想いが積もる

文字数 3,754文字

 遠ざかる外波山(とばやま)たちの足音を聞きながら、萌黄(もえぎ)はぶるりと体を震わせた。
「くしゅっ」
「大丈夫?萌黄(もえぎ)さんも風邪ひいちゃうよ。着替えなきゃ」
「その前にやりたいことがあるの。あのね」
 右手の薬指からペアリングを抜いて手の平に置いた萌黄(もえぎ)が、羊介(ようすけ)を見つめて微笑む。
「私の指輪も、この湖に沈めようと思うの」
「え?!……どうして?」
「ねえ、羊介(ようすけ)くん。地球が滅亡する前に、人類が滅びちゃったとするじゃないするじゃない?」
 いきなり壮大な話をしだした萌黄(もえぎ)を、羊介(ようすけ)はまじまじと見下ろした。
萌黄(もえぎ)さんは話があっちこっちに行きがちだけど……。人類滅亡とペアリングって、どう関係するのかな)
 ぱちくりと瞬きを繰り返す羊介(ようすけ)から湖へと目をやって、萌黄(もえぎ)は晴れ晴れと笑う。
「そのとき、この湖が残っていたら……、たとえ干上がってしまっていても、この場所には、私たちふたりの指輪が存在してる。誰もいなくなっても、私たちの想いと一緒に。そう考えるとロマンチックじゃない?」
「俺たちの、想い」
 羊介(ようすけ)は、萌黄(もえぎ)とその手に置かれた指輪とを見比べる。
「今、ここにふたりで立っている、この瞬間が湖に閉じ込められるの」
「……湖全部が、スノードームみたいだね」
「ステキ。積もるのは雪じゃなくて、きっと紅色(べにいろ)のバラの花びらね」
 想いを告げた夜を思い出して、羊介(ようすけ)の頬がほんのりと赤くなった。
「だから、無理やり羊介(ようすけ)くんの指輪を探し出すよりも、私の指輪を一緒にさせたいの」
 「どう?」と首を(かし)げた萌黄(もえぎ)に、羊介(ようすけ)がうなずく。
羊介(ようすけ)くんがどんな気持ちで水の中にいたのだろうって思ったら、いてもたってもいられなかった。同じように探してみたけど、やっぱり見つけられなかった。湖の中で、羊介(ようすけ)くんの指輪が寂しがっているのなら、私の指輪を寄り添わせたい」
「……萌黄(もえぎ)さん……」
「こらこら。羊介(ようすけ)くんまで濡れちゃうでしょ。この風邪っぴきさんが」
 抱きしめようとした羊介(ようすけ)の腕を、萌黄(もえぎ)はぴしゃりと叩く。
「着替えるから待って。……ね、指輪は一緒にさせてあげよう?」
「わかった。俺が投げてもいい?」
「いいよ」
 萌黄(もえぎ)が指輪を預けると、羊介(ようすけ)昨夜(ゆうべ)自分が探していた辺り、さっきまで萌黄(もえぎ)が膝をついていた場所にそっと指輪を投げた。
 空を切った指輪が一瞬、陽射しを反射して光り、そのまま吸い込まれるように水の中へと落ちていく。
 ぽちゃ……
 小さな水音とともに指輪が消えたのを見た萌黄(もえぎ)が、羊介(ようすけ)の手をきゅっと握った。
「ほら、もう一緒」
「……うん」
「くっしゅん!」
 二度目のくしゃみをした萌黄(もえぎ)を、羊介(ようすけ)は心配そうにのぞき込む。
「着替えってあるの?どうやってここまで来たの?」
 夜行バスにでも飛び乗って来てくれたのだろうかと思った羊介(ようすけ)に、萌黄(もえぎ)は意外なものを指さした。
「車で来たわよ?ほらあれ」
「あれって、……あれ?!」
 駐車場で異様な存在感を放つメタリックな白いドイツ車に、羊介(ようすけ)の目が丸くなる。
「後部座席のキャリーに着替えがあるの。羊介(ようすけ)くん、部屋で待ってて」
「見てもいい?萌黄(もえぎ)さんの車」
「私のじゃないけどね。具合は?」
「なんか、本格的にどうでもよくなってきた」
「そう?つらくないようなら、一緒に行く?」
「うん!」
 まだ声にはいつもの張りはないけれど。
 羊介(ようすけ)が浮かべた笑顔に、萌黄(もえぎ)はほっとして口元を緩めた。

 湖岸に脱ぎ捨てたワンピースのポケットからキーを取り出して、ミネラルホワイトの車のロックを解除した萌黄(もえぎ)は、後部座席のキャリーから大判のタオルを取り出して肩に羽織った。
羊介(ようすけ)くんは助手席に乗って」
 ドアを開けた萌黄(もえぎ)に促され、羊介(ようすけ)はキョロキョロしながら車に乗り込む。
萌黄(もえぎ)さん、ここで着替えるの?」
「うん。見ないでね」
「やだ、見る」
「ばか」
 笑いながら、萌黄(もえぎ)はキャリーバッグから大判の新しいバスタオルを取り出すと、羊介(ようすけ)の顔を隠すように包み込んだ。
「取ったら絶交」
「えぇ~」
 文句を言いながら、いつも萌黄(もえぎ)がまとっている香りに包まれた羊介(ようすけ)は、タオルの陰で頬を緩める。
萌黄(もえぎ)さんが使ってる洗剤、いい匂いだよね。うちもこれにすればいいのに。あ、でも、兄貴からこの香りがしたら超絶イヤだな。殺意が湧きそう。俺の洗濯物だけ、コインランドリーに持っていこうかな」
「ふふっ」
 萌黄(もえぎ)の笑い声が、衣擦れとともに羊介(ようすけ)の耳をくすぐった。
羊介(ようすけ)くんって、お兄さんと仲がいいの?悪いの?」
「フツー」
「普通で殴り合いまでする?」
「男兄弟なんてそんなもんだよ。でも、ハデな取っ組み合いしたのって、中3のときが最後だな。向こうが受験に口出ししてきたとき」
「それ以来してないの?」
「うん。そんとき、メチャクチャ腹立ってたからか、勝っちゃったんだよね。体格もほぼ互角になってたし、馬乗りになって殴ってたら、さすがに母さんが止めに来て。それ以来、向こうも大人しくなってさ。……当社比10%減くらいだけど」
「1割だけ?」
「それでも大進歩だよ。体じゃなくて、頭を使うようになったんだから。使える頭があったんだって、驚いた」
「10%分は、口ゲンカになったってこと?」
「口ゲンカっていうか、あっちが一方的にカラんでくるんだけどね。萌黄(もえぎ)さんを紹介しろとか、ホントにウザイ」
 言葉は辛らつだが、羊介(ようすけ)の口調は軽い。
「会ってもいいけど」
「ダメ。萌黄(もえぎ)さんが(けが)れるから。……着替え終わった?もういい?」
「ん、いいよ」
 羊介(ようすけ)からタオルを受け取った萌黄(もえぎ)は、こつんと額どうしを合わせた。
「やっぱり、まだ熱があるかな。近くの病院を受診したほうがいいかも」
「大したことないよ。風邪薬もさっき飲んだし、もう少し寝たら治る。熱なんて、滅多に出さないんだけど……」
 小さなアクビをかみ殺した羊介(ようすけ)の髪に指を絡めて、萌黄(もえぎ)はそっとその頭をなでる。
「慣れない環境で、疲れがたまってたのかもね。でも、これ以上酷くなったら、必ず病院に行くこと。わかった?」
「わかった。……ふぁ」
「眠そうだね」
 薄青のサマーニットと白のフレアスカートに着替えた萌黄(もえぎ)を前に、羊介(ようすけ)の目が眩しいものを見たときのように細くなった。
「うん、ちょっと眠い。ねえ、萌黄(もえぎ)さん」
「なあに」
 萌黄(もえぎ)が顔を寄せると、羊介(ようすけ)は鼻先同士をこすり合わせる。
「キスしたいけど、萌黄(もえぎ)さんに風邪がうつるのは嫌だ」
「じゃあ、治さなくちゃね。ねえ、羊介(ようすけ)くんとしては、あのボンクラはどうしたいの?」
「ボンクラ?」
「あなたをこんな目に遭わせたイタズラ小僧よ」
 羊介(ようすけ)の首に痛々しく残る擦過傷を、萌黄(もえぎ)の指がそっとなぞった。
「ああ、(いかづち)たち?」
「あら、ボンクラのくせに勇ましい名前ね。楽器は何を?」
「バリサク」
「上手?」
「そこそこ」
 助手席の背もたれに腕を乗せ、萌黄(もえぎ)はため息をつく。
羊介(ようすけ)くんの体調が万全なら、演奏で黙らせたいところだけどね」
「それならもう何回もやったよ。だから、よけいに俺のことが気に入らないのかも」
「あらあら、ボンクラのうえに心まで狭いのね。アイ子だったら”このノミヤロー!”くらい言うね」
「いや、今は萌黄(もえぎ)さんが言ってんじゃん」
「そうね、私の感想だったわ」
 ふたりでくすくす笑い合ったあと、羊介(ようすけ)はふっと視線を落とした。
「俺さ、他人とどうやって過ごしたらいいのか、ホントはいまだによくわからないんだ。初対面だととくに。ボッチだったころ、ひとりでテキトーに時間をツブしてばっかりだったから」
 萌黄(もえぎ)は黙ったまま、羊介(ようすけ)の頬に片手を添える。
「高校は

があったから、すぐに馴染んだけど。練習して、演奏して、同じようにしてるつもりなんだけど、何がいけなかったんだろう」
「いけないことなんか、何ひとつなかったと思うよ」
 羊介(ようすけ)の額に、萌黄(もえぎ)の小さなキスが贈られる。
「ただ、プライドの塊のような人もいるから。地元から意気揚々と都会に出てきても、大学に入っちゃったら、結局みんな同レベルなわけじゃない?初めて”こいつには敵わない”と思う、強烈な個性に出会うこともあるし。それを面白いチャンスだと思えるのか、劣等感につぶされるのかは、本人の資質なのよ。羊介(ようすけ)くんのせいじゃない」
(いかづち)、高校ではスイブの部長やってたんだって」
「あー、なんかワンマン部長って感じだね」
「バリサクの貴公子って呼ばれてたんだって」
「それ自分で言っちゃうの?……ちょっとカッコ悪い、かも」
「ぷっ、くくくく」
 ぼそっとつぶやいた萌黄(もえぎ)に、羊介(ようすけ)が吹き出して笑う。
(いかづち)って俺のペットけなすんだけど、吹いてるとじぃっと聞いてるんだよ。きっとそういうのも、腹が立つんじゃないのかな」
「素直になればいいのにねぇ。見栄っ張り王子だね」
「貴公子だよ」
「格上げしてあげたんじゃない。貴族の子息より、王族の子息でしょう」
「見栄っ張り王族?それはイヤだなぁ」
「私もイヤよ」
「ふふっ。……萌黄(もえぎ)さん、俺やっぱり眠い。でも、帰っちゃったら嫌だ」
「うん、起きるまで待っててあげる」
「起きたら絶対、熱下がってるから。トランペット一緒に演奏しよう。持ってきてるだろ?」
「あら、なんでわかった?」
「もし、俺が浮上できないほど落ち込んでたら、萌黄(もえぎ)さんはトランペットで励ましてくれると思うから」
羊介(ようすけ)くんに隠し事はできないわね。……宿泊所に戻ろうか」
「うん」
 口づけの代わりのような視線を(から)ませ合ったあとに、普段よりも熱い羊介(ようすけ)の唇が、萌黄(もえぎ)の額に押し当てられた。
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