逆鱗に触れれば

文字数 3,503文字

 外波山(とばやま)の話を聞いているうちに、萌黄(もえぎ)のまなざしは遠くなっていった。 
「なるほどね。よくある話だけど、ちょっとおイタが過ぎるかな。……羊介(ようすけ)くんの姿が見えないけれど、どうしてるの?」
「熱を、出していて……」
 言葉を濁す外波山に、萌黄(もえぎ)の目がすっと細くなる。
「……そう。首の怪我は?」
「え?」
「無理やり引き千切られたんでしょう?首に傷があるかな、と思ったんだけど」
「はい。そのとおりです」
「ひどい?」
「いえ、昨夜(ゆうべ)ちょっと見ただけなので。今は寝ているので、ちゃんと確認はできてないんです」
「そう。わかった」
 萌黄(もえぎ)が立ち上がり、食堂を見渡した。
「食事は終わってるみたいね。では、ヤンチャした1年生をお借りしたいのだけれど」
雪下(ゆきした)先輩、あの、どうなさるおつもりですか?」
 安心院(あじみ)が恐る恐る萌黄(もえぎ)を見上げる。
羊介(ようすけ)くんの指輪を探したいから、どこに投げたのかを教えてほしいの」
「え、探すって、誰が?」
 その意図が今ひとつ読めずに、外波山(とばやま)萌黄(もえぎ)を凝視した。
「私が」
「先輩が?あの、1年生にやらせようかと思ってたんですが」
「やらかした1年生に手伝わせたところで、隠されたり、より遠くへ投げられてしまっては元も子もないでしょう」
「そんなことは、さすがにしないと思いますけど」
 取りなそうとする合宿リーダーを見下ろす、萌黄(もえぎ)のその表情は硬い。
「絶対ないと保証できる?いくらお酒が入っていたとはいえ、人が身につけているネックレスを奪える人間でしょう。しかも、ルール破りをするような(たわ)け者」
 萌黄(もえぎ)の視線の先で、(いかづち)の肩がビクっと震えた。
外波山(とばやま)君、昨夜(ゆうべ)言っておいたわよね」
 あくまで静かな萌黄(もえぎ)の口調に、わずかな怒気が混じる。  
「リーダーとして、問題の原因を把握してねって。できてるの?」
「いえ、まだです」
 外波山(とばやま)は思わず目を落とした。
「発端は、学生同士のつまらない感情のもつれかもしれない。けれど、私物を無理やり奪って怪我をさせたことを、見逃すことはできない」
「……おっしゃるとおりです」
「私はきちんと見届けたいの。部外者である私には権利がないというのなら、もしくは、私がそのやり方に納得がいかなかったら、羊介(ようすけ)くんには、所属先を考え直すように勧める」
「そ、れは……」
「彼を傷つけるだけの場所に、彼を守る人のいない場所にいさせたくないの。それで、外波山(とばやま)君。私は誰を連れていけばいいの?」
「……その前に、俺から皆に、話をさせてもらってもいいですか」
「話?」
 顔を上げた外波山(とばやま)を、萌黄(もえぎ)は横目でちらりと見下ろす。
「昨日は木場野も

でしたし、当事者同士での話もできていないんです。でも、現場は花火に参加した者、全員が見ている。憶測で間違った噂話が広がる前に、説明する責任があると思うんです」
「わかった」
 萌黄(もえぎ)がすっと食堂の隅に移動したのと入れ替わるように、外波山(とばやま)が立ち上がった。
「ちょっと聞いてほしい。昨夜(ゆうべ)は花火イベントを途中で終了させてしまって、本当に申し訳なかった。昨日の詳細をここで話す気はない。当事者が知られたくないことも、あるだろうしな。ただ、全員に言っておかなければならないこともある」
 外波山(とばやま)は体の向きを変えて、1年生のテーブルに厳しい目を向ける。
「まず、約束事は守れ。ちょっとくらい、自分ひとりくらい、いいだろうというのは甘えだ。サークルの規定に従えないなら、不満があるなら退部しろ。このバンドは強制じゃない」
 外波山(とばやま)の声が響く食堂で、(いかづち)ペアは気まずそうに視線を動かしていた。
「俺たちは、同じアンサンブルバンドのメンバーだ。同じ曲を演奏する仲間だ。人間だから、好きも嫌いもあるだろう。けど、その感情をダイレクトに相手にぶつけるなんてのは、子供のやることだぞ。大人なら、自分の感情は自分でコントロールしろ。あとな……」
 硬い表情を崩さない萌黄(もえぎ)が、口ごもった外波山(とばやま)に促すような視線を投げた。
「どんな理由があっても、人の持ち物に手を出すことは窃盗だ。ちょっとしたイタズラ、おふざけ。そんな言い訳は通らないんだよ。もう大学生なんだから」
 外波山(とばやま)から見渡されたメンバーたちが、それぞれ曖昧にうなずき返している。
「とりあえず、今はこれで解散。(いかづち)たちふたりは俺と一緒に来い」
「ええっ?」
 (いかづち)の友人が、あからさまに嫌そうな顔になった。
「どうせ、もう見つかりっこないですよ」
「お前なあ……」
 外波山(とばやま)が呆れ半分、怒り半分の顔でため息をつく。
「探してみないと、わからないだろうが」
「弁償しますよ。そのほうが早いでしょう」
 ふてくされて、開き直っているような(いかづち)を見たとたん、萌黄(もえぎ)の柳眉が逆立った。
「弁償?」
 その鋭い声に、(いかづち)は不愉快そうな目を上げる。
(なんだよ、さっきからあの女は。OG?でも、今のサークルには関係ないだろ。そんなヤツが、なにをわざわざ

サークルの揉め事に口を挟んでくるんだよ)
 萌黄(もえぎ)をひとにらみしようと首を回した(いかづち)は、そのままの姿勢で固まった。
「!!」
 外波山(とばやま)に案内されて入ってきたときには、なんだかふわふわした、頼りなさそうな女だなと思っていたのに。
(……すげぇ目力……)
 つばを飲み込んだ(いかづち)の喉がゴクリと音を立てた。
「お金を払えば、それで済むことだとでも?羊介(ようすけ)くんは湖に入って探したのよ、暗い夜に。誰がそんなことをさせたの?羊介(ようすけ)くんに責任はあるの?彼が誰に、何をしたというの」
 食堂の端から、萌黄(もえぎ)がゆっくりと(いかづち)に向かって歩いていく。
「傷つけておいて、金で解決すればいいだなんて思う人間が奏でる曲は、それはステキなんでしょうね。羊介(ようすけ)くんはぶっきらぼうなところもあるけれど、仲間は大切にする人よ。多分この合宿中だって、教えてと言われていたら、断ったりしていないでしょう?」
 1年生たちが座るテーブルの真正面に立って、萌黄(もえぎ)(いかづち)を見下ろす。
「さっき外波山(とばやま)君も言っていたけれど、これは立派な犯罪行為です。たかが悪ふざけ程度で大袈裟な、なんて思う人間ばかりなら、そんなサークルに公認を与えている大学の気が知れない。私は、公認取り消しの申し立てをする」
「ゆ、雪下(ゆきした)先輩、それはあんまり」
「ねえ、外波山(とばやま)君」
 振り返った萌黄(もえぎ)の冷たい瞳の前に、外波山(とばやま)は思わず口を閉じた。
「私はね、怒っているのよ。……そこの落ち着きのない男ども」
 萌黄(もえぎ)(いかづち)ペアを、ブリザード吹き荒れる目でにらみ下ろす。
「あなたたちに探せとは言っていないでしょう。場所を教えてと、お願いしてるだけなのよ。それでも来ないの?じゃあ、あなたたちは、どうケリをつけるつもり?」
「そ、それは、木場野(きばの)、君に、ちゃんと謝って、」
「有名な格言に、”ごめんで済んだら警察はいらない”というのがあります」
「……それ、格言じゃねぇ」
 ぼそっとつぶやいた(いかづち)に、萌黄(もえぎ)は冷笑を浮かべた。
「あなたにとっては格言も同然でしょう。被害届を出してもいいのよ」
 萌黄(もえぎ)(いかづち)の目の前のテーブルを、ばんっ!と右手で叩く。
「あ……」
 その薬指に光る指輪を見て、萌黄(もえぎ)が誰なのかに気づいた(いかづち)が青ざめた。
 木場野(きばの) 羊介(ようすけ)が迷わず湖に入って、取り戻そうとしていた

指輪。
 それと同じ指輪をはめているこの人は、無関係な第三者なんかじゃない。
 なぜこの人が事情を知り、早朝にもかかわらず駆けつけてきのか。
(年上カノジョって……)
「カバンをひったくって盗んでごみ箱に捨てて。あとでカバン代を支払ったらから窃盗犯じゃありません、なんて世迷い言が世間で通用すると思ってる?」
 金銭で解決すればいいと思っていた(いかづち)が、萌黄(もえぎ)のたたみかけの前に肩を震わせる。
「犯罪とせずに済ませるかどうかは、あなたたちが決めることじゃない。来るの?来ないの?」
 テーブルに乗せた腕に体重をかけ、萌黄(もえぎ)はずいっと(いかづち)に顔を近づけた。
「大した理由もないのに人のものを奪って、怪我を負わせて風邪までひかせて。どう落とし前をつけるかは羊介(ようすけ)くん次第なの。あなたには何の決定権もないの。公認取り消しだって脅しじゃない。未成年の飲酒を見逃したサークルだと表沙汰になれば、大学も見逃さないわよ」
「……び、ビールをちょこっと飲むくらい、誰だってやってる、じゃ……」
 言い訳を繰り返そうとした(いかづち)の友人を、萌黄(もえぎ)がギロリとにらむ。
「確かに、大目に見てもらえる場合もあるでしょうね。でも、あなたの態度によっては、私は黙っているつもりはない。もう一度聞くわよ。来るの、来ないの」 
 ガガ、ギギィ……
 イスが床をこする耳障りな音とともに、うつむいたままの(いかづち)がふらりと立ち上がった。
「いい子ね。さあ、案内してちょうだい」
 薄く微笑んでそれだけ言うと、萌黄(もえぎ)(いかづち)を振り返ることもなく、すたすたと食堂を出ていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み