腹いせの暴発
文字数 3,142文字
引きちぎられたチェーンに引っ掛かっているリングを目の上にかざし、仰 ぎ見た雷 の目がすぅっと細くなる。
「なんだこれ、指輪?」
「返せ!」
伸ばされた木場野 の腕を、雷 はひょいとよけた。
「へー、羊ちゃんのシルバーリングなんだ。かっわいーの持ってんねぇ。年上カノジョの趣味ぃ?」
酔いが回り、白目を充血させた雷 の友人が、チェーンにぶら下がっている指輪をしきり突 く。
「触んなっ、返せって!」
「おっと~」
木場野 の手が指輪に触れそうになった瞬間、酔っぱらいの友人が、雷 からそれをひったくって走り出した。
「ほら、こっちこっちぃ~」
「ははっ、それサイコー!」
その意図を察した雷 は、すぐに友人に追い始める。
「いっかづちぃ~、ほれっ」
「よっと。……ほらよ!」
ふたりは木場野 の指輪をパスし合いながら、走って宿泊所を出ていった。
「待てよっ」
木場野 の大声で珊瑚 が我に返ると、外に飛び出していく背中が目に入る。
(これってまずいんじゃ……)
外からトイレに来た雷 たちとは違い、珊瑚 の足元は館内用のスリッパ。
ならば木場野 はと見ると、彼は裸足のまま飛び出していったようだ。
「ほーい、イカヅチ!」
「それ!」
追いすがる木場野 の向こうで、酔っぱらいペアは楽しそうに指輪を投げ合っては、笑い声をあげている。
「ほらほら、木場野 ちゃんガンバって!カノジョさん泣いちゃうよー」
靴に履き替えた珊瑚 がやっと木場野 に追いついたのは、外灯に照らされた宿泊所駐車場。
「っ!」
木場野 の横顔に、思わず珊瑚 の足が止まりそうになった。
それは、泣くのを堪 えている小さな男の子のようで。
頼る者を見失って、不安で仕方がない迷子の顔をする木場野 が、必死で指輪を取り返そうとしている。
「ねぇ、もういい加減にしなって!」
「んだよ、おれの味方じゃないのかよ!」
取りなそうとする珊瑚 と怒鳴り返した雷 の大声に、花火を手にした仲間たちが一斉にこちらを振り返った。
「なにやってんだ、お前たちっ」
「ほぅ~ら、こっちこっち!」
リーダー外波山 の問い質しも無視した酔っ払いの友人は、花火に浮かび上がる湖岸へと走り込んで手招きをしている。
雷 との距離を考えれば、届くわけがない。
「やめなさいよっ」
叫んだ珊瑚 の目の前で、雷 が大きく腕を振りかぶり、遠投のようにして指輪を投げ放った。
「うぁー、暴投じゃねぇかっ、イカヅチってばー」
腹立たしいほど間抜けな声を上げて、友人が腕を伸ばして体を反らせる。
が。
……ちゃぽん……
それは耳を澄まさなければ聞こえないほどの、とても小さな音だった。
「あ~あ~。イカヅチはノーコンだなぁ」
湖に落ちていった指輪を目で追って、酔っ払いの友人はわざとらしく両手を広げる。
「あんたたちサイテーって、木場野 君?!」
「木場野 ?!」
「どうしたの?」
珊瑚 と外波山 、そして合宿リーダーの声が重なった。
突っ立っている雷 とその友人、そしてメンバーたち全員が息を飲むなか、木場野 が湖を進むバシャバシャという派手な水音だけが響く。
「ばかヤロっ、夜の湖に入るな!」
慌てて駆け寄り、引き止めようとしたサブリーダー安心院 を数歩引きずると、木場野 は乱暴にその手を振り払った。
「どうしたんだよ、木場野 !」
外波山 の声など、まるで耳に入らないかのように。
しゃがみ込んだ木場野 は両手を湖に突っ込むと、ただひたすらに湖底の砂をさらい始める。
「……おい、何があった」
振り返った外波山 険しい目に、酔っ払いの友人と雷 はキョドキョドと目を泳がせた。
「いや、ちょっとふざけちゃったっていうか、な?」
「まあ、うん……」
「木場野 、立てっての、バカっ」
安心院 が木場野 の脇に両手を入れて引き起こそうとするが、その体はびくともしない。
「おふざけであんなになんのか、雷 。……ん?お前っ」
雷 に近寄った外波山 の顔がしかめられた。
「飲んでんのか」
「ちょっとだけっすよ~、ほんの一口、ひぃっ!」
鬼の形相になった外波山 に、雷 の友人が首をすくめた、次の瞬間。
ガシャンっ!
外波山 が力任せに、水の入ったバケツを蹴り飛ばした。
「絶対ダメだって言ったよな!夜の水辺でのイベントにアルコールは。……お前らふたりは部屋に戻っとけ。……撤収!!」
暗い湖岸に、外波山 の大声が響き渡った。
「ルール違反者が出た!今年の花火はこれでおしまいだっ。片付け班、未使用分も合わせて水につけて処分しろ。ほかのメンバーは指示があるまで、各部屋で待機!」
もう花火など楽しむ雰囲気ではなくなっているが、メンバーたちは戸惑う顔を見合わせ、なかなか動き出そうとしない。
「外波山 先輩」
雷 たちをちらりと見た合宿リーダーに、外波山 はうなずき返した。
「木場野 は俺と安心院 でどうにかする。みんなを部屋に誘導して。絶対に出ないようにって、もう一回伝えて。あのバカふたりはリーダー部屋に隔離だな。酒が入ってるみたいだし」
「わかりました。みんな、戻るよ!!」
合宿リーダーの指示に、片付け班以外のメンバーたちの足が、やっと動き始める。
「ああ、天海 」
木場野 を気にしながらも、指示に従おうとした珊瑚 に、外波山 の重い声がかかった。
「お前にも聞きたいことがあるから、リーダー部屋な。……天海 と一緒に行動して。あと、懐中電灯は一個置いてって」
「はい」
合宿リーダーが珊瑚 の背に手を当てて、移動を促す。
「見回りを手伝ってくれるかな。そのあと、一緒にリーダー部屋に行こう」
「……はい」
顔色を悪くした珊瑚 は、うつむくようにうなずき、集団からひとり遅れてトボトボと宿泊所に戻っていった。
湖から上がろうとはしない木場野 の、その手は何かに取り憑 かれたように止まらない。
「あ、トバは来なくていい」
湖に入ろうとした外波山 を、木場野 の脇に手を入れたまま安心院 が止めた。
「多分これ、ムリだわ。……木場野 、木場野 、上がろう。風邪ひくぞ」
だが、何度声をかけても、力いっぱい引っ張っても。
木場野 はびくともせずに、一心に湖をのぞき込んで、水底の砂をさらい続けている。
「安心院 、やっぱり」
「ふたりで濡れるだけだよ。それよりほかにいい方法、考えて。……いてぇ、足の感覚、なくなってきた」
真夏とはいえ、湖の水は冷たい。
安心院 は左右交互に足を上げながら、それでも木場野 を引き起こそうと試みている。
外波山 は一瞬、ほんの一瞬うつむいたあと、ぐいっと顔を上げた。
「安心院 、上がってくれ」
「え?」
木場野 の腰を抱き込むように腕を回して、引っ張っていた安心院 が外波山 を振り返る。
「ちょっと考えがある。安心院 は合宿リーダーのフォローを頼む。1年生だって男だ。狭い部屋に、天海 と合宿リーダーを奴らと一緒にしとくのは考えものだからな」
「おれ非力よ?」
「スマホ、すぐに110番できるようにしてあるって脅せ」
「はは、そこまで必要かな」
「相手は酔っぱらいだぞ」
「りょーかい」
もう一度、気遣わしそうに木場野 を見下ろしたあと、安心院 はざぶざぶと湖から上がっていった。
「なあ、何を探してるんだ?」
「……指輪です……」
小さな声だが答えが返ってきたことに、外波山 は安堵のため息をつく。
「なら、こんな暗くちゃ見つかんないだろう」
懐中電灯に照らされていても、木場野 の手元は暗い水の中に沈んでいる。
「朝になったら手伝ってやるから。今日は上がってこい」
だが、もう何の反応もなく、ただ水に手を入れるチャプチャプという音が返されるばかりだった。
「……しかたないか」
外波山 は背中のボディバッグをくるりと回して、外ポケットからスマホを取り出すと、起動させた画面をじっと見つめる。
「木場野 、上がらないんだな?」
湖に沈み込んでしまいそうな木場野 を眺めながら、外波山 は表示させた相手に電話をかけた。
「なんだこれ、指輪?」
「返せ!」
伸ばされた
「へー、羊ちゃんのシルバーリングなんだ。かっわいーの持ってんねぇ。年上カノジョの趣味ぃ?」
酔いが回り、白目を充血させた
「触んなっ、返せって!」
「おっと~」
「ほら、こっちこっちぃ~」
「ははっ、それサイコー!」
その意図を察した
「いっかづちぃ~、ほれっ」
「よっと。……ほらよ!」
ふたりは
「待てよっ」
(これってまずいんじゃ……)
外からトイレに来た
ならば
「ほーい、イカヅチ!」
「それ!」
追いすがる
「ほらほら、
靴に履き替えた
「っ!」
それは、泣くのを
頼る者を見失って、不安で仕方がない迷子の顔をする
「ねぇ、もういい加減にしなって!」
「んだよ、おれの味方じゃないのかよ!」
取りなそうとする
「なにやってんだ、お前たちっ」
「ほぅ~ら、こっちこっち!」
リーダー
「やめなさいよっ」
叫んだ
「うぁー、暴投じゃねぇかっ、イカヅチってばー」
腹立たしいほど間抜けな声を上げて、友人が腕を伸ばして体を反らせる。
が。
……ちゃぽん……
それは耳を澄まさなければ聞こえないほどの、とても小さな音だった。
「あ~あ~。イカヅチはノーコンだなぁ」
湖に落ちていった指輪を目で追って、酔っ払いの友人はわざとらしく両手を広げる。
「あんたたちサイテーって、
「
「どうしたの?」
突っ立っている
「ばかヤロっ、夜の湖に入るな!」
慌てて駆け寄り、引き止めようとしたサブリーダー
「どうしたんだよ、
しゃがみ込んだ
「……おい、何があった」
振り返った
「いや、ちょっとふざけちゃったっていうか、な?」
「まあ、うん……」
「
「おふざけであんなになんのか、
「飲んでんのか」
「ちょっとだけっすよ~、ほんの一口、ひぃっ!」
鬼の形相になった
ガシャンっ!
「絶対ダメだって言ったよな!夜の水辺でのイベントにアルコールは。……お前らふたりは部屋に戻っとけ。……撤収!!」
暗い湖岸に、
「ルール違反者が出た!今年の花火はこれでおしまいだっ。片付け班、未使用分も合わせて水につけて処分しろ。ほかのメンバーは指示があるまで、各部屋で待機!」
もう花火など楽しむ雰囲気ではなくなっているが、メンバーたちは戸惑う顔を見合わせ、なかなか動き出そうとしない。
「
「
「わかりました。みんな、戻るよ!!」
合宿リーダーの指示に、片付け班以外のメンバーたちの足が、やっと動き始める。
「ああ、
「お前にも聞きたいことがあるから、リーダー部屋な。……
「はい」
合宿リーダーが
「見回りを手伝ってくれるかな。そのあと、一緒にリーダー部屋に行こう」
「……はい」
顔色を悪くした
湖から上がろうとはしない
「あ、トバは来なくていい」
湖に入ろうとした
「多分これ、ムリだわ。……
だが、何度声をかけても、力いっぱい引っ張っても。
「
「ふたりで濡れるだけだよ。それよりほかにいい方法、考えて。……いてぇ、足の感覚、なくなってきた」
真夏とはいえ、湖の水は冷たい。
「
「え?」
「ちょっと考えがある。
「おれ非力よ?」
「スマホ、すぐに110番できるようにしてあるって脅せ」
「はは、そこまで必要かな」
「相手は酔っぱらいだぞ」
「りょーかい」
もう一度、気遣わしそうに
「なあ、何を探してるんだ?」
「……指輪です……」
小さな声だが答えが返ってきたことに、
「なら、こんな暗くちゃ見つかんないだろう」
懐中電灯に照らされていても、
「朝になったら手伝ってやるから。今日は上がってこい」
だが、もう何の反応もなく、ただ水に手を入れるチャプチャプという音が返されるばかりだった。
「……しかたないか」
「
湖に沈み込んでしまいそうな