魔王誕生
文字数 3,131文字
「萌黄 !」
かすれた声に振り返れば、昨日見たのと同じ学生服を着た少年が、つかつかと公園内に入ってくるところだった。
「……お兄ちゃん」
「こんなところで道草なんかしてたらダメだよ。ほら、アイ子ちゃんも一緒に帰ろう」
萌黄 の手を握り、アイ子のランドセルをそっと押す少年の目には、団子女子たちなど入っていないようである。
「今日はテストが返ってくるって言ってたよね。そういえば、アイ子ちゃんは九九が得意なんだって?」
「え?……うん」
アイ子は戸惑い気味に、異様に整った顔をしている少年を見上げた。
「萌黄 は”し”と”ひ”がごっちゃになっちゃうから、七の段の暗唱が苦手なんだ。そうだ、今、見せてもらおうかな、テスト」
まるで親のようなその言い方に、お兄さんなのに変なのと思いながらもアイ子はうなずく。
「萌黄 も出してごらん」
ふたりはランドセルを近くのベンチに下ろすと、ごそごそと答案用紙を取り出した。
「どれどれ。アイ子ちゃんは……、97点か。優秀優秀。ははっ!5の段でケアレスミスしたの?あわてんぼさんだね。萌黄 のほうは……。ああ、そうだ。君たちも出してごらん」
やっと気がつきましたというような顔で、少年が団子たちを振り返る。
「え、なんで」
「やだぁ」
「なんでアンタなんかに見せなきゃいけないの」
トップリーダーが生意気そうに少年を見上げた。
「あれだけ萌黄 よりもいい点数なんだろうなと思って」
団子たちに見せつけるように萌黄 から答案用紙を取り上げると、少年はくすりと笑う。
「いい点はありえないか。じゃあ、同点かな。テスト期間中で宿題をあまり見てあげられなかったけど、よく頑張ったね」
兄から頭をなでられた萌黄 は、すかさず「100点」と記された答案用紙を奪い返してランドセルへつっこんだ。
「今日の宿題は、このテストの直し?」
うなずくアイ子に親しげに微笑むと、少年は団子たちに首を向ける。
「じゃあ、ランドセルを置いたらうちにおいで。君たちも一緒に来る?ああ、
気まずそうな団子たちを眺めている少年を見て、アイ子ははっと目を見張った。
柔和な表情なのに、その目は何の感情も映してはいない。
ぽっかりと開いた穴のような冷たい黒目。
昨日から少年に抱いていた違和感の正体は、これだったと気づいた。
「どうも100点って顔じゃないかな」
笑みを張りつけた少年は一歩、団子たちに歩み寄る。
「テスト自体は点数が問題じゃないけれどね、本当は。理解しているところ、苦手なところを確認するためのものだから。まあ、得意不得意、好き嫌いはあるから、練習しても上達しにくいものもあるけれど。でも、それは人間だったら普通のことでしょ?」
戸惑い気味に顔を見合わせている団子たちを見て、少年は緩やかに首を傾けた。
「誰だって苦手なものはあるのに、どうして君たちは、萌黄 だけを特別悪く言うのかな」
急に低くなった、押し殺したかすれ声の圧がすごい。
「九九が少し苦手なだけで、体育や図工のことまで言われなきゃいけない何を、萌黄 は君たちにしちゃったの?」
「だ、だって」
さらに一歩間合いを詰めてきた背の高い少年から見下ろされて、トップリーダーがじりじりと後ずさりしていった。
「いっつもカワイコぶってて、」
「カワイコ萌黄 は可愛いんだよ」
口調はきつくなったが、少年は満面の笑みを浮かべている。
「え、ナニそれ、キッモ」
思わずという感じで、トップリーダーが吐き捨てた。
「キモい?君はお父さんやお母さんから”可愛い”って言われないの?かわいそうな子だねえ」
「い、言われるもん!かわいそうじゃないもん!」
トップリーダーがムキになったのを見て、さらに少年が笑みを深める。
それはゾクっとするほどきれいで……。
(こ、コワイっ)
何かいけないものを見たような気がして、アイ子は隣に立つ萌黄 の後ろに下がった。
「ふぅん。兄である僕から可愛いと言われる妹がキモいなら、君も十分キモいよね」
「ちがうよっ、カワイイなんて言うアンタがキモいんだよっ」
「じゃあ、君のお父さんとお母さんがキモいんだ。娘からキモいと言われていると知ったら、ご両親はきっと悲しむだろうね。そうそう、萌黄 。来週の授業参観、文化祭で午後休みになるから、僕が行くよ。クラスメートのご両親たちにも、
「あたしはママのこと、キモいって言ってないよっ」
「どうしたの?慌てちゃって。告げ口するとでも?そんな卑怯なことをするわけがない。事実を事実のまま、お伝えするだけだよ」
そう言った瞬間、少年からは笑顔がきれいさっぱり消え去っていく。
「”イイコぶってる””エラソー””カッコつけてキモい”だっけ?しかも、よってたかって大勢でね」
(あ、見たことある、この顔)
怖いのに、目が離せない。
萌黄 の兄の横顔に、アイ子は前に見たアニメの魔王を重ねていた。
アイ子の目の前で、少年魔王がゆっくりと学生服のポケットからスマホを取り出すと、画面を団子たちに向ける。
「変な走り方」
「ビミョー」
「エラソー」
何度聞いてもムカツクような言い方で、口々にはやし立てている団子たちの声がスマートフォンから流れてきた。
「と、トーサツじゃん!」
団子のひとりが上げた大声に、魔王が魔王らしく笑う。
「ははっ、盗撮なんて言葉を知っているんだ。でも違うよ?僕はただ、公園にいた可愛い妹を録画してただけ」
――イジメの現場が撮れたのは、たまたまだよ――
アイ子にも辛うじて聞こえた魔王の囁 き声に、団子たちは顔を引きつらせている。
「僕は君たちを許すつもりは」
「お兄ちゃん!」
魔王に体当たりをするようにして、萌黄 がその手の中のスマートフォンを奪い取った。
「うぉ!……萌黄 、返しなさい」
「動画消してっ」
「何を言ってるんだ。それは萌黄 へのイジメの」
「お兄ちゃんがそんなことしなくていいっ。お兄ちゃんが、お兄ちゃんがワルモノになるの、ダメだよ」
「僕は悪者でいいんだよ。萌黄 を守れるならね。さ、返して」
フルフルと首を横に振る萌黄 が、じりじりと魔王から距離を取っていく。
「あんなこと言ったヤツらを許すの?しかも、ここ最近ずっとなんだろう?」
「スカしてるとか、よくわかんない。でも、七の段苦手なのはホントなのに、アイ子ちゃん叩いちゃった。……アイ子ちゃんは、イジワルしようとしたんじゃないのに」
「ごめんね!ごめんね、もえちゃん!」
魔王からかばおうとしてくれていると気づいて、アイ子は萌黄 に抱きついた。
「ホントにごめんなさい!」
「ううん、アイ子ちゃんに怒っちゃって、わたしもごめんね」
「ねえ」
ほんの少し魔王度を下げた萌黄 の兄が、腕を組んで団子たちを見下ろす。
「アイ子ちゃんはあんなに謝ってるのに、君たちは何も言わないの?動画を先生とご両親に確認してもらわないとダメなのかな」
「ご、ごめん、なさい、ゆっきー」
団子のひとりがぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
「ゆっきー、ごめんね」
団子たちが次々に謝罪するなか、最後まで口をへの字にしていたトップリーダーがうつむく。
「……ごめんなさい……」
それは謝罪というよりは敗北宣言のようだったが、魔王は満足したようだ。
「ちゃんと謝れてエライね。じゃあ、動画は消そうか。萌黄 、返して」
妹からスマートフォンを受け取った魔王は片手で操作すると、画面を皆に見せて削除を確認させる。
「これでいいの?萌黄 」
「うん!ありがとう、お兄ちゃん!」
「……どういたしまして」
妹から抱きつかれたとたんに、魔王は兄の顔に戻った。
かすれた声に振り返れば、昨日見たのと同じ学生服を着た少年が、つかつかと公園内に入ってくるところだった。
「……お兄ちゃん」
「こんなところで道草なんかしてたらダメだよ。ほら、アイ子ちゃんも一緒に帰ろう」
「今日はテストが返ってくるって言ってたよね。そういえば、アイ子ちゃんは九九が得意なんだって?」
「え?……うん」
アイ子は戸惑い気味に、異様に整った顔をしている少年を見上げた。
「
まるで親のようなその言い方に、お兄さんなのに変なのと思いながらもアイ子はうなずく。
「
ふたりはランドセルを近くのベンチに下ろすと、ごそごそと答案用紙を取り出した。
「どれどれ。アイ子ちゃんは……、97点か。優秀優秀。ははっ!5の段でケアレスミスしたの?あわてんぼさんだね。
やっと気がつきましたというような顔で、少年が団子たちを振り返る。
「え、なんで」
「やだぁ」
「なんでアンタなんかに見せなきゃいけないの」
トップリーダーが生意気そうに少年を見上げた。
「あれだけ
エラソー
にしていたから、団子たちに見せつけるように
「いい点はありえないか。じゃあ、同点かな。テスト期間中で宿題をあまり見てあげられなかったけど、よく頑張ったね」
兄から頭をなでられた
「今日の宿題は、このテストの直し?」
うなずくアイ子に親しげに微笑むと、少年は団子たちに首を向ける。
「じゃあ、ランドセルを置いたらうちにおいで。君たちも一緒に来る?ああ、
アイ子ちゃん
を遊びに誘っていたくらいだから、宿題はないのか。みんな100点なんてすごいね」気まずそうな団子たちを眺めている少年を見て、アイ子ははっと目を見張った。
柔和な表情なのに、その目は何の感情も映してはいない。
ぽっかりと開いた穴のような冷たい黒目。
昨日から少年に抱いていた違和感の正体は、これだったと気づいた。
「どうも100点って顔じゃないかな」
笑みを張りつけた少年は一歩、団子たちに歩み寄る。
「テスト自体は点数が問題じゃないけれどね、本当は。理解しているところ、苦手なところを確認するためのものだから。まあ、得意不得意、好き嫌いはあるから、練習しても上達しにくいものもあるけれど。でも、それは人間だったら普通のことでしょ?」
戸惑い気味に顔を見合わせている団子たちを見て、少年は緩やかに首を傾けた。
「誰だって苦手なものはあるのに、どうして君たちは、
急に低くなった、押し殺したかすれ声の圧がすごい。
「九九が少し苦手なだけで、体育や図工のことまで言われなきゃいけない何を、
「だ、だって」
さらに一歩間合いを詰めてきた背の高い少年から見下ろされて、トップリーダーがじりじりと後ずさりしていった。
「いっつもカワイコぶってて、」
「カワイコ
ぶってる
?何を言っているの。口調はきつくなったが、少年は満面の笑みを浮かべている。
「え、ナニそれ、キッモ」
思わずという感じで、トップリーダーが吐き捨てた。
「キモい?君はお父さんやお母さんから”可愛い”って言われないの?かわいそうな子だねえ」
「い、言われるもん!かわいそうじゃないもん!」
トップリーダーがムキになったのを見て、さらに少年が笑みを深める。
それはゾクっとするほどきれいで……。
(こ、コワイっ)
何かいけないものを見たような気がして、アイ子は隣に立つ
「ふぅん。兄である僕から可愛いと言われる妹がキモいなら、君も十分キモいよね」
「ちがうよっ、カワイイなんて言うアンタがキモいんだよっ」
「じゃあ、君のお父さんとお母さんがキモいんだ。娘からキモいと言われていると知ったら、ご両親はきっと悲しむだろうね。そうそう、
ちゃんとご挨拶する
から心配しないで」「あたしはママのこと、キモいって言ってないよっ」
「どうしたの?慌てちゃって。告げ口するとでも?そんな卑怯なことをするわけがない。事実を事実のまま、お伝えするだけだよ」
そう言った瞬間、少年からは笑顔がきれいさっぱり消え去っていく。
「”イイコぶってる””エラソー””カッコつけてキモい”だっけ?しかも、よってたかって大勢でね」
(あ、見たことある、この顔)
怖いのに、目が離せない。
アイ子の目の前で、少年魔王がゆっくりと学生服のポケットからスマホを取り出すと、画面を団子たちに向ける。
「変な走り方」
「ビミョー」
「エラソー」
何度聞いてもムカツクような言い方で、口々にはやし立てている団子たちの声がスマートフォンから流れてきた。
「と、トーサツじゃん!」
団子のひとりが上げた大声に、魔王が魔王らしく笑う。
「ははっ、盗撮なんて言葉を知っているんだ。でも違うよ?僕はただ、公園にいた可愛い妹を録画してただけ」
――イジメの現場が撮れたのは、たまたまだよ――
アイ子にも辛うじて聞こえた魔王の
「僕は君たちを許すつもりは」
「お兄ちゃん!」
魔王に体当たりをするようにして、
「うぉ!……
「動画消してっ」
「何を言ってるんだ。それは
「お兄ちゃんがそんなことしなくていいっ。お兄ちゃんが、お兄ちゃんがワルモノになるの、ダメだよ」
「僕は悪者でいいんだよ。
フルフルと首を横に振る
「あんなこと言ったヤツらを許すの?しかも、ここ最近ずっとなんだろう?」
「スカしてるとか、よくわかんない。でも、七の段苦手なのはホントなのに、アイ子ちゃん叩いちゃった。……アイ子ちゃんは、イジワルしようとしたんじゃないのに」
「ごめんね!ごめんね、もえちゃん!」
魔王からかばおうとしてくれていると気づいて、アイ子は
「ホントにごめんなさい!」
「ううん、アイ子ちゃんに怒っちゃって、わたしもごめんね」
「ねえ」
ほんの少し魔王度を下げた
「アイ子ちゃんはあんなに謝ってるのに、君たちは何も言わないの?動画を先生とご両親に確認してもらわないとダメなのかな」
「ご、ごめん、なさい、ゆっきー」
団子のひとりがぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
「ゆっきー、ごめんね」
団子たちが次々に謝罪するなか、最後まで口をへの字にしていたトップリーダーがうつむく。
「……ごめんなさい……」
それは謝罪というよりは敗北宣言のようだったが、魔王は満足したようだ。
「ちゃんと謝れてエライね。じゃあ、動画は消そうか。
妹からスマートフォンを受け取った魔王は片手で操作すると、画面を皆に見せて削除を確認させる。
「これでいいの?
「うん!ありがとう、お兄ちゃん!」
「……どういたしまして」
妹から抱きつかれたとたんに、魔王は兄の顔に戻った。