ふたりの距離をつなぐもの
文字数 4,995文字
「サークルの先輩のツテ頼って、市島のライブの打ち上げに潜り込んできたんだけどさ」
スマートフォンの向こうで、アイ子の声が憤ってる。
「え……。そんなことして、大丈夫だった?」
「アタシが来たってわかった瞬間、すごい顔してたよ。べらんめぇ口調も封印しててさ。お上品キャラで通してるらしくて、笑っちゃった。くぁっははっ」
彼には気の毒だったと思うけれど、アイ子が楽しそうだから、まあ、いいか。
「んでさ、UFOキャッチャーの景品に、妙なものを仕込むヘンタイの話を匂わせてみたんだけど」
「誰の手を経たかわからない、たかがゲーセンの景品。そういうこともあり得るかもなって?」
「一語一句そのまんまだった。ムナクソ悪い」
「あの人らしいなぁ」
「笑ってる場合じゃないよ。”最近、ウサギに逃げられて探してる”とか言ってたよ。アイツ、ウサギなんか飼ってないでしょ。絶対、萌黄 のことだよ。連絡先はブロックしてるし、キーファインダー捨てたから」
「それにしても、何が目的かなぁ」
「さあねぇ。もしかしたら未練があるのかもよ。まだ好きなんじゃない?」
「執着のほうじゃないかな」
「よけい怖いじゃん。好意のない執着なんて。……ねえ、萌黄 」
アイ子の声が硬くなる。
「OB訪問、やっぱ行くの?」
「うん。なるべく、現役の子たちと顔見知りになっていたい。2年後のために」
「だって、入学しないかもよ。してもスイブには入らないかも」
「それでも」
「……そっか。今年の部長に、市島情報流してもらうように頼んでおくよ。ヤツがいるなら行くのやめよう。来たら帰ろう」
「アイ子は普通に参加してくれたらいいよ」
「萌黄 がいないと現役泣かしておしまいになるから、アタシってば、ただの悪者じゃん」
「まさか去年っ」
「泣かしたのアタシじゃないもん。田之上先生だもん」
「……ダブルパンチ……」
◇
思い出し笑いをして揺れてる肩に腕を回して、ヨースケは自分の胸にトクベツちゃんを閉じ込めた。
「アイツっ。”法は犯してない”なんてぬかしやがってっ」
「法では裁けないだろってことだと思う。就職のために復縁したいのかと思ってたけど、ボイレコは違うよねぇ。高校生のころだもの」
「……ホントに未練なんじゃない」
「フラれたことないって言ってたから、プライドが許さなかったのかな」
「俺、おんなじことしたんだ」
シュンとうなだれたヨースケの腕が、トクベツちゃんから離れていく。
「同じなわけがないよ」
膝の上でぎゅっと握られたヨースケの手を、トクベツちゃんがそっとなでた。
「羊介 くんの不安は、ちょっとわかる。長くつらくさせてしまったから。私だって、今何してるかなぁ、どこにいるかなぁって思うもん」
「ホント?許してくれる?……いてっ!」
おずおずと顔を上げたヨースケのほっぺたを、トクベツちゃんがギュッとつねる。
「これからは、黙ってこういうことしちゃだめだよ。あのね、羊介 くんは、自分ばっかりって思ってるかもしれないけど」
「何を?」
「一緒にいたいと思ってるのが」
眉毛を下げた、情けない顔をするヨースケの指に、トクベツちゃんはカバンから取り出した小箱の中身をはめた。
「……これって……」
まん丸な目をしたヨースケは、右手をお日様にかざして、じっと見てる。
「羊をモチーフにしたリングを作ってる作家さんを見つけてね。ペリドットを入れて作ってくださいって頼んだの。右手の薬指は、”恋人がいます”っていう意味なんだって。私には、羊介 くんから渡してくれる?」
「ペリドットっていうんだ。……萌黄 色だね」
くすぐったそうに笑うトクベツちゃんから、ちっちゃなワッカを受け取ると、ヨースケはゆっくりと細っこい指に通した。
「普段はほら、こうやって」
ヨースケの指から外したワッカを銀色のクサリに通したトクベツちゃんが、膝立ちになる。
「ウチの高校は校則がないから、表から見えなければ大丈夫だと思うけど。心配ならカバンにでもつけておいて」
首から下げたワッカを握りしめて、トクベツちゃんを見つめるヨースケの目は、ちょっとウルウルしてるみたい。
「距離はあったとしても、気持ちまで離れるわけじゃない。私だって、やっと会えた羊介 くんと一緒にいたいって思ってる」
「……うん」
そんな顔、家じゃ見たことないぞ、ヨースケ!
なんだかお尻がムズムズするからヤメロ。
「内緒のアプリなんか必要ないでしょう?」
「わかった、削除する」
トクベツちゃんのスマホを手に取ると、ヨースケが片手で操作を始めた。
「でも、ホントは俺からプレゼントしたかったな」
「羊介 くんからは、そのうち違う指輪をもらうからいいよ」
ヨースケの腕にもたれ掛かってクスクス笑うトクベツちゃんに、オレは心からほっとしたよ。
よかったなぁ、ヨースケ。
トクベツちゃんに許してもらえて。
今朝、坂を上がってきたトクベツちゃんが目の前に立ったとき、すぐに怒ってるってわかったからさ。
ヨースケとオレってば、同時にビクっ!ってしちゃったもんな。
「え?違うって……。えぇっ?!」
ほっぺたを桃色にしたヨースケが、アタフタとしながらトクベツちゃん見下ろした。
「そこまでは一緒にいたくない?」
「いたいよ!ずっと一緒にいたい!」
スマホを返してから、ヨースケはトクベツちゃんをもう一度ぎゅっと抱きしめた。
「絶対贈るから、待っててくれる?」
「もちろん。……これからも不安に思うことは、お互いあると思うの。そういうときには、言葉にして伝え合おう。羊介 くんが未成年のうちは、どうにもならないこともあるだろうけれど、そんなのすぐだよ。すぐ……」
トクベツちゃんがヨースケの腕の中で「んふふ」って笑う。
「大学受験だよ」
「うげ」
ヨースケはうめいてみせたけど、トクベツちゃんを満面の笑顔で見てるから、そうとう嬉しいんだな。
さて、もういいだろう?
ずいぶん大人しく見守っててやってたんだから、今度はオレの希望を聞いてもらうぞ。
「ワンっ」
「ああ、ラッキーお待たせ。ごめんね」
トクベツちゃんが立ち上がって、オレのリードを木の枝から外してくれた。
「ねえ、萌黄 さん。ラッキーの散歩が終わったらさ、やっぱり映画に行かない?今からなら間に合うし。これ、つけてデートしたい」
照れて泣きそうなこのヨースケの顔は、もうトクベツちゃんの前でしか見られないんだよなぁ。
「そうしよっか。でも、お昼は軽めがいいな。昨日、ちょっと飲み過ぎちゃったみたい」
「男がいる席で、あんなに飲んだらダメだろ」
「いつもはあのくらい大丈夫なのよ」
「酒は体調によるらしいじゃん。もうダメ、酒飲んだらダメ、萌黄 さんは」
「えー」
「えー、じゃないっ」
手をつないで楽しそうに笑うふたりを、オレは張り切って先導した。
「そんな引っ張るなよ、ラッキー」
「走りたいんじゃない?」
「萌黄 さんも走る?」
「ここで待ってるから、走っておいでよ」
「え、この原っぱに?!バカ言うなって。萌黄 さんひとり置いといたら、連れ去られるに決まってるっ」
「そんな決まりはありません」
「もういい、この原っぱでラッキー走らせるから」
この原っぱ、広くてオレも好きだし、ヨースケと久しぶりに走って楽しかったけど。
今日のヨースケはやたらやかましくて、全然落ち着かなかった。
「ちょっと萌黄 さん、寝っ転がらない!スカート風でめくれちゃうからっ。シート巻き付ければいいとかじゃなくて、いや、寝ないで?実は二日酔いなの?このダメ大学生!」
文句言うわりに、すっごく楽しそうじゃん、ヨースケ。
家じゃムッツリしてるくせに。
だから、そのだらしない顔ヤメロ。
トクベツちゃん見る目が、ほったらかしにしたアイスみたいに溶けてんぞ!
アイスならオレが全部なめてやるけど、ヨースケはおいしくないからなっ。
散歩のあと、めいっぱいオシャレして、もちろんワッカもはめて。
おかあさんのニヤニヤ笑顔に見送られて、ヨースケとトクベツちゃんは出かけていった。
「ねえラッキー、萌黄 さんと一緒のときは、羊介 ってあんないい顔してるの?」
「ワンっ」
「そう。……また会えてよかったね、羊介 ……」
「ふぁ~あ。なに、アイツ出かけたの?」
「なんなの、アンタは今ごろ起きてきて。もう昼前よ。お兄ちゃんのカノジョには、いつになったら会えるかしらねぇ、ラッキー?」
「えっ?羊介 のカノジョ来てたの?!んだよ、起こしてくれりゃいいのに。どんなコ?同級生?カワイイ?」
「会わないほうがいいと思うなぁ」
「え、なんで」
「どんなコ想像してる?」
「そうだなぁ、あのムッツリだろ。ぐいぐい来るキャピキャピ系?」
「あー、やめたほうがいい。会わないほうがいい。きっと泣くね」
寝起きのぼさぼさ頭で、無精髭がちょっとみっともない兄ちゃんを玄関に残して。
おかあさんはさっさと家の中に入っちゃった。
そろそろ夕飯ってあたりで帰ってきたヨースケを玄関で待ち伏せしていた兄ちゃんは、その手に握ってたスマホをさっと奪い取った。
「あ、なにすんだよ!」
玄関上がるときニヤニヤしてたからな。
どーせトクベツちゃんとメッセージをやり取りしてたか、保存してたヤツを読み返してた(ちょっとどうかと思うぞ、ヨースケ)んだろうけど。
かんっぜんに油断してたヨースケが慌てて取り返そうとしても、さすが何年もケンカしてきた仲じゃないっていうか。
兄ちゃんはヨースケの腕をくるりとかわして、リビングへとかけこんだ。
「おい、カノジョの写真見せろよ」
「ぜってぇヤダ。返せっ」
「ほぉん、強気に出るじゃねぇか。……たたき割るぞ」
空手をやってる兄ちゃんが握った拳 に、ヨースケが大げさに顔をしかめる。
「……見せてやるからこっちに戻せよ」
「んなアホなことするワケないだろ。渡したとたんに逃げるくせに。ほら、顔認証するからこっち向け」
そうしてロックを外して、写真フォルダーを開けた兄ちゃんだけど。
「は?……まさか、このキレイなお姉さんがオマエのとか言わないよな」
トクベツちゃんの写真を見た兄ちゃんは、ハニワみたいな顔になったと思ったら、そのまま固まっちゃったんだ。
え?ジャックラッセルのオレがハニワ知ってるの、おかしい?
そんなことないって!
だって、ヨースケの監督は、オレの仕事のひとつなんだから。
ヨースケがリビングで試験勉強してるとき、「日本史の資料集」ってヤツで見たんだよ。
その「資料集」で見たハニワそっくりな兄ちゃんを冷たい目で見下ろして、ヨースケは「ほら」と手を差し出した。
「満足したなら返せよ。そんなじっくり見んな、穢 れっから」
「げ、オマエその指にあるヤツ……。それってペアリング?高校生の分際 で、こんなカワイイ年上カノジョと?!ってかこの人いくつよ。オマエより、オレのほうが年が近くてお似合いじゃね?」
「テメェはテメェでカノジョ見つけろよ、うっとーしい」
「オマエなぁ、最近、態度デカイぞっ」
「そうだな、体もオマエよりデカくなったしな」
「うっ」
ちょっとショックを受けたっぽい兄ちゃんからスマホを取り戻したヨースケは、さっさと二階へ上がっていく。
「……くぅ……」
ヨースケを見送って、ギリギリ奥歯をかみしめてる兄ちゃんのうしろで、キッチンから出てきたおかあさんがクスって笑った。
「ね、泣きたいでしょ?」
「母さん、ぶっちゃけ羊介 のカノジョって、年いくつよ」
「確か、23って言ってたわよ。美人よねぇ。羊介 の志望校在席で、教員免許取って公務員になるんですって。このままおムコに出しちゃおうかしら」
「羊介 の志望校?ずいぶん背伸びすると思ったら、カノジョの学校に行きたいのかよ。でも、卒業しちゃってんじゃん」
「高校もそうだったのよ。……羊介 は、ずっと萌黄 さんを追いかけてたみたい」
「萌黄 さんっていうんだ。どこで知り合ったんだ?そんな年上美人と」
「それがよくわからないのよねぇ、言わないから。でも、羊介 の成績がいきなり上がったころがあったでしょう?」
「ああ、小学生んとき」
「萌黄 さんが勉強をみてくれてたらしいの」
「そんな前から?マセガキだなー。ってか、そっかそっか」
兄ちゃんがニヤっと嬉しそうに笑う。
「ボッチかと思ってたけど、そんな人がいてくれたんだな、アイツ。ふーん。……オレもカノジョほしいぃぃ!」
泣きまねをする兄ちゃんの肩を、おかあさんはポンポンって、ずっと叩いてあげてたんだ。
スマートフォンの向こうで、アイ子の声が憤ってる。
「え……。そんなことして、大丈夫だった?」
「アタシが来たってわかった瞬間、すごい顔してたよ。べらんめぇ口調も封印しててさ。お上品キャラで通してるらしくて、笑っちゃった。くぁっははっ」
彼には気の毒だったと思うけれど、アイ子が楽しそうだから、まあ、いいか。
「んでさ、UFOキャッチャーの景品に、妙なものを仕込むヘンタイの話を匂わせてみたんだけど」
「誰の手を経たかわからない、たかがゲーセンの景品。そういうこともあり得るかもなって?」
「一語一句そのまんまだった。ムナクソ悪い」
「あの人らしいなぁ」
「笑ってる場合じゃないよ。”最近、ウサギに逃げられて探してる”とか言ってたよ。アイツ、ウサギなんか飼ってないでしょ。絶対、
「それにしても、何が目的かなぁ」
「さあねぇ。もしかしたら未練があるのかもよ。まだ好きなんじゃない?」
「執着のほうじゃないかな」
「よけい怖いじゃん。好意のない執着なんて。……ねえ、
アイ子の声が硬くなる。
「OB訪問、やっぱ行くの?」
「うん。なるべく、現役の子たちと顔見知りになっていたい。2年後のために」
「だって、入学しないかもよ。してもスイブには入らないかも」
「それでも」
「……そっか。今年の部長に、市島情報流してもらうように頼んでおくよ。ヤツがいるなら行くのやめよう。来たら帰ろう」
「アイ子は普通に参加してくれたらいいよ」
「
「まさか去年っ」
「泣かしたのアタシじゃないもん。田之上先生だもん」
「……ダブルパンチ……」
◇
思い出し笑いをして揺れてる肩に腕を回して、ヨースケは自分の胸にトクベツちゃんを閉じ込めた。
「アイツっ。”法は犯してない”なんてぬかしやがってっ」
「法では裁けないだろってことだと思う。就職のために復縁したいのかと思ってたけど、ボイレコは違うよねぇ。高校生のころだもの」
「……ホントに未練なんじゃない」
「フラれたことないって言ってたから、プライドが許さなかったのかな」
「俺、おんなじことしたんだ」
シュンとうなだれたヨースケの腕が、トクベツちゃんから離れていく。
「同じなわけがないよ」
膝の上でぎゅっと握られたヨースケの手を、トクベツちゃんがそっとなでた。
「
「ホント?許してくれる?……いてっ!」
おずおずと顔を上げたヨースケのほっぺたを、トクベツちゃんがギュッとつねる。
「これからは、黙ってこういうことしちゃだめだよ。あのね、
「何を?」
「一緒にいたいと思ってるのが」
眉毛を下げた、情けない顔をするヨースケの指に、トクベツちゃんはカバンから取り出した小箱の中身をはめた。
「……これって……」
まん丸な目をしたヨースケは、右手をお日様にかざして、じっと見てる。
「羊をモチーフにしたリングを作ってる作家さんを見つけてね。ペリドットを入れて作ってくださいって頼んだの。右手の薬指は、”恋人がいます”っていう意味なんだって。私には、
「ペリドットっていうんだ。……
くすぐったそうに笑うトクベツちゃんから、ちっちゃなワッカを受け取ると、ヨースケはゆっくりと細っこい指に通した。
「普段はほら、こうやって」
ヨースケの指から外したワッカを銀色のクサリに通したトクベツちゃんが、膝立ちになる。
「ウチの高校は校則がないから、表から見えなければ大丈夫だと思うけど。心配ならカバンにでもつけておいて」
首から下げたワッカを握りしめて、トクベツちゃんを見つめるヨースケの目は、ちょっとウルウルしてるみたい。
「距離はあったとしても、気持ちまで離れるわけじゃない。私だって、やっと会えた
「……うん」
そんな顔、家じゃ見たことないぞ、ヨースケ!
なんだかお尻がムズムズするからヤメロ。
「内緒のアプリなんか必要ないでしょう?」
「わかった、削除する」
トクベツちゃんのスマホを手に取ると、ヨースケが片手で操作を始めた。
「でも、ホントは俺からプレゼントしたかったな」
「
ヨースケの腕にもたれ掛かってクスクス笑うトクベツちゃんに、オレは心からほっとしたよ。
よかったなぁ、ヨースケ。
トクベツちゃんに許してもらえて。
今朝、坂を上がってきたトクベツちゃんが目の前に立ったとき、すぐに怒ってるってわかったからさ。
ヨースケとオレってば、同時にビクっ!ってしちゃったもんな。
「え?違うって……。えぇっ?!」
ほっぺたを桃色にしたヨースケが、アタフタとしながらトクベツちゃん見下ろした。
「そこまでは一緒にいたくない?」
「いたいよ!ずっと一緒にいたい!」
スマホを返してから、ヨースケはトクベツちゃんをもう一度ぎゅっと抱きしめた。
「絶対贈るから、待っててくれる?」
「もちろん。……これからも不安に思うことは、お互いあると思うの。そういうときには、言葉にして伝え合おう。
トクベツちゃんがヨースケの腕の中で「んふふ」って笑う。
「大学受験だよ」
「うげ」
ヨースケはうめいてみせたけど、トクベツちゃんを満面の笑顔で見てるから、そうとう嬉しいんだな。
さて、もういいだろう?
ずいぶん大人しく見守っててやってたんだから、今度はオレの希望を聞いてもらうぞ。
「ワンっ」
「ああ、ラッキーお待たせ。ごめんね」
トクベツちゃんが立ち上がって、オレのリードを木の枝から外してくれた。
「ねえ、
照れて泣きそうなこのヨースケの顔は、もうトクベツちゃんの前でしか見られないんだよなぁ。
「そうしよっか。でも、お昼は軽めがいいな。昨日、ちょっと飲み過ぎちゃったみたい」
「男がいる席で、あんなに飲んだらダメだろ」
「いつもはあのくらい大丈夫なのよ」
「酒は体調によるらしいじゃん。もうダメ、酒飲んだらダメ、
「えー」
「えー、じゃないっ」
手をつないで楽しそうに笑うふたりを、オレは張り切って先導した。
「そんな引っ張るなよ、ラッキー」
「走りたいんじゃない?」
「
「ここで待ってるから、走っておいでよ」
「え、この原っぱに?!バカ言うなって。
「そんな決まりはありません」
「もういい、この原っぱでラッキー走らせるから」
この原っぱ、広くてオレも好きだし、ヨースケと久しぶりに走って楽しかったけど。
今日のヨースケはやたらやかましくて、全然落ち着かなかった。
「ちょっと
文句言うわりに、すっごく楽しそうじゃん、ヨースケ。
家じゃムッツリしてるくせに。
だから、そのだらしない顔ヤメロ。
トクベツちゃん見る目が、ほったらかしにしたアイスみたいに溶けてんぞ!
アイスならオレが全部なめてやるけど、ヨースケはおいしくないからなっ。
散歩のあと、めいっぱいオシャレして、もちろんワッカもはめて。
おかあさんのニヤニヤ笑顔に見送られて、ヨースケとトクベツちゃんは出かけていった。
「ねえラッキー、
「ワンっ」
「そう。……また会えてよかったね、
「ふぁ~あ。なに、アイツ出かけたの?」
「なんなの、アンタは今ごろ起きてきて。もう昼前よ。お兄ちゃんのカノジョには、いつになったら会えるかしらねぇ、ラッキー?」
「えっ?
「会わないほうがいいと思うなぁ」
「え、なんで」
「どんなコ想像してる?」
「そうだなぁ、あのムッツリだろ。ぐいぐい来るキャピキャピ系?」
「あー、やめたほうがいい。会わないほうがいい。きっと泣くね」
寝起きのぼさぼさ頭で、無精髭がちょっとみっともない兄ちゃんを玄関に残して。
おかあさんはさっさと家の中に入っちゃった。
そろそろ夕飯ってあたりで帰ってきたヨースケを玄関で待ち伏せしていた兄ちゃんは、その手に握ってたスマホをさっと奪い取った。
「あ、なにすんだよ!」
玄関上がるときニヤニヤしてたからな。
どーせトクベツちゃんとメッセージをやり取りしてたか、保存してたヤツを読み返してた(ちょっとどうかと思うぞ、ヨースケ)んだろうけど。
かんっぜんに油断してたヨースケが慌てて取り返そうとしても、さすが何年もケンカしてきた仲じゃないっていうか。
兄ちゃんはヨースケの腕をくるりとかわして、リビングへとかけこんだ。
「おい、カノジョの写真見せろよ」
「ぜってぇヤダ。返せっ」
「ほぉん、強気に出るじゃねぇか。……たたき割るぞ」
空手をやってる兄ちゃんが握った
「……見せてやるからこっちに戻せよ」
「んなアホなことするワケないだろ。渡したとたんに逃げるくせに。ほら、顔認証するからこっち向け」
そうしてロックを外して、写真フォルダーを開けた兄ちゃんだけど。
「は?……まさか、このキレイなお姉さんがオマエのとか言わないよな」
トクベツちゃんの写真を見た兄ちゃんは、ハニワみたいな顔になったと思ったら、そのまま固まっちゃったんだ。
え?ジャックラッセルのオレがハニワ知ってるの、おかしい?
そんなことないって!
だって、ヨースケの監督は、オレの仕事のひとつなんだから。
ヨースケがリビングで試験勉強してるとき、「日本史の資料集」ってヤツで見たんだよ。
その「資料集」で見たハニワそっくりな兄ちゃんを冷たい目で見下ろして、ヨースケは「ほら」と手を差し出した。
「満足したなら返せよ。そんなじっくり見んな、
「げ、オマエその指にあるヤツ……。それってペアリング?高校生の
「テメェはテメェでカノジョ見つけろよ、うっとーしい」
「オマエなぁ、最近、態度デカイぞっ」
「そうだな、体もオマエよりデカくなったしな」
「うっ」
ちょっとショックを受けたっぽい兄ちゃんからスマホを取り戻したヨースケは、さっさと二階へ上がっていく。
「……くぅ……」
ヨースケを見送って、ギリギリ奥歯をかみしめてる兄ちゃんのうしろで、キッチンから出てきたおかあさんがクスって笑った。
「ね、泣きたいでしょ?」
「母さん、ぶっちゃけ
「確か、23って言ってたわよ。美人よねぇ。
「
「高校もそうだったのよ。……
「
「それがよくわからないのよねぇ、言わないから。でも、
「ああ、小学生んとき」
「
「そんな前から?マセガキだなー。ってか、そっかそっか」
兄ちゃんがニヤっと嬉しそうに笑う。
「ボッチかと思ってたけど、そんな人がいてくれたんだな、アイツ。ふーん。……オレもカノジョほしいぃぃ!」
泣きまねをする兄ちゃんの肩を、おかあさんはポンポンって、ずっと叩いてあげてたんだ。