7.  ロザリオの祈り

文字数 11,915文字

、お前と女の間に、またお前の子孫と女の子孫らの間に、敵意をおく

 

、お前の頭を

、お前は

踵を

べくして付け狙う。』

  (創世記:3-15)

            ↓[変換]

蛇の(かしら)を踏み砕き、また


 主に連なる信徒たちを

絶えずその機会を窺っている。」


「また、天に大きな徴が現れた。それは、太陽をまとった女で、月がその足の下にあり、
 頭上には十二の星の冠を戴いていた。女は身籠っており子を産む苦しみと痛みのために
 泣き叫んでいた。」

「竜は女に対して激しく怒り、女の子孫のうち残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、
 イエスの行われた証しを保持している人々に

。」
  (黙示録12:1-2))








Re: 「ロザリオの祈り」とは?


ロザリオは、マリア様へと(ささ)げられる“バラの(かんむり)”をイメージとしたもの。
先の「アヴェ・マリア」の祈りによってこれは造りあげられ、そして奉納される。
大掛かりな祈りの回数と黙想の手順を踏むことによって…。


その実際をみてみよう:



赤枠内を見てもらえれば分かるだろうが、これはもう

マリア様に向けての、
捧げての、嘆願でしかない。計 53 回も「アヴェマリア」は唱えられるではないか!。
(ロザリオの、あれら数珠玉は、その回数を間違わないようにする為のもの)
たぶん、この数字にはなんらかの意味がある。
でもその意味は知らなくたっていいんだ。
それによって果たされる効果こそが大切なのだ…。

十字架の位置の最初の『使徒信条』は信者であることの表明:
スターターです。これもてダイブイン。

  天地、世界の創造主、全能の神であられます天の父を信じます。
  父のひとり子、処女マリアから生まれ、苦しみを受けて葬られ、
  死者のうちより復活し、現在は父の右におられる主イエス・キリストを信じます。
  聖霊を信じ、聖なる地上の教会、信徒間における友愛の交わり、
  罪のゆるし、からだの復活、永遠の命を信じます。アーメン (改稿微あり)

よく見ると、

の所が 5 箇所ある。5)8)11)14)17)。
この箇所においては、あのイエスが教えてくださった『主の祈り』と、
また『栄唱』が差し込まれる。

栄光は父と子と聖霊に、初めのように今もいつも世々に。アーメン。

要は、ΑΩ(アルファオメガ)の公示宣言。
門としての敷居ってやつになる。
そしてそこを経て、次に入ってから、
キリストの全生涯においての

において、
ひととき静かに想いを馳せる…。



それらは聖書に記録されたイエスの地上における人生の縮図だ。
それら節目ごとに[追想/追認/追確認]としての黙想が、各個にて行われる。
これが「主の祈り」と「栄唱」とでセットにされる。

アヴェマリアの祈りとキリストの生涯確認。
これらが交互に構成されていることに、あなたは何をどう思うだろうか?。
マリア様に、人類側にとっての強固な取次役として呼びかけをしている?。

あの「ロザリオの祈り」と呼ばれる、大層大掛かりな構成を持つ祈りは、
聖母マリアに、実際、

をお願いする祈りなのだそうだ。
では何故に、彼女に寄りすがるのだろうか?。
なにやら、お門違いとは思われはしないだろうか?…。


*ここに差し込んでおこう!
更には、今現在では、『主の祈り』『栄唱』『黙想』に加えて、
『ファティマの祈り』なるものが追加されてきているのです!。

それが(これ)

  O my Jesus, forgive us our sins,
  save us from the fires of hell,
  lead all souls to Heaven,
  especially in need of Thy mercy.
  Amen.

  ああ我主、イエズスよ、
  我らの罪深くあることを許し給え。
  地獄の劫火より我らを護り給え。
  また、すべての魂を天国へと導き給え。
  特に、貴方様からの御憐れみを、(はなは)だしく必要とする人達を。
  アーメン。

マリア様が何故か現界をされたからだ。
そのとき

、この

祈りを教えた。
要諦は、イエスに向けての「罪の許し」と「加護の願い」となっている。
なにやら切迫感が強いように感じられる…。

最終フェーズに入ったことから加えられるべきとなった祈り?。それの告知?。

文中の

とは、信者たらんと頑張ったけど、どっかで転け
ちゃった人々のことなんだろうね。もしくは今現在、試練の渦中にあって、激しく頑張
って抵抗していて、(きわ)どい思い、もうしんどいの限界にある人達のことかな?。

追記:
どうやら戦争の渦中にて早々に人生を終えざる得なかった方々のようだ。
祈ってる最中にそうなった…。


Re: こっからが本稿。

自分にとってマリア信仰は謎だ。『イエスにならいて』の影響もあってか[願い/祈り]は
直接、天に向かってするべきものだと思ってる。だから自分にはしっくりこなくって、
ミサでも中途半端な祈りにしかならない。正直形式ばかり。なんか思いの入れようがない。
自室において天使祝詞は行ったことがないな。

欧州なんかでは熱烈にして熱狂的な信者の方がたっくさんおられるようだ。
TVのドキュメンタリーかなんかでこれ見たことがある。
また、赤やら黒やら黄金やら、色とりどりのマリヤ様がおられる…。


久方ぶりに抜粋:

神は慈しみ深くして、彼に依り頼む人々に、患難の日には力を与え給う。(ナフム1-7)

慰めを、特に妨げるものは、おまえが祈りにくるのがあまりにも遅すぎる
ことにある。おまえは、私に祈る前に多くの慰めを探し求め、外的なものよって
気を晴らそうとしすぎる…。〈I. of C. 30-1〉

ヒトの子よ、おまえは多くのことについて知らない方が良い。そして、自分は地上に
おいては死んだもの、また自分にとっては、この世たるものは、十字架に釘付けにされた
ものだと思うのが良い。〈I. of C. 44-1〉

主要となるのが…ここ。
神よ、どうか如何な仲介者を通すことなく、(例えばモーゼやマリヤ様)、


語り給え!。御身こそが、私に語り給え。そうじゃないと、外から忠告されるだけでは、
内に燃やされることもなく、まるで死んで実のないものとしかならないからです。
〈I. of C. 2-14〉

えらい図々しいお願いですよね。身の程知らずにも程があるもんだってか〜?。
いや、これはこれでいいんです。これぐらいの玉じゃないと話にならな〜い。www。
とっいうわけで自分は

は、あまりマリア様を意識したことはなかった。
被昇天の話しもどうでもよかった…。


Re: ところがだ!、

、秋田の聖母に関しての話しを自分は知った。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

http://rozario0318.com/archives/18290
これは更に詳細になる。

組織だった調査による結果、真に

であったとする認証がラッツィンガー
枢機卿によって

受理されてしまった。とうとうバチカンのお墨付きにまで
なっているってことだよ。すごいね…この日本においてだよ!。

それもよりにもよってあの秋田。あの何にもない秋田。だからだったのかも知れないが…。

とてもショックを受けています。そして祈ることを、もっと増やさねばと思うのです。
彼女をチャンネルとして、仲介者としての祈りには、また特別な効果があるものかも
知れません。たぶん、これは、怒りの日の、そこで起こる断罪に焦点を当ててのもの。

ロザリオは必要とはしませんが、ロザリオの祈りそのものは行いたいと思います。
マリア様のお働きにはお返しをせねばなりますまいて…。

追記:手作りでなんかそれっぽいものは作ろう。歳とって数間違えそう。
   回数に厳密な意味があるかも知れないからね。


当事者のシスター笹川さん出演のビデオがありますので、詳細をご確認ください。
*以下の三本は皆、ほぼ同じ内容です。消える可能性があるので複数紹介。
https://www.youtube.com/watch?v=mXuUObn7qpA
https://www.youtube.com/watch?v=3YP3cgj7DGc
https://www.youtube.com/watch?v=oBna_X9YuGY


ついでにロザリオを使っては、実際はどのように祈るのか?のビデオもご紹介しておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=V905V9kYE8A

*凄えよ、このビデオ探すのにどんだけ手間取ったことか…。ないのよー 全然…。
 つまりはさ〜、ほとんどのヒトは、ロザリオの祈り

には興味がなくってさ〜、
 あくまで御託のひけらかしとファッションアイテムとしての感心しかないんかもね?。



Re: そんだらば、やっとこさ、こっからは無礼講でーす。

いや、もう大事なところは済んじゃってるんで、以降はすべて

カナ〜んジン?。
しかし「でもー」、蛇足とはいっても手は抜きませー(^∇^)ーん!。
「○○○ウイーング!」ばりに、こっからは羽を伸ばしたいと思いま〜す。

女性の方は読んではいけませ〜ん。腹立つだけにしかなりませ〜ん。悪いけど遠慮してね!。




ここにある絵は、すべてダビンチによるものなんだけど、上段の女性と下段の女性との
間にはなにやら大きな

があるようには思われませんでしょうか?。
理由は、上は実在する女性をモデルにした絵で、下は想像上の女性を描いたものなんです。
ダビンチであるが故の慧眼をここにみることができます。

でっ、思うことを一言で表すならば、つまりはだっ!
ラナちゃんも、クラリスも、フィオリーナも現実には存在してないんだー!。

ーってこと。なんのこっちゃか分かります?…。

「ここ読んでる方で、女性はいませんよねー?!」。(念のため…)

 では、「な・に・が」存在しているのかだが!?。

 もう言わないでおきましょうか?…。

 いや女性ですよ…。綾波シリーズとアスカシリーズですよ…。



とても可愛らしくってーお美しい限りの皆様ばかりです。

 ………

(逃げた)


Re: マリア様

閑話休題、(あたま)でキリスト教について探りを入れようとすれば、いくつかのポイントで
引っ掛かってしまう。躓いてしまう。なんらかのご縁があって理屈抜きにアプローチ
できないと無理。特に頭のいいヒトは…。

例えば、では、あのラザロは生き返った後、最終的にどうなってしまったのか?とか、
なんでイエスお一人しかいなかったはずなのに、荒野の誘惑についてのドラマの詳細を
皆が知っているのか?とか。これはイエスが後に説明したとかではなく、後に聖霊の働き
において皆が幻視を果たしたのだが…(嘘つけー!)。ほんとあそこは不思議な部分だ。

そして何よりもだ、最初の出だしとなる

の話しである…。

現実主義者であればある程、「そんな阿呆な〜」ってことにはなるわな。
あまり深く考えない子どもであれば、それはまた別の話しになるのだが。
あの八卦の先生は「そんなことあり得るか〜い」っておしゃってたな…。

とある空想SF作家は、ヘンテコなビジョンを持つのだが、これは言わずが花かな?。
絶対に伝わらない。あくまで個人的な了解の為のイメージ操作としてだけで十分。
なんでも超特別特設仕様のスパルタンEXなんちゃらかんちゃらが送られてきて…断。

原典にあたってみよう!。意外とみんな正確には分かってないから。

天使カブリエルが、マリアに、『

あなたは受胎しますよ』と告知した時点で、
彼女はなんと12歳(オックスフォード聖書辞典)。まだ子どもですね。

妊娠するからって言われて、『それって、どうやったら起こるものなんですの?。私、未だ処女なんですけど』と天使に尋ねる。すると天使は、” The Holy Spirit will come upon you, and the power
of the Most High will overshadow you ” って答えました。『聖霊が Will で、あなたの上に臨み、そして至高者があなたに影を落とす』って。つまりは

彼女の元にやってくるのだ。これが彼女に覆い被さって交合を果たす…。indescribable matter 。
いやいや、それとも重い使命において、運命の影を落とすの意味かな?。

混乱をもたらすのが出だしの、 "The Lord is with you"だ。の天使の彼女への
第一声の挨拶。この最初の時点では、マリアは

意中の人である


ただ、ご寵愛/ご愛顧に恵まれているだけだ。

要領の得ない、得体の知れない話しではあるがー天使が直接に伝令役を果たていること、
また、”The holy one to be born will be called the Son of God” と伝えられたことから、
彼女の気構えは特別なこと/栄誉たるの/神命としての定めなのだとして固められる。

"I am the Lord's servant,"
"May it be to me as you have said."

これが彼女が天使に伝えた、最終的な決心としての言葉である。

素直に、すべてを

。神の御名において自分を



信仰心の厚い少女だったのですね。

いやそんなんだけじゃない。既に、以前に、どっかで魂はあちらに渡ってしまっている。
本来性に目覚めていて、彼方の世界こそが、真の自分の所属する場所だと思っている。
教育や文化がうまいこと活きていた。それでも珍しいタイプだったのだろう。
イエスの来臨として定められた、この

ってのも、

だった。
今とは違う意味で…

そして、この時より30年後にイエスは世の表にて活動を開始する。

そして、その3年後に磔刑に処せられる。

計33年間をマリア様はイエスの母として過ごされてきた。

あの最後の時、母は45歳…。

マリア様の立ち位置は特別なものになる。
ヒトとして、天と地との間における、仲介者を勤められたのだから。
彼ら預言者たちとはまた違い、己が血肉を経ることによっての仲立ちを果たされた。
考えようによっては、イヴの埋め合わせ的な存在だったのかも知れない?…。

母と息子としてのそれなりの関係があったであろうが…
聖書に語られているあの”カナでの婚礼”の場においての話が自分にとっては印象的だ。
再現しちゃる…。

誰かの婚礼があって、イエスと、その弟子たちもとある家に皆招かれていた。
マリア様もそこにいた。場が進むに従い、葡萄酒が全部尽きてしまった!。
このことに気づいたマリア様がイエスに伝える。

「もうお酒なくなっちゃたのよー」(悲)と。
 これに対して、イエスは、
『なんでそないな、しょ〜もない些事俗事にオレを巻き込むんじゃー!』
『オレが活躍すべき時っちゅうのは未だ来てへんてー』って答えられた(www)。
「いや〜この子、へんねし起こしても〜てるわ〜」と思いながらも、
 うん、この子やったらきっとなんとかしてくれると信じ、マリアは給仕役の人々に
「この子の言うことはなんであろうが叶えたってなー」と頼んで、その場を気楽に離れた。
*たぶんこころの中では「あとは頼んだでーインマニちゃん」だったのでしょう。

 不愉快に思いながらも、イエスは


 摩訶不思議なる力をもって葡萄酒を工面してあげることにする。
 給仕役のヒトらに…
『そこな大甕に水を口まで、

、満たしんしゃ〜い』って…。
『そしてたらば、そこから汲んで、予備の葡萄酒持って来ましたーって、
 給仕頭のヒトに渡しんしゃ〜い!』って。

 なんと、その水だったはずのものが、ごっつう美味い酒に変わっておったそうじゃ。

 給仕頭の男は、その酒を味見してみて、すぐに、その家の花婿たるヒトを呼んだそうじゃ。
 そして破顔満面、笑みを浮かべつつ、

「あんた〜なんちゅうええ酒を隠し持っとったんじゃー」
「今頃になって、こいつを出してくるっちゅうことは、
「今日は皆をヘベレケに酔わせようっちゅう魂胆やな〜」と、
 肘で突っつき揶揄して皮肉言うたげな。了

ちょっとリアルな親子関係、その機微を感じていただきたくって、
その思いのみにて改稿には努めさせていただきました。
どうか誤解のないように(拝)。

要はだ、彼女は、

とまったく同じ

に属する存在だったのだ。
だがイエスの母となられたが故に、天界側とも地続きとなられてしまう。
イエスとの親子関係によって。

これは唯一無二の特異なるケースと言える。

そして、受難に向けての、愛する息子が成し遂げねばならない神命として事業があった。
それを理解はするが、応援もするが、母のこころとしては耐え得るわけがない…。
ヒト側の代表として、母として、親身となって、彼の最後を見届けなくてはならなかった。

その時、彼は33歳、未だ若者ではないか…。

母は母なりに、そのこころには深い深い

を受けたに違いあるまい。

そして彼女は死後、なんと今度は、天界側のエージェントとして、この地上へと
干渉されだしてきているのだ。人々の前に突如出現されるようになった。
有名な話しとしてはファティマにおける出現がある。1916年。





これも目撃者が、証人が、あまりに多すぎて、
聖母の出現としてローマ教皇庁が公認をアナウンスせざる得なくなってた。

そして、今度は、1973年に、日本の秋田においても!。

そして個人的に、急に、この方の存在がクーズアップされることとなったのです。

まさに今現在の、2020年の状況下において…。


Re: マントラについて。

あの祈りは、もう

呼んでしまっても差し支えあるまい。
個人的には、基本、

がマントラだっとは思っているが。
ところで、反復には何を思うだろうか?。
延々と繰り返されるだけの機械的な反復において!。

これは「エゴを殺す…」。

少なくともそれの支配を脱する、逆に支配下に置くことが課題となる。

強化の原理は反復強化しかあるまい。筋トレを考えるだけでいい。
肉としての、肉体としての自分は、どっかで間違いなく逃げ出したくなる、やめたくなる。
確執葛藤が起こる。これで無事に数回死ねたらば、無事、一人前のなんらかのエキスパート
に変わってる。

これは、あらゆる領域において同じ。悪いことにおいても同じ!

もう、あれやこれやの判別がつかなくなって没入感だけ、単なる一となってあるだけ…。

脱落が起こるとしたらこの機会にしかない。

毎日の皿洗い、洗濯物の片付け、掃き掃除、ゴミ集めゴミ出しにも意味はあるはある。
糸の紡ぎにも、五体投地にも、御百度参りにも、勤行写経も、賽の河原の石積みにも、etc。
だから、ぶつくさ言わずに、嫌々やらずに、あったりまえ、当然だと思ってただやるのー。
それも可能な限りあなたの思う完璧さもて!。

安心してやってていい。数十年も経ればこれも自然とそうなってしまうから…。
合理化の知恵は、ここでは一切不必要。むしろ小賢しいだけ。唾棄されるべき発想。
ただひたすらに

練りを重ねるまで。今も昔もこれしかない!…。


マハラジによるマントラの説明がありますので、ここで公開する。

Re: 『祈り』の奥義。

Q: The repetition of the name of God is very common in India. Is there any virtue in it?
  特定の神の名を反復詠唱することは、インド文化においては非常に一般的です。
  その行為には、いったいどういった効能/効力/効果があるのでしょうか?

M: When you know the name of a thing, or a person, you can find it easily.
 By calling God by His name you make Him come to you.
  人の名前を知っていれば、あなたは彼を簡単に見つけられる。
  神の名を呼ぶことによって、あなたは彼をあなたの元へと招くことになる。

Q: In what shape does He come?
  彼は、どのような形態で来るのでしょうか?

M: According to your expectations. If you happen to be unlucky and
 some saintly soul gives you a mantra for good luck and
 you repeat it with faith and devotion, your bad luck is bound to turn.
 あなたの期待通りの姿でだよ。
 もし仮に、あなたが現在、不運な境遇にあったとしてだ、
 聖者が、あなたの幸運のためにと、マントラを与えたてくれる…。
 そして、あなたがそれを真の信仰心を持って、一心不乱にそれの詠唱を繰り返すならば、
 あなたの不運は変わらざるを得ない。

注)According to your expectations が重要だ。ここに何を観るか?…。死んで天国に至った
  としても、それもまた別種の夢としての世界の延長線上の話でしかないとでも言いたい
  のか?。なぜか、これもまた、真実であるとのサウンドがある、起こってる…。

  自分が持った、賜った、”平安”の贈与たるものの体験から一つ云わせてもらう…。
  それは最早疑うことの叶わないリアルなるものとしての体験なのだ。
  自己を完全に超えたところからの作用をもってしての現象でしかないったことがだ。
  ことの了解としては、事後には、いろんな翻訳が、体裁繕いが、その当人のマインドに
  おいてなされるのかもしれない‥が、核事においては…そこには…完全に自己ではない
  なにか圧倒的に大いなるものの存在が関与/干渉を

。ことは既に最初から言葉を
  超えてしまってる。そのことに関してを表すことなど、基本その当人においては、
  まったく必要が、ないことなんだ……。
    (後人らに向けて、ってのにおいてのみ、彼の努力は工夫は為されてある。)  

注)bound は bind の過去分詞。バインドは、かたく結び合わせる/結びつける/くくるが
  ニュアンスとして含まれている。つまりは Turn した状態へとそうなる。

 Steady faith is stronger than destiny.
 Destiny is the result of causes, mostly accidental,
 and is therefore loosely woven.
 Confidence and good hope will overcome it easily.
 強固で(恐れを知らない)信仰は、運命よりも強い。
 運命は、無数の原因の結果であり、そのほとんどが偶発的なものなのだ。
 そして、そうであるがゆえに、(運命の)”織”は、荒く/イイ加減なものなのだ。
 信頼と良き希望さえあれば、運命に打ち勝つことは容易い…。

注)何を信じて頼るのか?何を信じて任すのか?
  この問いの答えは神の一言では終わらない。
  それと同質同体であるはずの真実の自己も含めなくてはならない。
  それにしても何処行きよってん?、あいつ…。

Q: When a mantra is chanted, what exactly happens?
  マントラが唱えられるとき、正確には一体何が起こっているのですか?

M: The sound of mantra creates the shape which will embody the Self.
 The Self can embody any shape -- and operate through it.
 After all, the Self is expressing itself in action --
  and a mantra is primarily energy in action.
 It acts on you, it acts on your surroundings.
  マントラを詠唱することに伴う音響(サウンド)が、あるものに形を付与するのだ。
  それが、[真の/核としての/魂としての]深奥にある自分自身を具現化させるのだ。
  彼ならば、どんな思いのものであっても、その形を(内容を)現実化することができる。
  マントラの詠唱サウンドを通じて、その作業は行われるのだ。

  結局のところ、真我、そのものが、発現において、自分自身(の求め)を表明するまで
  なのだ。そしてマントラは、発現に向けての/顕現に向けての初動としての勢い付けの
  エネルギーなのだ。
  マントラは、あなたに作用し、しかして、それはあなたの周囲にも作用を及ぼす。

Q: The mantra is traditional. Must it be so?
  マントラは伝統的なものですよね。なんでそんな風になったのですか?

M: Since time immemorial a link was created between certain words
 and corresponding energies and reinforced by numberless repetitions.
 It is just like a road to walk on. It is an easy way -- only faith is needed.
 You trust the road to take you to your destination.
  遙かな太古の昔に、特定の固有名詞と、それと符号するエネルギーとの間に、
  リンク(連結/関連/絆/結びつき)が形成された。
  そして数えきれないほどの繰り返しによって、それは強化されてきたのだ。
 (今ともなれば)それはちょうど歩くために(舗装された)道のようなものだ。
  それは簡単な道なのだ。ただ信仰心だけが必要とされる。
  あなたは、その道が、あなたを目的地まで連れていってくれることだけに
  信頼をおいていればいい…。

I am that 邦訳、P.93、 
22章.「生命は愛、愛は生命」より抜粋。
意訳強。


おしまい












つけたり:

聖女が教えた新たな祈り(ファティマの祈り)が全く同じであったことが決定的かな。
全く関係のない二者による報告が同一であれば真なることの証とされる。
(疑念は未だ保留されるが)

あのヒトらは、なんかマリア様をアイドル視して恋愛感情を投げかけてるだけかと思う。
もしくは、お母さんへの思慕慕情なのかもね。とどのつまりは「 マミー!」だ。

ヒトが知るは能わず。神秘のままに覆いを掛けておいておくべきところ。

イマヌエルが正しい。

聖書には、あるべきの、

一節が欠けている…。”大甕の側に立ちて、まずは両袖を引き
上げ捲り上げらるん。そして、両の手のひらに「ペッ」「ペッ」と唾を吐きかけられてから、
これをよく揉んで叩いて擦れりをせり。次いでその掌もて、大甕を優しく撫でるかのように
して叩きながら「ボボンボンボンワイナリ〜ボンボン」と囁かられ、してからのほいでからに、ことの最後には裂帛の気合いもて、低く、短く、激しく「 メルシャン!」(その意味は「

」である)”。本来なれば!、この一節があたー。
おっのれ〜、ニケーア公会議めーーー!。

いねかったづらよー。
57.7年間かけても影も形も見当たらなんだ〜…。
強情で意地悪でキッツイのばっかししがいでェかったーーー。
良さげに思えた女子(おなご)もさ、”み〜な”、おもきし、後家相だったんべやさ!。

それはしょうがないことなんだ。
なんせ彼女らは否定性の源泉”そのもの”なんだから…。
そうあってくれてこそ、然るべくの反応促進になるんだ。
そうであってくれてこそ、男は正しく成熟できるってもんなんだ…。

こんなんばっかりだったズラ〜」。もう全然聞いてない www 。










それらをも全部含めての女性です。
更にもっと修行してなさい。
フー…














蛇足:

今回、個人的に一番好きなところは給仕頭んところ。



第二バチカン公会議と呼ばれるものがあった。1962-65年の間に。
それを機に「刷新」なるスローガンが教会内では声だかになってゆく。
そんで若者らを取り込む努力とか、聖文を分かりやすくしようとかの発想で、
既存の美しい韻を踏んだ文語体は、尽く味気のない陳腐なものへと変えられてしまった。
いろんな権威者の先生たちを集めて変えたらしいんだけど、「愚か」としか言いようがない。

尖兵に成り下がってんじゃないの〜?。いや、「じゃねーよー!」か…。
悪意が自分には窺えるのだが、これは勘違いだろうか?…。→ 最初に戻る。

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