ここから始まるものがたり-前編-
文字数 3,764文字
俺と萌黄 さんの目の前で、アイ子さんがカバンをごそごそやっている。
「あれ、どこやったかな。ちっさいもんじゃないのに……」
「相変わらずカオスだねぇ、アイ子のバッグ」
「必要なもの全部詰め込むとさあ。……あ、あった!はい、お土産」
若干くしゃっとなっている紙袋にはギリシャ文字が印刷されていて、それがすでに、趣深いお土産みたいだ。
「出張って、ギリシャだったんだっけ」
「そう。はい、メーちゃんにはこれ」
「ありがとうございます。……お酒ですか?」
「OUZO っていって、香りで好き嫌いがわかれるんだけどさ。メロンでカクテル作ると色もきれいだし、おいしいんだよね。ほら」
画像検索したスマートフォンを俺に向けて、アイ子さんがニヤリと笑う。
「萌黄 色になるんですね。俺、これ好きです」
「飲んでから言え、飲んでから。まあ、そう言うとは思ってたけど。……ふはぁ~、おいしい!生き返るぅ~」
アイ子さんが傾けたジョッキのビールが、一瞬で半分ほどに減った。
「これなに?」
袋から出した黄色い物体をモニモニともみながら、萌黄 さんが首を傾けている。
「天然海綿。それとこれ、……はい」
「オリーブ石鹸だね」
「そう。セットで使うと萌黄 のお肌ツルツル、メーちゃん喜ぶ、一石二鳥のお土産かと思って」
「え?!な、なに言って……」
両手に持つ石鹸と海綿とやらで顔を隠す萌黄 さん、カワイイなあ。
……写真、撮っちゃおうかな。
「萌黄 、気をつけろ~。メーちゃんの手が携帯に伸びてるぞ。盗撮は犯罪だからな、エロ羊」
「盗撮なんかしませんよ」
ムッとしながら、俺はOUZO をボディバッグにしまった。
「堂々と真正面から撮ります。萌黄 さん、写真撮るよ」
「珍しいもんね、天然海綿って」
「そうじゃない」
「くぁっはははは!くは、くぁはは!」
まったく。
アイ子さんの笑い方はやっぱりヘンテコリンで、聞いていると気が抜けてしまう。
それからしばらく、アイ子さんの土産話やバンドの近況などの他愛ない話をして、飲んで食べて。
アイ子さんがビールからジントニックに切り替えた、最初の一杯がテーブルに運ばれた。
「そういや就職が決まったんだっけ。オメデト、メーちゃん」
「ありがとうございます」
目の高さにグラスを上げたアイ子さんに、ここは素直に頭を下げる。
「Συγχαρητήρια .Καλή συνέχεια.」
「え、なんて?」
突然、不思議言語を操りだしたアイ子さんに、目が点になった。
シグハリティリア、カリ・シネヒアって聞こえたけど、合ってるかな。
「ギリシャ語ですか?」
「そ。おめでとー、これからもお気張りやーってね」
「アイ子さんって、ギリシャ語もしゃべれるんですか」
「挨拶程度だけどね」
アイ子さんはしれっとそう言うけど、絶対ウソだろう。
いや、ウソというより、アイ子さん基準の語学力では「挨拶程度の実力しかない」ってことなんだろうな。
本当にデキル大先輩だな、アイ子さんって。
「それにしても、引く手あまただったんだって?経理畑の資格を持ってるから、うなずける話だけど」
「そうでもないです。ちゃんと苦労しましたよ。てか、なんで知ってるんですか?」
「だーってさ」
チェシャ猫みたいに笑うアイ子さんが、滴る緑を閉じ込めたグラスを唇に当てる。
「萌黄 がうるさかったもん。”私のカレピってすごいの!有望株なんだからぁ~”」
「そんな言い方してないでしょっ」
甘えた甲高い声を出したアイ子さんに向かって、萌黄 さんがおしぼりを投げた。
……む、既視感のある光景だぞ。
「自覚がないのかねぇ。んで、結婚式はどうするの?」
「ブホっ」
「やだぁ、萌黄 さんったらお行儀悪~い」
飲んでいたソルティドッグを吹き出した萌黄 さんに、今度はアイ子さんからおしぼりが投げ返される。
あたふたと喉元を拭いている様子が微笑ましくて、じっと見ていたら、真っ赤な顔をした萌黄 さんがにらんできた。
……そんな顔、カワイイだけだけどね。
「見ないでっ」
「わかった、手伝う」
胸元に垂れ流れた雫におしぼりを当てた俺の手を、萌黄 さんがペチンっと叩く。
「手伝わなくていい」
「じゃあ見てる」
「バカ」
「あー、結婚式はどーするのかなー」
棒読み口調に俺たちが顔を上げると、苦り切った顔をしたアイ子さんがそっぽを向いていた。
「俺が落ち着いたらすぐにでもって考えてるんです。この間、両家の顔合わせの食事会があって」
「へぇ」
横を向いたまま、早く続きを話せという目だけが寄越される。
「そんとき、……ふっ」
「なに笑ってんのさ」
「いや、木場野 家の面々を思い出したら……」
イケオジ高級官僚とイケメン弁護士の雪下 家を前に、縮こまっていた庶民派代表木場野 家を思い出すと、どうにも笑えてしかたがない。
とくに兄などは、頭がどうかしたのかと心配になるほどおとなしかった。
しかも、その食事会のあと。
「オマエ、よくあの人と平気で話できんな。ちょっと見直したわ」
「あの人って、もしかして千草 さん?話ってか、からかわれてただけだろ」
「十分じゃねぇか。だって、必要なかったら口も利かないタイプだろ、あの人」
「……ほぉ」
不本意にも、生まれて初めて兄を見直してしまった。
ただの暴虐かと思っていたら、洞察力はある暴虐だったらしい。
そんなこんなで、緊張感に満ち満ちて始まった食事会だけど、あのサクサクのパリパリ「エビの変わり揚げ」の美味しさの前に一気に空気が緩んだのは、食いしん坊万歳一家の面目躍如だったと思う。
「萌黄 さんとふたりだけの式でもいいと思ってるって言ったら、俺の母親が”そんなの許さんっ。絶対、萌黄 さんのウィディングドレスは見たい。できれば一緒に選びたい!こんな娘が欲しかったんだから!!”って騒ぐから」
「……へぇ」
正面を向いてくれたアイ子さんが傾けるグラスの中の氷が、カランと涼やかな音を立てた。
「いいヒトじゃん。メーちゃんのお母様って」
「そうなの」
目を伏せた萌黄 さんをそっと伺うと、その唇には柔らかな微笑みが浮かんでいる。
「なんでもホメてくれるの。それこそほんの些細な、当たり前の気遣いにまで”こんなできた娘さんはいない”って、目をウルウルさせるの。……”お母さん”って、こんな感じなんだなって」
「よかったね、萌黄 。メーちゃんに出会えて」
「……うん」
「いい性格してるしね、あのコ」
「いや、俺ここにいますし。しかも、ほめてないですよね、それって」
「うっさい!感動のシーンに水を差すなっ」
今度はアイ子さんのおしぼりが俺に投げつけられた。
これは、修学旅行の枕投げ的な?
ならば投げ返したほうがいいんだろうかと悩む俺を無視して、親友ふたりの話は進んでいく。
「結婚式の会場とかって、決めてるの?」
「まだ全然」
「そっか。あのさ」
アイ子さんの目がキラっと光った。
「アタシらの高校、名所巡り的マラソンコースがあったじゃん」
「「ああ、六校?」」
俺と萌黄 さんの声がそろう。
俺たちの母校には、運動部が校外を走るコースがいくつかあるのだが。
そのうちのひとつ、点在する六つの学校を巡るコースは、伝統的に「六校」と呼び習わされている。
「あの道中って、教会とか洋館レストランがあったよね」
「その昔、有名ミュージシャンが結婚式を挙げたって聞きましたけど、あの教会」
「そうそう。そんで途中にある洋館って貸し切りもできるから、あの辺りってどう?派手になり過ぎないし、思い出の地でもあるわけじゃん」
「ああ、懐かしいなぁ」
萌黄 さんが遠い目をして微笑んでいる。
「部活終わりに、港が見下ろせる公園まで行ったこともあるよね」
「え、そんなことあった?あんな遠くまで行くわけ、あっ」
萌黄 さんとアイ子さんがふたりして、「はっ!」とした顔を見合わせた。
その不自然な様子に俺がふたりを見比べていると、アイ子さんが萌黄 さんに咎 めるような視線を向けている。
ふぅ~ん。
なんか、わかっちゃったぞ。
「……それって誰と行ったの、萌黄 さん」
半眼で隣を見下ろすと、萌黄 さんの目がウロウロと怪しく泳ぎだした。
「えっと、だ、誰だったかなぁ。……忘れちゃったなぁ」
「まあ、しかたないよね。そのころの俺はただの小学生だったし。でもさ、俺が高校生になったって、萌黄 さんからは放置プレイだったし」
「ちょ、言い方っ。高一のときから、おつき合いしてるでしょ」
「そういやメーちゃん、いっちーのこと黙らせてたもんね。アッパレ、アッパレ。てか、そう思うと長いよねぇ、ふたりって」
「長いけど、俺には高校の思い出がない」
「合宿で、とっても大切な思い出があるよね?」
「制服デートとかしてないっ」
「コスプレをしろと?!」
「そんなのさあ」
一気にグラスをあおったアイ子さんが、呆れた様子でお代わりを頼んでいる。
「思い出なんて、今から作ればいいじゃん。周りなよ六校。……結婚式の下見も兼ねてさ」
ニマニマしているアイ子さんのアイデアに、俺のご機嫌は急上昇だ。
……我ながら単純だと思うけど。
「そうしよう、萌黄 さん!明日のデート、変更です。校門前で待ち合わせです!」
「なんだか覚えのあるセリフだなぁ。はいはい、わかりました。何時にしよう?」
「朝の6時!朝練します!」
「「アホかっ!」」
女性陣からたしなめられた俺は、しぶしぶ待ち合わせ9時を了承した。
「あれ、どこやったかな。ちっさいもんじゃないのに……」
「相変わらずカオスだねぇ、アイ子のバッグ」
「必要なもの全部詰め込むとさあ。……あ、あった!はい、お土産」
若干くしゃっとなっている紙袋にはギリシャ文字が印刷されていて、それがすでに、趣深いお土産みたいだ。
「出張って、ギリシャだったんだっけ」
「そう。はい、メーちゃんにはこれ」
「ありがとうございます。……お酒ですか?」
「
画像検索したスマートフォンを俺に向けて、アイ子さんがニヤリと笑う。
「
「飲んでから言え、飲んでから。まあ、そう言うとは思ってたけど。……ふはぁ~、おいしい!生き返るぅ~」
アイ子さんが傾けたジョッキのビールが、一瞬で半分ほどに減った。
「これなに?」
袋から出した黄色い物体をモニモニともみながら、
「天然海綿。それとこれ、……はい」
「オリーブ石鹸だね」
「そう。セットで使うと
「え?!な、なに言って……」
両手に持つ石鹸と海綿とやらで顔を隠す
……写真、撮っちゃおうかな。
「
「盗撮なんかしませんよ」
ムッとしながら、俺は
「堂々と真正面から撮ります。
「珍しいもんね、天然海綿って」
「そうじゃない」
「くぁっはははは!くは、くぁはは!」
まったく。
アイ子さんの笑い方はやっぱりヘンテコリンで、聞いていると気が抜けてしまう。
それからしばらく、アイ子さんの土産話やバンドの近況などの他愛ない話をして、飲んで食べて。
アイ子さんがビールからジントニックに切り替えた、最初の一杯がテーブルに運ばれた。
「そういや就職が決まったんだっけ。オメデト、メーちゃん」
「ありがとうございます」
目の高さにグラスを上げたアイ子さんに、ここは素直に頭を下げる。
「Συγχαρητήρια .Καλή συνέχεια.」
「え、なんて?」
突然、不思議言語を操りだしたアイ子さんに、目が点になった。
シグハリティリア、カリ・シネヒアって聞こえたけど、合ってるかな。
「ギリシャ語ですか?」
「そ。おめでとー、これからもお気張りやーってね」
「アイ子さんって、ギリシャ語もしゃべれるんですか」
「挨拶程度だけどね」
アイ子さんはしれっとそう言うけど、絶対ウソだろう。
いや、ウソというより、アイ子さん基準の語学力では「挨拶程度の実力しかない」ってことなんだろうな。
本当にデキル大先輩だな、アイ子さんって。
「それにしても、引く手あまただったんだって?経理畑の資格を持ってるから、うなずける話だけど」
「そうでもないです。ちゃんと苦労しましたよ。てか、なんで知ってるんですか?」
「だーってさ」
チェシャ猫みたいに笑うアイ子さんが、滴る緑を閉じ込めたグラスを唇に当てる。
「
「そんな言い方してないでしょっ」
甘えた甲高い声を出したアイ子さんに向かって、
……む、既視感のある光景だぞ。
「自覚がないのかねぇ。んで、結婚式はどうするの?」
「ブホっ」
「やだぁ、
飲んでいたソルティドッグを吹き出した
あたふたと喉元を拭いている様子が微笑ましくて、じっと見ていたら、真っ赤な顔をした
……そんな顔、カワイイだけだけどね。
「見ないでっ」
「わかった、手伝う」
胸元に垂れ流れた雫におしぼりを当てた俺の手を、
「手伝わなくていい」
「じゃあ見てる」
「バカ」
「あー、結婚式はどーするのかなー」
棒読み口調に俺たちが顔を上げると、苦り切った顔をしたアイ子さんがそっぽを向いていた。
「俺が落ち着いたらすぐにでもって考えてるんです。この間、両家の顔合わせの食事会があって」
「へぇ」
横を向いたまま、早く続きを話せという目だけが寄越される。
「そんとき、……ふっ」
「なに笑ってんのさ」
「いや、
イケオジ高級官僚とイケメン弁護士の
とくに兄などは、頭がどうかしたのかと心配になるほどおとなしかった。
しかも、その食事会のあと。
「オマエ、よくあの人と平気で話できんな。ちょっと見直したわ」
「あの人って、もしかして
「十分じゃねぇか。だって、必要なかったら口も利かないタイプだろ、あの人」
「……ほぉ」
不本意にも、生まれて初めて兄を見直してしまった。
ただの暴虐かと思っていたら、洞察力はある暴虐だったらしい。
そんなこんなで、緊張感に満ち満ちて始まった食事会だけど、あのサクサクのパリパリ「エビの変わり揚げ」の美味しさの前に一気に空気が緩んだのは、食いしん坊万歳一家の面目躍如だったと思う。
「
「……へぇ」
正面を向いてくれたアイ子さんが傾けるグラスの中の氷が、カランと涼やかな音を立てた。
「いいヒトじゃん。メーちゃんのお母様って」
「そうなの」
目を伏せた
「なんでもホメてくれるの。それこそほんの些細な、当たり前の気遣いにまで”こんなできた娘さんはいない”って、目をウルウルさせるの。……”お母さん”って、こんな感じなんだなって」
「よかったね、
「……うん」
「いい性格してるしね、あのコ」
「いや、俺ここにいますし。しかも、ほめてないですよね、それって」
「うっさい!感動のシーンに水を差すなっ」
今度はアイ子さんのおしぼりが俺に投げつけられた。
これは、修学旅行の枕投げ的な?
ならば投げ返したほうがいいんだろうかと悩む俺を無視して、親友ふたりの話は進んでいく。
「結婚式の会場とかって、決めてるの?」
「まだ全然」
「そっか。あのさ」
アイ子さんの目がキラっと光った。
「アタシらの高校、名所巡り的マラソンコースがあったじゃん」
「「ああ、六校?」」
俺と
俺たちの母校には、運動部が校外を走るコースがいくつかあるのだが。
そのうちのひとつ、点在する六つの学校を巡るコースは、伝統的に「六校」と呼び習わされている。
「あの道中って、教会とか洋館レストランがあったよね」
「その昔、有名ミュージシャンが結婚式を挙げたって聞きましたけど、あの教会」
「そうそう。そんで途中にある洋館って貸し切りもできるから、あの辺りってどう?派手になり過ぎないし、思い出の地でもあるわけじゃん」
「ああ、懐かしいなぁ」
「部活終わりに、港が見下ろせる公園まで行ったこともあるよね」
「え、そんなことあった?あんな遠くまで行くわけ、あっ」
その不自然な様子に俺がふたりを見比べていると、アイ子さんが
ふぅ~ん。
なんか、わかっちゃったぞ。
「……それって誰と行ったの、
半眼で隣を見下ろすと、
「えっと、だ、誰だったかなぁ。……忘れちゃったなぁ」
「まあ、しかたないよね。そのころの俺はただの小学生だったし。でもさ、俺が高校生になったって、
「ちょ、言い方っ。高一のときから、おつき合いしてるでしょ」
「そういやメーちゃん、いっちーのこと黙らせてたもんね。アッパレ、アッパレ。てか、そう思うと長いよねぇ、ふたりって」
「長いけど、俺には高校の思い出がない」
「合宿で、とっても大切な思い出があるよね?」
「制服デートとかしてないっ」
「コスプレをしろと?!」
「そんなのさあ」
一気にグラスをあおったアイ子さんが、呆れた様子でお代わりを頼んでいる。
「思い出なんて、今から作ればいいじゃん。周りなよ六校。……結婚式の下見も兼ねてさ」
ニマニマしているアイ子さんのアイデアに、俺のご機嫌は急上昇だ。
……我ながら単純だと思うけど。
「そうしよう、
「なんだか覚えのあるセリフだなぁ。はいはい、わかりました。何時にしよう?」
「朝の6時!朝練します!」
「「アホかっ!」」
女性陣からたしなめられた俺は、しぶしぶ待ち合わせ9時を了承した。