腹いせの引き金

文字数 5,497文字

 残すところ、あと2日で合宿も終了するという夜。

珊瑚(さんご)ちゃん、木場野(きばの)君どこ行ったか知らない?もうすぐ花火大会が始まるんだけど」
 2年の合宿リーダーが、風呂上がりの珊瑚(さんご)に声をかけてきた。
 今夜は宿泊所の庭から歩いていける湖岸で、花火大会をする予定になっている。
 もちろん手持ち花火だけではあるが、レーザー花火やスパーク花火などの変わり種も用意されていて、毎年かなり盛り上がるらしい。
「いえ、夜錬のあとは、全然見てませんけど」
 外出着にしてもおかしくない、モノトーンのオシャレスウェットを着た珊瑚(さんご)は首を(かし)げた。
 
 合宿当初はそっけなかった木場野(きばの)ではあったが。
 10日近くも一緒に過ごしているうちに、思うところもあったのか。
 はたまた慣れたのか諦めたのか、最近はずいぶんと物腰も柔らかくなったと珊瑚(さんご)は思う。
 一昨日(おととい)の一発芸大会では、トランペットソロでJ-POPメドレーを演奏して喝采を浴びていたし、ほかのグループからの飛び入りの要請にも応えていた。
 ……わざわざ用意したおそろいの衣装で、JAZZを披露した(いかづち)グループの面々は面白くなさそうにしていたけれど。
 食事中は同学年との会話にも加わるようになったし、不愛想な彼なりに、仲間となじんできているようだ。
 珊瑚(さんご)とも、目を見て(ここ大事)挨拶を交わすようになってきている。
 そばに寄ることを許してくれた、警戒心の強いノラ犬程度の距離感ではあるけれど。
 たまに笑顔も見られるようになったし、きっと今夜はチャンス。
 花火をやりながらふたりっきりを狙ってみようと、珊瑚(さんご)(ひそ)かに画策している。
「この時間だから、外出はしてないと思うんだけどねぇ」
 合宿リーダーがきょろきょろと館内を見渡した。
「私も、ちょっと部屋とか探してみます」
「強制参加ではないから、まあ適当にね。木場野(きばの)君はひとりが好きみたいだけど、もう少し、みんなとの思い出があってもいいかなと思ってのことだから」
 そう言うと、合宿リーダーは花火の準備をするために外へと出ていった。
(お誘いしたら、案外一緒に行ってくれるかも。だって……)
 思い出したのは昨日、朝食のために食堂に降りたときのこと。
 珊瑚(さんご)は寝起きで寝癖のついている木場野(きばの)と入り口で行き会った。
「おはよう、木場野(きばの)君」
「……おはよ、天海(あまみ)さん」
 いつものようにただうなずくか、もしくはオウム返しの挨拶が返ってくるだけだと思っていたのに。
 名前(苗字だけれど)を呼ばれてひそかに驚いた珊瑚(さんご)は、ならばこちらからと話題を振った。
「眠そうだね。よく眠れなかったの?」
「……(いかづち)たちが遅くまでうるさい」 
「あー、なんかスマホゲームにはまってるんだっけ」
「そうなの?……ロビーでやってくれないかな」
 奇跡的に会話が続いていることに、珊瑚(さんご)の気持ちは浮き立っていく。
「言っておくよ。同室だから、木場野(きばの)君が言うのは気まずいよね」
「気まずくはないけど……。揉めたいわけでもないし」
 あまりの塩対応でちょくちょく場を凍らせる木場野(きばの)だが、本人的には悪気があるわけではないらしい。
 心の内を木場野(きばの)本人から明かされたことが嬉しくて、珊瑚(さんご)は俄然はりきった。
「あー、あの(いかづち)だもんね。同じパートのよしみで、それとなく伝えてみるから」
「無理しなくていいよ。……耳栓でも持ってくればよかった」
「む、無理は、しないよ。うん」
「ん」
 なんと、木場野(きばの)から気遣うようなことを言ってもらえるとは!
 感動した珊瑚(さんご)は、その日のパート練習が始まる前にさっそく(いかづち)を呼び出した。
「さっきさ、先輩たちが集まってたんだけど」
「は?先輩?……話があるって、それ?」
 なぜだか嬉しそうな顔をしてついてきた(いかづち)の口の端が、ムッと下がる。
「うん。どっかの部屋で夜中騒いでるヤツがいるって、クレームがあったらしいよ。外波山(とばやま)先輩、迷惑行為は100回スクワットの刑って言ってたじゃない?同期だったらかわいそうだし、なんか知ってたら、それとなく注意してあげてよ。(いかづち)ならうまく収められるでしょう?リーダーシップあるから」
「あー……、うん。そうだな」
 なにやら複雑そうに明後日の方向を向いていた(いかづち)の目が、珊瑚(さんご)に戻された。
「話してみるわ」
「さすが。心当たりあるんだ」
「……まあ」
「やっぱ(いかづち)に相談してよかった!」
 珊瑚(さんご)が大げさに喜んでみせると、(いかづち)の口の端がニンマリと上がる。
天海(あまみ)も情報サンキュな」
「どういたしまして。頼れる同期がいて嬉しいよ」
「おぅ、任せとけ。じゃ、練習始めるか」
「はーい」
 「任せとけって、騒いでんのは自分じゃないの」という言葉は心の奥底にしまい込んで。
 木場野(きばの)が喜んでくれるかも思った珊瑚(さんご)は、ホクホク顔で(いかづち)の後に続いた。
 そうして、今朝。
「昨日はぐっすり眠れた。……ありがと」
 木場野(きばの)から(ここ大事)話しかけられた珊瑚(さんご)は、頬が緩むのを必死で抑えた。
「私はなんにもしてないかもよ?」
「なわけないじゃん」
 おどけて笑う珊瑚(さんご)を見下ろす、木場野(きばの)の口元がほんのりと弧を描いている。
(わ、笑った!)
天海(あまみ)さんくらい、(いかづち)の扱いウマい人いないし」
「いやいや、サックスメンバーはわりと話せるよ、(いかづち)と。私だけじゃなくて」
 自分は特別じゃないと珊瑚(さんご)が強調すると、木場野(きばの)はこてんと首を傾けた。
(あ、あざといぃ~。なにそれ、ちょっとカワイイんだけど)
「そうなんだ?俺への圧が一番強いけど、周りにもガン飛ばしまくってるから、そういうヤツかと思ってた」
「まあ、噛みつきグセはあるよね」
 うっかりするとニヤついてしまう口元に力を入れて、珊瑚(さんご)は平静を装う。
「噛みつくというか、放電してるというか」
「ビリビリと」
(いかづち)だけに」
 そこで同時にふっと笑いながら、珊瑚(さんご)は心の中で「よっしゃー!」と叫んだ。
 気遣われて、微笑まれて同時に笑って。
 フルート女子が見たら、「きぃ~」とハンカチを噛む勢いで距離が縮まったと思う。
 だから。
 今なら木場野(きばの)は「天海(あまみ)さんが誘うなら」と、一緒に来てくれるかもしれない。
 淡い期待を胸に木場野(きばの)の部屋まで行ってみたが、ノックをしても返事はない。
 しばらくドアの前で思案しているうちに、外から弾けるような笑い声と歓声が届いた。
(部屋にいないってことは、木場野(きばの)君も参加してるのかな。行き違いになっちゃった?)
 そんなことを考えながら階段をおりていると、灯りを落とした食堂に人の気配がする。
「えー、ほんとに?」
 弾むような声に、吸い寄せられるように珊瑚(さんご)は食堂に近づいた。
(……まさか、木場野(きばの)君?)
 クスクス笑う声まで聞こえてくれば、思い出すのはバンド仲間と一緒だった木場野(きばの)であるが、当然ここに彼らはいない。
 では、木場野(きばの)をあれほど朗らかに笑わせているのは誰なのだろう。
 軽い嫉妬を覚えながら、足音を忍ばせた珊瑚(さんご)が食堂の中をうかがってみると。
 常夜灯がぼんやりと光る食堂の(すみ)で、木場野(きばの)がひとりポツンとイスに腰かけていた。
「じゃあさ、帰ったらまっすぐそっちに行く」
 甘えるようなそのトーンは、珊瑚(さんご)の知っている木場野(きばの)の声ではない。
「それはごめんって。ふふっ、ごめんごめん」
 機嫌良さそうに笑っている木場野(きばの)の、その耳に当てられた手の中にはスマートフォンが見える。
「だって、送ってほしくなかったから。……違うよ、そうじゃなくて。……外波山(とばやま)先輩、覚えてるよ、モエギさんのこと」
 盗み聞きするつもりはなかったけれど、木場野(きばの)が呼んだ名前を聞いたとたんに、珊瑚(さんご)の足は床に張り付いたように動かなくなっていた。
「モエギさん、しょっちゅうコクられてたんでしょ?……わかってないのはモエギさんくらいだよ。……どうせカノジョだって言わせてくれないんだろ。だからダメ」
 右手をじっと見つめていた木場野(きばの)が、その薬指にそっとキスを落として、甘く微笑む。
「それなら、いいけど。……うん、早く会いたい。モエギさんに会いたい」
――モエギさん――
 むせ返るほどの人であふれていた、あの駅前で。
 あの年上の女性のことを、木場野(きばの)は同じ名前で呼んでいた。
「え?うん、あれオオルリ。わかんなかった?キジは?……じゃあさ、今度、一緒に遊びに来ようよ。……そうだね、楽しみだね。……え、もう寝るの?……へぇ、そうなの?そんなに明日、早いんだ。そっか、わかった。また明日、同じ時間に電話してもいい?……モエギさんから?うん、待ってる。ずっと待ってるから、絶対電話してよ。……おやすみなさい」
 スマートフォンをパーカーのポケットにしまった木場野(きばの)は指輪を抜くと、首から外したチェーンに通していく。
(そっか。あの指輪、(いかづち)が言ってたネックレスのトップなんだ。……そういうことだったんだ)
 頭では理解してる事実を、心が受け入れることを拒否していた。
 あれは多分というか、絶対ペアリングに違いない。
 怒鳴るほど他人に触れられたくない、大事なものなのだから。
 身じろぎもできないでいた珊瑚(さんご)は、立ち上った木場野(きばの)を見てさっと食堂のドアの影に隠れる。
 一刻も早く立ち去らねばと思うのに、珊瑚(さんご)の足は動かない。
「っ!」
 食堂から出てきた木場野(きばの)が、壁に張り付いている珊瑚(さんご)を見て息を詰まらせた。
「び、っくりした。……天海(あまみ)さん」
 珊瑚(さんご)を見下ろす木場野(きばの)の顔が、みるみる険しくなっていく。
「盗み聞き?」
「……みんなで花火やるってリーダーが言うから、探してただけ」
 不貞腐れた珊瑚(さんご)の声に、木場野(きばの)がため息をついた。
「強制じゃないって聞いてるけど?」
「あのさあ!」
 人影のない廊下に、苛立った珊瑚(さんご)の声が響き渡った。
 さっき電話していた声と、自分に向けられる声のあまりの違いに泣きたくなる。
 あからさまにめんどくさそうで、迷惑そうで。
「ちょっとはみんなと親しくなろうとか思わないの?ボッチがカワイソウだから、みんな気を使って

んじゃない。それがわかんないの?!」
「ボッチで結構。いい演奏ができるなら、それ以上なれ合う必要もないだろ。べつに、仲良しごっこしに来てるわけでもねぇんだし。参加する目的は人それぞれなんだから、自分の価値観、押しつけてくんなよ。いい迷惑」
「迷惑……」
 はっきりと告げられて、珊瑚(さんご)は愕然とする。
 これまでの努力や期待など、まったく無駄だったと思い知った。
 昨日からのやり取りで縮まった距離だって、電話の相手(モエギさん)と比べたら、蟻の一歩に等しいものなのだろう。
 珊瑚(さんご)の心に、意地悪で黒い思いがこみ上げてきた。
木場野(きばの)君ってさあ、

年上の人が、カノジョさんなの?」
 含みを持った珊瑚(さんご)の声色に、いまにも歩き去ってしまいそうだった木場野(きばの)が、驚いた顔をして振り返る。
「ふふっ。バンドのメンバーと待ち合わせしてたでしょう?先月。たまたま見たの」
「……ノゾキもしてたのかよ」
「下品なこと言わないでよ!待ち合わせの定番でしょう。誰がいたって、おかしくないじゃないっ」
 軽蔑が浮かぶ顔を見て、珊瑚(さんご)はカッとなった。
「私だって、友だちと約束してただけだから。でも、あのカノジョさんって社会人でしょう?お姉さんかと思っちゃった、最初。木場野(きばの)君にも、ほかのコたちにも同じような態度でさ。実はカノジョさん、木場野(きばの)君のこと、大して好きじゃなかったりしてね。向こうは大人だから、年下を傷つけないようにって、同情してるだけかもよ」 
 目の前の端正な顔が凍っていくのがわかるのに、自分でもヒドイと思っているのに。
 キツイ言葉が止まらない。
「……俺たちこと、何も知らねぇクセに」
「待ちなさいよっ」
 背を向けてしまった木場野(きばの)を、珊瑚(さんご)が追いかけようとしたとき。
「へーえ。木場野(きばの)って、年上カノジョがいるんだ」
「……(いかづち)
 玄関脇のトイレから(いかづち)と、もうひとりのサックスの1年が連れ立って出てきた。
「なんかヤラシー響きすんな、年上カノジョって」
 (いかづち)の友人であるサックスの男子がニヤニヤ笑っている。
「夜のテクでメロメロにされちゃってるんだ?木場野(きばの)ちゃんってば」
 近づいてくる(いかづち)たちを不機嫌に見遣り、木場野(きばの)は舌打ちをした。
「オマエらに関係ねぇだろ」
「へー、否定しないんだ。爽やかイケメンが、夜はオネーサマのトリコで、すっかり調教されちゃってる感じぃ?」
「……いい加減にしなよ」 
 さっきまでは激昂していた珊瑚(さんご)だが、えげつない言葉を聞いて冷静になる。
「んでだよ、お前だって怒ってただろ」
 隣に並び見下ろしてくる(いかづち)の目は、珊瑚(さんご)を非難していた。
「やっぱ木場野(きばの)をかばうんだ」
「セクハラ発言を聞きたくないの。……ん?お酒、飲んでるの?」
 わずかだが、(いかづち)の息にアルコールの匂いが混じっている。
「軽くだよ、軽く!」
 よく見れば、(いかづち)の友人はかなり顔が赤い。
「アルコール禁止でしょ?湖岸イベントは危ないからって」
「こんくらいバレねぇって、珊瑚(さんご)ちゃんが黙っててくれれば。もちろん木場野(きばの)もねっ!年上カノジョとタダレタ夜を過ごしてるなんて、木場野(きばの)ファンクラブにバラされたくねぇだろ」
 反論もせず、ただ呆れたような目をして(きびす)を返した木場野(きばの)の肩を、(いかづち)が力任せにつかむ。
「どこ行くんだよっ」
「部屋に戻る」
「へぇ~!帰っちゃうんだ!じゃあ、木場野(きばの)ちゃんのカノジョは年下喰いのエロい人って教えとくねぇ、みんなに」
 ゲラゲラ笑うただの酔っぱらいに、(いかづち)の腕を払った木場野(きばの)が向き直った。
「俺のことは好きに言えよ。でも、相手のことを悪く言うな。……許さねぇぞ」
 木場野(きばの)の目つきの鋭さに珊瑚(さんご)は思わず息を飲むが、(いかづち)たちには、その本気の怒気すら通じていない。
木場野(きばの)ちゃんコワーイ」
「カッコつけやがってっ。許さねぇなら、なんだっつうんだよ!」
 突然ブチギレた(いかづち)が、木場野(きばの)の首に掛かるチェーンを力任せに引きちぎった。
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