魔界同盟

文字数 3,688文字

 何やら考え込んでいる千草(ちぐさ)の尋問が止まっているすきに、アイ子はせっせとケーキを口に運ぶ。
 せっかくのケーキだ。
 味わえるうちに食べてしまいたい。
 できれば「ごちそうさま」のタイミングで帰りたいが、このままお開きとはいかない気がする。
 そして、そんなアイ子の心配はズバリと的中して。
 ウェイターがコーヒーのお代わりをテーブルに置いたタイミングで、千草(ちぐさ)は再び口を開いた。
「でも、心配だな。まさか、手を出しているようなことはないだろうね」
「手は、つないでると思います」
萌黄(もえぎ)許せ)
 心の中で謝罪をしたアイ子は、千草(ちぐさ)の知りたいことをさっさとしゃべって帰ろうと思う。
 際どいところをボカすためには、長く会話をするのは危険だ。
 ある程度の回答を用意して、逮捕起訴されるのを免れたい。
(しらばっくれるのも、あんまり通用しなさそうだしなあ、このヒト)
「まあ、それぐらいはね。それ以上は?」
「ないと思います」
「よかった」
 あっさりとうなずいた千草(ちぐさ)に、アイ子はほっと息をつく。
「妹は他人の好意に慣れていないから、すぐ(ほだ)されてしまわないかと心配だったんだ」
「あー、それは言えてますね」
「さすが親友だね。妹のことをよくわかってくれている。萌黄(もえぎ)の心が折れずにすんでいるのは、君のおかげだ。本当に感謝しているよ」
「アタシは好きで一緒にいるんで」
「そう言ってくれる、君だからこそだよ」
 笑いかけてくる千草(ちぐさ)は、普通に妹を案じている兄でしかない。
「僕以上に、親から触れられた経験が少ないからね。スキンシップに慣れていないと思うんだ。きつい折檻も受けているから、怖いと思うこともあるだろう」
「そうですね。軽いハグとかキスもホントは……、あ、いや、あの、ゲホゲホゲホ」
(しまった~!ごめんよ、萌黄(もえぎ)
 フレンドリーな千草(ちぐさ)との会話に、つい口が滑ってしまった。
「キス

?」
(ぎゃー!)
 氷瀑を背負った魔王が現れた!
「ということは、それ以上のこともされてるのかな」
 ”逃げる・戦う”のコマンド、どちらを選ぶかを束の間考え、アイ子はあっさりと”降参”することにした。
「いや、それはないと思います。そう言ってるし、もしされてたら、萌黄(もえぎ)は隠しきれるコじゃないから」
「うん」
 「それで?」という顔をしている魔王を前に、アイ子は”降参”から”服従”に切り替えるしかない。
「ただ、人の目がなくなると、どうも不埒なことを仕掛けてくるみたいで」
「不埒とは」
「……スキンシップ過剰というか、痴漢行為というか」
 カレカノでもセクハラは成立するのだ。
 萌黄(もえぎ)の意思に反しているのだから、そう表現してもいいだろう。
 もうなんでも聞いてくれと白旗を上げるアイ子の目の前で、千草(ちぐさ)は額に青筋を立てていた。
「今日、部活はないんだよね。君と一緒じゃないということは、萌黄(もえぎ)は先に家に帰ったの?」
「……いえ」
 言い淀んだアイ子を見ただけで、千草(ちぐさ)萌黄(もえぎ)が誰と行動をともにしているのかを察したらしい。
「出ようか」
「はい?あの……」
 千草(ちぐさ)はいきなり立ち上がると、アイ子を一瞥(いちべつ)もせずに会計を済ませて、ラウンジを出ていってしまう。
(あ、ケーキもったいない。いや、それどころじゃないぞ。お礼を言わないとっ)
 一口残ったケーキを口に放り込んでから、アイ子は千草のあとを追う。
 たとえ拉致されたも同然といえども、ごちそうしてもらった身としては、お礼くらいは言わないと。
 そうして、やっとの思いでアイ子が魔王の背中を見つけたとき。
 魔王はエントランスの片隅で、スマートフォンを耳に魔王スマイルを浮かべていた。
「もしもし、萌黄(もえぎ)?」
(うあ、直接アタックだ!)
「うん、今日は仕事が早く終わってね。もう家にいる?」
(うーわ、知っているくせに。いけしゃあしゃあと)
 このスキに、背中に「ごちそうさま」と声をかけて帰っちゃおうと一歩踏み出せば。
 どこに目がついているのか、アイ子に背を向けているはずの魔王が、すかさず進路を邪魔してくる。
(どこで見てんの?!複眼?虫なの?悪い虫って自分のことなんじゃ?)
「まだ出先?どこ……、楽器店?よかった。遊びに行っているのかと思った。

と楽しんでいるなら、邪魔をしては悪いからね」
 凄腕弁護士はエグイなと思いつつ脇をすり抜けようとすれば、やっぱり行く手を阻まれた。
(超音波でも出してんの?!コウモリなのかな?このヒト)
「用事はもうすぐ終わる?今日は僕が夕飯を作ろうと思うんだ。駅前のスーパーで待ち合わせをしよう。何時ごろ来られるかな」
(来ないという選択肢を与えないとは、さすが本職。見事な話術)
 逃亡を諦めたアイ子は呆れながらも、ほっとしていた。
 この流れならば、市島も萌黄(もえぎ)を拘束していられないだろう。
「わかった。じゃあ、待ってるから」
 通話を切ると同時にアイ子の手首をつかんで、千草(ちぐさ)はエントランスホールの壁際へと向かった。
「悪い虫とふたりきりになる機会は、なるべくつぶそうと思う」
「率直に極悪だし強引ですね」
 向き合って立つ千草(ちぐさ)を見上げ、アイ子はしかめっ面になる。
「連絡先を交換しよう」
「アタシとですか?」
「ふたりで出かけるようなことがあったら、僕に教えてほしい」
「えぇ~」
 そんな隠密みたいなマネ、萌黄(もえぎ)が知ったら嫌がるだろうなと思えば、とてもうなずく気にならない。
「くれぐれも萌黄(もえぎ)には内緒で。知ったら君にまで距離を取るだろうし、友情にひびを入れるのは本意ではない。お願いするよ、

。妹のことを心から心配してくれている、アイ子ちゃんにしか頼めない」
「その言い方、ズルくないですか?」 
「妹を守りたいんだ」
 さらに千草(ちぐさ)は深々とアイ子に頭を下げた。
「自分は愛される価値がないという、間違った認識を植え付けられてしまった妹が、これ以上傷つくのを見たくない」
「……頭を上げてくださいっ」
 いくら隅っことはいえ、繁華街にあるシティホテルのエントランス。
 出入りする大勢の人の目が、大人に頭を下げさせている女子高生に突き刺さってくる。
「わかった、わかりましたから!雪下(ゆきした)さん、お願いですから」
「そこは、”お兄さん”と呼んでほしいところかな」
 姿勢を戻した千草(ちぐさ)は、してやったりとでも言いたげな笑顔だ。
「”お兄ちゃん”でも大歓迎。兄という地位を失って久しいからね」
「御免被ります」
萌黄(もえぎ)だって雪下(ゆきした)だから、区別が必要だろう?そういえば」
 断固お断りを示したアイ子に、千草(ちぐさ)は意味深なまなざしを向ける。
「アイ子ちゃんは、人前で萌黄(もえぎ)のことを名前で呼ぶのをやめたんだね」
(げぇ、何で知ってんだこのヒト)
「考えてることがそのまま顔に出るね、アイ子ちゃんは。この駅は仕事でも通勤でも、頻繁に使うからね。偶然見かけていても、不思議ではないだろう?」
「あー、はいはい、偶然偶然。今日も偶然でしたよね。それだけご自分に都合のいい偶然が重なるなんて、雪下(ゆきした)さんは神に愛されてますね」
 「魔王だけどな!」と言いたいのをぐっと我慢して、アイ子は引きつった笑顔で千草(ちぐさ)を見上げた。
「ほら、”お兄ちゃん”と呼ぶのを忘れているよ。……萌黄(もえぎ)がハブられてからだよね。アイ子ちゃんが、その他大勢と同じあだ名で萌黄(もえぎ)を呼ぶようになったのは。幼なじみで親友という立場をただのクラスメートに落すことで、萌黄(もえぎ)を守ろうとしてくれたんだろう?」
「もー、やだこのヒト」
「おや、今回は声に出したんだ」
「隠したって、どうせバレるし」
気風(きっぷ)がいいところは評価してるよ。だけど、”お兄ちゃん”と呼べるまで、帰すことはできないかな」
「そんな約束いつしました?!それに、このあと萌黄(もえぎ)と待ち合わせしてますよね」
「一緒に行こうか。アイ子ちゃんもうちで夕飯を」
「お断りですっ。萌黄(もえぎ)に勘繰られちゃうじゃないですか。内緒にしたいって、雪下(ゆきした)さんが言ったんでしょ」
「お兄ちゃん」
「ぐ……、なんでそこまで……」
「僕たちは秘密裏に萌黄(もえぎ)を守る、共同戦線を張る仲間だろう?わかりましたと言ってくれたじゃないか。こういうことは仲間意識が大事なんだよ、アイ子ちゃん」
「……お、兄ちゃんは、ハードルが高いので」
 これはもう負けは確定、無罪判決は無理だろう。
 これ以上の抗弁を諦めたアイ子は、がっくりと肩を落とした。
千草(ちぐさ)さんだから……、千兄(せんにい)でどうでしょう」
 ぎりぎりのラインを提示したアイ子を見下ろして、千草(ちぐさ)は片眉を器用に上げる。
千兄(せんにい)か。うん、いいね。じゃあ、僕の登録名は千兄(せんにい)で」
 スマートフォンを差し出す千草(ちぐさ)に、今度はアイ子も素直に従った。
「泣き顔を見せてくれない萌黄(もえぎ)を、ひとりにしたくないんです。アタシだって」
「ありがとう、アイ子ちゃん」
 アイ子のスマートフォンが震えて、魔王との契約が終了した印が画面に映し出される。
 その画面を見つめれば、やっちまった感がハンパないけれど。
 でも、まあいいかとアイ子は思う。
 救いの手は神ではなくて、魔王からもたらされたけれど。
 萌黄(もえぎ)を守ってくれるなら、どっちでもいい。
「これからよろしく、千兄(せんにい)
「こちらこそ、アイ子ちゃん」
 守られる本人の知らないところで結ばれた同盟は、双方ニヤリとした笑顔で締結終了となった。
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