不安の種
文字数 3,023文字
さっきからヨースケは、大きな体を小さくして、上目遣いでトクベツちゃんを見てる。
「萌黄 さん、ほら、ラッキーが退屈しちゃってるからさ。散歩させてあげない?」
「ラッキーは寛 いでいるように見えます。羊介 くん、黙って入れたアプリをアンインストールしてください。監視されるほど信用がないなんて悲しい」
「だから、違くて」
レジャーシートで向かい合って座ってるふたりの間には、1台のスマートフォン。
寝る前と起きてすぐに、ヨースケが長いこと眺めてニヤニヤしてるのと同じものだけど、トクベツちゃんのものみたい。
「なにが違うの?」
「だって……」
ヨースケがしおしおとうなだれた。
最近じゃ、おかあさんに怒られたって、あんな顔しないのに。
「萌黄 さんの居場所がわからなくなるのは、怖いんだ」
「まだ不安?」
険しかったトクベツちゃんの顔が優しくなる。
「萌黄 さんにはわからないよ」
小声で訴えたヨースケは、とうとうシートの上につっぷしちゃった。
うん、久しぶりに見たな。
あれは、兄ちゃんとケンカして負けたときの「悔し土下座」ポーズだ。
小学生のころはちょっとかわいいなって思ったけど、今のヨースケがやると、でっかいダンゴムシみたいだぞ。
「毎日毎日、プールサイドで待ってた。毎日毎日、ケータイに連絡が来てないかなってのぞいてた。不安になるたび手紙を読んで、モエギおねえさんが嘘つくはずない、だけど、どうして連絡くれないんだろうって」
「羊介 くん……」
仕方なさそうに笑ったトクベツちゃんが、ヨースケの頭をよしよしってなでる。
「でもね、内緒で位置情報アプリを入れるのはどうかと思う」
「内緒じゃなきゃいいの?」
ダンゴムシのままの姿勢で、羊介 は顔を上げた。
「萌黄 さん、アプリ入れといたから」
「違う、そうじゃない」
「なんでバレた?萌黄 さん、こういうの得意じゃないじゃん」
「まあ、実際に見つけたわけじゃなくて、実は半分はったりだったんだけど」
ヨースケが「しまった!」と書いてあるような顔になる。
「おかしいなぁって思ったの。体育準備室にいるのが見つかったときに。確信したのは昨日の夜。予備校もないから、偶然出くわしたわけじゃない。わざわざ迎えに来てくれたんだな、でも、どうして教えなかった場所がわかったんだろうって」
不自然な格好のまま、眉毛を八の字にしているヨースケをトクベツちゃんがのぞきこんだ。
「前にね、これと似たようなことされたのよ。アプリじゃなかったんだけど、キーファインダー?あれを持たされちゃってね」
「
ヨースケがゆっくりと起き上がって、トクベツちゃんと目を合わせる。
「アイ子が言ってたでしょ?卒業してからも、市島くんが私の周りをうろちょろしてたって」
トクベツちゃんに顔を寄せたヨースケの目が、兄ちゃんとケンカする前みたいに、凶悪な感じで細くなった。
◇
浪人生活から解放された、大学1年の後期が始まったころ。
晴れて大学生になったというのに、羊介 くんと連絡が取れずにいることが、常に胸を苛 んでいた。
あんなに慕ってくれていたのに、どれだけ傷つけてしまっただろうか。
いや、水泳コーチが「カッコよくなってモテまくり」と言っていたから、きっと楽しくやってるだろう。
私のことなんて、もう忘れているかもしれない。
……でも……。
何をしていても、ふと心残りに沈む私の気持ちを知っているアイ子から、ゴールデンウィークの同窓会以来のお誘いがかかった。
「夕方待ち合わせしてさ、ミュージカル見に行こうよ。チケット取ったから!」
それは、浪人中から見たいと思っていた舞台。
「嬉しい!ありがとう」
アイ子と久しぶりにおしゃべりできるのも嬉しくて、二つ返事で了解した。
待ち合わせした駅についてスマートフォンを確認すると、約束の時間までにはだいぶ間がある。
ひとりでお茶をする気分でもないなと思った私は、ふと、スクランブル交差点を渡ったところに、おシャレな雑貨やインテリア、文房具用品などを集めたビルがあることを思い出した。
(そろそろクリアファイルを新しくしたいな。付箋もカワイイのがあるといいけど)
目的の階に到着すると、まっすぐに文房具売り場へと向かう。
(……日本のカエルファイル?買おうかな。持ってかえるファイル……。”ランドセルから取り出しやすい”って、これ)
羊介 くんに見せたら笑ってくれるかなと手を伸ばして、そのまま動けなくなってしまった。
もう、彼は小学生ではないのだと思い出したから。
ゆっくりと腕を下ろして、呆然とファイルを眺めていた背中から、急に声がかかった。
「よう、久しぶりだな。相変わらずカエル好きかよ」
振り向く暇もなく、同じ棚に手を伸ばしてきた人物が隣に立つ。
「い、市島、くん?」
「おぅ。元気にしてた?」
今年の同窓会は欠席と聞いてたのに、会場でその姿を見かけたときにも驚いたけれど。
それと同じくらい動揺してしまう。
「おまえの大学の最寄、ここじゃねぇじゃん。なんでいんの?こんなとこ」
「……あなたも違うわよね」
ちょっと横にずれて距離を取れば、相手もその分こっちに寄ってきた。
「バンド組んでるって言ったろ。今日はその練習日。借りてるスタジオがこの近くなんだ」
「へぇ、そうなんだ。充実した毎日だね。よかったね。じゃあね」
「そんなすぐに帰ろうとすんなよ、冷てぇなあ」
「……え?」
取られた腕をまじまじと見つめてしまう。
同窓会で二言三言、言葉を交わしたけれど。
それは挨拶以上のものではなかったし、あの卒業式でやらかしたことに対する釈明も、一切なかった。
それなのに、何事もなかったかのような、この気安い態度はなんなのだろう。
「待ち合わせ時間に遅れるから」
そう言うと、案外素直に腕を離してくれたことには、ほっとしたけれど。
下りのエスカレーターに向かおうと急ぐ後ろから、相手は何食わぬ顔でついてくる。
「誰と待ち合わせ?」
「アイ子」
「いまだに金魚のフンか」
「嫌な言い方するね。同窓会以来よ」
「ああ、同窓会、な」
「あなたは欠席って聞いてたけど、いたわね」
「用事が急になくなったから。なに、いないほうがよかった?」
「より楽しめた」
「いいカウンターだなあ」
背後でクツクツと笑われるのも居心地が悪い。
「オレのバンド、サックスばっか多くてペットが薄いんだよな。おまえ、入らねぇ?」
「大学のサークルで、トランペット吹いてるから」
「そんなに頻繁に活動してねぇよ」
「バイトもしてるから」
「バイト?してるんだ。……ふぅん」
その、奥歯に物がぎゅうぎゅうに挟まったような言い方はなんだろう。
大学生なのだから、バイトくらいしてもおかしくないでしょうに。
「おまえんち、バイトとかダメかと思ってた。家族が厳しそうだから」
「ああ」
なるほど、そういうことね。
高校生のときは門限が厳しかったから、そう思われても仕方がないのかもしれない。
「大学生になったから、とくに反対はされなかったよ」
とうとう会話が途切れないまま、出口まで来てしまった。
「じゃあ、バンド頑張って」
ここでサヨナラだという決意を込めて見上げれば、にやっと片頬を上げる、見慣れた笑顔が返ってくる。
「鬼龍院 の顔も見ていくかな」
「あなたが視界に入ったとたんに帰っちゃうわよ。やめて」
「はははっ!それもそうだな。じゃあ、またな」
「サヨナラ」
「また」なんてあるか!
そう思ったのだけれど。
「
「ラッキーは
「だから、違くて」
レジャーシートで向かい合って座ってるふたりの間には、1台のスマートフォン。
寝る前と起きてすぐに、ヨースケが長いこと眺めてニヤニヤしてるのと同じものだけど、トクベツちゃんのものみたい。
「なにが違うの?」
「だって……」
ヨースケがしおしおとうなだれた。
最近じゃ、おかあさんに怒られたって、あんな顔しないのに。
「
「まだ不安?」
険しかったトクベツちゃんの顔が優しくなる。
「
小声で訴えたヨースケは、とうとうシートの上につっぷしちゃった。
うん、久しぶりに見たな。
あれは、兄ちゃんとケンカして負けたときの「悔し土下座」ポーズだ。
小学生のころはちょっとかわいいなって思ったけど、今のヨースケがやると、でっかいダンゴムシみたいだぞ。
「毎日毎日、プールサイドで待ってた。毎日毎日、ケータイに連絡が来てないかなってのぞいてた。不安になるたび手紙を読んで、モエギおねえさんが嘘つくはずない、だけど、どうして連絡くれないんだろうって」
「
仕方なさそうに笑ったトクベツちゃんが、ヨースケの頭をよしよしってなでる。
「でもね、内緒で位置情報アプリを入れるのはどうかと思う」
「内緒じゃなきゃいいの?」
ダンゴムシのままの姿勢で、
「
「違う、そうじゃない」
「なんでバレた?
「まあ、実際に見つけたわけじゃなくて、実は半分はったりだったんだけど」
ヨースケが「しまった!」と書いてあるような顔になる。
「おかしいなぁって思ったの。体育準備室にいるのが見つかったときに。確信したのは昨日の夜。予備校もないから、偶然出くわしたわけじゃない。わざわざ迎えに来てくれたんだな、でも、どうして教えなかった場所がわかったんだろうって」
不自然な格好のまま、眉毛を八の字にしているヨースケをトクベツちゃんがのぞきこんだ。
「前にね、これと似たようなことされたのよ。アプリじゃなかったんだけど、キーファインダー?あれを持たされちゃってね」
「
持たされた
?なにそれ。どゆこと?」ヨースケがゆっくりと起き上がって、トクベツちゃんと目を合わせる。
「アイ子が言ってたでしょ?卒業してからも、市島くんが私の周りをうろちょろしてたって」
トクベツちゃんに顔を寄せたヨースケの目が、兄ちゃんとケンカする前みたいに、凶悪な感じで細くなった。
◇
浪人生活から解放された、大学1年の後期が始まったころ。
晴れて大学生になったというのに、
あんなに慕ってくれていたのに、どれだけ傷つけてしまっただろうか。
いや、水泳コーチが「カッコよくなってモテまくり」と言っていたから、きっと楽しくやってるだろう。
私のことなんて、もう忘れているかもしれない。
……でも……。
何をしていても、ふと心残りに沈む私の気持ちを知っているアイ子から、ゴールデンウィークの同窓会以来のお誘いがかかった。
「夕方待ち合わせしてさ、ミュージカル見に行こうよ。チケット取ったから!」
それは、浪人中から見たいと思っていた舞台。
「嬉しい!ありがとう」
アイ子と久しぶりにおしゃべりできるのも嬉しくて、二つ返事で了解した。
待ち合わせした駅についてスマートフォンを確認すると、約束の時間までにはだいぶ間がある。
ひとりでお茶をする気分でもないなと思った私は、ふと、スクランブル交差点を渡ったところに、おシャレな雑貨やインテリア、文房具用品などを集めたビルがあることを思い出した。
(そろそろクリアファイルを新しくしたいな。付箋もカワイイのがあるといいけど)
目的の階に到着すると、まっすぐに文房具売り場へと向かう。
(……日本のカエルファイル?買おうかな。持ってかえるファイル……。”ランドセルから取り出しやすい”って、これ)
もう、彼は小学生ではないのだと思い出したから。
ゆっくりと腕を下ろして、呆然とファイルを眺めていた背中から、急に声がかかった。
「よう、久しぶりだな。相変わらずカエル好きかよ」
振り向く暇もなく、同じ棚に手を伸ばしてきた人物が隣に立つ。
「い、市島、くん?」
「おぅ。元気にしてた?」
今年の同窓会は欠席と聞いてたのに、会場でその姿を見かけたときにも驚いたけれど。
それと同じくらい動揺してしまう。
「おまえの大学の最寄、ここじゃねぇじゃん。なんでいんの?こんなとこ」
「……あなたも違うわよね」
ちょっと横にずれて距離を取れば、相手もその分こっちに寄ってきた。
「バンド組んでるって言ったろ。今日はその練習日。借りてるスタジオがこの近くなんだ」
「へぇ、そうなんだ。充実した毎日だね。よかったね。じゃあね」
「そんなすぐに帰ろうとすんなよ、冷てぇなあ」
「……え?」
取られた腕をまじまじと見つめてしまう。
同窓会で二言三言、言葉を交わしたけれど。
それは挨拶以上のものではなかったし、あの卒業式でやらかしたことに対する釈明も、一切なかった。
それなのに、何事もなかったかのような、この気安い態度はなんなのだろう。
「待ち合わせ時間に遅れるから」
そう言うと、案外素直に腕を離してくれたことには、ほっとしたけれど。
下りのエスカレーターに向かおうと急ぐ後ろから、相手は何食わぬ顔でついてくる。
「誰と待ち合わせ?」
「アイ子」
「いまだに金魚のフンか」
「嫌な言い方するね。同窓会以来よ」
「ああ、同窓会、な」
「あなたは欠席って聞いてたけど、いたわね」
「用事が急になくなったから。なに、いないほうがよかった?」
「より楽しめた」
「いいカウンターだなあ」
背後でクツクツと笑われるのも居心地が悪い。
「オレのバンド、サックスばっか多くてペットが薄いんだよな。おまえ、入らねぇ?」
「大学のサークルで、トランペット吹いてるから」
「そんなに頻繁に活動してねぇよ」
「バイトもしてるから」
「バイト?してるんだ。……ふぅん」
その、奥歯に物がぎゅうぎゅうに挟まったような言い方はなんだろう。
大学生なのだから、バイトくらいしてもおかしくないでしょうに。
「おまえんち、バイトとかダメかと思ってた。家族が厳しそうだから」
「ああ」
なるほど、そういうことね。
高校生のときは門限が厳しかったから、そう思われても仕方がないのかもしれない。
「大学生になったから、とくに反対はされなかったよ」
とうとう会話が途切れないまま、出口まで来てしまった。
「じゃあ、バンド頑張って」
ここでサヨナラだという決意を込めて見上げれば、にやっと片頬を上げる、見慣れた笑顔が返ってくる。
「
「あなたが視界に入ったとたんに帰っちゃうわよ。やめて」
「はははっ!それもそうだな。じゃあ、またな」
「サヨナラ」
「また」なんてあるか!
そう思ったのだけれど。