ここから始まるものがたり-後編-

文字数 4,358文字

 スマートフォンの画面に表示された地図を見て、思わず眉の根が寄ってしまう。
「……ラブホ?」
「ち、違うからっ。行ったことないからっ」
 まっかっかな顔をして、あたふたしている萌黄(もえぎ)さんはカワイイけど、こんなにモヤモヤしたのは初めてだ。
 だから、ちょっと意地悪な気持ちになってしまったのは致し方ないだろう?
「そりゃそうでしょ。だって、俺たちハジメテ同士だった、」
「バカっ!」
 声を潜めることもしなかった俺に向かって、風切り音がしそうなほどのキレッキレの萌黄(もえぎ)パンチがさく裂した。
「ぐえぇぇっ」
 湿性花園では、まだ手加減されていたらしい。
 そう思い知った俺は、横断歩道手前でしばらく腹を抱えてうずくまっていた。
 
「ごめんって、萌黄(もえぎ)さん」
「……」
 背中を向けて、無言でふ頭の見える公園に入っていく萌黄(もえぎ)さんのおへそは、すっかり曲がってしまったようだ。
「だって、だってさ。……どうせアイツとの思い出なんでしょ」
 コートの袖をつんつんと引っ張っると、やっと萌黄(もえぎ)さんが立ち止まり振り返ってくれる。
「もお、そんな可愛いことして……。そうだけど、どっちかというと嫌な思い出のほうだよ」
「え、そうなの?」
 顔を曇らせている萌黄(もえぎ)さんの腕を取って、空いているベンチまで引っ張っていった。
「なにがあったの?」
 こっちを見もせず、しばらく黙って海を見ていた萌黄(もえぎ)さんだけれど。
 長い長いため息をついてから、重い口を開いた。
「……高校生だったから、ほとんど冗談だとはわかってた。でも、それでもすごく嫌だったの」
「なにが?」
「あのあたりを通りかかったときに言われたのよ。”あっちってラブホがあるんだよな”って」
 誰が、とは聞くまでもない。
 まあ、ヤツも年ごろの男子高校生だったと思えば、共感する部分もあるけど。
「ほかの場所に出かけても、ああいうのってどこにでもあるでしょう?最初は聞き流してたのよ。でもね」
 海ばかり見ている萌黄(もえぎ)さんの指先を握ると、ちょっとだけ握り返してくれた。
「本音も話してくれないのに、体だけは求められるのかって思ったら、ああ、もうこの人と一緒にいるのは無理だなって。……本心を見せなかったのは私も同じだから、そこはお互い様だけど」
 ちょっとだけ口角を上げて、萌黄(もえぎ)さんが苦く笑う。
「そう思ったら、ベタベタされるのも気持ち悪くて」
「何か、された?」
「大したことは全然。そういうときって、高確率で千草(ちぐさ)さんから連絡が入ったから」
「ありがとう千草(ちぐさ)さん」
 手を組んで魔王に感謝を捧げれば、やっと萌黄(もえぎ)さんがこっちを向いてくれた。
「ホントにね。ごめんね、イヤな話をして」
「こっちが聞いたんじゃん。それに、俺こそゴメン」
「なにが?」
「言いたくないことだって当然あるのに。……デリカシーがなかった」
「思わせぶりな態度を取った私が悪いよ」
「違う、俺が」
「あの、あのね」
 恥ずかしそうに顔を伏せながら、萌黄(もえぎ)さんが肩を寄せてくる。
「高校生のときのことはどうでもよくて、知られたくなかったのはね」 
 ためらいながらスマートフォンを取り出した萌黄(もえぎ)さんを不思議に思っていると、ポケットに突っ込んでいる俺のスマートフォンがブルっと震えた。
『あのときは吐き気がするほど嫌だったのに、羊介(ようすけ)くんとなら嫌じゃないなぁ、なんて思ってしまって……』
 画面に表示されたメッセージを眺めたまま固まった俺の腕を、萌黄(もえぎ)さんが揺さぶった。
「読んだ?削除していい?」
「え、待って。スクショするから」
「だめっ」
「永久保存」
「だめ!!」
 俺のスマートフォンを取り上げようとムキになっている萌黄(もえぎ)さんは、ただのじゃれつくカワイイカノジョだって、わかってるかな。
 俺はほくそ笑みながら、「バカップル」の典型になってるって気がついていない、俺の女神を堪能し続けた。

 そして、今日。
「オメデト!萌黄(もえぎ)!」
 ピンクベージュのドレスワンピースを着ているアイ子さんが、千草(ちぐさ)さんと一緒になってぶつけてくるライスシャワーは、どっちかというと豆まきっぽいのは気のせいだろうか。
 顔に当たると地味に痛い。
「アイ子さん、掃除すんのおれたちなんですからね。ちょっとは自重してくださいよ」
「なんだと、サンダーのくせに生意気だぞ」
「そんなこと言ってっとブーケトス、おれが横取りしますよ」
「よーし、いい子だ。取ったらこっちに持ってこい」
「横取りの意味ないじゃないですか」
「ブーケが欲しいのなら、僕があげるのに」
「トゲと毒に満ちた魔界の花束とか遠慮しますぅ」
 いつもどおりの会話を聞きながら、俺と萌黄(もえぎ)さんが笑い合っていると、リョータから背中を突かれた。
「なあ、来賓者用のマーガレットのミニブーケさ、結構余ったぞ。どうする?」
「ほんとだ」
 みんなの手元を確認した萌黄(もえぎ)さんが、リョータが腕に抱える花束に首を傾げたとき。
「わあ、結婚式やってる!」
「花嫁さんキレイっ」
 はしゃぐ若い声に教会の敷地入り口に目を向ければ、そこには学生服の集団がたむろしていた。
「俺たちの高校の奴らだな」
「卒アルのクラス写真でも撮るんじゃない?」
 リョータの隣に立つ松乃(まつの)が懐かしそうな顔をしている。
「ボクたちの代も”名所で撮ろう”企画だったじゃん。うちのクラスは帆船の前だったよ」
「あー、かもな」
 高校生の集団に首を向けたリョータに黄色い声が飛んだ。
「あの花束持ってる人、チョーカッコイイねっ」
「スーツに花束って、王子様みたい!」
「えっへっへっへ」
 鼻の下を伸ばしたリョータが俺を仰ぎ見た。
「なあ、この余っちゃった花束、あの子たちにあげてもいい?卒アルに花を添えてあげようぜ」
「それは、」
「ねー、君たちさ、クラス写真撮るんだろ」
 俺が許可する前に、ウキウキしているリョータが高校生たちに走り寄っていく。
 ……しかも、女子が固まっている場所目がけて。
「よかったらどうぞ。もらって」
「いいんですかぁ!」
「嬉しい!カワイイ~」
 きゃーきゃーと声を弾ませる女子高生たちに囲まれたリョータが、ニヨニヨしている。
「オレたち卒業生なんだよ」
「えぇ~、センパイなんですか?」
「同級生カップル?」
「いや、アイツらは部活の先輩後輩。花嫁さんのほうがOGで」
「年下カレシ?!やだ、ステキっ」
「いい加減にしとけよ、リョータ」
 得意気に俺たちの馴れ初めを語ろうとしているリョータの肩を、古河(ふるかわ)が叩いた。
「ちょっとあれ、見てみ?」
「ヤベっ」 
 みるみる青ざめたリョータが慌てて戻ってくる。
「悪かったってば。牙ひっこめろよ、ヨースケ。めでたい日だろ?それにほら、すっごく喜ばれたし」
 小さな花束を振り回して合図を送ってくる高校生たちに、萌黄(もえぎ)さんが片手を上げて微笑み返した。
「懐かしいね」
「そうだね。でも……」
 萌黄(もえぎ)さんの腰に腕を回してその視線を取り戻した俺は、ヴェールで隠されていた耳を露わにして唇を寄せる。
「俺が高校生のころは、萌黄(もえぎ)さんに追いつきたくてヤキモキしてばっかだったから。今のほうが幸せ」
「……私も」
 頬を上気させている女神にコツンと額をぶつけると、高校生たちがいっせいに「ひゅ~っ!」と騒いだ。
「ほら、そこの青少年に有害ブツ。モザイクかけるぞ!たく甘ったるくてやってらんないっての」
「新婚で甘くなかったら、そっちのほうが問題じゃないですか」
「黙れ、この減らず口羊。口ヘンに羊と書いてメーと読む。まったく真理じゃないの。……はーい、みなさん、移動しまーす!」
 ちゃきちゃき場を仕切るアイ子さんに先導されて、俺と萌黄(もえぎ)さんはゆっくりと教会の階段を下りていく。
「お幸せにー!」
「おすそ分け、ありがとうございま~す!」
 後輩たちのにぎやかなエールを背に教会を後にすれば、披露宴会場となる洋館からアルトサックスの音色が聞こえてきた。
 あの手練れた音は田之上先生だな。
 すぐにトロンボーンやギターの音も重なりだして、結婚式だかライブだかわからなくなりそうな予感がする。
 そして、入場曲から始まって、それぞれのシーンを盛り上げる恩師と仲間たちによる演奏は大成功。
 来賓者の大喝采を浴びることとなったのだ。

「それでは、最後に新郎新婦より、みなさまへのご挨拶の代わりに、演奏をご披露させていただきます。曲は……」
 披露宴のクライマックス。
 司会者から促された俺と萌黄(もえぎ)さんは、トランペットを手に席を立った。
 お色直しのライムグリーンのドレスでトランペットを構えている萌黄(もえぎ)さんは、本当に女神みたいで。
 出会いからこれまでが一気に思い出されて、胸が震えてしまう。
 走馬灯ってこんな感じかなと思いながら、いや、昇天している場合じゃないと大きく息を吸った。
 向かい合った俺たちは出会えた「キセキ」を喜び、「小さな恋」を歌い、織りなすめぐり逢いを愛おしむ「糸」をメドレーにした曲を、感謝の気持ちとともに演奏する。
 そして、「糸」を繰り返して演奏するタイミングで、田之上先生を皮切りに、仲間がひとりまたひとりと、寄り添う縁の不思議と幸せを奏でる曲に加わっていった。
「アイ子センパイって、ホントにサックスイケるんだなぁ」
 リョータのつぶやきに全面的に賛成する俺の目の前で、アイ子さんは萌黄(もえぎ)さんに寄り添うようにして、サックスを吹いている。
「……アイ子……」
 声に出さずに萌黄(もえぎ)さんがその名を呼ぶと、アイ子さんの瞳から、涙が一筋流れ落ちていった。
 誰より近くで、苦しいときもつらいときも、そして、笑顔も支えてきた親友が泣き笑いしながら、とんでもなく優しい音で祝福を贈っている。
「……ぐっ」
 くぐもった声に親族席に目をやった俺は、思わずトランペットを落としそうになった。
 だって、いつ会っても同じ顔をしている萌黄(もえぎ)さんのお父さんが、表情筋は動かさないまま、滂沱(ぼうだ)の涙を流しているんだから。
 思わず音が飛びそうになった俺の目の端で、真っ白なハンカチを取り出した千草(ちぐさ)さんが、雪下父の頬にぐいっと押し付けている。
 優しさなんかひとかけらもない仕草だったけれど、情には満ちていたと思う。
 ……多分。
 
 俺たちの演奏が終わると、盛大な拍手が会場に沸き上がった。
 トランペットを下ろしてポロポロと涙を流す萌黄(もえぎ)さんを抱きしめれば、さらに大きな拍手が俺たちを包み込んていく。
 そうして退場していく俺たちを送ってくれるのは、ギターの穏やかな旋律から始まった、恩師と仲間たちのバラード「With or Without You」。
 それはそのまま、俺の魂の叫び。
 ずっとずっと、大切な人を待ち続けていた俺の歌。
 あなたがいなければ生きていけないと、全霊で叫び続けていたんだ。
 あなたがいてくれれば、ほかに何もいらないんだよ。
 失って惜しいものなど、何もない。
 
 ふたりの新しいものがたりが、ここから始まっていく。                     
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