出逢いは一生

文字数 3,031文字

 戻ってきた羊介(ようすけ)萌黄(もえぎ)を、コミュニケーション・ホールから出てきた外波山(とばやま)が出迎えた。
「見つかりましたか?」
「残念ながら」
「そう、ですか」
「……ふぁ~」
 困ったような瞬きを繰り返していた外波山(とばやま)は、大あくびをする羊介(ようすけ)を見て首をひねる。
 昨夜の羊介(ようすけ)は指輪を探したまま、湖に溶け消えてしまうのではと心配していたのに。
(見つからなかったんだよな?……なのになんだろ、このふっきっちゃった感)
「ほら、寝ておいで」
「うん。萌黄(もえぎ)さん、どこにいる?」
「そうねぇ……」
「え?!」
 外波山(とばやま)がぱっと顔を輝かせて、萌黄(もえぎ)をのぞき込んだ。
雪下(ゆきした)先輩、まだいてくださるんですか?」
「そうしようかと」
「じゃあ、演奏していきませんか?」
 食い気味に誘う外波山(とばやま)に、羊介(ようすけ)が剣呑に目を光らせる。
萌黄(もえぎ)さんも部屋、行く?」
「な!ふたりっきりとか、そんなのダメに」
「トバヤマ先輩」
 はっきりと嫌悪を示す羊介(ようすけ)のまなざしに、外波山(とばやま)はぐっと口を閉じた。
萌黄(もえぎ)さんは俺のカノジョです。手なんか出したら、ぶん殴りますよ」
「そんなこと、するわけ……」
「バカなこと言ってないで、早く寝ておいで」
「バカって言った?ホントのことなのに、何でバカなの?」
()しかからないっ」
 萌黄(もえぎ)の頭にあごを乗せると、羊介(ようすけ)は背後から腕を回して、ぎゅっとその体を抱きしめる。 
「まだ言っちゃダメなの?俺のこと、カレシって言ってくれないの?」
「そこじゃないの」
「じゃあどこ」
「”部屋に来る”のとこ」
「なんで」
「大人しく寝ない気がするから」
「……ぐぅ」
 萌黄(もえぎ)は目いっぱい腕を後ろに伸ばすと、羊介(ようすけ)の髪をわしゃわしゃとなでた。
「待ってるから。ちゃんと休んでおいで」
「……うん」
「水分はたくさん取ってね」
「うん。萌黄(もえぎ)さん、帰ったらダメだから」
「わかってる」
「帰ったら俺も帰るから」
「なにを言っているの、あなたは」
 萌黄(もえぎ)に背中を押された羊介(ようすけ)は、後ろ髪を引かれるように何度も振り返って、しぶしぶ二階へと上がっていく。
(あれってリアルの木場野(きばの)か?俺、起きてるよな。雪下(ゆきした)先輩がここにいるのも、もしかして夢?)
 目を丸くして羊介(ようすけ)の背中を見送る外波山(とばやま)に、萌黄(もえぎ)は眉を下げて笑った。
「あのね、外波山(とばやま)君」
「……はい」
「もう少し一緒にいさせてもらいたいんだけど、羊介(ようすけ)君がポンコツになっちゃったら、ごめんなさいね」
「ぽ、ポンコツ?」
「タガが外れるっていうのかな。私のせいで、ちょっと、こじらせちゃったところがあるから。……私ね、羊介(ようすけ)くんを長く待たせてたの」
「長くって、どのくらいですか?」
「三年間」
「さ、三年?それは……、長いですね。その間ずっと、木場野(きばの)は待ってたんですか?」
「小さな男の子だったころに、縁は一度切れてるの。でも、再会したらあんなに大きくなっていて、ずっと待ってた、信じてたって言ってくれたの」
 はにかんだ萌黄(もえぎ)の微笑みに、外波山(とばやま)の胸が小さく痛む。
外波山(とばやま)君も不思議に思うでしょう?私と羊介(ようすけ)くんを見て」
「……年は、少し離れてるとは思いますけど、でも……」
 「でも、お似合いですと」いう言葉は、どうしても口に出せなくて。
 外波山(とばやま)はきゅっと唇を引き結んだ。
(はた)から見れば姉弟(してい)よね。最初は師弟(してい)のような関係だったし。あ、最初のシテイは姉と弟で、あとのは師匠と弟子だからね?ふふっ」
 どうやら萌黄(もえぎ)のフェイバリットにヒットしたらしい。
姉弟(してい)師弟(してい)。……ふふふふふっ」
「相変わらずダジャレ好きですね」
「おもしろくない?」
「そんなんで笑ってる、雪下(ゆきした)先輩が面白いですよ」
「なんだとっ」
「いて!」
 イタズラそうな顔をする萌黄(もえぎ)から、軽く足を蹴られた外波山(とばやま)が、大げさに顔をしかめてみせた。
「師弟で姉弟が、いつの間にかカレカノですか」  
「もし、あの空白の三年がなくて、羊介(ようすけ)くんの成長をずっと近くで見守っていたなら、姉のような立場からは抜け出さなかったかもしれない、と思うことがあるの。男子三日会わざればって本当ね」
「刮目して見よ、ですか。つまり、ギャップ萌えたってことですか?」
 切なそうに笑う外波山(とばやま)に、「そうかもね」と萌黄(もえぎ)は笑い返す。
「指輪、本当に申し訳ありませんでした。(いかづち)たちの処分について、ご意見はありますか」
「反省は見えたから、あとは羊介(ようすけ)くんがどう折り合いをつけるか、よね。私から言うことは、もうないよ」
 目を落とした外波山(とばやま)は、萌黄(もえぎ)の右手からも指輪がなくなっていることに気づいた。
「……殴らせろって言い出したら、どうしたもんですかねぇ」
「そんなことを言うはずがないよ、羊介(ようすけ)くんは」
「なぜ、そう言い切れるんですか?」
「それはね」
 くるりと背を向けた萌黄(もえぎ)が、横顔で振り返る。
「本気で怒っているときでも、他人を傷つけるよりも、自分を痛めることを選ぶ人なのよ、彼は。傷つく痛みを知っているから。……トランペット取ってくるね。現役の邪魔はせずに外で練習してるから、羊介(ようすけ)くんが起きたら教えて。昨日、スマホを水没させちゃったみたいで、電源が入らないんですって」
「ああ、湖に入ったとき、ポケットにでも入れてたんですかね」
「そうみたい。じゃあ、あとで」
 歩き出した萌黄(もえぎ)の動きに合わせて揺れるフレアスカートは、まるで風に揺れる白いヒナゲシの花びらのようで。
 住所録のデータをずっと消せずにいた先輩の後ろ姿を、外波山(とばやま)安心院(あじみ)が呼びに来るまで、ずっと見送り続けた。


 ぐっすりと眠った羊介(ようすけ)は目を覚ますと同時に、枕元に置いたスマホの電源を入れてみる。
だが、相変わらず画面は沈黙したまま起動しない。
 自分の短慮を少しだけ後悔して部屋の掛け時計を見れば、とっくに昼食の時間を過ぎていた。
 朝は驚きが先に立って、そのまま飛び出してしまった。
 顔を洗うのも忘れていたし、戻ってきて鏡を見たら、それはヒドい有様に頭を抱えて身悶えをすること数分。
(こ、こんな小汚い顔で行っちゃったのか、俺ぇ~!)
 けれど、そんな自分に対して、何ひとつ態度の変わらなかった萌黄(もえぎ)を思い出せば。
萌黄(もえぎ)さん、おでこにキスしてくれた……)
 嬉しくて愛しくて、また見悶えて布団の上を転げ回った。
 今すぐに会いに行きたい気持ちを押し込めて、羊介(ようすけ)は念入りに身だしなみを整える。
 そして、白Tシャツにリーフグリーンのオーバーシャツ、細身の黒のスラックスに着替えた。
 最後に無意識に首元に手を伸ばして……。
 そこに指輪がないのを少し切なく思いながら、一階へと走りおりていった。
 
 朝よりもリラックスした様子で昼食を取っていた皆が、入り口に現れた羊介(ようすけ)を見て一斉に黙り込む。
 普段は黒のトレーニングウェアを着て、黙ってのっそりと定位置に座るだけの羊介(ようすけ)が、かっちり目にキメて、落ち着きなくきょろきょろと食堂を見渡していた。
木場野(きばの)、具合はどうだ」
 上級生のテーブルから、外波山(とばやま)が声をかける。
萌黄(もえぎ)さんは?」
「開口一番それか。外でトランペット吹いてくるって、出ていったきりだよ。あ、木場野(きばの)!お前、昼飯どうするんだ?」
萌黄(もえぎ)さんのとこに行ってきます!」
 振り返りもせずに走り去った羊介(ようすけ)に、外波山(とばやま)から盛大なため息が漏れた。
「なんだろ、あれ」
「なんかこう、さすがに後輩であっても失礼な気がするけど」
 うつむいた安心院(あじみ)は何度か咳払いをすると、顔を上げてニヤっと笑う。
「主人を追いかけてく、大型犬みたいだな」
「あ、なんかわかります。忠誠を誓った主人以外に心を許さない、猟犬っぽい感じがします」
「「ああ、それだそれだ」」
 合宿リーダーの例えに、外波山(とばやま)安心院(あじみ)の声がそろった。
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