ポンコツになれる場所

文字数 4,195文字

 羊介(ようすけ)が所属するバンドの合宿では、最終日に各学年ごとのテーマ曲を披露することになっている。
 その発表会場ともなるコミュニティ・ホールに戻ってきた安心院(あじみ)は、まとまりがあるような、ないような、だが、底抜けに楽しそうに演奏する1年生たちを見て、目をむいて叫んだ。
「げ、ずるっ!雪下(ゆきした)先輩が1年に混じってる。しかも、なじんでる!」
 
 羊介(ようすけ)萌黄(もえぎ)の演奏に火をつけられた1年生たちは、ひとり、またひとりと演奏に加わりだして……。
 そして、テーマ曲に選んだ「風になりたい」を演奏するころには。
 サンバホイッスルを(くわ)えてステップを踏む萌黄(もえぎ)とともに、勝手な振り付けで踊りながら演奏し始め、その弾けるような音がホールを満たしていった。
「んだよ、木場野(きばの)ってノれるんじゃないか」
「笑うんだね、木場野(きばの)君って」
「だって」
 トランペットを握る(こぶし)を口元に当てて、「くくっ」と羊介(ようすけ)が笑いを堪えている。
「こんなん笑うしかないじゃん。萌黄(もえぎ)さんの踊りってば、なにそれ。ナニ踊りなの?ホントに体動かすの苦手だね。運転あんなにうまいのに」
「そうなのよ」
 額に汗を光らせ、髪をかき上げて笑う萌黄(もえぎ)と目が合うと、羊介(ようすけ)の笑顔が弾けた。
「自覚あるんだ?そんなんじゃ、ラジオ体操も怪しいね」
「そんなこと……、あるような、ないような?」
「どっち!」
「アイ子に”一発芸大会のネタになる”って言われたことがある」
「なにそれ、見たい」
「イヤ」
「Shall We Dance?」
「ダンスじゃないもん」
「さっきと言ってることが違うっ」
 ふたりの掛け合いにつられて、ホールも和やかな笑いに包まれていく。
「まあ、運動が苦手なのは確かだから、車の免許を取りたいと言ったら心配されてね。A級ライセンス取るまで、ひとりで運転させてもらえなかったくらいだし」
「はぁっ?!」
 あの車好きの2年生の、裏返った声がホールに響き渡った。
「先輩、A級ライセンス持ってんですかっ。そんなフワフワな感じで?!さすが、M3のドライバーなだけはあるなぁ」
「A級ライセンスって?」
 首を傾けた羊介(ようすけ)に、萌黄(もえぎ)が「んふふ」と笑う。
「ちょっと運転が上手いってこと」
「ちょっとどころじゃないでしょおぉ?!先輩、あとで助手席乗せてくださいよっ。走り体感させてください。内装とかも見たいしっ」
「いいよ」
 拝みながら、ずいずいと近づいてきた2年生に軽くうなずく萌黄(もえぎ)に、羊介(ようすけ)の顔が強張った。
「えっ、なんでいいの?いいワケないよね?」
「なんで?」
「なんで?!」
 羊介(ようすけ)の両手が、懇願するように萌黄(もえぎ)に伸ばされる。
「カレシ以外の男を助手席に乗せるってアリなの?じゃあ、俺が免許取ったとして、助手席にほかの女子乗せてもへーきっ?」
「助手席に女子……。うん、あんまりピンとこないな」
「シャレで言ったんじゃないからっ」
「あら、違った?」
「ねえ、ダメだよね?絶対ダメだから」
「わかった、わかった。じゃあ、彼は後部座席に乗ってもらおう。助手席には羊介(ようすけ)くんが乗ればいいでしょ。学年演奏が終わったらドライブに行こうか。それならいい?」
「いい、けど。……センパイ、萌黄(もえぎ)さんは俺のカノジョですからね。妙なコト考えたらぶっ飛ばしますよ」
 三白眼になった羊介(ようすけ)に2年生がたじろぎ、一歩下がった。
「か、考えただけでも?思想の自由は?」
萌黄(もえぎ)さんに関してはないですね」
「独裁主義?!」
「一神教です」
「宗教なの?!」
「俺の女神です」
「……どこでポンコツのスイッチが入っちゃったのかなぁ。ほら、もういい加減にして、羊介(ようすけ)くん」
 萌黄(もえぎ)からトントンと手を叩かれた羊介(ようすけ)が、不承不承口を閉じる。    
 その様子をホール入り口で眺めていた安心院(あじみ)が、外波山(とばやま)に体を寄せて(ささや)いた。
「優秀なドッグトレーナーみたいだな」
「あれがポンコツの木場野(きばの)か」
 腕の中に萌黄(もえぎ)を抱えて、牙をむくような顔を2年生に向けている羊介(ようすけ)に、外波山(とばやま)が呆れて笑う。
「ポンコツ?」
 安心院(あじみ)羊介(ようすけ)外波山(とばやま)見比べて、首を傾けた。
雪下(ゆきした)先輩が言ってたんだよ。木場野(きばの)はちょっと、こじらせちゃってるから、雪下(ゆきした)先輩に関してはポンコツになるって」
「こじらせてるとか知らないけど」
 外波山(とばやま)の背後から出てきた3年生女子が、面白くなさそうな顔をしながら、ずかずかとホールに入っていく。
雪下(ゆきした)先輩、あのカッコイイ年上のカレシさんはどうなさったんですか?別れたんですか?」
「年上の、カレシ?えっと、あなたは……」
「1年生のときにご一緒させていただいた、ユーフォ担当です。4年生は就活で忙しいから、それほど接点はなかったですけど。秋のライブでは隣だったんですよ」
 しんと静まり返ったホールの中央で、3年女子は斜交(はすか)いにあごを上げ、挑発するような態度だ。
「先輩を迎えに来ていた、ステキな男性がいたじゃないですか」
「4年の秋なんて、俺とつき合ってたじゃん。そういえばライブ、誘ってくれなかった……」
 眉を八の字に下げた羊介(ようすけ)の手が、不安そうに萌黄(もえぎ)にすがりつく。
「高校の定演と重なってただけでしょ。もー、あのときも、演奏会休むとか言い出してびっくりしたけど」
「二股してたのっ?」
「してないわよ。疑うの?」
「……そうじゃない、けど。……じゃあ迎えに来たのって、誰?」
 羊介(ようすけ)の声がだんだんと小さくなるにつれて、萌黄(もえぎ)を拘束する腕はきつくなっていった。
「ちょっと、苦しい。4年のライブ……、迎え?」
 何度か瞬きを繰り返した萌黄(もえぎ)が、思い出したという顔をする。
「ああ、そういえば来てたね。暑苦しいくらい大きくて、暑苦しいしゃべり方をする人が」
「暑苦しい?背がうんと高くて、まさに眉目秀麗って感じの人だったじゃないですか」
「そうかなぁ、あれが?伝えておくね、喜ぶから。あれは千草(ちぐさ)さんよ。雪下(ゆきした) 千草(ちぐさ)。私の兄」
「お、お兄さん?萌黄(もえぎ)さんって、お兄さんいるの?」
 まん丸の目をした羊介(ようすけ)が、萌黄(もえぎ)をのぞき込んだ。
「いるのよ。とても過保護で暑苦しい兄が。あの車も兄から借りてきたの。A級ライセンス取れと言ったのも兄だし、私がひとり暮らしするのを、最後まで反対していたのも兄。大学のときにストーカーに遭ったり、それ以前もいろいろあったから。心配性なのよ」
「アイツのこと?あれから、またなんかされたの?」
「あれ以降は会ってない。別件でね」
「そんなに大変なこと?」
「そうでもないけど。ほら、仕事が仕事だから」
「仕事?」
「弁護士」
「だから知らないって」
「ああ、そうだった」
「べ、弁護士っ……」
 (いかづち)ペアの顔色が変わったのを見て、萌黄(もえぎ)が含み笑う。
「ね?いい年になったら、軽率なイタズラだって、足元をすくわれる原因になるのよ。どこの誰が、どんな縁を持っているかわからないんだから。痛い目を見てからじゃ遅いの。そういえば、弁償するって言ってたわよね」
「は、はい……」
 (いかづち)ペアが上目遣いでうなずいた。
「あれは、ひとつ10万するんだけど」
「「「ええっ!」」」
 羊介(ようすけ)と、(いかづち)ペアがユニゾンで驚く。
「そんなにするものだったの?」
「あの、ホントに?えっと、……ご、ごめんなさい」
「なんてことも、あるかもね?」
「えぇっ……」
 しれっと笑う萌黄(もえぎ)に、(いかづち)ペアも羊介(ようすけ)も、そして、周りの学生たちも呆気に取られるばかりだ。
「だから、弁償すればいいんでしょ、なんて簡単に言っちゃダメなのよ。でもね、それよりもっとダメなのは、安易に人の物に手を出すこと」
「……はい」
「社会に出ると、学生時代なんて激甘だったって思うこともしょっちゅうよ。一回の過ちが、取り返しのつかないことにつながるから」
「はい」
「王子が口にするべきだったのは心からの謝罪と、”弁償するので、購入年月日と金額が

記載された、領収書をお持ちください”だったわね」
「はい。あの、王子は勘弁してください」
「では、貴公子」
 さすがアイ子の友だちと言うべきか。
 萌黄(もえぎ)もそれなりに容赦しない(たち)だと気づいた羊介(ようすけ)は、憐みの目で(いかづち)を見下ろす。
「昨日のことは、羊介(ようすけ)くんときちんと始末をつけたほうがいい。これからも一緒に演奏していく気があるなら」
「はい。……木場野(きばの)、あとで時間もらっていいか。こんなとこで、雑に謝罪して済むとは思ってないから」
「わかった。とりあえず、学年演奏が終わったらだな」
「おう」
 羊介(ようすけ)(いかづち)(こぶし)がコツンと合わせられるのを見て、安心院(あじみ)の目が糸のように細くなった。
「あー、よかった~。公認取り消しの危機が回避されて」
 その横では、外波山(とばやま)が呼び戻した3年女子に渋面を作る。
「お前、なんで、いきなりあんなこと言いだしたんだ?」
「だってトバは……」
 3年女子は不満そうな顔をそらせた。
「素敵なカレシさんがいるからって、雪下(ゆきした)先輩のコトを諦めたんじゃないの?」
「えっ、外波山(とばやま)センパイ?!」
 萌黄(もえぎ)にべったりだと思っていた羊介(ようすけ)の地獄耳に、外波山(とばやま)が顔色を悪くする。
「いや、違うからっ。お前もよけいなこと言うなよ!一神教の木場野(きばの)が、聖戦起こしそうな顔してるじゃないかっ」
「……木場野(きばの)君って、あのカノジョさんに骨抜きなんだね」
 珊瑚(さんご)の隣では、フルート女子が肩を落としている。
「なに、意外に本気だった?」
 刺さるような痛みを心に感じながらも、珊瑚(さんご)はおどけた様子でフルート女子を肘で(つつ)いた。
「だって、トランペット吹いてるときの木場野(きばの)君って、すごいじゃない。カッコよくて」
「そうだね。でも、今の木場野(きばの)君って、むしろカッコ悪くない?……バカみたい。バカみたいにベタ惚れでさ」
 女子ふたりの視線の先では、羊介(ようすけ)萌黄(もえぎ)の頭にあごを乗せて、ぐりぐりと押し付けている。
「ストーカーとかされたら、俺にちゃんと言ってくれないとダメだよ」
「はいはい」
「だいたい、萌黄(もえぎ)さんは油断し過ぎなんだよ。さっきの水着だって」
「はいはい」
「それから」
「もー、わかったから。ほら、演奏しよ?1年が始めないと、どんどん押しちゃうよ。ドライブ行けなくなっちゃうよ」
「それは困る!」
 大声を出した車好きの2年生に、羊介(ようすけ)が牙をむいた。
「センパイなんか困ってりゃいいじゃんっ」
「なんだと!木場野(きばの)こそカレシなら、いつでも乗せてもらえるだろっ。オレはこのチャンスしかないんだぞっ」 
「センパイにやるチャンスなんかねぇよっ」
羊介(ようすけ)くん」
 腕のなかから聞こえてきたドスの利いた萌黄(もえぎ)の声に、羊介(ようすけ)がギクリと固まる。
「演奏するの?しないの?」
「しますっ」
 トレーナーの指示に従う優秀な番犬のように、羊介(ようすけ)は直立不動の姿勢をとった。
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