貴方と

文字数 4,418文字

 目の前で、背中を丸めるようにしてうなだれているのは、今年の新入職員のひとり。
「申し訳ありません、雪下(ゆきした)先輩。僕が確認を怠ったから」
「私が立ち会えばよかったのだから、あまり気に病まないで」
「先輩はチーフとして朝早くから現場入りしてらっしゃったじゃないですか。僕が」
「原因がどこにあるかよりも、今はグッズをどうにかしないとね」
 イベントも後半戦になった今になって。
 スタンプラリーの景品を詰めた段ボールが、一箱足りないということが判明した現場はプチパニックになった。
 「配布予定個数に達しました」と打ち切るにはまだ早い。
 イベント会場には、スタンプラリーに参加している多くの親子連れの姿がある。
 これで景品がないとわかったら、子供たちをがっかりさせてしまうに違いない。
 もれそうになるため息を押し殺しつつ、思い返すのは三日前のちょっとしたいざこざだ。
 こんな事態になる心当たりはそれしかないのだが、本当にそうならば、なんて大人げないことをするのだろうと頭が痛くなる。

「なんでこっちまで占領してんだよ」
 昼食を取ろうと部屋を出たところで、隣の部署の同期が立ちはだかった。
「部内倉庫はみ出すほど発注かけるとか、ありえんの」
「部長の判断よ。年々来場者数が増加してるからって」
「迷惑なんだけど」
「相互利用は、課長同士の話し合いで決定したことでしょう。そちらの整理整頓するとき、うちの部署も人を出したじゃない。廃屋並みの倉庫がまともになったって、感謝されたけど?」
 同期がぐっと言葉に詰まってにらみつけてきた。
「俺の仕事にケチつけんのかよっ」
「倉庫担当、あなただったんだ」
「それはっ……。たかがチーフ任されたくらいで、エラソーに」
「そう、

チーフよ」
 何が(しゃく)に触ってるのか、自分でばらしてしまっている同期に頭が痛くなってくる。

チーフが、上司の決定に口を挟めるとでも?」
 険悪な顔のまま、同期はそれ以上は何も言わずに去っていったのだけれど。

 同期とのもめごとの結果がこれならば、きちんと話をつけておかなかった自分の責任だ。
 昨日の退勤時に確認したときにはちゃんとあったのだから、動かしたのはそれ以降。
 何かの理由で移動されて、それをうっかりこちらに伝え忘れた可能性もないわけではない。
 だが、イベント前日にそんな「何か」が発生するだろうか。
 だとすれば、悪質な嫌がらせの臭いが濃厚で、後輩君だけが責任を感じる必要はない。
「なんとか場つなぎしてて。多分、倉庫のどこかにあるだろうから、車で取ってくる」
「それは賛成できないかなあ」
 車のキーを取り出そうとしたとき、軽くたしなめるような声が備品テントに入ってきた。
「「主任!」」
 後輩君と同時に振り返ると、直属の上司が柔らかく笑っている。
雪下(ゆきした)君の華麗なドライビングテクニックは知っているけどね。まず、確認してみようか。ほかに利用できそうなものが、

あるかどうかを」
 初めてチーフを任された場での最大のピンチだけれど、平常運転の主任を見た瞬間に、肩から力が抜けていく。
 緊張がほぐれると、頭にも余裕が生まれるらしい。
「……啓発担当が、次回使うはずのグッズも持ってきてしまったとボヤいてました」
「モノは何?」
「竹トンボらしいです」
「あれか!カラフルな色合いのを用意していたから、女の子も喜ぶだろう。そのまま公園で遊べるし、いいね。拝借しよう」
 主任が腕時計を確認しながら、ステキな笑顔を見せてくれる。
「どのくらい持ってきたって?」
「一箱持ってきちゃった、と言ってました」
「それでなんとか足りそうだね。僕の名前を出して融通してもらって」
「はい!」
 はりきってテントを出ていく後輩君の背中を見送ってから、主任に頭を下げた。
「ありがとうございます。主任のおかげで解決できました」
「僕はヒントを出しただけだよ。でもね、雪下君。いくらチーフといっても、ひとりで対処しなくていいんだよ。たまには僕も使ってほしいな」
「いえ、いつもお世話になりっぱなしで」
「そういうところ」
「はい?」
「お世話なんかじゃない。僕の当たり前の仕事なんだ。それでね」
 口元は笑顔のまま、主任のまなざしが厳しくなる。
「トラブルが起きたときには相談をして、まず状況を説明してほしい。かばうことも、背負うことも必要ない。事実を申告してくれないと、対策が取れないだろう?」
 主任を見上げている背が自然と伸びた。
「取りに戻るのも選択肢のひとつだ。けれど、チーフが現場を離れてはいけないよ」
「おっしゃるとおりです。……考えが足りず、申し訳ありませんでした」
「謝るようなことではないさ。スタッフを信頼しているからこそ、現場を任せられると判断したんだろう?どうやらキミは、搬入ミスの原因に見当がついているみたいだし」
 伝えるほどでもなかったから、あのいざこざについて報告はしていないのに。
 何も言えずに目をぱちくりとさせていると、主任に満面の笑みが戻った。
「当たりかな?だとしても、ひとりで解決しようとしないで。だって……」
「きゃー、やったー!カワイイっ」
「オモチャゲットー!」
 スタンプラリーのゴールではしゃぐ子供たちの声に、主任の言葉が紛れてしまう。
「あの?」
「いや、竹トンボはヒットしたみたいだね。よかったよかった」
「主任、啓発チームにご許可をいただかないと」
「事後報告で大丈夫だろ。あっちの主任とは同期だから、合同打ち上げで一杯ごちそうしておくよ。雪下君も行くだろう?」
「いえ、今日は欠席で」
「おや、予定あり?もしかして、デートかな」
「あの、はい」
 小さくうなずくと、主任の目が丸くなった。
「おや、雪下君にそんな顔をさせるなんて、よほど素敵な方なんだね」
「そう、ですね。私にはもったいないくらいの……」
 とってもカッコよくて、一途で可愛い人を思い出すと、ちょっぴり切なくなる。
 今年も、夏合宿の最終日に恋人を迎えに行ったのだけれど。
 去年とは違って、(いかづち)くんたちとも軽口を叩き合っている姿を見れば、本来彼がいる場所はあちらなのだと思い知ってしまう。
 それでも、もう手放すことなんかできない。
 だから、姫君をさらう悪役のように車に乗せて、連れ帰ってしまったのだ。
「心配事でもあるのかな?」
「いえ、そういうわけではないのですが……。ステキすぎて、私でいいのかなって思うこともあるんです」
「無理をしなければならない相手なら、長続きはしないぞ」
「無理はしていません。でも、人間関係ってある程度、頑張って維持するものじゃないですか」
「ん?」
「人の気持ちは変化していきますから。相手の気持ちに甘えて”当然”だと(おご)ってしまえば、良好な関係などすぐに壊れてしまう」
 そう。
 結婚という契約を結んだとしても、それだけでは”家族”にはなれないのだ。
「なるほどなぁ、僕も肝に銘じるよ。じゃあ、あとは任せた。啓発と話をしてくる」
「はい!」
 普段からなにかと気配り上手な上司だけれど、今日は本当に感謝しかない。
 去っていく背中に深々と頭を下げた。


「あの人さ」
 うつむき加減の羊介(ようすけ)くんが、そのままの姿勢で視線だけを寄越す。
「”僕はキミに頼ってほしいんだ”って言ってた。……聞こえてた?」
「ホントに?それはさ、ひとりで抱え込んでも、いい仕事にならないよって意味だよ」
「ったくこれだよ。ニブチン、鈍感、無頓着」
「唐突なネガキャン!……ていうか羊介(ようすけ)くん、あの場にいたのね?」
「う、それは、あの、バイト上がって、待ち合わせまで時間があったから。ちょっと公園をうろうろしてたんだ」
「えぇ~、全然気がつかなかった」
「気づかれないようにしてたし」
「私の周りって、スパイ大作戦ばっかりじゃないの」
千草(ちぐさ)さんやアイ子さんには敵わないよ」
「むしろ敵わないで?気が休まらない」
 なかなか顔を上げようとしない羊介(ようすけ)くんの頭をわしゃわしゃとなでて、顔をのぞき込んだ。
「私の邪魔にならないようにって、気を使ってくれたんでしょ?」
 瞳を揺らした羊介(ようすけ)くんが、こくんとうなずく。
「カッコ悪いトコ見られちゃったね」
萌黄(もえぎ)さんの失敗じゃないじゃん!」
「でも、後輩を不安にさせて、上司には迷惑をかけた。反省しないとね」
「俺はすごいと思ったよ」
 顔を上げた羊介(ようすけ)くんの腕が、おずおずと伸びて腰に回された。
「誰も責めないで、ちゃんと謝れて。俺、バイトしてて思ったんだ。自分のこと棚に上げて、他人のせいにするヤツって、結構いる」
「そんなにツライ職場なの?まだ続けるんだっけ、警備のバイト」
「ううん、先月でおしまい。でも、(いかづち)とかと話してたらさ、同じような感じだって。あいつは居酒屋だけど」
「学校でも職場でも、人が集まるところには、大なり小なりの理不尽はあるからね」
「うん。だから、萌黄(もえぎ)さんは理想の先輩で部下なんだと思う。あのあとさ、あの後輩の人ってば、すっげー萌黄(もえぎ)さんのことほめてたよ。”僕にまで謝ってくれるなんて、マジ天使!”って。……天使じゃねぇよ。女神ってか、やっぱ小悪魔だな。……てことは、宗旨替えしないとダメか。悪魔教?いや、それじゃ千草(ちぐさ)さんとアイ子さんもだから。……小悪魔教……」
「なに言ってんの、もう。後輩君はねぇ」
 ブツブツとアホ可愛いことを言いながら考え込む羊介(ようすけ)くんに、思わず吹き出してしまう。
「仕事はできるコなんだけど、最近ポカミスが続いたのよ。叱られることが多かったから、ちょっと気持ちが弱ってたんでしょうね」
「上司の人もほめてたよ。”雪下(ゆきした)は一生懸命なのにどっか抜けてて、庇護欲もそそるしな”って」
「……それ、ほめてないんじゃない?」
「ほめてんじゃん。守ってやりたくなるような人だって言ってんだろ」
「そうかなぁ。第一、そんなこといつ言ってた?」
「え、片付けに入ったときにさ、ふたりして牽制し合ってたよ。”でも、主任じゃちょっと歳が離れてますよね”とか、”年下趣味じゃないんじゃないか”とか」
「えぇ~。もう、なんで盗み聞きとかしてるの」
「だって、あのふたりは危険人物だって、俺の野生の勘がさ」
 どう考えても、より危険な羊介(ようすけ)くんの声が不穏に低くなって、回されている腕の力がだんだんと強くなっていった。
「多分、主任が後輩君をからかってたんだよ。羊介(ようすけ)くんの勘もあてにならないね」
「なことねぇよ」
 むっすりとしている羊介(ようすけ)くんのあごが、頭の上に乗せられる。
「だとしても、ふたりの予想は大ハズレだね」
 拘束から抜け出してその口元に唇を寄せると、狼の目が丸くなった。
「私の大好きな人は、”ちょっと年が離れた””年下”の人だもの。似合わないって誰かに言われても、もう放してあげられないの」
 年の差は埋まらないし、不安になることはこれからもあるだろうけれど。
「私は羊介(ようすけ)くんと一緒にいたい。誰よりも大切なあなたと」 
 まっすぐに目を合わせて私の聖句を告げれば、泣きそうな顔で笑う羊介(ようすけ)くんが、柔らかく抱きしめてくれた。
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