1. 満足は軈てには失せん

文字数 7,464文字

(ごく)、当たり前のことなんだけど、
もってまわって語られるとなんやら初めて気づくこともある(かもねー)。

四回シリーズ。お暇であればで結構です。
お付き合いのほどをよろしくお願いたします…。





プロローグちゃとらん

ある時、家に帰ってみると猫がいた。
ボクになんの断りもなく猫がいた。
ならば、せめて名付けをもって沽券を示さねばと思い、
大急ぎで考えた名前が「サタナ」。
結局、家族にはシカトされ、あえなくボツとなりにけり…。

結局、保護者が呼んでた名前になった。
いいセンスだと思うんだけどな〜。「あ、か、サ・タ・ナ
ミル” 君は『ゴハン』と喋ります。


第一回見張り猫、ミル



熱心にしてくれているんだけど、まったく役に立たない。笑ってしまう。
時に、隣屋が今建築中なんだけど、ネットを掻い潜って最中へと入っていってしまう。
危ないから戻りなさいって声かけても無視するばかり。
あれは、いつもして欲しくないことばかりする。それも、ものの見事に。
不用となった棚を持って必死の思いしながら狭い階段降りてたら、その真下に(はい)る。
「ヒィー」もう堪忍してーでしかなかった。なんかあったら絶対にボクの所為に
されるのにーーー…。

ワンちゃんが良かったなー…。
サタナが良かった…。


第二回グルメ猫、ミル



『アタ~』(*)、では我が家で飼われている猫の話を引き続きでやるとしよう。

当然に、あれやこれやの思いつきの話ではなく、
確実に観察されたある事実を述べることが目的である。
種別としてはチャトラン。何処にでもいる普通の野良猫の部類。
我が家にやって来たのは丁度一年前。
昨今のブームに当てられてか、娘がえらく飼うことを強硬に推し進めてしまう。

経済的に余裕がなかったので里親募集のサイトを見つけてきて、
ここならタダで手に入るよと彼女に教えてあげたボクにも責任はあるにはあるのだが。
見ているだけで満足してくれれば良いのだけれども…との思いは確かにあった!。

保護主のおばちゃんは『餌をあまりやらないようにしてね』と忠告されたそうだ。
なんでも彼はえらく食いしん坊らしい。必要以上にメシを食うとのこと。
これはチャトラン全般に言える話であるそうな。

実際、手元で見ていてもその通りだと思った。飢えによる苦しみが、魂レベルでまで
深く刻まれてしまっているとの観をもった。野良猫としての境涯、その歴代の積み重ね
が原因だと偲ばれた。憐れでしかない。

妻と娘はホント…当初は猫可愛がりしてた。過保護すぎた。保護主は『家の外には絶対に
出さないようにね』との忠告も伝えたそうだ。これは迷子になり、また野良の境遇に落ちて
しまうことを危うんでのものだ。

しかし家に閉じ込めておくだけの生活が果たして幸せろうか?。野良の血筋にとって…。
ボクは、よく外に出してあげた。このことに、女子士(おなごし)らからはえらい非難の
言葉を浴びせられたものだ。馬鹿馬鹿しいまでに怒られた。しかし馬耳東風。
ボクはなんら気にはしない。なんら気にも留めず、毎度お庭に出してあげるw。

ところがだ、彼奴はよくできたもので、時々遠出をしやがる。結果、こちらは冷や汗かいて
近辺を探し回ることもあった。また警戒心からか近づくと全力で逃げる。マンガじみた
追いかけっこになること度々…。

閑話休題、本旨に関わる話に戻そう。「食事代がバカにならない!」。……。違うな~。
これでは話がブレる。伝えたいことが曖昧になっる〜。彼奴の食料の仕入れをボクが独自に
する場合もそりゃ〜ある。こないだなんか地震で棚落ちになった商品が半額で売られていた。
なかなかの高級グレード品。賞味期限は遥か先。ごっそりと購入した。

猫は、夜、食いもんを強請ってくる。ボクは、こっそり、気にせずにあげる。
ところがだ、最近、強請りはしてくるが、ごはんあげても食べてくれない。
ただただ「なんかくれ〜ぃ」(はまねん真似した大悟調)と催促を続けるばかり。「???」。
ピンときたのは「お前..、グルメになってしもとんのとちゃうやろな?」だった。
そういえば彼女らはウエットタイプのものを時々あげている。
チューブ仕様なんで、なんなのかは分からない。
ボクの買うのはカリカリタイプのドッグフードみたいなやつ。

ほん先代までは野良だったやつが、今や高級カリカリにソッポを向けるまでに
なってしまっているー。グルメ猫…。

これは逆に許されないことのように思われる。甘やかしにも程がある。
美味いもんばかり食べていると、粗食には食欲が向かなくなる。腹が減ってでさえ!。
あんなに美味しそうにガツガツ食べていたものにまでソッポを向けるようになる。

猫がサタナと密かに呼ばれていることは極少数の方のみがご存知のはず!。
犬を飼うお隣に侵入したのを追いかけて、金網を乗り越え侵入すれば、
運悪くその家に人がおられて以降はもう挨拶してもらえない。

今となれば、出入りの為に網戸は少し開けられており、好きにお散歩いって、
無事帰ってきている。うちの○どもは、みんな賢くない!。

*अथ [atha]:常套句。
しっかりした経験をもって、教えの核心たるを説く場合の、最初の切り出し文句。


第三回目とある実証実験。「どっちやねん?!」。

ここからは、ガラリとお話が変わります。要は仕上げへとまいります。
さてっと、ここに

がありま〜す。

  A)氷が浮かべられた水の入っているやつ。

  B) 適度のお湯の張られたやつ。

  C) 常温の水が入っているやつ。

さて、 右手をAの冷たい水に差し入れてしそのままにする。
そして、左手はBの熱い湯の方に同じく。

当然、

と感じ、

と感じている。

しばらくおいたら、今度は両手をタライから抜いて、Cのタライに同時に入れてみる。

すると、なんたることか!、右手は”熱い”と、左手は”冷たい”と感じるではないか!

における感覚情報が複数存在してしまってるーーー!。

「それは単なる基準点を設けたことから起こる比較認識でしかない」
「そうなるのが当然」「なんら問題はない」と考へて、さっさとこの話を終わらせたくなってしまう。皆さんは....。

これは、記憶/記録が、
どのように” 今 ”に介入してくるかを理解するのに格好なモデルなんです。

幸せは続かない...。
なぜならば、直ぐに、その状態が標準点とされてしまうから。(刺激ゼロ、つまりは普通)。

快/不快、善悪でもいいかも、その判断は、(記憶に基づいて機能する)マインドが

に行ってしまう。

このこと、この機械性に対しての、この事実への無自覚なることは、
依存にしかず、(つまりはマインド頼り、頭でっかち)
やがてには頭の凝り固まりとして定着していってしまう。

*(もう少し詳しくいうと、記憶/記録への参照によって対処が組まれる。)
*(過去の経験に基づいての世界認識、そして定着した対応しかできなくなる。)

そして、そのことによって世界との直接的な接触は阻まれる。

老人と幼子の違い。平和ボケの原因。なんでもかんでも、あってあるのが当たり前。

「飛躍させすぎやろー」かな? w。

どっからか、自分とくんず解れずの戦いをせねばならい。
誰が?とそれどこに?が問題。当事者がいない場合もあるのだから…。

誰もが老化してゆく。物質レベルの劣化が優勢となって進んでゆく。
これは脳内の構造そのものが毀損されるが実態で、つまりはハードがおかしくなる、
これによって

になっていってしまう。
当然にソフトたるのマインドは誤作動が当然となってしまう…。

更年期障害に端を発して誰もが経験することになる。
これ絶対に、皆に起こることだらかね。老化は避けがたいのは知ってるよね?。
この時に起こる悪い影響から心を守るべくの努力を若いうちからしておくべきなのです…。

追記: 

私は仕事においてアルツハイマー、認知症の重症な方々を沢山お世話しました。
また、後期高齢者の方々も多く…。残念ながらで、申し上げます。
人間の終末期がこんなに(むご)く哀れな、そして醜く救いがたい
ガラクタになるのだとは思ってもみなかった…。

脳内において物質レベルでの毀損が起こって進行していっても大丈夫なように、
若いうちから、なにがしかの努力を積み重ねておかれることを是非にと
お勧めしておきます。

粗雑にして粗暴な物質性ではない、”星気体”と呼称されているアストラル体、
これを生みだすために最たる方法である、パートグドルグ義務に励まれて
おかれんことを!。肉体の劣化においてもこの体は影響を受けません。

座禅も長期でやっときなしゃーーい!。www。


イエス曰ひけるハ、
「はっきり言っておく。心を入れ替えて

ならなければ、
 決して天の国に入る事はできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、
 天の国で一番偉いのだ。私の名のために、このような一人の子供を受け入れる者は、
 私を受け入れるのである。」


*この子供とは何なのかもいずれやる。ことは知恵の実にまで遡るのだ。
 死の定めと関係する…。予習としては良寛さんをお勧めしておきます。



第四回目、そしてラスト: 食卓よりこぼれ落ちるパン屑にさえ満足いたします。

『主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供たちのパン屑はいただきます』(マルコ7:24−30)

珍しくイエスは、ヒトに説得されてしまう。「否」を「肯」へと考えを改めさせられる。

それは、女が自身を犬畜生の身分に喩え、さらには食卓よりこぼれ落ちるパン屑にさえ
満足をいたしますと宣ったことによる。*(この女性の頭の良さには脱帽する。)


追記:20.6.16

詳述やっとくきます。
これやると本稿の直裁さが失われてしまうのでやりたくなかったんですが…。
でも、この部分は分かりにくく、また諸説あるので、自分のものを公開しておく。

お断り:
以下の内容は原典からはかなり逸脱したものになります。
でもね、これが正解だと勝手に思ってる。
ゴルゴが怖いわ…。

でわ開幕。

まずですね〜、

に問題があった。

この時点では、イエスは真のユダヤ教信仰者でないものに恵を与えることはできない。
彼の本当の御事業の完結をもって、

、抜本的な救いの道が


開かれることとなる。

さて、ここに登場している女は、ユダヤ系ではない。
カナン人(ギリシャ人)と表されている。

現在、彼女の子供(娘)は、何らかの不治の病、死病に犯されていて、
もう先が長くない状態…。だから、母親たる女は、必死だった。

イエスの噂だけを頼りにここへとやって来てた。
彼の起こす奇跡に期待をかけるしかもう道はなかった。

とにかくめちゃくちゃ切羽詰まっている状態…。

この依頼に対してイエスは、とある常套句(もしくは諺)の引用をもって、
それとなくだが、ハッキリと、分かりやすく、彼女の依頼に断りを入れる。
イエス自らの言葉ではなく、



それがこれ:

『First let the children eat all they want,
 for it is not right to take the children's bread and toss it to their dogs.』

『最初に、The子供たちに、彼らが求めるまま、すべてを食べさせなさい。
 子供らのパンをとって、彼らの犬に投げ与えるのは正しいことではない』。
[意訳:ByMe]*(ほぼ直訳だよね)

 使役なので、この思惑は父なる神のものとしての暗示だったんでしょう。
 悪いんだけど、優先順位があるんよって。
 そしてThe子供たちとは、その順位一位たる猶太の信仰心を保持している人々。
 そんで異国民は、上の人々が面倒みてる飼っているにあたる存在に例えられる(*1)。

 そういった立場、ポジションにあなたは当たるんだって。
 第一順位に恵みが十分行き渡る前に、他の序列に、
 奇跡を顕す、恵みを与える訳にはいかないんだって…。

最初は、パンじゃなくて、鳥のモモ焼きで読み替えた方が分かりいい…
この方がイメージが湧きやすい!。

子供の大好物。そしてワンちゃんの大好物でもある。みんながガッツいている最中、
一本取り上げてテーブルの下から「くれーくれー」している犬に一本投げてくれてやる。

という教え。多分、諺としてあるんだろう。

何故ダメなのか?

数には限りがあって、子供らは「もっと〜欲しいもっと欲しい」と、
最後には不満を言ってくるようになるから!。

親たるものの務めとしては、
先ずは子供らをしっかり満足させよ、

満腹させよなのだろう(*2)。

もしくは、

な食肉なので、この価値を知らない分かりえない?。
ペット風情になんかには、おいそれと、軽々しく、与えるべきではない?。

飼い犬の、犬畜生の分際であれば、人間が食べた後の残りカス、
人の食べない骨で十分であろう?。

ちょっと言い過ぎた…。
神の恵みは

、やがては周辺(諸国民)へと
行き渡るので、それで十分なのだ。こんな感じならOK?。

まあこんなところ…。とにかく自分の子らを優先せねばならないってところが肝。
これは父なる神と、その子たる信者との関係においての限定的な話しとして読まれるべき。

さてっと、イエスの言葉を、彼女の身になって聞いて理解すると…。

「私たち(カナン人)には救いの奇跡を顕すことはできないって…」(悲)

絶望に駆られながらも彼女は必死になって、娘の救いの為にと、言葉をつなぐ。

「Yes, Lord, but even the dogs under the table eat the children's crumbs.」

そうです、主よ。(あなたは正しい。)
 でも〜、テーブルの下の犬は、子供たちが食べこぼしたパン屑にはありつけます」と。

つまりはだ…。

直接、主体的なる恵みにはありつけないとしても、
食べこぼしたパン屑みたいな恵みには預かれるのではないでしょうか?と
彼女は訴えた訳だ!。

我が身の立場は飼い犬と同じ。そういった立場における恵みで結構です。
どうかそれには与れますように…。

断りの例え話の延長線上においてイメージが再構成されている。
馴染んだ表現であったからこそできたこと。

女の、低姿勢、自ら(へりくだ)っての姿勢が、しっかりイメージとしてアピールされている。

この言葉に、イエスは恵みが及ぶことを了承されてしまう。

For such a reply

, you may go; the demon has left your daughter.』

この返答、あなたのこの言の故に、あなたの求めは成れり…。
 行きなさい。病魔はあなたの娘から離れた』。

これは彼女の頭の良さとか言ってはいけないのかも知れない…。
状況の全景、構造を、この時、直観理解できていたからこそあの言葉はでてこれた。

女がこれを成し得たのは、
 自分が本当に無力な存在であること、
 神に願いを求める立場にはまったくないこと、
 されど、神の力にすがるしかもう手は残っていないのだと、
 心底から思い知らされた、理解されてしまっていたからこそ。

最後の言葉を紡がせていたのは娘を思う母心オンリー。
下手な懐柔は頭にはない。
ただ必死な思いだけで、言葉は繰り出されていた。

そこまで身を屈めて、身を投げ出して、神に寄頼むなら、応えられない願いはない。

これぞまさしく『 The 祈り』の核心…。

これって、凄い心理ドラマの記録なのです。


〈終〉


(*1)
ここは抵抗があるよね。でも順位ってのが実際はあるのは当然の話である。
だけど、奇跡の発動をもって娘さんが救われたことによってこれも些細なことと化す。
ましてや、本当の御事業ってのは、全人類の罪を背負って死に渡されるものなんだから…。

(*2)
父なる神が一旦、恵みを与えられるとなると、それは

となる。
モーゼにおいての岩を打って水を出したればとか、毎朝空から送られてくるマナの話し、
イエスによる水瓶の水を婚礼用に葡萄酒に変えた話し、
5つのパンと2匹の魚を裂いたれば、5000人以上の空きっ腹がそれらで満たされたとか、
過剰なまでの報いが訪れることが聖書のエピソードの中で強調されている。
如何に天は

が!。いや違うわ、その愛の深きが故だ…。

個人的に、これは真実であると証ししておきます。
実際にそうだった。恵みは、いろんなパターンがありますが…。

、気前の良い方!。
 
    ++++++++++++++++++++++++++++++++++


おまけ:

『かって天使のパンを食した人々でさえも豚の豆ガラで満足したのを私は見ました』(Imitation2:14)

かって贅沢な生活をしていた人々が、今では豚の餌でしか生活を継なげなくなっている。

しかし、それでさえ、やがては満足となり得るようになる。

基準点がとんでもないレベルで再構成されるから!。

転落自体は誰にだって起こり得る。
だが、これは悲劇でしかない。
えも言われぬ苦しみ、惨めさゆえに、
孤独もここに極まれりななることだろう...。

そのような境遇においてイエスを思わなければ、彼を知らなければ、
ことは目も当てられぬナンセンスでしかない。

愛ゆえの介入(彼からの試練)と見なせれるなるば、まだ救いはある。

イエスのドラマは知っておかなければならない。

その救いに預かる預からないに関わらず。

あれって実話ですよ。


あとがき:

家族がみんないなくなって、独り身での生活になってた折、
野菜をとらニャーと思い、生野菜をかじっていたら虫湧いた。
そんでもって、いらぬ虫下ごときに乏しい所持金から大金を出さなきゃならなくなった。
悲痛な思いしてだった…。

半額ラベルは神からの恵のサインと思い、ありがたく飛びついていた。未だにそう。
これも家族からは忌み嫌われてしまうので始末に悪い...。

基準点が下であればある程、ちょっとしたことでもありがたく思うようになります。
神が共にいてくだされば、それで十分、との思いにも至れます。
これだけは、不思議なことに長続きするんだよな〜。




蛇足:

福耳もちは金運に恵まれる。これにはまた違う意味があるらしい。
それは...どんな境遇であってもそれに満足してしまう、嵌まり込んで染まってしまう
までの、鈍感なる体質であることのサインでもあるらしい。
だから…その手の施設には、これの持ち主が非常に多くいらっしゃる。
なんらかの祈りもいるんだろうねー。

ボクも福耳持ちー。


〈了〉
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み