20. フィデラ
文字数 5,063文字
To the Church in Philadelphia フィラデルフィアに在る教会に向けて。
7 “To the angel of the church in Philadelphia write:
These are the words of him
who is holy and true, who holds the key of David.
What he opens no one can shut,
and what he shuts no one can open.
‖フィラデルフィアの守護天使 に向けて、斯 く書けよ…
ここに、認 めたるは、かの方よりの、お言葉 。
至聖 にして、また、真実 の証人 たる方 、
そして、ダビデの鍵 を、手にされてある方様 よりのもの。
彼 、開 かば、誰 によりても、閉 づること適 わず。また、
彼 、閉 づらば、誰 におひても、開 くること適 わざり。
斯 くの如 きの御方 、御子殿 よりの、お言葉 なる…。
8 I know your deeds.
See, I have placed before you an open door that no one can shut.
I know that you have little strength, yet you have kept my word
and have not denied my name.
我 、汝 に、功労 ありたると、認 ず。
視 よ!、我 、汝 が歩 みの、その前 に、門 を、開 きて、おきたる。
これを閉 づ得 るもの、誰 も有 らじ!。何処 にも、如何 んしたとても!。
我 が眼 におひては、汝 たるものは、力 はことごとくにして弱 くにして、
また、脆弱 にしかあらじなる。然 であるにも関わらず、
汝 は、我 が説 きたるを、命 じしを、果 たし来 れり。
また、最後 の最後 まで、信仰 を、守 り通 したる!。
また、我 が名 を、知 らぬ、関 わりなしと、したることは、
ただの一度 もなかりし。
9 I will make those who are of the synagogue of Satan, who claim to be Jews
though they are not, but are liars—I will make them come and fall down at your feet
and acknowledge that I have loved you.
サタンの、其 の悪しき波動 たるものに、惹 かれひで、魅 せられして、
然 で、その性 たるものに、染 まり切 りたるの、あれら背教者 ども…。
集会 は、最早 、彼 こそを、礼拝 すべくしての儀礼 と、なり果 てたり。
信徒 などと宣 いながらも、真実 の処 、彼等 はそういったものに有 らず。
偽物 も偽物 、破廉恥 なるまでの大嘘 つき、ペテン師 以外 の何者 にもあらじ!。
我 は、あれらの者共 が、汝 の元 に、急 き来 たりて、
其 の汝 が足元 にて、平伏 するようせん。
そして、彼等は、知ることとならん…。
我 が、汝 たる存在 を、その生命 を、
如何 に、愛 して止 まなかったことかを。
心底 からの、顫 へたるものを、覚 へながらに。
魂 にとっての、真 の恐怖 たるものを、味 わひしながらで…。
10 Since you have kept my command to endure patiently,
I will also keep you from the hour of trial hat is going to come on the whole world
to test the inhabitants of the earth.
其 は、汝 が、我 が教 へたるを、尊 び、それに、こころを、固 く結 び付 け、
保 ちて、守り続 けたるが故 なりて。幾度ともなく、押 し寄 せ来 るの、
度重 なる、試練 に際 しても、教へとしての言葉 を、思 ひ起 こし、
汝 は、辛抱強 く、ことを耐 へて、忍 びて、乗 り越 へしてきたれり。
間 もなく、この地球 の住人 たちにとっての、試 み、その時節 たるものが訪 れん。
それは、全地 を隈 なく、余 す処 の一切 なくして覆 ひ、臨 みて、来 たらんとするものなり。
大艱難 と呼 ぶべきもの。まさに、それの到来 とならん…。
其 が災厄 の、訪 れのときであってしても、その時節 の最中 であってさへ、
汝 は、我 が庇護 において、守 られていようぞ…。
11 I am coming soon.
Hold on to what you have, so that no one will take your crown.
我 は、すぐにも、やってこよう。
汝 が、持 ちたるものを、勝 ち得 たるものを、
固 く守 って、決 して、それらから、手 から離 さぬように!。
誰 からも、汝 が得 し、その冠 たるを、奪 ひ去 られぬよう!。
12 The one who is victorious I will make a pillar in the temple of my God.
Never again will they leave it.
勝者 たりえたものを、我 は、神殿 を支 へるべくしての、その基 たる柱 、
その一 つとせん。彼等 は、二度 と、再 び、その持ち場 を、離 れることはないであろう。
I will write on them the name of my God and the name of the city of my God,
the new Jerusalem, which is coming down out of heaven from my God;
and I will also write on them my new name.
それら基 たる、汝 らが柱 に、我 は、我 が神 の名 を刻 まん。
そして、我が神の都 の名 も。新 たなるジョルースレムたるものの、その名前 を!。
其 は、我が神よりの、真実 の賜物 なり。
彼の元 より、彼の王国 、天国 より、現 れ出 でして、
そして、この地上世界 へと、降臨 たるを、顕 し、果 すべくしてのもの。
我 は、必 ず、新 たなる、”我が名 ”たるを、その柱 には、記 さん…。
13 Whoever has ears,
let them hear what the Spirit says to the churches.
誰 問 わず、耳 のありければ、
聖霊 が、諸教会 に向けて、
伝 へるところを、説 くことを、語 りたるを
聞 くがよい…。
〈つづく…〉
つけたり:
我が主、このパウロに言ひ給ひけるは…
『わが恩惠なんぢに足れり、わが能力は
コリント第二の手紙、12ー9 改あり。
これはパウロがイエズスよる受け取ったメッセージなんだけど今回の内容に関係してる。何故にフィラデルフィアの守護天使が脆弱なるものと評されながらも、高い評価を主から受け取ることができたのかだ…?。その彼は文脈の展開上、最上位の扱いを受け取っている。これは確定したものとして語られている。ここにはなにか特別なる価値付があると理解されねばなるまい…。
一つの読み方になるんだが…彼は既に死んだもんなのかもね。だから上のシーンは死後の、あの、お裁きでの場面なのだと、そう思って、そうなのだとして、見てやってください…。
誰が、その王冠を取り去るのか?
これも身も蓋もない言い方をするならば、極論としてはそれはズバリ神そのもの、ご本人によってだ。しかし、それは世界としてのシステムに沿った形で起こるまでで、彼が意識して、取り上げたくって、奪うわけではない。自然と、その上位としての環境からは脱落することになるまで。It just works so. ただそれだけの話し…。この天与としての環境、というかその状態状況は、信仰の励みにおいてたどり着いたものであり、その気概が薄れたり失われたりするならば、また同じくして今度は降下としての移行も当然にありうる。その誉としての、その境遇を失わないよう、日々のあり方には気を付けていないよーって。王として暮らしていようが、何として暮らしていようが、絶えず神を意識して、彼にかしずいての生活を心がけていなさいよ〜って。
真実のところは、彼は強者だ。というか、弱きにありながらも、ことを果たし終えたる。
そのことにおいて与えられる誉特典栄誉としての、今回の話は扱いなのだ…。
でも、これもキリストの教えにおいての、核心的なることになるのだけれど、いかなる状況においても、成り果てたるも、たどり着きたるとも、驕り昂りそして慢心のこころは、一切許されないのだ。ただ為されるべきが為されたまでとの謙虚な思い、そしてその平心としての態度が保持されてある必要がある。「ピルル・ピルルル…」っていって、糞虫 の身分の、その自覚にて、過ごして、生きて、いかなければならない!。
もしそういった機運がたかまるのであれば、ただひたすらに死に続けるまで。自分でその自分を殺し切るまで…。殺し尽くすまで…。ことは、なんであったって、やがてには終わりたるものがくるもんさ。
ことの肝心なることは、流されゆきつつも、流れを遡らんとしてのその努力。生涯という全期間をかけて、いかに奮闘たるものが、その個人において為されたか?。ただそれだけ…。たとえ押し流されてしまい、遥か下流に至ってしまったとしても、そんなこと、神の眼からすれば、大したことではない。見事、水源に至り着けたとしても、それもまた同じく…。要は、御心の実践、そこでの気概、そこでの思いたるものに尽きる。それだけのことで、もうお喜びになってもらえるのであろう…。己が弱さにおいて、アレの誘いに乗って、下流へと下流へと下るを嬉々として喜んで選んだるの、あれらのものたちと比べれば、遥かにこころ和ませてくれる、ご満足をしていただける存在なのだ。
これはまだ彼の民族における病理としてのシンドロームによっての夢見の可能性もある。
総じて、生生しいまでの霊感に満ち溢れている。これに当てられての、同じく病理たる
発現があれやこれやの預言書関係者達においては見受けられる。ひふみも、内容的に、
作者はこれを踏まえている。しかしだこれこそがまさに真の震源地としてのそれなのだ。
ことは共振において、まさしくそのようになる、なっていってしまうのかもしれない。
その霊感に触れれば、何故か似たようなものを生み出してしまう。己が文化圏の言語
にて語り直して。己が神を、中心に据えた形で再構成を果たした上で…。
否、其れさえも根源としての、それが備えて持つ摂理に基づいての現象に過ぎない
のかもしれない。其れさえも、然るべくのシナリオに基づいての出現であるに
過ぎないのかもしれない。
同じヴィジョンが、何度も何度も、色んな人、色んな表現にて繰り返されている。
個人的にはこれはやばいことだと思っている。同じシンドロームにての感染が広がって
いってのだから…。ことは神に関係なく起こってしまうようなるのかも知れない。
その始まりは、キリスト教徒たるヨハネなる人物が、その当時の世相において
囲った、その積もり積もったストレスの、大爆発でしかなかったものを…。
このヨハネは真の信徒たりてそのときの潮流たるを見据へまたその身にて味わひ知った。
キリスト教においての、ただ一人のみにて、ありえた預言者。最初にして最後?。
ことはだ、諸君…その人類終末としての怒りの日たたるものはーだ、これまでにも、
幾度も何度も、然るべくしての時節において起こってしまうものなのではないのか?。
これはヒトが変わらない限り、以上、繰り返されてしまうものではないのか?。
次回のものは、既に、わりと近いと、覚へられている…。
絶なるおまけ:
「ここに糞虫!。」
ジョージ秋山氏による【ザ・ムーン】より
未だ、泣かせてくれる漫画。
そのものの名…”○○”という…。
自分はあまり○○○気にしてない。
あと一個…。
おわりー!
すな…
すな…
するな!…
するなーって、言 うとんやろがぁー!!!……
すなって…
ヤッパ、すんのか〜〜ひぃぃ〜ーー!
もう命が完全に宿っとる…
確か、その腕には、起爆直前の核ミサイルが抱かれていたのでは…?
7 “To the angel of the church in Philadelphia write:
These are the words of him
who is holy and true, who holds the key of David.
What he opens no one can shut,
and what he shuts no one can open.
‖フィラデルフィアの
ここに、
そして、ダビデの
8 I know your deeds.
See, I have placed before you an open door that no one can shut.
I know that you have little strength, yet you have kept my word
and have not denied my name.
これを
また、
また、
また、
ただの
9 I will make those who are of the synagogue of Satan, who claim to be Jews
though they are not, but are liars—I will make them come and fall down at your feet
and acknowledge that I have loved you.
サタンの、
そして、彼等は、知ることとならん…。
10 Since you have kept my command to endure patiently,
I will also keep you from the hour of trial hat is going to come on the whole world
to test the inhabitants of the earth.
それは、
11 I am coming soon.
Hold on to what you have, so that no one will take your crown.
12 The one who is victorious I will make a pillar in the temple of my God.
Never again will they leave it.
その
I will write on them the name of my God and the name of the city of my God,
the new Jerusalem, which is coming down out of heaven from my God;
and I will also write on them my new name.
それら
そして、我が神の
彼の
そして、この
13 Whoever has ears,
let them hear what the Spirit says to the churches.
〈つづく…〉
つけたり:
我が主、このパウロに言ひ給ひけるは…
『わが恩惠なんぢに足れり、わが能力は
弱きのうちにこそ
全うせらればなり』コリント第二の手紙、12ー9 改あり。
これはパウロがイエズスよる受け取ったメッセージなんだけど今回の内容に関係してる。何故にフィラデルフィアの守護天使が脆弱なるものと評されながらも、高い評価を主から受け取ることができたのかだ…?。その彼は文脈の展開上、最上位の扱いを受け取っている。これは確定したものとして語られている。ここにはなにか特別なる価値付があると理解されねばなるまい…。
一つの読み方になるんだが…彼は既に死んだもんなのかもね。だから上のシーンは死後の、あの、お裁きでの場面なのだと、そう思って、そうなのだとして、見てやってください…。
誰が、その王冠を取り去るのか?
これも身も蓋もない言い方をするならば、極論としてはそれはズバリ神そのもの、ご本人によってだ。しかし、それは世界としてのシステムに沿った形で起こるまでで、彼が意識して、取り上げたくって、奪うわけではない。自然と、その上位としての環境からは脱落することになるまで。It just works so. ただそれだけの話し…。この天与としての環境、というかその状態状況は、信仰の励みにおいてたどり着いたものであり、その気概が薄れたり失われたりするならば、また同じくして今度は降下としての移行も当然にありうる。その誉としての、その境遇を失わないよう、日々のあり方には気を付けていないよーって。王として暮らしていようが、何として暮らしていようが、絶えず神を意識して、彼にかしずいての生活を心がけていなさいよ〜って。
真実のところは、彼は強者だ。というか、弱きにありながらも、ことを果たし終えたる。
そのことにおいて与えられる誉特典栄誉としての、今回の話は扱いなのだ…。
でも、これもキリストの教えにおいての、核心的なることになるのだけれど、いかなる状況においても、成り果てたるも、たどり着きたるとも、驕り昂りそして慢心のこころは、一切許されないのだ。ただ為されるべきが為されたまでとの謙虚な思い、そしてその平心としての態度が保持されてある必要がある。「ピルル・ピルルル…」っていって、
もしそういった機運がたかまるのであれば、ただひたすらに死に続けるまで。自分でその自分を殺し切るまで…。殺し尽くすまで…。ことは、なんであったって、やがてには終わりたるものがくるもんさ。
ことの肝心なることは、流されゆきつつも、流れを遡らんとしてのその努力。生涯という全期間をかけて、いかに奮闘たるものが、その個人において為されたか?。ただそれだけ…。たとえ押し流されてしまい、遥か下流に至ってしまったとしても、そんなこと、神の眼からすれば、大したことではない。見事、水源に至り着けたとしても、それもまた同じく…。要は、御心の実践、そこでの気概、そこでの思いたるものに尽きる。それだけのことで、もうお喜びになってもらえるのであろう…。己が弱さにおいて、アレの誘いに乗って、下流へと下流へと下るを嬉々として喜んで選んだるの、あれらのものたちと比べれば、遥かにこころ和ませてくれる、ご満足をしていただける存在なのだ。
これはまだ彼の民族における病理としてのシンドロームによっての夢見の可能性もある。
総じて、生生しいまでの霊感に満ち溢れている。これに当てられての、同じく病理たる
発現があれやこれやの預言書関係者達においては見受けられる。ひふみも、内容的に、
作者はこれを踏まえている。しかしだこれこそがまさに真の震源地としてのそれなのだ。
ことは共振において、まさしくそのようになる、なっていってしまうのかもしれない。
その霊感に触れれば、何故か似たようなものを生み出してしまう。己が文化圏の言語
にて語り直して。己が神を、中心に据えた形で再構成を果たした上で…。
否、其れさえも根源としての、それが備えて持つ摂理に基づいての現象に過ぎない
のかもしれない。其れさえも、然るべくのシナリオに基づいての出現であるに
過ぎないのかもしれない。
同じヴィジョンが、何度も何度も、色んな人、色んな表現にて繰り返されている。
個人的にはこれはやばいことだと思っている。同じシンドロームにての感染が広がって
いってのだから…。ことは神に関係なく起こってしまうようなるのかも知れない。
その始まりは、キリスト教徒たるヨハネなる人物が、その当時の世相において
囲った、その積もり積もったストレスの、大爆発でしかなかったものを…。
このヨハネは真の信徒たりてそのときの潮流たるを見据へまたその身にて味わひ知った。
キリスト教においての、ただ一人のみにて、ありえた預言者。最初にして最後?。
ことはだ、諸君…その人類終末としての怒りの日たたるものはーだ、これまでにも、
幾度も何度も、然るべくしての時節において起こってしまうものなのではないのか?。
これはヒトが変わらない限り、以上、繰り返されてしまうものではないのか?。
次回のものは、既に、わりと近いと、覚へられている…。
絶なるおまけ:
「ここに糞虫!。」
ジョージ秋山氏による【ザ・ムーン】より
未だ、泣かせてくれる漫画。
そのものの名…”○○”という…。
自分はあまり○○○気にしてない。
あと一個…。
おわりー!
すな…
すな…
するな!…
するなーって、
すなって…
ヤッパ、すんのか〜〜ひぃぃ〜ーー!
もう命が完全に宿っとる…
確か、その腕には、起爆直前の核ミサイルが抱かれていたのでは…?