある。
  もう完全に無辜なる無原罪にしてなる人間がいない以上、これしか救いの道はない。
  ことの肝要なるは、言葉の裏側に、
    爆発的にして圧倒的にしてなる霊性、その奔流を感じることができるかどうか。
  
*「生贄を捧げること、供え物をすること、これらを要求されることはなかった。」

  できないことを要求されることはない。だからお金に余裕のないときには、
  別断

それをそのことを求められているわけではないっと...。
  核心として求められているのは、あることは、


  

事態をもって実際そうなるって。
  そのことの証が、少き懐具合にあっても、お布施をしたあのご婦人の話しに
  なるのだろうね‥。他にその思いの表しをする術がなかったのでそうであった
  迄で、お金を献金しなさいってことではないからね。ここ誤解されないように。

*「大いなる集会の場にて」

 決まってるよね〜!、このサイト、”ノベルデイズ”のことよね〜!。www。

*「大いなる集会の場(への参加において)、口を塞いだままなること、すべて隠して、
  最早自分だけの秘密としておくことはしなかった。(そんなことができる訳が筈が、
  なかったのです!。)」

  私がかくまでにも奥ゆかしさがなくって余り恥たるを意識していないのかと
  云うと〜、恥知らずなんかと云うと〜、こうゆうわけが、実は背後にあった
  わけなので〜ス(デコモリ崇)。

*「私は参ります」と。「私は御下に/その完全なる支配下へと、
  この身のすべてを、その処遇たるのを、納めます/委ねます」と。
  分厚きあの本、聖書の中にて、斯く述べられてあったその文言は、
 (実は)この私についてのことだったのだ…。

 ここは難しい。先人と同じくしてのその展開としかならないって読むこともできる。
 ジャンプさせてしまうのならば、これは救世主としての、それにあってしての思いになる。
 スイッチにして触媒たる箇所。これに触れて覚醒された方も多かったことだろう。
 当然な話し、最後のラインは、

でもあったのだろう。

*「数え切れないほど大量の、悪が、災いが、不幸が、この私を、(いま)、取り囲んで
  しまっているのですが!。ことは、私たる人間においての、その不義不足不正欠点と
  しての領分が、この私を捕らえて離さないだけの話なので、私は、御身を、見上げる
  ことが尽くにしてできません!。」

 この認識がすべて。ことは尽くして必然なのだ。あなたがした、しなかったことよりも、
 あなたの中にある”業”たるものにすべては起因している。それもヒトの価値観を越えた
 その目盛りもて。すべての多くは後のやがてになんとはなしに知れるまででしかない。
 薄っすらと、そうなんだ...そうゆうことなんだ...。そしてやっぱりこの認識に帰ってくる。
 主のお考えは深淵なりって。人智を遥かに超えてあるものだってやつに…。

*「主は、真に偉大なる方だ」

  残念ながらこの感慨たるものは、実際に窮地たるものを味わって、それに落ちて、
  それを散々経て、千載一遇なるをもって、つまりは、


  救われたもののみが持ちうるものになる。ダビデは間違いなくそうであったのだ。


*「どうかお願いですから引き伸ばさないでいてやってくださいませ〜!」

  自分において、苦難と呼べるところの一つの単位は100日。約三ヶ月間。
  そこそこ長く、ある意味短期の試練ともなれば、限界になる。
  不思議とだいたいそのへんで完了する。してる。
  だが、もし…、長期としての試練たるものの訪れがあったならば…、
  自身はゆっくりとではあるが確実に摩滅していってしまう。劣化して鈍くもなる。
  まだ、叫ぶことができる間は、元気なのだ。朦朧として絶望ばかりに苛まれてあるなか、
  ドナドナの状態に確実にあるにしかない状態において主を意識して、望みを託してある。
  それだけを、その思い考えだけは、しっかりと思いとしてどっかに持ってたほうがいい。
  脱出における主体的に為し得るその術は、おそらくは、祈ることの他にはなにもない。
  その祈りってのも、「質 X 量」 におけるその総計ってものが鍵なんだと思う。
  他人からよせられて、持ち込まれてくる仕事ってのは、


  片付けるってのが、ヒトの世においても普通のことだからね…。これが(ほう)(ことわり)…。
  そりゃ彼ならば、どんなに小さな声だって聞こえているさ、でも、気に留めて、
  前向きに動こうと、

ともなれば、よっぽど、

、なればこそ…。
  そのときたるものの訪れは、

、彼のみがお知りになることでしかない。
  三年?、五年?、いやもしかした十年?!。もたないけど、もたせるにしかない。
  そのことの結果として、永遠なるものが、あなたの中に、結ばれることとなる。
  それは生まれ落ちたその最初からいたのかもしれないが…。
  ことは、あなたは人格において、死ぬんだ…。死んでしまうこととなる…。
  かって一体となっていた世界からは抜け落ちてしまう。そこにいたとしても、もはや
  観客席にて、舞台をスクリーンを、眺めていることに”覚めた”ままとなってしまってる。
  だから、希望を持ったそのままで、ある意味、死を受け入れるんだ…。
  その覚悟をもっといたほうがいい!。
  でも、それでも、その後も、人生はどうしたものなのか、
  未だ続く…続いていってしまう。
  
  

                   おすまい







少しだけ蛇足..というか、愚痴だな、これは...。

毎度ながら思うことは、これを、聖書の詩篇を、このままに、”素”で、読んだとしても、
”ピント”くる人、こられる人は少なかろう。こない...くるはずがないと思う。また詩篇はたく
さんあるので、取り立ててその内の一編がその意味が解説されることもない。妙に「神聖なるもの」を意識してしまってか、踏み込んで解釈を行おうとする人も少ないのだ。詩篇は、間違いなく解説が絶対にいる書物になる。詩なので、圧縮言語をもってして書かれてしまっている。一種の暗号だとも言える。知れる人知るもののみが分かれば良いとなってしまっているのだろう...。もしくは単に、敢えてをもってその解釈を世に出す、こんなリスクを、誰もとりたくないんだろう...。でっ、結果、あれらは旧時代の大切な文化遺物ぐらいにしかならない。一般の信徒らにおいても、特に関心が持たれるものでもあるまい。旧約内のものだしね...。抜粋があったされたとしても、それはなんとなしの暗示として提示されてあるまで。なんかムード作りとしての添え物として使われてしまっているのではないだろうか?。このことの原因は簡単な話しでキリスト教関係者らにおいても、詩の文意を、その詩の中身を、理解することがもう不可能になってしまっているのだ。いや、厳密に言ってしまうのなであれば〜、表において語る、発信する、壇上たるものに上がる人々が、つまりは組織のお偉いさんたち、権威として認められている人々においては、経験たるものが欠落してしまっているのだ。その詩が書かれたることのその動機、その理由、作品の背後にある事態たるものがまるで分っていない...。そんなあなたならばもう語るなよ!って言いたいんだけどね...。もっと表にて語る語らせるべき人ってのは、あなた以外に、関係者らの中に、いるんじゃないの〜?って、自分なんかとしては思ってしまうんだ。現在マラナタも、その文章構成その内容が、一線を越え出してしまっているな〜って自分なんかは思ってるんだ。そう思うことが増えてきてしまってる。もう朗読のお姉さんがかわいそうになってくる。なんにおいてだって、フロントには基本罪はないっと。数やりすぎたんだろうね...。他のヒトに、原稿作るの代わってもらった方がいいんだけど、さて、どうなんだろう?...。できるのか?。自分にしかできないことだーなんて思って思い込んで、

しがみついてしまってはいないのだろうか?。また、他には、任せられる人材がいませんってか〜?。邪推邪推あくまでこれらのことは邪推でしかない...。

あそこはいらないな…
「この自分に酷い仕打ちをした人々ががっかりするよに...」の部分。
ここは習わないように。気持ちは分かるけど…。
あれら彼らも、また幻で、それとしての存在でしかなかったが真実。
だって、こちらが積極的に動かない限り、彼らの出現はもうないでしょう?。
知るべきならば、またそうで、自然とその音沙汰は聞こえてくるまでのこと。

マンガでも小説でもいいんだけど、作者ってのは神なんだ。その世界においてのね。
なんだって自由にできる。好き勝手やってしまえるんだ。
このことの真実なるは、

、意識されておかれるべきかと…。
(会社ってやつにおいても初代の社長なんてのは間違いなくワンマン。)
そこに、その世界

において、他者が理屈を言ってもしょうがないんだ。
やるんなら自分の

、「」から、やるにしかないんだ。

これは、もしその世界において自分の中で反応が強くがあるのなら、
避けては通れない作業になる…

ことの結果として、その世界には、もう「バイバイ」をする、そうすることになる。
そうなれるようなるのかもしれない。

卒業!。










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