35.  リモス

文字数 26,184文字




         Re: 1962年10月27日、核戦争勃発の危機

アメリカのキューバ海上封鎖が発動され、ケネディ大統領は空軍に核兵器搭載を命じた。ソ連は潜水艦に護衛された艦船を封鎖ラインに接近させ、危機は頂点に達した。ケネディもフルシチョフも、誤った判断が間違いなく核戦争を勃発させることになると認識した。10月26日、フルシチョフは、アメリカがキューバに侵攻しないと約束するならミサイルを引き上げると伝えた。27日午前にホワイトハウスの国家安全保障会議が開かれた。回想によると国務長官マクナマラは、この日が生涯最後の日になると覚悟したという。またフルシチョフも妻にただちにモスクワから脱出するよう電話したという。正午には米軍の偵察用U2型機がキューバ上空で撃墜されたというニュースが入り、軍部はキューバ報復を主張した。しかし午後4時、ケネディは報復攻撃を行わないことと、フルシチョフの提案を受け入れることに決した。裏面では弟の司法長官ロバートと駐米大使ドブルイニンのパイプで調整が行われていた。午後8時頃、ケネディの解答がフルシチョフに伝達され、翌日9時にソ連がキューバからミサイルを撤去するとラジオ発表を行い、

!。

この件に関しては、このアマムーが生まれてくる約一ヶ月程前の話だ。確かにあのとき

核の炎で焼き尽くされれてしまう可能性は

あったのだ!。場合によっては、斯くの如くしての、こげいなる、この自分たるものの誕生は、なかったのかも…。


                    〈暗転!〉




   さて今回は、あの「ボーイング」における、

としての作品になる。
        現在、

となるべきものして、構想は持たれておる。



ことの発端、シリーズ化に際してのその動機たるものを話しておくならば、この歌の訳詞翻訳において真に考察たるものをするならばだ…、これは立派にワークになり得るぞと…、それに値する内容になてまうワイと思った次第なのだ…。まったくもって、それを行うたるに足りる、それを行うにおいての、絶好にして格好なる、そしてまた最適なる題材、最高の例題たり得る!っと思った感じた考えたのであ〜る…。それをだ、もしかしたらば、読者の皆さんに、皆様方に〜、お届けできるのではあるまいか?あるんのではないやろか?いやもうあるんのに違いないやないかー!っと思った、思い至り着いてもたるの、もーたっので訳でありなんすー…。嗚呼、ええ、確かに確かに…ことは簡単なることとではまったくもって、あらへん、ありもはん。かな〜りに奥深くしての…もしそうありえたとしても、も〜たったるにてでありえたとても、更に更なりもての能動的思考たるものが、それとしてのフル回転としてのものが、も〜シッチャカメッチャカに、しゃかりきしゃかりきなりもてで!必要になってくっる〜、きてしもふてまっう〜、きてしてもてマウワイ!。超絶的奮闘努力をもってしての、それをもってのなりもてで、考慮考察想像力たるものの活躍がー、間違いな〜くぅ〜、絶対に〜、必要と、…されてきてしまうこに〜、なっる〜…。










               「あんた‥ただ単にこれやりたかっただけでしょ?」読者






   ※冒頭は前フリ。その可能性は現在

高まってきてしまってる。当分はないけど。
   ※それに食糧危機は、ほぼ確定なるとの見通しである。このことは、お忘れなく…。
   ※だからこそ〜各自ワークに励むにしかないんだ。ことを出来るだけ穏便なるものへ、
    出来れば平定へと向かわしむるためにも。各自それぞれが自分が担当する世界にて
    これを果たすっと、果たしてありましたーっと、そうすんる〜たんめーにも。ん?





サッパリ何のことやら分からんのだが、とにかく、とりあえずは、超破壊光線(ちょうはかいこうせん)の発射体勢にて
 待機しとく、身構えておくのが賢明にして得策であろうと思てはるところの読者の皆さん。
  その本心としての思いは…「も〜またかいな〜…もう、堪忍したって〜なー…」。



            苦労して準備してくれはったんのやから、
       も〜こっからは、あんがらがあんじょう頑張ってくれはらんと!
                        「そうや、そうや‥






                    〈暗転〉










       メガシティたるリオを、コルドバの丘より見守ってあるイエス像



  ストリートビューで街から見上げてみましたが、「

!」みぃや〜んかったわ…












Re: Insensatez(インセンサテーズ)


 「なんて愚かなることを…馬鹿な、思いやりのない、無神経であるにも程がある…
          それを、わたしは…あなたに…してしまったことか…」。






  では早速、この歌を聞いてみましょう…

  どれでもいいです。できれば全部w。

https://www.youtube.com/watch?v=klr2_LUuCsc     Floria Purim(猶太人)
https://www.youtube.com/watch?v=B3Fdpa9n4w0    María Creuza(ジョビンの奥)
https://www.youtube.com/watch?v=45avyvbAXxU    João Gilberto (唯一の男性)
https://www.youtube.com/watch?v=QaG0rJPgrw4    Fernanda Takai (日系Mellotron)


  でっ(つぎ)に〜、歌詞を、まんまGoogleで翻訳したものを読んでみるっと...。


   A insensatez que você fez        嗚呼〜、あなたがした愚かな行為 
   Coração mais sem cuidado           もっと不注意な心
   Fez chorar de dor               痛みで泣かせた
   O seu amor                   貴方の愛
   Um amor tão delicado             とても繊細な愛
   Ah, porque você foi fraco assim     ああ、どうしてそんなに弱かったの?
   Assim tão desalmado               とても無情
   Ah, meu coração que nunca amou     ああ、愛したことのない私の心
   Não merece ser amado             愛されるに値しない

   Vai meu coração ouve a razão       私の心に行き、理性に耳を傾ける
   Usa só sinceridade               誠実さを使うだけ
   Quem semeia vento, diz a razão       誰が風をまき、理由を語る
   Colhe sempre tempestade           常に嵐を刈り取る
   Vai, meu coração pede perdão       行って、私の心は許しを求めます
   Perdão apaixonado                情熱的な許し
   Vai porque quem não             許しを求めないままで
   Pede perdão                 行く、あるのであれば
   Não é nunca perdoado             決して許されない


  試しにことの背景ってやつを解読、

してみてください…。


参照: insensatez = 馬鹿げた事、無分別、軽率な言動
    cuidado = 注意、用心、関心、心配
    delicado = 繊細な、かよわい、もろい、洗練された、細心な、精巧な
    fraco = 弱い、ひ弱な、無力な、もろい、臆病な、わずかな
    desalmado = 不人情な、無情な、残酷な
    Quem semeia ventos colhe tempestade = 風を蒔くものは嵐を刈りとるという諺 
    razao = 理性、分別、論理的な判断力、合理的な思考力、道理、理由、正当性、根拠
    Vai = 行く、何何を経由して、何何にへ向かう、至る、何何と調和、何何と合う
    このVia の意味がよくわからない…。on going の意味なんかな?。
    apaixonado = 夢中になった激しく恋した、熱烈な、情に動かされた、悲観に暮れた
    perdoado = 許された、容赦された、見逃された、


ね〜、これだけじゃよく分からないでしょう?。いまだすべては断片をもってなってるまで。

そこで、実際に歌を改めて聞いてみるっと。すると歌唱による微妙なるニュアンスが追加されてくることとなる。そう歌は聴いてこそのナンボなのだ。そうしてこその完成品。かなり肉付けがされてくることとなったっと。そこで、先の歌詞を勝手に肉付けしてみる。あくまでも字面合わせで文意が通るようにしたまでのもの…。自分としての訳は後でさせていただきますっと。


   A insensatez que você fez       嗚呼〜、あなたはなんて愚かなことをしたの 
   Coração mais sem cuidado       もっと心において、注意をするべきだった
   Fez chorar de dor              貴方を痛みで泣かせてしまった
   O seu amor               貴方としてのその愛は、なんて繊細で、
   Um amor tão delicado        デリケートな神経においての愛だったことか!
   Ah, porque você foi fraco assim      ああ、どうして、そんなにまでも弱ひの?
   Assim tão desalmado           思いやりのないことを私はしてしまった
   Ah, meu coração que nunca amou     ああ、ほんとには愛したことがなった私
   Não merece ser amado           だから愛されるには値しなかった

   Vai meu coração ouve a razão      私の心に尋ねる、自分の理性に耳を傾ける
   Usa só sinceridade            誠実にあることだけが、肝要だったのね
   Quem semeia vento, diz a razão      誰が種をまいたのか?その理由を教えて
   Colhe sempre tempestade        常に、種をまいたものがその果を得るまで
   Vai, meu coração pede perdão    私は心から今、貴方からの許しを求めています
   Perdão apaixonado           それも情熱的に!、渾身の思いにおいて!
   Vai porque quem não           許しを求めないままではいられない
   Pede perdão               ハッキリと口にして請わないことには、
   Não é nunca perdoado        決して許されることは、ないのであろうから…


やってはみたが、これはあくまでご参考まで。正直



問題は各ラインを「誰が誰に言ってるのか?」これが分かりづらい。
最初の出だしなんか「主人公が自分に言ってる」とアマムは解釈いたしますた。
これが正解なのか、実際そうなのかは定かではないっと、あらへんでっと…。

いまだ多くは謎のまんま、歯抜けととしてのものでしかない。
さて、ここからがワークの肝心なるものになる。
試しにことの背景、その一切、そのドラマを、各自で推測してみてください。

をもってして、各自としてのその帳尻合わせたるをやってみる…。



Re: ここでちょっとティーブレイク!

ボサノバたるものの出現、その現象たるものが興味深いんだ。その時たるのを定めるならば、1960年!。このときを境として、前後三年間を含んでの計六年がこれの隆盛期となる。実はこのときたるものが、この時節たるものが、世界情勢において、異常にして、また緊迫した状況だったのだ…。ここで、やっとこさ

たるが、活きてく〜る〜!。

詩たるもののその核心は、その特徴たるものは、ヒトとして本質が、その魂が紡ぐ言葉なのだ。これは普通一般的には不可能…。何故ならば人格が全てを完璧にコントロール支配してあるからだ。その思いとしての発信は微弱であるが為に埋もれていってしまうまで!。

でもだ、状況的に情勢的に、従来の方策ではまった歯が立たないってときの訪れってのもある訳さ。そのときにおいては人格によるその拘束の支配は弱まっていってしまう。すると、あらあら不思議、いつもの日常においては聞こえることもなかった自分としてのその心の思いってやつが聞こえるようになってくる、現れてくるようになる…。

そのときたるものが、あのキューバ危機のときだったのだ。そりゃ〜多くは知らないことであったろさ〜。でも、心の深部にて、そこにある共有無意識を通して、某らかの不穏なる空気、危機感の高まりってやつは、実は誰もが皆が感じ取っていたはずなんだ…。

ことの詳細は知られずとも、ことの真実なるは事実なるは、全人類のそのこころの深部に
おいてでは共有されてある。つまりは全世界の人々は、深刻なる事態の到来を感じ取って
いたんだ。キューバ危機が最悪の展開を辿った場合のシュミレーションがこれ。NHK。
https://www.youtube.com/watch?v=32YTpqzj_48 (たったの1:54)

1962年がことの極点であったならば、それへと至る先行する数年間ってのが、あったって〜ことになる。ことは緩やかに、だが確かに、醸造/醸成されて…、いってたんだ…。

そんで斯様な異常にして特別なる時期に、彼の地ではボサノバたる音楽様式が誕生してしまってたんだ。先行するサンバと比べてみればいい。余りにも私的にしてナイーブ、そして余りにも儚い思い、それとしての歌謡ではないか…。愛惜、哀感、切ない思い、生存への愛しさ…。

言葉としては無意識的なるものとなるのだが、いや、こととしてのその核心は、その実態としては、「本質たるものが、その自身としての思いを言葉を、歌に乗せて紡ぐ」がどうしたものなのか果たされてしまっていたんだ。(初期のビートルズも似たようなもの)。絶対に声を張り上げて元気よく歌うようなものではない。むしろGilbertoのようにつぶやきに等しくして歌うが相応しいのだ…。

 ちょっとお口直しに…

クロディーヌ・ロンジェちゃんによる”インセンサティヴ”
元祖

ポップス。歌詞は英語のもの。単なる失恋の歌でしかなくなる…。
https://www.youtube.com/watch?v=G5icJ7gsWeM

これ系統としてはアストラッド・ジルベルトちゃんも忘れてはいけないな。
彼女とゲッツとのタッグをもってボサノバは全世界に広がっていったのだから。

https://www.youtube.com/watch?v=8RS87qYgSLY
*消えたので置き換えました。

※不思議なことにボサノバは、ある種、ヘタウマ調でなければ、味がでないんだ。


当時、(今も)、貧富の差が、恐ろしいまでにも極端なるのがブラジル。そこにて当地にて、実際繰り広げられてあるその現実に、若くして、また幸運にも裕福なる家庭に生まれ育った感性豊かなにして鋭敏なる若者たちが、抱いたるところの、その

、悲しみ、失望、悲哀…、またそうであるが故に、敢えてをもってしての気晴らしにおいて、それを音楽にて表さんと発散せんとしたところにおいて奇跡的に出現したところの新たなる音楽様式。つまりは偶然としての産物。突発的なる突然変異としての出現物だったわけさ。その真の背景としてのものは先に既に言った通り、もっと遥かに複雑ではあったんだがね…。


                  〈暗転!〉


さて、話しは元に戻して、ここで、ご本尊のお出ましといこうか〜!。

アライジ・コスタによるものを聴いてみよう!
これは前に(ボーイングでも)言ったが、ベスト中のベスト!。
これ聴いてしまうと他はすべては偽物にしか思えなくなってしまう。

この彼女の表現をもって、すべての失われてあるピースは、埋められるべきなのだ…。



Re: Insensatez by Alaide Costa




https://www.youtube.com/watch?v=Oay3ZRjMQBw

この

による録音は、何故にこれほどまでに、聴くものの心に染み込んできてしまうのか?!。またその心を大きく揺さぶることになってしまうのだろうか?!。どうしてそんなことが出来る、そうなるのであろうか?!。それはだ、このときの彼女が、その詩の世界を、自分の体験において、それなりに完璧に理解してしまっていたことにある。だから結果として、歌唱においてのリアリティが全然違ってくることになってしまってたんだ。そうだ、この歌は、「懺悔」のその思いとしての告白、その内容を持つ歌だ!。


ネット上にあった誠実なる和訳と思えるものを、二件あげさせていただきます:


I    私の軽率な行動のせいで 無神経な振る舞いのせいで
    結局私自身が傷つき 涙を流すことになった
    私の心は どうしてこんなに脆いの? どうしてこんなに残酷なの?
    私の心は 人を愛したことがない心は 愛される資格などないのね。
    私の心よ 行きなさい。 理性に耳を傾けなさい。ただ誠実になりなさい。
    理性が告げる。これは身から出た錆だと。私の心よ 行きなさい。
    許しを請いなさい。心をこめて。
    なぜならば、許しを請わないものは、決して許されることがないのだから。


II   最大の愚かさ あなたがしたこと
   心は気にしない 痛みもて泣かせた 私の愛
   とても繊細な愛 ああ、なぜあなたはそんなに弱かったのですか? 
   余りにも思いやりのない態度。
   ああ私の心 愛したことのない人 愛されるに値しない人間
   行け!行け!行け 私の心 許しを求めるだけ
   そして誠実さだけを使う 内部で燃える 理由を教えてください
   常に(

こととなる ※(自業自得等の意味として)
   ああ、私の心 許し、許されることを、願いました
   許し、情熱的な許し 行く、誰が愛するので
   許しを求める、 決して許されない
   行け!行け!行け 私の心 許しを、請い(乞ひ)願ふ…


III そして自分のもの…

ア〜  インセンサテーズ キ ヴォセ フェイス
Ah   insensatez,    que  você   fez

「嗚呼〜」なんて愚かなことを…(わたしは)してしまったの〜?、(言ったの〜?)

コラソン  マイス セン クイダード
Corção   mais   sem   cuidado

       なんて不注意なることをしてしまったのか!、
       ことの後先の、その結果たるものを、考えもせずに…

フェース ショラー ジ ドォー オ セウ アモー
 Fez   chorar   de  dor   o  seu  amor

      あなたのその愛を傷つけてしまった。痛みもて泣かせてしまった 。 

ウン アモー タン デリカード
Um  amor   tão   delicado 

  なんて繊細でナイーブなヒト…、デリケートなるその魂…、そんな貴方の愛を…

ア〜  ポルケ ヴォセ フォイ フラッコ アッシン
Ah,   porque  você   foi    fraco    assim

     「ああ‥」、(でも)どうして、そんなにまでにも(あなたは)弱いの?!

アッシン タン ディザルマード
Assim   tão   desalmado 

      なんて非情なることを、残酷なることを、(私は、貴方にしたことか…)

ア〜  メウ コラソン キ ヌンカ アモウ
Ah,  meu  coração  que  nunca  amou

  「嗚呼〜」本当の愛たるものを、私は、

、知っては、



ナン メレッシ セー アマード
Não  merece  ser   amado

      ならばだ…この私たるものには、愛される価値は、その資格はない…

ヴァイ, メウ コラソン オゥヴィ ア ハザォン
Vai,   meu  coração,   ouve   a  razão

    (さぁ~)私の心よ、行って、(彼に)訳を、その思いを訊くのよ、
         その思いをたるものを受けとめてあげなさい!

ウザ ソー  シンセリダージ
Usa  só   sinceridade

(ただただ彼に対して、素のままであること)誠実であることだけを心に命じて、(誓って)

ケーン  セメイア ヴェント ジス ァ ハザォン
Quem   semeia   vento,   diz  a  razão

         誰が、このことを引き起こしてしまっていたのか?
       この(別れの)理由を、ちゃんと(彼に)語って、教えてもらって…

コーリィエ センプリ テンペスタージ
Colhe    sempre    tempestade 

           「風をまく者は誰でも嵐を刈り取る」
      (当地のことわざ、因果応報、自分の撒いた種を刈り取る。)

ヴァイ, メウ コラソン ページ ペルダン
Vai,   meu  coração,  pede   perdão 

         さぁ~行って!早く!私の心よ、彼に許しを乞うんです。

ペルダン  アパイショナード
Perdão   apaixonado

     情熱をもって(心を込めて)、また激しく、その魂の、真実の叫びとして、

ヴァイ, ポルケ ケン ナン ページ ペルダン
Vai,   porque  quem  não  pede   perdão

       私は、(彼に)許されることを、ずっと求めている。 
      (早くそうしなさい だって許しを請わない者は、)

ナン エ ヌンカ ペルドアード
Não  é  nunca   perdoado

  

しない者には、決して、許されることなど、ありなどしないのだから…
※(「ごめんさない。私が間違ってました。あなたの気持ちを傷つけたことに謝罪します」)

ヴァイ, ポルケ ケン ナン ページ ペルダン
Vai,   porque   quem não  pede   perdão

     (私の心は、彼に許されることを、ただただ、求め続けてきている) 
             許しを請わない者には、

ナン エ ヌンカ ペルドアード
Não é  nunca   perdoado 

         許しが与えられることなど、決してないのだから
         決して許されることなどないのだから…。」

                  

      どれが正解なのかなんてことはどうでもいいことなんだ…。
        多分自分のが一番間違っているものだと思う!。


なんだろう…愛惜の、悔恨の、懺悔の歌?…

、別離、惜別、嘆き、etc.。男女間における、その両者の心の離別がことの核心であることには間違いない。何が原因でそうなった?。どうしてそうなった?。これこそが核心になる。歌い手にもよるのだが、ことは確実に失恋レベルの話ではあるまい…。主人公としてのその人間は、相手からの自分への愛を、

のだ。原因はこの自分にこそある。だからこその嘆きと後悔、逡巡、懺悔としてのその思い…。

それは

の話なのだ。それの喪失感たるものが、しっかりと覚えられて、感じとられているその今だからこそー、自分はとんでもなく苦しんでいるのだ。失ってしまったその関係が、その相手の存在が、自分にとって、余りにも大きくまた貴重なるものであったればこその話し。失っての今なればこそ、それが、そのことが、初めて分かる…っと。

でも、どうして、そんなににも貴方は、…純粋でナイーブで繊細、そしてデリケートな感受性の持ち主なの?!と、恨み言を言っている場面がある。でも、そうであればこそ、そうであったからこそ、私においてのとても大切な存在となった、なってた、そうであったのね!なのだ…。

でも、此方からすれば、それは、ことは、あくまでも些細なる、ほんと私ともなれば、当然としての理にかなった自然なる振る舞いにおいての、そういった出来事/行動でしかなった…。でも、その相手にとっては、とんでもなくも、また決定的なるダメージを与えてしまうこととなってしまってた。そして愛においての方向転換を貴方はせざる得ないことにまでなってしまってた…。

歌い手が、その原因役としての役目を負うので、男がが歌うのか女が歌うのかによって、
そこにあったであろうドラマを想像するにおいては違ってきてしまう…。


※この稿はですね〜あのフラグメンツの邦訳第八章「〈本質〉と〈人格〉」PP.228-270 を意識して書かれてます。あそこでの重要なるところは、話しは、「真に誠実であるとうことは、いったいどうゆうことであるのか?「真に相手を思いやる(考慮する←気を使ってあげる)とはどうゆうことなのか?」→「その相手を真に愛するということはどうゆうことなのか?!」に関わる。ま〜た〜、〈緩衝機〉(バッファー)に関しての話も重要だ。それは自分においての矛盾たるものを、つまりは間違いたるものを覚えずに済ますようにしてしまうようなものなのだ。これによって、常に

、思える感じれるようしてくれるもの。安泰に暮らしたいからさ。ヒトは…。でもこれによって、良心としてのものは封じられていってしまうこととなるんだ。世間(←これも観念によっての、それに基づいてのものでしかない)との歩調を合わせることによってで…。

追記:他者を気遣う、考慮するにおいても、Gはなにやらくどくどしく語っている。あそこの肝要なるは、恐れを元としての妄想としての考慮はまったくもって意味がないんだ。それは奴隷根性としての傾向、あり方で、むしろやってはならない、してはいけないことになる。後、下手な見栄の意識を動機としての周りへの気遣い(例えば

とか)も自己の弱さとしての現れになる。本当の意味での他者への気遣いは、おそらくは、その現場においてのみ成立してくるところのものになる。自然な思いやり、つまりはその彼に彼女に向けての愛を、動機としてのものでなければならない。真にその相手誰かを思いやっての、真に役立つものでなければならない。ことは「生き金を使う」に通じてくることになるんだろな〜…。繰り返しておく、誰かその相手に対しての

、なんやらようわからない妄念妄想、これに基づいての思慮考慮としての行為は絶対にダメ!。まさしく

、それによってのおいての現れ、それの最たるもの…そのことを原因としての行動でしかない…。




ちょっとあそこにある内容を、自分なりの要約をもって、抜粋しておく:

まずメジャー(測り)となるのは、他者を理解するにおいてのそのモデル/データは、自分の自己においての理解なのだ。私はこの自分をちゃんと理解している。これはたぶん100%誤り。理解がなんであるのかも分ってない可能性がある。ことの核心たるのは、自分の二重性に帰結される。本当の自分と、そうではない自分。※例えば名前だ。これは他者より与えられたものでしかない。日本人である。これもさほど重要にして決定的なる事項などではないんだ。お金も実はそう…。自分の家屋においての敷地所有権。こんなものは天変地異においては考慮されるはずがない。ならばだ…「天村崇」はどうだろう?…。そんなやつぁ〜現実には皆と同じくして存在するはずがない…。自己を本当に知れるのは自己のみだ。Gは軽くさらっとでしか語っていないが、P.238において「その内の一人は受動的で、せいぜい自分に起こることを記録し観察することくらいしかできない」っと二人の内のその一人をこう語っている。これこそが真の自己としての核なるものなのだ。それの最たる特徴は

(ヴィヴェーカキャーティ)を持ち合わせてことになる。これにおいてのみ、ことは自明なるものへと変わる。(つまりは、

、ことのすべてが、自分においては、まったく疑うことありえずとして分かるようになる)。(←何がだ?。本当のこと真実としてありきと、そうではないもの、ありえないもの、つまりは真実と嘘を、真に客観的な意味における現実と、夢うつつのもの、空想なるものでしかない現実認識とをだ。そららこれらの、今自分が大切だと思っている事々は、単なる観念、思い込み、実体なきものでしかないってことがだ!)。

(本質としての自己は)、あくまで受動的であるが故に、ほっぽり放しになってしまってる。だが、これこそが自己本体になる。

、いろんなことをちゃんと色分けするならば、自分としての人格の方はすべて外部からの持ち込み、誰かのサル真似、コピーでしかないことがハッキリ分かるようなる。そしてそれは、余り実在性、有用性有効性たるものを、その保証は、確固としたるものではないってことが分かるんだっと…。もう長くなるから止めるが、自分の自分に対しての理解の深さが、

他者に対しての理解、そのキャパ、その能力につながってきてしまうんだ…。

ことの元々の、その「二人に自分を分離する」、そして本体としての自分がイニシアチブを取り戻すってこと自体が大変に難しいことでもある。(これこそがワークたるものの真の目的になる)。そこには格闘たるものが絶対に必要必須になってくる。きてしまう。※(なんとの格闘か?習慣/癖、つまりは自動生として凝り固まっているところの人格とだ)。これを経ないことにはすべてはファンタジーとしてのお話しにしかならない!。

(無思念にて、雑念なくして

在る)、

(雑念なくことを果たしておる、果たしきる。

、ことに精を出している)。これら二種の修行においてしかことは確立しえない!。



ことは何だっていいんだが…例えば掃除や洗濯、皿洗いに家中のゴミを集めて外に出すってのでもいいんだ。庭の雑草抜き。落ち葉の掃き仕事ってのが古来よりは例題として使われてきてはいるが‥。
 
   「貴方にとっての相応しきは、貴方にとってのそのワークとなるべきものは、
      実は、既に、貴方の目の前に、ぶら下がっておるのでござひます」。
                       (占いオババ)


実際おやりになってみれば、きっと、お気に召すことになるかと思いまする。いざやり始めたともなれば、それを貴方なりの拘りをもって、完全なる仕事とすべくして精を尽くされることとなるでしょう。しかし、実は、事の肝心なることは、それが

ということなのです。つまりは、やがてには「嫌気」たるものが立ち込めてまいるようなるのございます…。しかし、これこそが正に好機!。何の好機か?。自己(エゴ)を滅するにおいての、また肉体からの要請を、意思において服従させるが常態とすべくしての、その鍛錬となるべくしてのもの、故に、正しくしての好機なのでございます…。



ことは人格エゴにおいての、それに基づいての動機ならば、この嫌気の到来を、襲来を、これによる侵食を免れることはできない。やはり、ことがなんらかの祈念としてのはげみでないその限りにおいてでは、やがてにはことを厭う嫌う憎むようようなっていってしまう。そして、やがてにおいては、その仕事を打ち捨てる、捨て去ることとなる。やめてしまうようになる。※(これもその仕事たるものに

。馬鹿げたもの/ことである場合には、それはサッサと止めるっと。次へ行くっと。天のガイドとしての声に(聖霊による導きに)絶えず耳を澄ませて、これを適宜にて、聞けていないとだめ。主観においてでは間違った判断をすることになる。)この展開顛末を、乗り越えたいと思うならば、その動機はまた特別なるものでなければならない。じゃないと無理。世界の為に、この自分を高めたいとする願いによるものでないその限りにおいては無理…。また、こういった願いにのみ、援助の手を差し伸べる延べてくれている高次の存在からの加護たるものがいる。それは仏かもしれない。また、もしくは天使なのかもしれない。いや、単なる状況からの要請/強制/制約によるものでしかないのかもしれない…。※(例えば他にやることがナニモないので止めるに止められない、やらないとするその言い訳が見つからないだけだとか…w)。いずれにしても、それらは某らかの仮面をかぶった上での登場になる。なってる。また見えざるままの関与である場合もあるにはある。あるんだ。とにかく超越的な存在の関与があってこそのその展開なのだ!。そして、やがてに、没入感をもってのいつ果てるかも分からない苦しみの連続の中で、虚ろなるのまんまで、ただ機械的にことを果たしているのその自分に気づくこととなる。そうしたへんてこな気付きの中で、何かを、貴方は悟るようになる。そうか、これが死なのかと…。自分たるものは、”今”、死んだそのまんまで、自分は動いているのだと…。この自覚を備えて、持ててあるところの”自分”の発見こそが、ことにおいてのその目的目標であったんだ。では、これは一体誰なんだ?…。それとしての認識に立って在れるようなるには、ことにおいて何度も何度も死んでからのことでしかないのだが…。そして、そのヘンテコにして未知なる見地は、決して自分だけの力によっての獲得、達成ではないってことを、なかったってことを、後の後には、悟るんこととなるんだ。※この総括達観こそが真に大事なこと。最後の詰め所。これがなされてこそ、生まれて初めて、あれら/かれら/それら、目には見えない存在からの、関与を、助けを、導きを、確信できるようにもなるってもんなんだから。結果、信仰心は更に深くしてのものとなってゆく…。※ここは人格における、それによる常習からの開放のことになる。この常態は余り冴えたるものなんかではなく、虚ろも虚ろ、一種のせん妄状態にも等しいものになる。気を抜けば容易く眠りに落ちてしまうことになる。それへと、逃げ込もうと自分としては、してしまうのだ…。「

」と、目覚めたままの状態に支えてあるのが、あってくれるのが定形としてのその業務、肉体労働になる。思考は止み、ことをただ行っているだけの状態へと必ず至ることになる。これを「死んだ/死んでる」と言い表しているまでのこと。なんのこた〜ない、マインドとしてのその機能、それの癖/習慣が、無意味なるものへ/無効果されてしまって、最早まったく役に立たないようなってるまでのこと。こういった時/状況においてのみ、平時においてでは、見過ごされて、忘れ去られて、捨て置かれていた自己を、本質としての真の自己を、感じる覚える思い出すことが適うようなるまでの話しなのだ。そのヘンテコな味わいとしての状態にあってこと識ることが適う世界を、常在とすべくしての努力がまた別途必要になるっと。たいへんに嫌気が、そればかりが続き、ずっと伴ってある作業を経ることがどうしても必要。忍耐を養うにおいての機会ともなるであろうっと…。追記:そのヘンテコだとしての味わいもやがてにおいてはまた違ったものへと変わる。変なのは最初の頃だけの話しっと。


                「 はい、九千円! 」

ことは毎度毎度いつも何度も終わりなく、果もなくってものになる。例えば、掃除洗濯食事の用意にそれの後片付け。便器も掃除してすぐまた誰かが汚してしまってる…。雨の後にはもうびっくりするぐらい雑草が、生え萌えいづれして、も〜てるではないか!…。だからもうすべてはあったりまえ、これが自然なのだと、そう思いようなりましたしかないんだ。絶えず苦しみがことにおいてはつきまとうが、

と、自分に得心させるにしかない。完璧に遂行できたならそれもまた満足、嬉しい、安心だ〜だ。だからもう損得の勘定、とか自分自身へ手の配慮としての考えそのものが邪魔になる。あくまで情勢状況からの要請と認じて、素直にことに当たるっと。あたって在るまでとするっと。だから、あれだは、口うるさいのが周り、あたり一面たくさんいるってのも、ある種の恵まれた環境だってことにもなるんだ。怠惰を故としての、また文句不満ばかりで、結果暇にても、何もやることがないって苦しんでいる奴が一番だめ。※この「暇」ってのが人類にとっての最大の敵なのだ。よっく熟考してその正体を確認する必要がある。またそれに対しての「最善なる対処」も!。

そのやがてにおいては、ことにおいて、貴方の習熟が、所定の通りに完了したならば、自然とその仕事からは開放されることとなる。間違いなく。その連絡としての声は、なんらかの形をもって、貴方に届けられてくることとなる。聖霊がダイレクトに伝えてくれる場合もある。声一切なくしてね…。


              「 はい、あともう四千円! 」

だがだ、自然の方でも、ことが起こるべくしての手助けを、されることも、されてる面もあるんだ。それが今回のケース。悲劇として別れ、分かたれ、そのケース。”水”によりての洗礼だって言ってもいい。なにか思いも寄らない、想定もできなかった「とても悲しい

としての出来事があった」だ。一番簡単なのが心の内では本当は深く愛していたその誰かが突如、急に、失われしまったってやつ。自分の父や母ってのが一番分かりやすかろう…。ことは完全にプライベートなことに関わるので、人格の方は上辺のことにしか関わりを持てない。葬式の段取り等の後の始末ぐらい。ところがだ、本質の方は違う。それにとってこその、それにおいてのみの、緊急にして異常事態になる、なってしまっているのだから。日頃はあまりその活動を表に表さないこれが、その思いとしての吐露を慟哭を始めることとなる。そして「在るが当たり前でない」ってことをしっかと悟るようなる。現実的な喪失感の味わい、体験において。後の感慨においてだろうがね。そして死したる者は二度と帰ってはこないってことを、現実としてしかと認識理解する。

この世の生は、その生存においては、課題たるものがある。その良心を特質とする本質たるものが、活動行動において開花するってことだ。魂においての進化だって言ってもいい。これを怠ったその魂が、死後どういった扱いになるのかは、洋の東西を問わずして、似たようなことが伝えられている。天国極楽行きか地獄行きかの違いさね。その実際は、もっと遥かに残酷なるものなのであろうが。「彼らは、永劫に、その暗黒の内にありて、泣き叫び続け、歯がみをもってして、自己の死後の存在を、呪い続けることとなる」っと。 了


人間は本質と人格この二つによって成っている。この二つは基本、調和をもっての発達が果たされなければならない。それも

たるものに従ってそれの能動的支配下でその形においてで。

歌の歌詞において、その彼の感受性のことを:
    ウン アモー タン デリカード
    Um  amor   tão   delicado 
     なんて繊細でナイーブなヒト…、デリケートなるその魂…、そんな貴方の愛を…
    ア〜  ポルケ ヴォセ フォイ フラッコ アッシン
    Ah,   porque  você   foi    fraco    assim
     「ああ‥」、(でも)どうして、そんなにまでにも(あなたは)弱いの?!
                       って恨み言を言っている部分がある。

多分その彼は本質においてその貴方をその彼女を愛してたんだ。本当に!。ここにその彼たる人間がどんなヒトであるのかが察せられる。多分、まれにみるタイプの人間だったのであろう。

通常ヒトは人格面に支配されてある。(自分の言葉ともなれば、社会的コードに支配されてしまっているとなるのだが)。これが成り立たない成り行かない事態ってやつが到来してきまうこともある。ズバリこの歌のケース。彼も彼女もダメージたるものを負った。でもその中身はかなり違うものであったであろう。ことは

。ここに久方ぶりに彼女としての本質が語るような事態ってやつが

においてのみ理解ができることがあった。でももう後の祭りなんだけれどもー!。それによることの理解を踏まえての懺悔として吐露されてきたるの言葉、歌詞なのだ…。



Re: ここでまたもやちょっとティーブレイク!



作詞はヴィニシウス・ヂ・モライスさんという方で、作曲の方ははジョビン…というか〜、
ショパンのPrelude in E Minor op 28 no 4の改変、変曲、もしくはパクリ…。



https://www.youtube.com/watch?v=FDT_gtC5faQ
ショパンがこの曲にて秘したところのその彼の

/

/

こそが核であるっと。
これに詩的言語表現にて、男女間の離別のドラマとしての衣装を着せたもの。

モライスさんは

なんだけど、この歌は、女性が歌ったほうがいいような…いやもう絶対に
女性でなければならないのだ!。そのほうが何故か、いやもう完璧に、しっくりくる…きてしまうワイ…。だってね〜、女性の方が圧倒的に

なんだから…。社会コードに支配されきってしまってる(←根がまじめだから)。染まりまくって、も〜て、はるーー!。

彼、ヴィニシウス・ヂ・モライスさんはブラジルのベストスリーに入る大学にて法学と社会科学を専攻。そして外交官ブラジル代表の国連大使を経て作家/作詞家へと。洗練された詩風と評価されていたそうなっと…。二足の草鞋であったことだろうが、かなりにリスキーな選択をされたことだと思う。情勢的に、軸足は音楽の方であったと思う。だから、よほど芸術としてのその世界に、そこでのヒトとの関係性に、嗜好があったであろううなってことが分かる。やけに存在感があるなぁ〜。顎の線には意思の強さを感じとることができる。ある種の、勘のいい女性達には、大変モテたことだろう…。

想像力だけでは無理なんだ。この歌を理解するためには、現実において、
某らかの似たような経験が自分にないことは無理なんだ。
なぜってこの歌は懺悔の歌なんだから!。
リモース」を行うべくしてのその懺悔の行為としての歌なのだ!。

これは先に進むためにはどうしても必要なことになる。もう二度と、同じような関係が、与えられることとはならないのだけれど、魂に刺さった

抜くといった作業は、もう絶対に避けられない、避けてはいけないことなんだ。絶対に必要なること。何故にか、そうなってしまっている…。じゃないと前には進めないんだ。天国には行けなくなる、行けなくなってしまうんだ。同じところを、同じ事態たうるものを、ぐるぐると、回らされる、体験させられるはめになる。来世においても、また…。



ポルトガル語におけるこの歌は、文意としてのその意味が、ことの背景にあるであろうそのドラマがよくわからない…。だいたいがだ、主語としてあるその語りが彼なのかそれともその女なのかが分かりづらい!。実際の歌い手が男であるのか女であるのかによってもこの詞にて察せられる世界観はまた大きく違ってきてしまう。たぶん敢えてをもってして、はぐらかしとしての、その言葉の選択、その構成なんだろう…。


何をそこに思うのか/聞き取れるのか/想像ができるのかは、すべての組み合わせ、歌手の力量その表現力によって、大きく変わってきてしまう、しまい得る。だから、万人にとって、各自それぞれの、万の歌と、なりえてしまう!。



ここ、最後の部分に、自分の体験において、この歌にどんなドラマその内容を思うのかを入れなければならないのだけれども、今は、どうも気が乗らない…。いやなんだ…。なので、未完にしておきます。たぶん、これの追加をもって初めてこの稿は真に命を宿すことになると思います。

ぼくはね〜、この女性に自分の奥さんを重ねてしまってるんだ。

だが、現実には、絶対にそうはなり得ないんだ。あり得ない…。自分が正しいことをしたと信じて疑わない。当然なことだと思ってる。頑固にして傲慢、強情にすぎる…。これこそが両家が共に持つ業なのだ。それは半端なものではないんだ。その結果として、何かが見失われる、軽んじられてしまうようになってしまう…。

なんらかのショックとしての事態が、もしくは誰かの介入がないその限りには、不可能…。

だから、夢の中において

、この自分が死んだ後、彼女がこの歌の女と同じようなことになって、その思いに至ってしまってることを想像するんだ…。そんでちょっとだけ自分と、その夢としての奥さんを、慰めてあげてるんだ…w。



  敬 具
 天  村
  崇



最後の決着としての、落とし所を見極めるその段になって、
妹はその折衝窓口に奥さんを指名したんだ。
長らくの窮事において、またその勝ち気強引なる性格に起因して、
奥さんはその役を果たすのがやぶさかではなかったんだ。
自分は一切介入せず、ことの落ち行くままに、その整いのままに、
なんの意見も云わず持たずにあらんとしてた…。

奥さんは会社に呼び出されて、居並ぶ社員らから、ボクに関しての批判を山程聞かされたらしい。そこでの議題というか、核事ってのが、自分が亡き父親から相続で引き継いだ会社の株式の処理に関してだった。妹としては株主からこの自分は外れて欲しかったんだ。株主としてあれこれ会社の経営に口出ししてもらいたくなかったんで…。そしてまた二束三文での買取の条件だったんだ。

そんで、自分としての決裁が求められることになる。
いざかくなる状況を迎えたならば、自分としては潔き身を引くことに違和はなかった。
早々に会社との関係を完全精算することがベストと思えた。

そんで、すべて了承として奥さんがまた連絡役を引き受けたっと…。

問題は、彼女がその資金をすべて彼女自身の管理口座に振り込ませたことにある。

この自分になんの相談もなくに、勝手にこの自分の判子を突くをもって…。

そうしてもいいほどの仕事を彼女は折衝においてしたんだって〜。
辛く怖く屈辱なる、心苦しい思いたるものを、その場において持ったんだって。
あなたの評判は会社ではすっごい悪いのよ〜って…。
誰もあなたになんかはついてなんかこないそうよ〜って…。

舞台の設え誂え演出が万全だっただろ…。

そんでだ、かねがねそうではあったのだが、
彼女は自分のやりたいようにすべてやるようなった。

子育て、教育、家事のやり方、この自分にはもうなにも言ってくれるなって…。

不要な電気使用はやめましょう、靴を脱いだらそのあとのことを考えましょう、
母親に乱暴な言葉を使うのは止めましょう、甘えるな!ってことぐらいなんだけどね〜。

そんであるときに自分はハッキリと彼女に言ったのだ。

「あなたにはこころがない」って。

だから、自宅に、もう「帰り」って……。

離婚はできないんだ。自分が死んだらその奥さんに保険金が入るから。
母親が、長らくそれへの振り込みを行ってくれていた。それは持たせてあげたい。
でも夫婦としてのその関係は、一旦断たねければならないと思ったんだ。

そっからは

としての会話はない。あくまでも必要性に基づいてまで。


実家に本当には帰れるわけはないんだ。あの父親さんが

住んでる訳だし…。今住まいしてある近所に人間関係を広々と構築樹立してしまってるわけだし。
民生委員もやってるし…。住むにおいてこのエリア以上のところないし…。


だから、あくまでも二人だけのその関係において精算、ケジメでしかない。


これをもって家庭内出家だって自分は言ってるんだ。


でもさっ、自分としてのその個人としての思いの辛さは、

そんなことしなくても、それはあなたの管理口座に振り込んでもらいなさいって、
言ってあげれたことなんだ…。

苦労かけたから後はあなたの好きにしてもらっても構わないって、言ってあげたかったんだ。

これまでにもなにか大きな入金があったとこは退職慰労金ってののことなんだが、
自分は黙ってすべて彼女の口座に入れてあげてたんだ…。


ほんの少しの行動の違いによって、事後の整いは、結果は、違ってくる。


おしまい



ps.

これをもって自分としての存在は第二の河に移ることができた移ることとなったと言える。そんでテニスと創作にのみ集中することができてるっと。すべては、あくまでも天のシナリオに基づいて、乗っとっての出来事でしかな〜いーーっと。なんと可愛そうでまた幸せな人間であることか...by読者っと。


第二の河より抜粋:

その為には、飛び越えやすいところで、水面に浮上し、堤(つつみ)に近寄れるように、水滴は、「偶然の衝撃」と「河全体の弾み」をいかに利用するかを知っておかなければならない。水滴は「風」と「水の流れ」と「嵐」を利用する為に、「適切な場所」だけではなく、「適切な時」も選ばなければならない。そうすれば、彼は水煙とともに上昇し、他の河に飛び越えられるチャンスを得る。注:(とてつもなく重要な箇所。かなり即物的かつ現実的な話と理解した方がいい。水煙とともに..の部分は実際に経験した人のみの表現だと思う。とあるその状況としてのタイミングを逃したならば、二度とそのことが可能となる状況が訪れることはない。
ならばだ……)



バカ賢と、賢バカって知ってる?。

お仏壇の前で、ボクは両親にご苦労さまでしたってお祈りしてるんだ。
他にも色々お伝えはしてるんだが。
これが偉そうだ、失礼だって、奥さんは云うわけさ〜。

あまり学歴の高い女性とは結婚しないほうがいいよ。

バカになることのできる現実に揉まれてきた賢い女性が一番いい…。



あとがき:

自分は、この歌を、” Remorse ”としてもの、その格別なる表現として聞く。
” Remorse ”たるものが、

この歌を通じて学ぶことができる。
あの” Alaide Costa "によるものなれば!の話とはなるのだけれども…。


コードにおいて分析されている方がおられましたので紹介:
https://unojazz.com/music-of-tom-jobim/how-insensitive-%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BA/
抜粋:
② Tom Jobimは How Insensitive で ChopinのPrelude, OP.28, No.4のコンセプトをジャズコードで表現しようとした。

この曲の公開は1961年!。

セルジュ・ゲンズブールも同じくして「ジェーンB.」のタイトルにて1969年編曲を行っている。その歌手はジェーン・バーキン。
https://www.youtube.com/watch?v=NzX8wpC1dqs
有名な曲なんだが自分においてのこれの評価は複雑なんだ。どこも自分にとって良い所はないのだから。だが何がそれを彼女に与えているのかサッパリ?なんだが、どえらいカリズマ性をもってしての歌であることだけは分かる。残響としてのその影響力が凄い!。今尚もってしてなのだ!。
追記:
たぶんこれね〜暗黒の知性をもってして作られたところの歌謡だわ…。あざとさ満載。ハイセンスブローとしての悪趣味。主犯格は確実にゲンズブールになる。今回のボサノバからすれば対極というか遥か彼方の異次元、それとしての世界だわ。身元不明の死体、絶世の美人さんが警察に運び込まれてきましたとさ。それがバーキンそのヒト本人。なんらかのややこしいトラブルに巻き込まれてたのであろうと。被害者に関しての簡単なる調査結果の内容、それの読み上げが歌詞になっている。今朝5時20分から行方不明だったとのこと。暗殺者なんて言葉が歌詞にて採用されてしまっている。ずいぶんと思わせぶりだこと。だからね、この世界は、際どい危ない世界を表している。それも、自分自身を、その被害者としてのイメージに重ねて歌っているのだから…。もうたいへんに良くない、よろしくないっと。完璧に不健全なる歌
Baby Alone In Babylone これこそがまさしき彼女そのものを表すもう一つの歌になるな。https://www.youtube.com/watch?v=9-iDlqSVHxk&list=OLAK5uy_n8wdXjUrHmg7arXJOUrqA23bo7nWamams&index=4
囚われを装ってある、演出してもってしての確信犯。罪人、それとしてありきの美人さん。
いつままでも若くいれるはずもないのに…。哀れ…。

追記:
あのニコが、かって昔に、その晩年に、日本で公演をおこなった。自分の彼女さんがそれ観に行って感想を話してくれたんだ。彼女は、幼き頃の、その

、帰りたがっいてるって‥。


お耳直しとして、これを紹介しておきます。

 Francoise Hardy


Comment te dire adieu (いかにサヨナラを別れを私に承諾納得させ得るのか?)

https://www.youtube.com/watch?v=VHGMPFn0VY4

バーキンと比べたら一万倍いい。
(↑アマム〜はね〜「

」趣味なんだよね〜w。とてもあのヒトに似てる…。)

追記:この曲の作詞もゲンズブールだったわ…。あわわ…。
   すごい映像見つけた。バーキンとアルディが一緒にこの曲を歌ってるー!。
      https://www.youtube.com/watch?v=tE6KxbNPQG4

  主役はバーキンだね。アルディはウインクにおけるさっちん扱いとされてしまってる。
  最後のバーキンのカメラ目線が怖い!。アルディにとっては屈辱だっただろね、これ…。


許しは絶えず為されている。ある。
だが実際の状況の事態の改変は、やはり許したるものを、
ハッキリと口にする、態度でしめさないことには、


起こる、変わるわけがない…。「ごめんなさい」は、マジック・ワード…。


補完:「さよならを教えて」この歌は…アレと対になるべき歌。同じボサノバだし…。





      Love is ultimately vulnerable because of it's pureness.
              Also it's like a wind either.
                 by TKC






おまけ1:

山上の垂訓より:

だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし(←日常生活をいつもと変わらず(いそ)しんである)、兄弟が(身内と認じられているそのすべての内の誰かが)、自分に反感を(つまりは怒りを)持っているのをそこで思い出したなら、(思い起こしたならば、気づいたならば)、 その供え物を祭壇の前に置き、(いつものルーチンワークをひとまず棚上げにして)、まずは(急ぎ、できるだけ早くに)行ってその兄弟(誰か)と仲直りをし、それから帰って来てから、供え物を献げなさい(従来の、いつもの日常へと戻りなさい)。

あなたを訴える人と、一緒に道を行く場合、その途中で、早く、和解しなさい。
さもないと、その人は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、
あなたは牢に投げ込まれることになるにちがいない。
はっきり言っておく、
最後の一クァドランスを返すまで、(負債としてのその罪を、誤ちを、完全に償うまで)、
決してそこ(健全なる世界のその外)から出ることは、免れること、戻ることは、
できない…(適わない)。」

補記;
基本ここにあることは神か、誰かの良心のことなのだ。それらは実は全一体としてあるのが真実のところ。バラバラに見えて思えても一つのもの。だからすべての行いは彼において知られている。知られてしまっている。罪たるものを言い表すにおいて一つの表現は、この彼としての良心を傷つけること、裏切ることにある。もしそうしたならば、後は自動的に断罪としてのシステムが作動するまでのことなのだ。天国からは遠くなる。ダウントレンド左旋回にてより低次へと移行する、してしまう。プラクリティによってなる世界からの然るべくしての制裁が発動する。誰がこの対処から影響力から逃れえようか?。

追記:
ことの誤ちなることの核心は、越境/違反/分離/裏切りが特徴となろう。その我意において選択された、その我儘なる行動がだ。動機は、自尊心、自由…。自分としてやりたいことができるようになる為にってことでいいだろう。結果、誰かを、何かにおいて、軽んじることをしてしまうことになるんだ。いざことにあたっては自分を納得させる、もしくは世間一般が、この自分の行動を是認してくれる同意してくるであろうとするとろこの

構築されていってしまう。むしろ行為そのものの後にだろうな。自分の行動を正当化するしてくれるしてあるこの観念、理屈によって、自分が縛られることになる。理屈によってというよりも、そのエゴとしての自分の有り様にッと言ったほうがいい。頭において作り出したるところの、その手前勝手な、身勝手な理屈によって、絶えずいつも自分を正当化するがより習慣となっていってしまう。これは進むべき道からすれば真逆のものになる。統合へではなくより分裂したてものへとだ…。

世界の残酷なるところは、一旦ことにおいての実行もしくは達成が認められたならば、そのベクトルにおいての沿っての、より強化導き促進を目的としての状況環境の醸成がなされていってしまうってところにある。簡単に言えば、可能性のあるものは、より上流へと遡らせるべくしての誘因を備える、天へと帰還させるべくしての思惑において。自己の思いとして強情なるものあれば、それがよりこころの固くなるへと傾くのであれば、それとしての自己を敢えてをもって選択するのであれば、より下位の次元へと落としてゆく。そこでは勝手よりもより不自由な、満足に恵まれない、むしろ喧騒と争乱が絶えない、それらばかりのヒトの世界となっていってしまうんだ…。それはほんと自然なる展開としてのもので、あなた唯一人だけに起こっていってしまうものなんだ…。

助けとなるのは

なのだ。天使とは自分の良心のことにしかあらない。他には‥まあ奇特な御仁もご婦人もおられる。おられはするが…。とにかく、ことにおいては、他の誰も、他人は当てにはならないんだ。頼ったり責任を預けたり押し付けたりしてはいけないんだ。

絶望の果にこそ、真の回心たるものは、起こり得る、為し得るものなんであろうっと…。

ことの解決は、実はシンプルにして、実は簡単なことなのだ。自分の非なることを自覚して、その相手に、真心をもって、

。私の良心そのものにて、それに、誠実をもって、埋め合わせとしての対応をさせる。これに尽きる。他に術はない!。「ごめんなさい」。これは魔法の言葉。一瞬で呪いは解けてしまうものなんだ‥。


ことはまったく同じくして「入れ子型の構造になっている」との思いを持たれた、その認識理解に達せられたところのそこのあなた!、正解です。違うのはその世界スケール。各々各個、そこに働いてある法則が違ってくる、きてるまで。とにかく、まったくもって、おんなじ...。


ガラテア6:7

絶対にまちがってはいけないことがある。勘違いしてはならないこと。神は侮られるようなかたでは絶対にないのだ!。「人は自分のまいたものを刈り取ることになる」。 すなわち、自分の肉においてまく者は、肉から滅びたるものを刈り取ることになり、霊においてまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取ることになるであろう…。 わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてるなどということがあってはならないのだ。たゆまずに、霊においての善たるものを、行っているのであれば、やがてには、時が来たれば、その成果たるものを刈り取るようになる。(改稿強)




おまけ2:




橋本一子さんという音楽家さんがいる。ピアニスト。ジャズが彼女としてのその活躍のメイン・フィールドにはなるとは思うのだが…。この方も「インセンティブ」を、
歌唱と演奏の両方の担当もて録音をされているのでご紹介。

https://www.youtube.com/watch?v=4sNgeyqKBrQ


この自分との相性としては、この歌唱は、あまりいただけない…。
詳しくは語らないが、合わないんだ…。
過剰なるまでのセンスの塊。そが故にであろうが自尊心がもう複雑にして怪奇…。
あくまでも遊びとしてでしかやれない。それでいて驚くべくしてのそのクオリティー。
この人、自己完結してはるわ…。あくまでも恋愛どまり…。自分大好きさん‥。
※この方はだ…もしこれを歌うであるならば歌詞を自作にて徹底的に作り直すべきなのだ!。
ところがだ、この方による別の曲にはなるのだが、「Blue in Green」(ビル・エヴァンス作曲)、この演奏は自分の知る限りにおいてでは、ベストツゥー(2)に入るものになるんだ。これだけは、是非聴いといていただきたいと思いまして、この

やりました。
やはり女性は、あまり口を出さない、挟まないほうが良いのかも知れませんねっと…。

https://www.youtube.com/watch?v=Q3SpuMyvIUw



もう片方は、Gary Peacock(B)と Marc Copland(P)によるもの。

https://www.youtube.com/watch?v=A8ni_qrVitw



共に傾向性は似てる。まっこの自分の好み、趣味としては、のものになる。

「分かるわ〜」って、いわはることに、なるんではないかと思いますっと。




       エンディング





This Masquerade (仮面舞踏会)by 山中千尋

この方もセンスの塊。同じくしてジャズピアニスト。

https://www.youtube.com/watch?v=7JvhUKGd4es


やけに活きが良いね、この姉さん。もし選ぶならこの娘がいいな〜…w。

   天使!

ベースはまるで子犬かのようにウキウキじゃれてピアノに並走してくる。
きっと彼はこの姉さんに惚れてたんだろ〜な〜w。



古い録音と新しいものがここにはある。

そこにある音楽の”質感”ってやつに注意をはらってみて下さい。

また編曲、アレンジとしての部分にも。

圧倒的に、かってのその昔の録音の方が、人の心との親和性においては…。

草々






  さんざ訳の分からん話しを長々と聞かされて、もう延々と付合わされてき〜て、
    とうとう最後には大爆発を起こされてしまったところの読者の皆さん。
             ストレスの大放射、大噴出ーー!。



あっそうそう、第三部はね〜、グルジェフの見た夢の話し。
あの奥さんとお母さんが二人揃って現れてきたあの話しさ。
犬や猫や孔雀を従えてのやつ。"Life is real only... "これの邦訳P.66〜

この夢が何を意味しているのかを自分なりに解説してみるっと。

バイビーっと。


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