恋と願いはよくするもの

文字数 3,746文字

 夏休み最初の土曜日。
 改札を抜けて雑踏に一歩足を踏み入れれば、アスファルトの熱で、サンダルの底が溶けてしまいそうな酷暑のなかに放り出される。
 肩がぶつからないのが不思議なほどの人波。
 いつ訪れても、何かのイベントを行っているかのような華やかな街並み。
 人混みの合間を縫って待ち合わせ場所へと向かえば、有名な犬の像付近に、待ち人の姿はまだなかった。
(ミヤコちゃん、いないなぁ。見逃しちゃった?)
 珊瑚(さんご)は右に左にと体を傾けて見回してみたが、やはり友人の姿はない。
「お待たせ。どこ見てんの」
 思わぬ方向から聞こえてきた声に、珊瑚(さんご)は目を丸くして振り返った。
「そっちから来るとは思わなかった。……わぁ、ミヤコちゃんってば、今日もカワイイ」
 それなりに自信がある珊瑚(さんご)ではあるが、やっぱりミヤコの服はどことなくオシャレで、センスがいいと思う。
「ありがと。珊瑚(さんご)もイケてるよ!そのアイメイクいいね。で?今日はえーと、服とトラベルグッズと?」
「あと下着。勝負下着にもなりそうなのを」
「……なぜ、合宿ごときに勝負下着?」
 たちまちミヤコの目が胡乱(うろん)なものになった。
「いやあ、万が一ラッキースケベに遭遇しても慌てないようにさ。私たちも、もうオトナだから」
「バカなこと言ってると、ラッキーもアンラッキーになるよ」
 相変わらず舌鋒鋭い友人に、珊瑚(さんご)はペロリと舌を出してみせる。
「にしても、さすがに人が多いなぁ。楽器持ってる人たちもいるね。あの大きいケースはなんだろう」
 ミヤコが指さした犬の像の尻尾の辺りにいるのは、珊瑚(さんご)もさっきから気になっていた集団だ。
「トロンボーンだね」
「へー。じゃあその隣の人の……、あ、あれは見たことある。珊瑚(さんご)ちゃんと同じでしょ?」
「あ、ほんとだ」
 ツーブロックの髪型も爽やかな男子が下げている、サックスケースを見て珊瑚(さんご)はうなずく。
 そのふたりと談笑している小柄な女子の背中からはギターがはみ出していて、なんだかランドセルを背負っている小学生のようだ。
「ごめーん。遅くなった!」
 珊瑚(さんご)とミヤコのすぐ隣を走り抜けていった男子が、その集団に混ざっていく。
「おせーぞ、マツノ!」
 リュックからスティックをはみださせた「マツノ」と呼ばれた男子を、涼し気な目元の男子が、トランペットケースを持たないほうの指で撃つ真似をして迎えた。
「ごめんごめん。あれ、リョータ、キバノは?」
「「?!」」
 「マツノ」が口にした名前に、思わず珊瑚(さんご)とミヤコは顔を見合わせる。
(”キバノ”って、もしかして……。よくある名前じゃないし)
「ヨースケはガチャやってる」
(ようすけ、……やっぱり?)
 珊瑚(さんご)は楽器を持つ集団を見つめ、彼らの会話に耳を澄ませた。
「え、スマホゲームなんてやってたっけ、あいつ」
「マジのガチャだよ、ほらあそこ」
 「リョータ」が「ようすけ」と名前で呼んだことにも驚いたけれど。
 その指さした先の光景に、珊瑚(さんご)は目を大きく見開き、息を飲んだ。
 ガチャガチャマシーンの前で、木場野(きばの)が背中を丸めてしゃがみ込んでいる。
 そして、その隣で木場野(きばの)のTシャツの袖を引っ張っているのは、珊瑚(さんご)たちよりも年上に見える女性。
 促すような仕草も長閑(のど)やかに見えるその女性に、しゃがみ込んだ木場野(きばの)が手の中のカプセルを差し出し、何か話しかけた。
 同時に木場野(きばの)に耳を傾けるように腰を曲げた女性が、ふわんと微笑む。
 女性が着ているのは、薄いグリーンの上品なコットンワンピース。
 控えめなデザインながらも、ブランドのバッグを肩から下げていて、あご下ラインのウェーブボブが、ふわふわとした女性の雰囲気によく似合っている。
 無防備な笑みを返した木場野(きばの)を眺めながら、トロンボーンケースを背負った男子が首を(かし)げた。
「リョータはよっぽどキバノと仲がええんじゃのぉ。マツノとフルカワは”キバノ”なんに、ヨースケ呼びしとるもんな」
「ああ、リョータはほら、同じトランペットだったから。”荒ぶるキバノ”を見る前から親しかったんだよ」
 サックスケースを下げた「フルカワ」が眉毛を下げた、なんとも情けない顔で笑っている。
「荒ぶるキバノ?」
「アイツって、マジで怒るとハンパないから」
「え、じゃあオレがヨースケって呼んだら怒るんじゃろうか」
「や、カッツンは平気じゃん?リョータの友だちだし。多分、おれらもヨースケって呼んでも怒らないとは思うけど、なあ」
 「フルカワ」が「マツノ」と目を見交わした。
「どうも木場野(きばの)は”キバノ”なんだよね」
「私も木場野(きばの)君だなあ」
 小柄なギター女子が、ガチャマシーンから戻ってくるふたりを見ながら腕を組む。
「”羊介(ようすけ)くん”って、モエギさんだけの呼び方だと思うし」
「みんなお待たせ。ナオちゃんもごめんね、ギター背負わせたままで。ほら、羊介(ようすけ)くんも謝って」
「わり」
「もー」
 真夏の太陽の下で、人混みのまっただ中にいるというのに。
 雪ウサギを思い起こさせる女性が、木場野(きばの)の腕をぴしゃりと叩いた。
「大丈夫ですよ、ユキシタ先輩。マツノも今来たところです」
「寝坊しちゃって。こっちこそごめんなさい」
 「リョータ」がにっと笑って、「マツノ」も人の好い笑顔を浮かべる。
「んで?キバノはなんで、そがいに一生懸命ガチャ回しとったんだ?」
「ふふふっ」
 「ユキシタ先輩」と呼ばれた女性が含み笑いながら、手の中のカプセルを「カッツン」に差し出した。
「カエル?」
 「ナオちゃん」の首が傾く。
「イチゴヤドクガエルちゃんのポーチ。羊介(ようすけ)くん、アマガエルちゃんも、もらうよ?」
「こっちはもう持ってるじゃん。いいよ、俺が使うから」
羊介(ようすけ)くんが?何に使うの?」
「モエギさんは何入れてんの?」
「口紅とか」
「……」
 男子チームが黙り込む横で、「ナオちゃん」がパチッと指を鳴らした。
「なら、木場野(きばの)君はリップクリームでも入れたら?管楽器の人には必需品でしょ」
「あー、プレイヤーリップとかあんな。使ったことないけど」
「私、持ってるよ」
 「モエギさん」と木場野(きばの)が呼んだ女性が、小さなカエル型ポーチをバックから取り出して、その口を開ける。
「あ、それって、ちょっと気になってたんですよね。使用感ってどうですか?」
「結構いいよ。リョータ君使ってみる?これは予備だからあげる」
 「モエギさん」が「リョータ」に手渡そうとしたリップクリームを、木場野(きばの)が横から奪っていった。
「あ、ナニすんだよ、ヨースケ。オレがもらったんだろ」
「もらうってオマエ言ってねぇだろ。モエギさん、これ俺がもらう。カエルに入れる」
「んふふ。……もう一本~」
 それはまるで、ポケットに秘密な道具を詰め込んでいる、例の青いロボットのような言い方で。
 自慢そうに新たなリップクリームを取り出した「モエギさん」を見て、「リョータ」がぶはっと吹き出して笑った。
「何本持ってんですか、ゆっきー先輩。しかも、”もう一本~”って、それ道具の名前じゃねぇじゃん!」
「ああ、そうだった。リップクリーム~」
「言い直したっ」
 「ナオちゃん」がカラカラと笑う横で、木場野(きばの)も肩を揺らして笑っている。
(……あんな顔して笑うんだ……)
 衝撃の ”声を出して笑う木場野(きばの)”を見て、珊瑚(さんご)はすぐに理解した。
 木場野(きばの)を「羊介(ようすけ)くん」と呼ぶ女性(ひと)
 木場野(きばの)が「モエギさん」と呼ぶ女性(ひと)
 そして、「リョータ」にリップクリームを渡しているその女性(ひと)を、まぶしそうに見下ろしている木場野(きばの)の瞳に。
 わかりたくなくても、わかってしまった。
 木場野(きばの)は、「モエギさん」に恋をしているのだと。
「行こう、ミヤコちゃん」
「声、かけなくていいの?」
「いい」
 そう、今は。
 今は、あのふたりの間に入っていける気がしない。
「あの集団って、珊瑚(さんご)ちゃんが言ってたバンドの人たちかな。ずいぶん年上の人もメンバーなんだね。あれってトランペット?」
 振り返ったミヤコが、「モエギさん」が手に提げているケースを指さした。
「うん、そうだね」
 ミヤコの言うとおり。
 「モエギさん」は自分たちよりずいぶん年上、おそらく社会人だろう。
 憧れと、ほのかな熱の浮かぶ目を向けていた木場野(きばの)に比べて、「モエギさん」の態度は凪の海のように穏やかに見えた。
 木場野(きばの)に対しても、ほかのメンバーに対しても、向ける熱量に差はないように感じられる。
 ならば、木場野(きばの)の片思いかもしれない。
 夏合宿でもう少し親しくなったら、それとなく聞いてみよう。
(ちょっともう、気合がっつりいかないと……)
 「憧れのセンパイ」はいなくても、同期にも良い出会いはあるのだと気づいてもらいたい。
「ねえ、ミヤコちゃん。やっぱり下着も買う」
「はいはい」
 おざなりなミヤコの返事を聞きながら、珊瑚(さんご)はもう一度だけ、あの集団を振り返ってみる。
(うらやましいなぁ)
 

木場野(きばの)が仲間と肩をぶつけ合い、無邪気に笑っていた。
(でも、これからこれから!)
 大学も違うあの仲間よりも、ましてや社会人でライフスタイルも環境も異なる女性よりも、木場野(きばの)と過ごす時間が長いのは自分。
 なにしろ同学部で、同じサークルなんだから。
 長い合宿も控えているのだから。
「ねえ、置いてくよ」
「ごめん!待って待って」
(アドバンテージは我にありっ。夏合宿に勝負をかけるぞー!)
 ミヤコを追いかける珊瑚(さんご)は、心の中で強い決意を固めていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み