14. 出現
文字数 9,146文字
John’s Vision of Christ ヨハネ、キリストを幻視せり。
9 I, John, your brother and companion in the suffering and kingdom and
patient endurance that are ours in Jesus, was on the island of Patmos
because of the word of God and the testimony of Jesus.
吾 はヨハネ。
あなた方の兄弟 にして、また同胞 なる。
受苦 を、受難 たるを、敢 へて偲 ぶを旨 として生きる、同じ信徒 なりて。
そして、我等 信徒 をもってなる、その王国 の、同じ臣民 として。
また、私達のイエズスが、経 られたるの苦悩 、心労 、そして悲 しみ
また、肉 の体 に加 へられたる痛 み、そして覚 へられたるの飢 へ、
それらをも、彼に倣 ひて、耐 へ忍 ぶ、その覚悟 を持つにおいて…、
尚 も、喜 びもて、それらさへホも、迎 へ入 れるに努 めるにおいて、
我等は、誠 の兄弟 にして、また真実 の同胞 たるる…。
このヨハネは、パトモスなる小島 にて、投獄 されてあった。
それは、神の言葉 を、信 じる者で、あったが為 に…。
また、イエズスの証 したるを、この胸 に、しかと刻 み付 けて、
おりしが故 なりて…。
10 On the Lord’s Day I was in the Spirit,
and I heard behind me a loud voice like a trumpet,
ある”主日 ”においてのこと、私は、聖霊 の、介入 の内 にあった。
突如、自分は、背後 にて、大きな声 を聞いたのだ。
それはまるで、喇叭 が、吹 き鳴 らされたかのような、
圧倒 されんばかりの、迫力 をもっての声 だった。
11 which said: “Write on a scroll what you see and send it to the seven churches:
to Ephesus, Smyrna, Pergamum, Thyatira, Sardis, Philadelphia and Laodicea.”
その声 の主 は、吾 に、斯 ふ、言 った…
‖巻紙 にて、汝 が、これより視 ること、聞 くこと、知 ること、
‖そのすべてを、書 き記 せ。そして、その書 たるものを、
‖次の、七つの教会 へと、送 れ。
‖《エペソ》《スミルナ》《ペルガモ》《テアテラ》
‖《サルデス》《ヒラデルヒヤ》そして《ラオデキヤ》
12 I turned around to see the voice that was speaking to me.
And when I turned I saw seven golden lampstands,
吾 は、急 ぎ振 り向 きて、その語 りかけたるの、声 の主 を、知 ろうとした。
そこで、吾 の目 が、捉 へたるは、七本 の燭台 だった。それらの、すべてが、
混 ぜものの一切 ない、純金製 なることが、何故 にか確信 されていた。
13 and among the lampstands was someone like a son of man,
dressed in a robe reaching down to his feet and
with a golden sash around his chest.
それら燭台 に囲 まれて、その内 にて、ヒトの子の、人影 たるものが見へた。
其 の者 は、足のくるぶしにまで届く、ローブたるものを身 に纏 ひしており、
其 は、胸 の位置にて、金 の帯 もて、留 められていた。
14 The hair on his head was white like wool, as white as snow,
and his eyes were like blazing fire.
其 の頭髪 は、羊毛 のように白 くして、まるで新雪 の雪 かの如 く、目には眩 ひ限 りの
純白 なるの様 であった。また、其 の彼 の、両 の眼 たるや、揺 らめきながら、光 放 つ、
まるで、二本の、火柱 かと覚 へられたる程 の、有様 にして、尋常 ならざる者の、
眼差 したるを、そこに識別 するは、否 み難 きのことなりし。
15 His feet were like bronze glowing in a furnace,
and his voice was like the sound of rushing waters.
彼 の、其 の脚 は、炉 にて精錬 されたるの、ブロンズの如 くして、鈍 きにて光 放 ちており、
また、彼 が語 る、其 の声 たるや、まるで大水 が押 し寄 せ来 たるのかと思へた程 の、
響 きたるを伴 ひてのものだった。
16 In his right hand he held seven stars,
and coming out of his mouth was a sharp, double-edged sword.
His face was like the sun shining in all its brilliance.
其 の右 の手 のひらに、彼 は、七つの星 を、支 へ持っていた。
そして、口中 よりは、鋭 き剣 たるものが、現 れ出 でしており、
それは両刃 のものだった。またその顔たるや、太陽が、己 が威厳 を、
宣言 するかの如くにして、照 り輝 ひており、正 に、その様、そのものだった。
17 When I saw him, I fell at his feet as though dead.
Then he placed his right hand on me and said:
“Do not be afraid. I am the First and the Last.
彼を見た途端 、私は、其 の彼の足元に、倒れ伏してしまった。
まるで、死んでしまった者かのように、なってしまっていたのだ。
すると、彼は、私の側 に、寄 り来 たりて、屈 みもて、
私の上に、その右手 を置 いて、斯 ふ言 ったのだ…。
『恐 る る も の に は 非 ず 』
『我 は 最 初 の 始 ま り に し て 、ま た 最 後 の 終 わ り の も の な る 』
18 I am the Living One; I was dead, and now look,
I am alive for ever and ever!
And I hold the keys of death and Hades.
『私 は、生者 として、いま、ここに、来 れり。
私は、かって、一度は死 したる。だが、今は、どうだ?。
見よ!。私は命 あるものとして、いまここにいる。
生 きて、いまここにいるのだ。
それも、いつまでも、永遠 に、絶 へることの、終 へることの、
滅 ぶべきことの、一切なきもの、不要となり果てたるたるものとして!。
私は、鍵 を二 つ、この手に握 っている。
完全なる消滅 たるの、死 へと、至 るべくしての門 の鍵 。
そして、永遠 に、責 め苛 まれるべくして、定 められたるの地獄 、
是レへと至 るべくしての、門 の鍵 。
19 “Write, therefore, what you have seen,
what is now and what will take place later.
『そうであるが故 に、書 にして、認 めよ。
汝 が、ここに視 ゆることの、その全部 を、その全容 たるを。
今 に、起 こりしことを、そして、これからの後 に、
起 こるべくして、定 められたるの、そのすべてに関 してを!』。
20 The mystery of the seven stars that you saw in my right hand and
of the seven golden lampstands is this:
『汝 が視 し、我が右手 の内ある、これら、七つの星々 、そして、黄金 に輝 きて立つ、
あれら、七つの燭台 、これらの幻 にて、表 わされたるものは、
そこに秘 されてある、その意味 とは…
The seven stars are the angels of the seven churches,
and the seven lampstands are the seven churches.
七つの星は、あれら七つの教会における、その守護天使 たちのことを、
そして、七つの燭台 は、七つの教会 そのものを、表 している』。
〈続く…〉
そろそろ届いた頃合じゃな…
しばらく、
かもね…。
先に一個だけ。どうしても。
あの両刃の剣、諸刃の刃の意味はなんでしょうかー?。
答えは数日以内に...。
この辺のビジョンを転用したのがゲイト・オブ・バビロンになるな。
それは戦ひにおいて使われるもの。
無敵。
意味的には” spear ”のニュアンスになる。
突き刺されば間違いなく致命傷となる。
瞬殺にて命を奪う。誰も勝てない。
要は、その効力は無敵にして絶対、絶大なるものなのだ!。
避けがたい。阻めない。
誰においてであっても。
いかなる存在であったとしても…。
なぜでしょうか?。
*しかし、数増やしゃ〜良いってもんではないんだがな〜。
派手にはなるが、その意味たるものが薄れていってしまう…。
言葉の多きは軽んじらる。それぞまさしくドラゴンボール。
もう一個。これもどうしても。
キリストは、お側に仕える
だが、ヨハネはキリストご本人としか言えない存在と邂逅してる。
どうなっているのでしょうかねー?。
これも早い目に自分としての解釈を公開致します。
多分、間違っているだろうけどね。
この辺はSFチックで、また即物的なる話であるところが面白い。
Re:魚 屋、崇辰 水産…否、推参!。←屋号
まあ、てまえの…”ドン”、その、いたくかってな、”ブスッ”
当て推量ってやつを、”ザクッ”、その説ってやつを、”ペラン”
聞いてやって、”シュルルン”、おくんな〜まし〜〜…。「ハイ一丁 あがり〜!」。
その存在はことの前から既に在った。
ことを始める前、しばし想念を巡らしてすべてを決めていた。
そして、まず最初に、こう宣 った。
『 光 あ れ!』
そして、すべての創造が、開始されていった…。
太初に言ありき。言は神と偕にありき。言は神なりき。
萬 の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。
之に生命ありき。この生命は人の光なりき。
光は暗黒に照る。而して暗黒は之を悟らざりき…。
必要以上に抜粋してますが、これはヨハネ福音書の出だしの部分。
その彼の写し身としての身分に甘えて、ものを言わせてもらうのならば、それは神のマインドにおいて紡がれたるのものなのだ。しかし神にあっては、それはことの創造と同義になる。即、反映がなされ、実体化が起こる。同じくマインドはマインドなんだけど、デキが違う。またそれをそう足らしめている、背景としてのシステムそのものが!。彼、自らの内に、彼自身として、この宇宙は創られた。その事件の以前には何が存在していたのか?こそが真実問われるべきなのだが…。これの回答もやはり、あのマハラジと同じ(に)なる…。唯心でもなく、ただ神たる方が「
始まりとしてのアナウンスたる「光あれよ」は、「ことは真実の光の下にあれよ」の意味にに他ならない。当然な話として、彼においての真実と見なされ得るものに限定される。これは言わば絶対基準。この宇宙内という限定条件においては、それに外れることは、「
*こことても大切な部分なので、くどく言っとく。
*まず、静寂たるものの意味を、その重きたるを、理解せなばならない。
*宇宙空間でも、自然の中においてでもいい。そこにはノイズはない。
*なにか然るべくの働きを無言にて果たしている。一瞬も途絶えることもなく。
*ことは一律の元に機能している。
*それらのすべてを言語表現上において、「現実」だとか「真実」だと言ってるだけ。
*そんなもんの前に、厳然たるリアルが、ただの一個の丸ごとで存在しているだけー!。
そのことの簡単なイメージを持つならば、初代の社長は会社運営において絶対的権力を持つ。それを付与されてある。だから、彼の意に反することは、会社たるものを裏切る、それに弓引くことでしかない。なにやら一足飛びに俗なる次元に落ちていすぎなので復旧しよう…。その会社たるものも、大きく広い視点でとらまえるならば、彼の手のひらの上にあるものでしかない。上の転写を達成してきてる、体現しているが故に、そのような権限が
問題についてを、簡単に、例をもって表わすならば:
ずべてを構成している全体は、とても複雑なシステムなのだ。これは我が身としてあらないことには、本当の制御たるものは難しい。つまりは端の端にまで神経が行き届いてないと駄目だ。そう、宇宙と言ったり、会社だと言ったりしてきたが、これは自分としての意識と、自分の体のことなのだと思って下さい。つまり、ここでは、あなたが、あなたとしての意識は、あなたの自身の肉体に対しては、神のポジションになる!。そのあなたは、知識知性としてのアプローチ、そして感情なる色合いにおけるフィードバック、そして肉体組成における感覚フィードバックにおいて全体を理解すること、動かくことができる。神であり、主人たるマスターである。ここにおいて、あなたを構成する、細胞の一つが、全体の運営において、異を唱えるとなったならば、反乱を起こしてきたとするならば、あなたはどんな反応を示すだろうか?。簡単には
全体を構成する本一部の、それも末端でしかないものが、その全体のあり方について、とやかく言うことはできない。できるとするならば、全景たるを、理解してからでないとだめ。単なる思いつきや、浅はかな了見で、口を挟むことさえも越権/侮辱になる。絶対に許されない。なにせ、下手を行えば、そのことの結果は、全体の
脱線を一つ:
介護施設の現場で確認したことになる。その環境は実地の体験において洞察を得るべしとして、整えられ備えられたるの職場だった…。フロアーやセッションの区分けによって、利用者たる高齢者達は、グループとなる。だいたい4〜12名で一つのクループができる。ここに一人でも問題児が混ざると、すべての雰囲気が破壊されてしまう。たった一人でも滅茶苦茶たるそれが居たならば、もう穏やかにして安穏としての時間たるものは完璧に失せて、もう絶対に取り戻すことは不可能となってしまう。またそれの排除が難しい。できない…。救いがたきの深刻なる事態たるや、その本人には、自分がそういった存在であるとの認識が自覚がない。ありえない。なんの本意も目的もないまま、あくまでその狂気においての自然なるままに振る舞っているだけなのだから…。あなたが管理者なら強制的なる排除を行うかもしれない。だが、それはときをおいてはまた再帰してきてしまうものなのだ!。
ことの正解を、独善的にして独創的なる、また偏見的なるにて語るのならば:
あなたは、そこにあるすべてのメンバーを救うことはできない。できることは、あなた自身、あなただけを救うことだけ。ではどうやって?。その救いがたきたるの状況を脱することによって。そこに同じ被害者としてあって、そのことにおいて味わう苦しみを歯を食いしばって耐えて、正気たるへと向かう推進力として利用する。そうマハラジが言うところの在るを徹底してればいい。後のいつかには、すべてはそれが為されるべくの環境としての整いであったことが理解る。そうかれらのすべては幻の役者たちでしかなかったのだ。
語りたくの要点と言えば、それらには何の根拠も意味たるものもないんだ。彼らの語る理屈には真実がない。それに基づいていない。既存の権威や制度たるものを否定したいだけ。速攻逸脱離脱したいの思いに囚われている。自分の我儘が通る世界にただ移りたいだけ!。そんで居ても立っても居られずとなって、否定的なことを言ってるまで。訳の分からん理屈でわめきたおしているだけ。だから徹底的に、お邪魔なものでしかない…。「狂気たるものの噴出」と客観的な眼からすればそれらは写ってしまう。たくさん眼にする。たくさん聞く。そこらじゅうで。もうあちこちで。それらの噴出としてある事態たるのを!。政治家の言葉の100%がそれだと個人的には思う。予想外の現実の一撃をもって、それらのすべては、口を塞ぐことになるだろう。強烈な打撃たれば、死をもって沈黙することとなる…。
追記:
なんかでトラウマとヒステリーたるものを取り上げた。それは根本的な解決を見るまでは、何度でも再帰してくるものなのだ。また、伝染力たる特性をも備え持っている。庇護に恵まれるべくしての自覚的な対処が必要。自然とそういったものの作用から守られるようになっておく必要がある。その庇護たるものは上位としての真実、現実になる。川を遡る努力を怠らないことを!。
ヒトにとって、マインドの獲得は事故的な所以だ。後天的なる所持だ。未だ、未成熟なもので、まだまだこれから成長発展してゆくべきもの。もしくは、それの使い方を誤って、活かしきれないままになるのかもしれない。我々は、生存において、そがゆえに、不安定な状態にあるのだ。
人工的にして強制的な、マインドの進化をもってしても、あの人類補完計画をもってしても、ことは絶対に有効なるものとして果たされることはありえない。背景としての、交々にしてなるあれやこれやをも考慮しなければならなからだ。それらは未だ人類にとっては、幽霊のようなものにすぎない。魂なんて、オカルト都市伝説の域にしかいない。良心たるものが感情として個人的な意識であるなどG以外の何処の誰が語っているだろうか?。科学的に対象化できないものに対しては、手を加えること、操作することなどできるはずがない。
既に最善の最高の出来上がりであるものを毀損する、改悪することにしかならない。
それらのあれやこれやが調和して正しいベクトルにおいて奮闘するをもってこそ、
然るべくの進化たるものは起こる、また為される…。
その神は、どうしようもなく業に引きずられているだけの、救いがたいなままだけの、我等人類を、なんとか救済しようとしてくださっているのだ。正しき道へと還り至れるよう、尽力してくださっている。そんで、語りと、実体化(受肉)において、それを具体的に、またドラスティックに指し示しめんとしてくださったのだ。
だから、そのお言葉は、その背後には、とんでもない権威たる現実が控えてのものなになる。
その言葉が、何故か、自分の胸に突き刺さったとか、
大いに胸を打たれたとか、打ちのめされたる、なんて表現ってのがあるじゃない。
それは、ことの背景に、なにか大いなる権威たるなにかを感じたから。察したからそうなった。
それは防御たるものを緩衝防壁たるものを、完全に無効化して到達してきてしまう。
そうあって当然のもの。だってメタとしての真実を力として背景に持っているのだから。
これも just it works でしかない。
おすまい
言葉足らずなので、違う表現で…
Re: 「在る」の反対は、もう「無い無い づくし」
あなたは真実、ここに実在している。では、おばけ幽霊は?。
あれらは、この世においは真実の実在としてのものではない。
もう一翼としての役目は果たしていないのだから。
その思い残したるを汲んであげることは必要だろうが、
現実の中に組み入れてはならない。
その参入を参加を許してはいけない。
それにあなたにおいての自在権を与えてはならない。
活動するを可能にする器たるものを与えてはならない。
それは”違和”なるものとしてでしかありえないのだから…。
そうするということは、あなた自身が現実から遊離していってるってことにも他ならない。
ヒトの中途半端な”ありよう”がそれを可能にしいてしまってる。
真実に現実に安らぐことができないからこそ、振れてしまう。
脆弱、軟弱、ひ弱、愚か、エゴ…。
それは、ヒトの協力あってのイレギュラーな事態なのだ。
非実在、非真実を、現実の中に引き入れることは、この世の理に背くことでしかない。
生からの逸脱行為。
リアル以外に興味はありえないと思うのだが…。
ことは、十二分に満ち足りてて、暇で暇でしょうがないって方々、
この世の真実を知らない、神を知らない、畏れない人々において、
こと(乖離/逸脱/否定)は為されてしまうのかも知れない…。
ps.
あっち忘れてた。
それは依代となってくれてた。まあ言わば、スマホ替わり。
それが届けられることだけは、どうしても必要だった。
もしくは、そのすべては、ヨハネのこの世での常識習慣風習に基づいて構成されている。
扉があって、そこを入ると、また扉があって…の演出。
より深みへと立ち入るための通過儀礼。
いきなり意中のヒトが目の前に現れてきたら腰抜かすことになる。
演出的には興ざめでしかないしね…。
彼が見る夢の形態を借りて、なにか別のものが深みより立ち上がってきてる。
それもヨハネのものだってことも言えんことないが、それ、ヨハネの深みが、
別次元とつながって、そっちから、大量の情報が、エネルギーが流れ込んできている
なって自分には思える。それによって、それの力を借りて、それのナビに従って、
ヨハネ個人が、彼の備える情報をもって、顛末を読んで
これがぎりぎり。
再 見
蛇足:
それが何処で、いかな環境で起こったのか?なんてどうでもいいことなんだ。浜辺であろうが、幽閉されてた個室であったろうが、そんなことはまったくもって関係ない。一端始まれば、ことは、内界においてのヴィジョンへと即座に切り替わってしまうもんなんだから。
遠目には、外界においての、彼の外見としての姿としかならないが、つまりは冒頭の絵ね、
当人においては、もうそこは完全に隔絶されたるの、完璧にプライベートな空間となって
しまっている。だから冒頭の絵は、それらの、二重写しであると見てください。
9 I, John, your brother and companion in the suffering and kingdom and
patient endurance that are ours in Jesus, was on the island of Patmos
because of the word of God and the testimony of Jesus.
あなた方の
そして、
また、私達のイエズスが、
また、
それらをも、彼に
我等は、
このヨハネは、パトモスなる
それは、神の
また、イエズスの
おりしが
10 On the Lord’s Day I was in the Spirit,
and I heard behind me a loud voice like a trumpet,
ある”
突如、自分は、
それはまるで、
11 which said: “Write on a scroll what you see and send it to the seven churches:
to Ephesus, Smyrna, Pergamum, Thyatira, Sardis, Philadelphia and Laodicea.”
その
‖
‖そのすべてを、
‖次の、七つの
‖《エペソ》《スミルナ》《ペルガモ》《テアテラ》
‖《サルデス》《ヒラデルヒヤ》そして《ラオデキヤ》
12 I turned around to see the voice that was speaking to me.
And when I turned I saw seven golden lampstands,
そこで、
13 and among the lampstands was someone like a son of man,
dressed in a robe reaching down to his feet and
with a golden sash around his chest.
それら
14 The hair on his head was white like wool, as white as snow,
and his eyes were like blazing fire.
まるで、二本の、
15 His feet were like bronze glowing in a furnace,
and his voice was like the sound of rushing waters.
また、
16 In his right hand he held seven stars,
and coming out of his mouth was a sharp, double-edged sword.
His face was like the sun shining in all its brilliance.
そして、
それは
17 When I saw him, I fell at his feet as though dead.
Then he placed his right hand on me and said:
“Do not be afraid. I am the First and the Last.
彼を見た
まるで、死んでしまった者かのように、なってしまっていたのだ。
すると、彼は、私の
私の上に、その
『
『
18 I am the Living One; I was dead, and now look,
I am alive for ever and ever!
And I hold the keys of death and Hades.
『
私は、かって、一度は
見よ!。私は
それも、いつまでも、
私は、
完全なる
そして、
是レへと
19 “Write, therefore, what you have seen,
what is now and what will take place later.
『そうであるが
20 The mystery of the seven stars that you saw in my right hand and
of the seven golden lampstands is this:
『
あれら、七つの
そこに
The seven stars are the angels of the seven churches,
and the seven lampstands are the seven churches.
七つの星は、あれら七つの教会における、その
そして、七つの
〈続く…〉
そろそろ届いた頃合じゃな…
しばらく、
半年ぐらい
は、ノーコメント!。かもね…。
先に一個だけ。どうしても。
あの両刃の剣、諸刃の刃の意味はなんでしょうかー?。
答えは数日以内に...。
この辺のビジョンを転用したのがゲイト・オブ・バビロンになるな。
それは戦ひにおいて使われるもの。
無敵。
意味的には” spear ”のニュアンスになる。
突き刺されば間違いなく致命傷となる。
瞬殺にて命を奪う。誰も勝てない。
要は、その効力は無敵にして絶対、絶大なるものなのだ!。
避けがたい。阻めない。
誰においてであっても。
いかなる存在であったとしても…。
なぜでしょうか?。
*しかし、数増やしゃ〜良いってもんではないんだがな〜。
派手にはなるが、その意味たるものが薄れていってしまう…。
言葉の多きは軽んじらる。それぞまさしくドラゴンボール。
もう一個。これもどうしても。
キリストは、お側に仕える
天使を
一人、ヨハネの元に送られたのだ。だが、ヨハネはキリストご本人としか言えない存在と邂逅してる。
どうなっているのでしょうかねー?。
これも早い目に自分としての解釈を公開致します。
多分、間違っているだろうけどね。
この辺はSFチックで、また即物的なる話であるところが面白い。
Re:
まあ、てまえの…”ドン”、その、いたくかってな、”ブスッ”
当て推量ってやつを、”ザクッ”、その説ってやつを、”ペラン”
聞いてやって、”シュルルン”、おくんな〜まし〜〜…。「ハイ
その存在はことの前から既に在った。
ことを始める前、しばし想念を巡らしてすべてを決めていた。
そして、まず最初に、こう
『 光 あ れ!』
そして、すべての創造が、開始されていった…。
太初に言ありき。言は神と偕にありき。言は神なりき。
之に生命ありき。この生命は人の光なりき。
光は暗黒に照る。而して暗黒は之を悟らざりき…。
必要以上に抜粋してますが、これはヨハネ福音書の出だしの部分。
その彼の写し身としての身分に甘えて、ものを言わせてもらうのならば、それは神のマインドにおいて紡がれたるのものなのだ。しかし神にあっては、それはことの創造と同義になる。即、反映がなされ、実体化が起こる。同じくマインドはマインドなんだけど、デキが違う。またそれをそう足らしめている、背景としてのシステムそのものが!。彼、自らの内に、彼自身として、この宇宙は創られた。その事件の以前には何が存在していたのか?こそが真実問われるべきなのだが…。これの回答もやはり、あのマハラジと同じ(に)なる…。唯心でもなく、ただ神たる方が「
存った
」としかならない…。始まりとしてのアナウンスたる「光あれよ」は、「ことは真実の光の下にあれよ」の意味にに他ならない。当然な話として、彼においての真実と見なされ得るものに限定される。これは言わば絶対基準。この宇宙内という限定条件においては、それに外れることは、「
非真実
」と「非実在」なってしまう!。*こことても大切な部分なので、くどく言っとく。
*まず、静寂たるものの意味を、その重きたるを、理解せなばならない。
*宇宙空間でも、自然の中においてでもいい。そこにはノイズはない。
*なにか然るべくの働きを無言にて果たしている。一瞬も途絶えることもなく。
*ことは一律の元に機能している。
*それらのすべてを言語表現上において、「現実」だとか「真実」だと言ってるだけ。
*そんなもんの前に、厳然たるリアルが、ただの一個の丸ごとで存在しているだけー!。
そのことの簡単なイメージを持つならば、初代の社長は会社運営において絶対的権力を持つ。それを付与されてある。だから、彼の意に反することは、会社たるものを裏切る、それに弓引くことでしかない。なにやら一足飛びに俗なる次元に落ちていすぎなので復旧しよう…。その会社たるものも、大きく広い視点でとらまえるならば、彼の手のひらの上にあるものでしかない。上の転写を達成してきてる、体現しているが故に、そのような権限が
自然と
備わってくるまでー!。問題についてを、簡単に、例をもって表わすならば:
ずべてを構成している全体は、とても複雑なシステムなのだ。これは我が身としてあらないことには、本当の制御たるものは難しい。つまりは端の端にまで神経が行き届いてないと駄目だ。そう、宇宙と言ったり、会社だと言ったりしてきたが、これは自分としての意識と、自分の体のことなのだと思って下さい。つまり、ここでは、あなたが、あなたとしての意識は、あなたの自身の肉体に対しては、神のポジションになる!。そのあなたは、知識知性としてのアプローチ、そして感情なる色合いにおけるフィードバック、そして肉体組成における感覚フィードバックにおいて全体を理解すること、動かくことができる。神であり、主人たるマスターである。ここにおいて、あなたを構成する、細胞の一つが、全体の運営において、異を唱えるとなったならば、反乱を起こしてきたとするならば、あなたはどんな反応を示すだろうか?。簡単には
癌
細胞の所在に関しては何をどう思うのであろうか?…。全体を構成する本一部の、それも末端でしかないものが、その全体のあり方について、とやかく言うことはできない。できるとするならば、全景たるを、理解してからでないとだめ。単なる思いつきや、浅はかな了見で、口を挟むことさえも越権/侮辱になる。絶対に許されない。なにせ、下手を行えば、そのことの結果は、全体の
すべてに
波及していってしまうことになるのだから。脱線を一つ:
介護施設の現場で確認したことになる。その環境は実地の体験において洞察を得るべしとして、整えられ備えられたるの職場だった…。フロアーやセッションの区分けによって、利用者たる高齢者達は、グループとなる。だいたい4〜12名で一つのクループができる。ここに一人でも問題児が混ざると、すべての雰囲気が破壊されてしまう。たった一人でも滅茶苦茶たるそれが居たならば、もう穏やかにして安穏としての時間たるものは完璧に失せて、もう絶対に取り戻すことは不可能となってしまう。またそれの排除が難しい。できない…。救いがたきの深刻なる事態たるや、その本人には、自分がそういった存在であるとの認識が自覚がない。ありえない。なんの本意も目的もないまま、あくまでその狂気においての自然なるままに振る舞っているだけなのだから…。あなたが管理者なら強制的なる排除を行うかもしれない。だが、それはときをおいてはまた再帰してきてしまうものなのだ!。
ことの正解を、独善的にして独創的なる、また偏見的なるにて語るのならば:
あなたは、そこにあるすべてのメンバーを救うことはできない。できることは、あなた自身、あなただけを救うことだけ。ではどうやって?。その救いがたきたるの状況を脱することによって。そこに同じ被害者としてあって、そのことにおいて味わう苦しみを歯を食いしばって耐えて、正気たるへと向かう推進力として利用する。そうマハラジが言うところの在るを徹底してればいい。後のいつかには、すべてはそれが為されるべくの環境としての整いであったことが理解る。そうかれらのすべては幻の役者たちでしかなかったのだ。
語りたくの要点と言えば、それらには何の根拠も意味たるものもないんだ。彼らの語る理屈には真実がない。それに基づいていない。既存の権威や制度たるものを否定したいだけ。速攻逸脱離脱したいの思いに囚われている。自分の我儘が通る世界にただ移りたいだけ!。そんで居ても立っても居られずとなって、否定的なことを言ってるまで。訳の分からん理屈でわめきたおしているだけ。だから徹底的に、お邪魔なものでしかない…。「狂気たるものの噴出」と客観的な眼からすればそれらは写ってしまう。たくさん眼にする。たくさん聞く。そこらじゅうで。もうあちこちで。それらの噴出としてある事態たるのを!。政治家の言葉の100%がそれだと個人的には思う。予想外の現実の一撃をもって、それらのすべては、口を塞ぐことになるだろう。強烈な打撃たれば、死をもって沈黙することとなる…。
追記:
なんかでトラウマとヒステリーたるものを取り上げた。それは根本的な解決を見るまでは、何度でも再帰してくるものなのだ。また、伝染力たる特性をも備え持っている。庇護に恵まれるべくしての自覚的な対処が必要。自然とそういったものの作用から守られるようになっておく必要がある。その庇護たるものは上位としての真実、現実になる。川を遡る努力を怠らないことを!。
ヒトにとって、マインドの獲得は事故的な所以だ。後天的なる所持だ。未だ、未成熟なもので、まだまだこれから成長発展してゆくべきもの。もしくは、それの使い方を誤って、活かしきれないままになるのかもしれない。我々は、生存において、そがゆえに、不安定な状態にあるのだ。
人工的にして強制的な、マインドの進化をもってしても、あの人類補完計画をもってしても、ことは絶対に有効なるものとして果たされることはありえない。背景としての、交々にしてなるあれやこれやをも考慮しなければならなからだ。それらは未だ人類にとっては、幽霊のようなものにすぎない。魂なんて、オカルト都市伝説の域にしかいない。良心たるものが感情として個人的な意識であるなどG以外の何処の誰が語っているだろうか?。科学的に対象化できないものに対しては、手を加えること、操作することなどできるはずがない。
既に最善の最高の出来上がりであるものを毀損する、改悪することにしかならない。
それらのあれやこれやが調和して正しいベクトルにおいて奮闘するをもってこそ、
然るべくの進化たるものは起こる、また為される…。
その神は、どうしようもなく業に引きずられているだけの、救いがたいなままだけの、我等人類を、なんとか救済しようとしてくださっているのだ。正しき道へと還り至れるよう、尽力してくださっている。そんで、語りと、実体化(受肉)において、それを具体的に、またドラスティックに指し示しめんとしてくださったのだ。
だから、そのお言葉は、その背後には、とんでもない権威たる現実が控えてのものなになる。
その言葉が、何故か、自分の胸に突き刺さったとか、
大いに胸を打たれたとか、打ちのめされたる、なんて表現ってのがあるじゃない。
それは、ことの背景に、なにか大いなる権威たるなにかを感じたから。察したからそうなった。
それは防御たるものを緩衝防壁たるものを、完全に無効化して到達してきてしまう。
そうあって当然のもの。だってメタとしての真実を力として背景に持っているのだから。
これも just it works でしかない。
おすまい
言葉足らずなので、違う表現で…
Re: 「在る」の反対は、もう「
あなたは真実、ここに実在している。では、おばけ幽霊は?。
あれらは、この世においは真実の実在としてのものではない。
もう一翼としての役目は果たしていないのだから。
その思い残したるを汲んであげることは必要だろうが、
現実の中に組み入れてはならない。
その参入を参加を許してはいけない。
それにあなたにおいての自在権を与えてはならない。
活動するを可能にする器たるものを与えてはならない。
それは”違和”なるものとしてでしかありえないのだから…。
そうするということは、あなた自身が現実から遊離していってるってことにも他ならない。
ヒトの中途半端な”ありよう”がそれを可能にしいてしまってる。
真実に現実に安らぐことができないからこそ、振れてしまう。
脆弱、軟弱、ひ弱、愚か、エゴ…。
それは、ヒトの協力あってのイレギュラーな事態なのだ。
非実在、非真実を、現実の中に引き入れることは、この世の理に背くことでしかない。
生からの逸脱行為。
リアル以外に興味はありえないと思うのだが…。
ことは、十二分に満ち足りてて、暇で暇でしょうがないって方々、
この世の真実を知らない、神を知らない、畏れない人々において、
こと(乖離/逸脱/否定)は為されてしまうのかも知れない…。
ps.
あっち忘れてた。
それは依代となってくれてた。まあ言わば、スマホ替わり。
それが届けられることだけは、どうしても必要だった。
もしくは、そのすべては、ヨハネのこの世での常識習慣風習に基づいて構成されている。
扉があって、そこを入ると、また扉があって…の演出。
より深みへと立ち入るための通過儀礼。
いきなり意中のヒトが目の前に現れてきたら腰抜かすことになる。
演出的には興ざめでしかないしね…。
彼が見る夢の形態を借りて、なにか別のものが深みより立ち上がってきてる。
それもヨハネのものだってことも言えんことないが、それ、ヨハネの深みが、
別次元とつながって、そっちから、大量の情報が、エネルギーが流れ込んできている
なって自分には思える。それによって、それの力を借りて、それのナビに従って、
ヨハネ個人が、彼の備える情報をもって、顛末を読んで
しまった
。析出してしまってた
。これがぎりぎり。
再 見
蛇足:
それが何処で、いかな環境で起こったのか?なんてどうでもいいことなんだ。浜辺であろうが、幽閉されてた個室であったろうが、そんなことはまったくもって関係ない。一端始まれば、ことは、内界においてのヴィジョンへと即座に切り替わってしまうもんなんだから。
遠目には、外界においての、彼の外見としての姿としかならないが、つまりは冒頭の絵ね、
当人においては、もうそこは完全に隔絶されたるの、完璧にプライベートな空間となって
しまっている。だから冒頭の絵は、それらの、二重写しであると見てください。