魔王の接待

文字数 3,603文字

 千草(ちぐさ)さんに連れて行かれたのは、中華街の目抜き通りから少し外れた、こじんまりとした老舗店だった。
 店内に一歩足を踏み入れれば、雪下(ゆきした)家と顔なじみらしい店員がすぐに気づいて、俺たちは待つことなく二階の個室に通される。
「いつものコース?」
 独特のイントネーションで尋ねられた千草(ちぐさ)さんが、手渡されたメニューを開いた。
「今日は若者がいるからこれと、これを追加で」
 そうして、前菜を食べているときに出てきた点心が……。


「あ、もしかしてあれ?」
 アイ子さんがうらやましそうな目になった。
「サクサクのパリパリの」
「はい、パリッパリでした。エビとマンゴーの変わり揚げ、だったかな。マンゴーソースっていうから甘いのかと思って、最初、使わなかったんですけど」
「スパイシーでフルーティーでしょ。いいなぁ、久しぶりに食べたくなった」
「周りのサクサクしてるの、あれって何でしたっけ。聞いたんだけど忘れちゃったな。春雨?」
「カダイフ。小麦粉とトウモロコシ粉が原料の細麺?生地?トルコだとデザートに使われるって」
「へぇぇぇ~。アイ子さんも行ったことあるんですね」
「うん。何回か千兄(せんにい)に連れてってもらった」
「へぇ、さすがですね。千草(ちぐさ)さん、よっぽどの人じゃないと、一緒に行かないって言ってましたから」
「最初は嫌われてたんだけどねぇ」
 複雑そうな顔でアイ子さんが笑う。
「え……?」
「あたしのせいで、萌黄(もえぎ)は一時期クラスでハブられちゃったんだよね。妲己(だっき)からは、ほっぺたが腫れるほどひっぱたかれてたし」
「え」
「ちょっと、牙しまってメーちゃん。昔の、小学生のころの話だって。んなのはいいからさ、続き続き。和やかにパリパリ食べておしまいじゃないでしょ」
「アイ子さんが話す気がないなら、俺の話もここまでです」
「ったく、相変わらずいい性格してんじゃないの。……OK、メーちゃんが話し終わったらしてあげるよ、昔話」
「約束ですよ」
「わかってるよ。……すいませーん、おかわりくださーい」
 そのこじんまりとした体にどれだけ入るんだと思うほど飲んでいるのに、ほんのりとしか目元を染めてないアイ子さんが、少し切なげに唇を上げた。


 干し豆腐の和え物とか、茶碗蒸しスープとか。
「わ、これもウマい、オイシイデス。初めて食べた」
「干し豆腐って、ほかで聞かないものね」
 俺がウマいと言った前菜を、萌黄(もえぎ)さんが追加で取り分け皿に盛ってくれる。
「ちゃんとした中華とか、初めてかも。兄ちゃ、兄の胃袋って亜空間だから、うちは質より量が大事だし。ファミレスばっかだよ、デス」
 身長は190センチ近いと思われる千草(ちぐさ)さんからの視線を浴び続けて、ちょっと舌がもつれた。
 ガタイが兄ちゃんに近いものがあるから、何か武道系をやってたか、やってるか。
 「暑苦しい」とは思わないけど、とにかく迫力満点だ。
「ふふっ」
 口調がグダグダになってる俺が面白いらしくって、箸を握った手で口を押えて笑う萌黄(もえぎ)さんは、やっぱりカワイイ。
「いつものしゃべり方でいいのに」
「初対面の目上の者を前にしているんだから、当然の、正しい態度だ。多少ぎこちないのも好感が持てる。萌黄(もえぎ)の言うとおり、”可愛い”若者だね」
 思わずむっとしてしまったのは、許していただきたい。
 そりゃあ、一回りも年が違う千草(ちぐさ)さんからしたら、俺なんかは子供に見えるんだろうけど。
「幼いと言ったつもりはないよ。素直だと思ったんだ。そのまっすぐさに救われたんだろう、萌黄(もえぎ)は」
 カタリと箸をおいて、千草(ちぐさ)さんはテーブルに肘をついて、組んだ両手にあごを乗せた。
 そのままちょっと顔を傾ける仕草が、同性だけどカッコよくてシビれる。
「自分の気持ちを偽らずに、押しつけがましいほどの率直さで求められれば、嬉しくないはずがない。憎からず思っている相手からなら、なおさら」
 ……何気に毒が混じったのは、気にしたら負けだな。
 ちょっと表現にトゲを感じるけど、(おおむ)ね好意的だと思おう。
「迷惑ではないと、萌黄(もえぎ)お姉さんから手紙をもらいました」
 俺も箸をおいて千草(ちぐさ)さんの目をまっすぐに見る。
「だから、待ちました。待ってる間に、美化しすぎてるのかもって思うこともあったし、妄想で執着してるだけなんだ、忘れたほうがいいんだ、いっそ忘れたいとも思いました。でも」
 隣に座る萌黄(もえぎ)さんに顔を向けると、まん丸なウサギみたいな目が揺れていた。
 不安そうで、ちょっと熱に潤んでるみたいなその目を見た瞬間。
 俺の頭から千草(ちぐさ)さんの存在が吹っ飛んだ。
「再会したとき、俺の妄想力って貧弱だなって思い知った。だって、頭の中のお姉さんより、実際の萌黄(もえぎ)さんはずっとキレイで、カワイかったから。なのに、その憧れの女性(ひと)は結構辛らつだったし、しっかりしてるように見えて抜けてるし、俺のためには怒ってくれるのに、自分のことにはバカみたいに鈍いし」
「ちょっと待って」
 胡乱(うろん)なまなざしになった萌黄(もえぎ)さんの手が、俺の口を塞ぐ。
萌黄(もえぎ)株の乱高下が激しくない?もしかして、損切りされる寸前?」
「俺が萌黄(もえぎ)株を手放すはずないだろ。買い占めて、オーナーになりたいくらいだよ」
 萌黄(もえぎ)さんの指先に軽くキスをしてその手を握ると、ちょっと忍耐を試されるような笑顔が返された。
「さすが商学部、経営学は”優”がもらえるね」
「ゴホン」
「あら」
 俺の手を離して、「アワビの焼きパイ」を取り分けてくれた萌黄(もえぎ)さんが、千草(ちぐさ)さんに流し目を送る。
「お箸が止まってますよ、千草(ちぐさ)さん。羊介(ようすけ)くんイジメてないで、どうぞ食事を続けて」
「とんだ風評被害だ。いじめてなどいないだろう」
 端正な顔に()ねた色を浮かべる千草(ちぐさ)さんは、なんだか

人みたい。
「あまりに萌黄(もえぎ)がぞっこんだから、ちょっと、からかってみたくなっただけだ。それに」
 組んだ腕を戻して食事を再開した千草(ちぐさ)さんが、フカヒレのあんかけチャーハンを口に運ぶ。
「あのヘビ男くんに負けずに、言い返す度胸があるんだろう?これくらい屁でもないはずだ」
「ヘビ男くん?」
 首を傾げる俺の耳元に口を寄せて、「市島くんのことだよ」と萌黄(もえぎ)さんが教えてくれた。
千草(ちぐさ)さんが過剰な牽制をするから、よけいな執着を育ててしまったんだと思いますけど」
「本質が表に出ただけだろう。本心を見せないまま、相手の心を先に欲しがるような卑怯者だったんだから。萌黄(もえぎ)の優しさにつけこんでいる節もあった」
 過去を探るような目をした萌黄(もえぎ)さんが、苦いものを無理やり飲み込んだような顔をする。
「私は優しかったわけじゃない。いい顔したかったんです。……好意を示してくれた相手に、悪く思われるのが怖かったから。中途半端な対応をしてしまって、それがいけなかったのよね……」
「好きでもない相手と付き合うからだ」
「好きになれると思ったんだもの。友だちではあったし」
「俺の目の前で、堂々と元カレの話、しすぎじゃない?そりゃあ、あのとき俺は小学生だったけど、だけど……」
「小学生だったけど、言い返してくれよね」
 萌黄(もえぎ)さんが俺の手をきゅっと握ってくれた。
「スイミングスクールに通ったことをバカにされたとき、”おねえさんはすごくがんばったんだ”って」
「だって、ホントのことじゃん」
 その手を握り返すと、萌黄(もえぎ)さんがくすぐったそうに笑う。
「嬉しかった。私なんかの努力を、そんなふうに認めてもらえて」
「なんか、じゃないよ。萌黄(もえぎ)お姉さんは、いつもキラキラしてた。できなくても諦めずに頑張ってて、チビッ子たちの悪口にも笑顔で」
「あんなの、悪口に入らないからねぇ」
「常に毒を吐く人外が家に生息していたからな。……萌黄(もえぎ)、悪いけれど、デザートに杏仁豆腐を追加で注文してきてくれるかな」
「やっぱり。珍しく頼まないなって思ってたの。羊介(ようすけ)くん、ちょっと待っててね」
「う、うん」
 千草(ちぐさ)さんとふたりっきりになることに緊張していたら。
 萌黄(もえぎ)さんが個室から姿を消したタイミングで、食事を終えた千草(ちぐさ)さんが、俺の茶碗にお茶を注いでくれた。
羊介(ようすけ)くん、改めてお礼を言うよ。萌黄(もえぎ)を諦めないでいてくれて、ありがとう。家族からの呪縛は意外に強いから、僕では萌黄(もえぎ)に自信を持たせてあげられなかった。いや、違うかな」
 お茶を注ぎ返そうとしたけど、千草(ちぐさ)さんの手がすっと前に出されて、俺の動きを止める。
 ちょっとした動作なのに相変わらず洗練されてて、「Yes,my lord」なんて返事をしたい気分になった。
「幼少時に植え付けられてしまった劣等感は、第三者からの庇護などでは、(ぬぐ)い去ることができないほど強かったんだ。”自分にはその価値がない”。いつのころからか、僕に対しても敬語を使うようになったのは、その表れだと思う。その萌黄(もえぎ)の思い込みを(ほど)いてくれたのは、羊介(ようすけ)くんだ」
「俺は何もしてませんけど」
「うん、君は何もしていないね」
 いや、ちょっと千草(ちぐさ)さん。
 俺だって謙遜することもあるんですよ?萌黄(もえぎ)さんがいないスキに宣戦布告?
 と、ムッとしかけたんだけど。
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