魔王に会う

文字数 3,566文字

 「ガッツリ飲めるけど、料理が美味しいオシャレな店」でアイ子さんを前にした俺は、ボックス席の隅っこで身を縮めていた。
 ウーロン茶をチビチビ飲む俺の前では、アイ子さんは豪快にビールジョッキを傾けている。
「ふはぁ~」
 たちまち空にしたジョッキをドン!とテーブルに置いて、魅惑の悪魔な微笑みが俺を捕らえた。
千兄(せんにい)に会ったんだって?」
「はぁ、まあ」
 ……アイ子さんは、萌黄(もえぎ)さんのお兄さんのことを「千兄(せんにい)」って呼んでるのか。
 そう思ったとき、テーブルに置いたスマホが震えて、萌黄(もえぎ)さんのメッセージがロック画面に表示された。
『待ち合わせの時間、間違えちゃってた?アイ子の相手させてごめんね。すぐに行くから!』
萌黄(もえぎ)さんが謝ってますよ」
「ふふん」
 わざと違う時間を伝えた張本人の含み笑いは、端的に言って怖いの一言。
「んで?面通ししたのに無事生還、別れてないってことは、魔王に認めてもらえたんだ」
 悪魔が魔王呼ばわりする「雪下(ゆきした) 千草(ちぐさ)」さん。
 うん、さすがアイ子さんだ。
 その表現力の確かさは揺るぎない。
「ええ、まあ。いや、どうだろう」
 ずっと握りしめていたグラスに再び口をつけると、のどに落ちていくウーロン茶は、すっかり氷も溶けて薄くなっていた。


 萌黄(もえぎ)さんのお兄さん、千草(ちぐさ)さんと初めて会ったのは、バーベキュー大会からの帰り。
 ドライブがてらに送ってもらった日のことだった。
「え、このままお兄さんに会うの?俺も一緒に?」
 それは、もうすぐ高速を降りるというタイミングでの爆弾発言。
「私が家族への幻想を断ち切れたのは、羊介(ようすけ)くんの存在が大きいの。それを千草(ちぐさ)さんもわかってるみたいだから」
「それって、俺を認めてくれたってこと?」
「さあねぇ」
「さあねぇ?!」
 薄情だけれど、なんだか憑きものが落ちたみたいに、すっきりとした顔で笑っている萌黄(もえぎ)さんが愛し小憎らしい。
「そ、そんな状態で会って大丈夫なの?」
「大丈夫もなにも、関係ないもの」
 ETC車載器が高速料金を告げる人工音声にかぶせて、萌黄(もえぎ)さんがきっぱりと宣言した。 
「関係ないって、なにが?」
千草(ちぐさ)さんや父が賛成だろうと反対だろうと、私の気持ちは変わらない。家族に恩はあるけど、支えてくれていたのは羊介(ようすけ)くん。私が大切にしたいのは、あなただから。それを伝えようと思って」
 胸が詰まって、何も言えなくなって。
 横顔を見つめることしかできない俺に、萌黄(もえぎ)さんが小さく微笑んだ。
「でもね、言葉にして伝えることを諦めてきたから、ちょっと怖いの。……だから、そばにいてほしい。ダメ?イヤ?無理にとは言わないけど、」
「イヤなわけないだろ。あ、でも」
「でも?」
「妹さんをください!オマエみたいな馬の骨にやれるかっ!そんな、ボクは羊です、お義兄(にい)さん!オマエに義兄(あに)と呼ばれる筋合いはないっ!ボカっ、みたいなやりとりになるのかな」
「何の寸劇?それ。結婚の挨拶じゃないんだから。しかも、殴られちゃってるし」
 吹き出して笑う萌黄(もえぎ)さんの隣で、俺の胃はギリギリと絞られるように痛かったんだけど。


「んで?」
 悪魔の口の端がますます上がっていく。
千兄(せんにい)のことだから、”ボカっ”とくる物理攻撃はなかったデショ」
「そうですね。表面上は穏やかに面会できた、と思います。精神的には、かなりゴリゴリ削られましたけど」


 お兄さんが働いているという法律事務所近くのパーキングに車を停めてから、俺と萌黄(もえぎ)さんは、待ち合わせをしているカフェに向かった。
「あれ、外にいるんだ。珍しい」
 オープンテラスがあるカフェが見えてきたとき、隣を歩く萌黄(もえぎ)さんがつぶやく。
 その視線を追うと、みなとの観光地に近いカフェで、オシャレにキメてお茶をしている人たち中でも、ひと際目を引く美丈夫がコーヒーカップを傾けていた。
 萌黄(もえぎ)さんは「暑苦しい」と言ったけれど。
 それは身内ゆえの辛口だったんだって、はっきりとわかった。
 周囲を圧倒させるほどの端正な存在感に、隣のテーブルに座る女子二人組なんか、いっそガン見してたほうが目立たないんじゃないかと思うくらい、チラ見を繰り返している。
 コーヒーを味わいながら文庫本に目を落とすその姿は、どこの貴公子ですかって感じだ。
 ……おい、(いかづち)
 貴公子とは、こういう人のことを言うんだぞ。
 美丈夫が座るテーブルに迷いなく近づいた萌黄(もえぎ)さんは、その(かたわ)らに立つとニッコリと笑いかけた。
「車、ありがとうございました、千草(ちぐさ)さん」
 スーツの良しあしなんてわからないけど、とにかくベラボウに似合っている美丈夫、千草(ちぐさ)さんが顔を上げて淡く微笑む。
「無事でなにより。おかえり、萌黄(もえぎ)
 電話越しに聞くよりも艶のある低音ボイスに、店内の視線が集まった。
「それから初めまして、羊介(ようすけ)くん」
 若干、声が硬くなったのは、俺の聞き勘違いじゃないだろう。
 向かい側の席に座ろうとした萌黄(もえぎ)さんを、千草(ちぐさ)さんはスマートな手の動きで止めた。
「少しゆっくり話をしよう。萌黄(もえぎ)の好きな店を予約してあるよ」
「忙しい千草(ちぐさ)さんの邪魔をするつもりはありませんよ」
「時間をくれと言ったのは萌黄(もえぎ)だろう。片手間に済ませるつもりか?」
「お茶で十分じゃない?」
「オープンテラスでする話でもない」
「店内にはボックス席もあるじゃないですか。いつもはそっちにいるくせに。……すぐに帰すつもりがないんですね」
 黙って微笑むだけでも絵になる美丈夫が立ち上がると、ダダ漏れになるオトナの男オーラに、たじたじとなってしまう。
 会計に向かう怜悧な横顔はどこかで見たことあるなと思ったら、あの無表情でスマホの電源を落としていた萌黄(もえぎ)さんだ。
「……やっぱ似てるね」
「そう?あんまり言われないけど。ユーフォちゃんなんか、カレシと間違えてたくらいじゃない?……今はファンみたいだけどね」
 ふふっと萌黄(もえぎ)さんが意味深に笑うから、ユーフォ先輩と交わしていた「あの件」の内容がわかったような気がする。
萌黄(もえぎ)さんは雰囲気が柔らかいからだよ。……舌打ちしてた萌黄(もえぎ)さんとよく似てる。イテっ」
「忘れようか?」
 ふわふわ笑いながら、萌黄(もえぎ)さんが俺の二の腕をつねるから。
 じゃれてその手を握ろうとしたタイミングで、背中から浴びせられた声に背筋が伸びた。
「お待たせ。……行くよ」
 その硬質な口調に、現行犯逮捕された罪人(つみびと)のような気持ちになる。
「怒ってる?なんか印象悪かったかな、俺」
 萌黄(もえぎ)さんに肩を寄せて(ささや)くと、丸いカワイイ目が俺を見上げた。
「え?今日の機嫌はいいみたいよ、千草(ちぐさ)さん」
「……そう、なの……?」
 これで機嫌がいいのならば、大概の人はゴキゲンハッピーじゃないだろうか。
「市島くんと遭遇したときはすごかったわよ。あまりの千草(ちぐさ)さんの険悪さに、市島くんが一瞬で青ざめてたもの」
 あのドヘンタイが青ざめるとは!
「……そう、なの……」
 もうなにも言えずに、俺は雪下(ゆきした)兄のうしろをついて行くしかなかった。


「くぁっははははっ!」
 相変わらず変な笑い方をする悪魔(バフォメット)は、ジョッキを重ねて上機嫌である。
「そうだったんだ!一度出くわしたとは聞いてたけど。大人げない魔王の威圧に青ざめるヘンタイ、見たかったなぁ」 
「大人げないって。千草(ちぐさ)さん、すごく立派な人でしたよ」
「わかってないねぇ」
 自家製ソーセージとキャベツの酢漬けを豪快に口に放り込みながら、アイ子さんがチッチと舌を鳴らしながら人差し指を振ってみせた。
萌黄(もえぎ)のことになると、とたんに”過保護ハンパないお兄ちゃん”に成り下がるんだよ、千兄(せんにい)って。だってさ、千兄(せんにい)だって子供だったんだよ、親が再婚したときは。萌黄(もえぎ)の入園前って聞いてるから、千兄(せんにい)は小学校の低学年だもん」
 萌黄(もえぎ)さんと幼稚園のころからの付き合いであるアイ子さんが、唇を引き結ぶような笑顔を作る。
「お母様を亡くして、しばらくは近所に住む叔母さんのうちに預けられててさ。父親の再婚話にだって、思うところはあったはずだよ。なのに、子供なりに覚悟して受け入れた新生活は、外装は美麗だけど、中身は粗悪品と暮らさなきゃいけなくなったわけじゃん」
 アイ子さんが啖呵を切った相手の評価は、「中途半端な妲己(だっき)」。
 「萌黄(もえぎ)のお父様って、仕事もできるしイケオジだけど、女の趣味だけは最悪だよね」という台詞に、萌黄(もえぎ)さんは微妙な顔をしていたっけ。
萌黄(もえぎ)への態度は目も当てられなかったけど、千兄(せんにい)のことだって、ほぼ放りっぱなしだよ。可愛がってたわけじゃない。普通だったらグレてもしょうがない環境で、千兄(せんにい)萌黄(もえぎ)を守ることで、自分の存在意義を保ってたんだよ。そりゃあもう、依存してるって言いたいほどの揺るぎなさで」
「それなら、千草(ちぐさ)さんはやっぱり大人だと思いますよ。自分で認めてましたから」
「え、千兄(せんにい)が自分から話したの?メーちゃんに?」
 悪魔ではない、普通の”キレイなお姉さん”のアイ子さんが驚きに固まっていた。
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